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2006/01/31
- 「湿潤治療を行っている医師」に,滋賀県高島市のまつもと整形外科 松本道明先生を追加しました。これまで同じ滋賀県内の病院で活動されていましたが,このほど上記診療所を開業されたそうです。ご連絡,ありがとうございました。
- 最近,しょうもない映画評論ばかり書いてきたので,ちょっと本業の文章を。長らくペンディングにしてきた「診断という名の迷宮」シリーズの最後となる『体表異常症候群の診断は辛いよ』です。これまで書いてきたように,この分野の論文は誤診を排除することは不可能ですし,個々の症状の記載が正しいかどうかを判定することもできません。体表先天異常症候群において,個々の患者さんの症状を全て把握できる医者がいないからです。
そしてこれは,「診断」という最も基本的なシステムの根源に食い込んでいる問題です。
2006/01/30
- 9月8日(金)に長崎の佐世保整形外科医会で講演することが決まりました。
- 「湿潤治療を行っている医師」に,広島県福山市の瀬尾クリニック 瀬尾一史先生にも加わっていただきました。ありがとうございます。
- 1月28日(金)は大阪臨床整形外科医会で講演でした。通常170名ほどが参加される会とのことですが,300名を超える人が参加されたそうで,講演後の情報交換会では次から次へといろいろな質問をいただきました。また質疑応答で質問された先生の何人かは「私もこの治療を行っていますが」と質問を始められたのが,非常に印象的でした。
その後は10人ほどの先生方と2次会に突入。さらに,一人の先生と3次会へ! 最後はかろうじて意識がある状態でした。遅くまでお付き合いいただき,ありがとうございました。
- 史上最悪のクソ映画,『ジュラシックジョーズ』(1994年,アメリカ)を紹介しちゃいます。何でこんな映画DVDを借りちゃったんだろう,と自己嫌悪に陥るほどひどい映画でした。
- ローカルネタで済みません。またも「松本駅ビル内本屋さん」ネタです。昨日,ちょっと立ち寄ったら,なんとレジの脇にあの水色の表紙の本(『さらば消毒とガーゼ』)が平積みになっているではありませんか。普通,この位置というのは,今なら『生協の白石さん』あたりが積んであるコーナーです。思わず,本屋の店員さんに「ここに置いてあるのはなぜですか?」って聞こうと思いましたが,さすがにその勇気はなく立ち去りました。だって,「この本,私が書いたんですけど」って名乗るって変だし,第一恥ずかしい。
ちなみにこの本屋さんでは「地元の本」コーナーにも平積みになっていました。
2006/01/28
- 「湿潤治療を行っている医師」に,大阪府高槻市の村上外科診療所 村上晴也先生にもご参加いただきました。ありがとうございます。
- 5月12日(金)の19:00より静岡保険医協会(浜松)で講演することが決まりました。
7月7日(金)の福岡での講演ですが,会場,連絡先について決まりましたので,追加しました。
- 今日はこれから松本を出発して大阪に向かい,大阪臨床整形外科医会で講演をする予定です。
2006/01/27
- 「湿潤治療を行っている医師」に,愛知県岡崎市の岡崎三田病院 整形外科 元山基浩先生にもご参加いただきました。また,以前から登録していただいている東京都足立区の井上病院 外科の岩田英之先生も加わっていただきました。お二人とも,ありがとうございます。
- 火山パニック映画『テラー・ピーク(Terror Peak)』について。《天を裂き、地を裂く大噴火の瞬間がせまる!!驚異のVFX映像で大自然の猛威を描く》なんて宣伝文につられてDVDを借りましたが,騙されました。
2006/01/26
- 雑誌「臨床外科」に依頼論文の『傷に消毒は必要か』が掲載されました。これは「外科の常識・非常識 人に聞けない素朴な疑問」というシリーズで,岡崎 誠先生(市立伊丹病院外科)の『消毒剤による術野消毒は必要か』も同じコーナーに掲載されていますし,別のコーナーでは岡崎先生の『いわゆる外科的清潔・不潔の概念の見直しについて』という論文も掲載されています。ご興味をお持ちの方は是非お読み下さい。
- 昨日は長野県の小県医師会で講演でした。長野県内の医師会からの講演依頼はこれが初めてです。会場は満員状態,その後の質疑応答,そして懇親会でも多数の質問を頂きました。多数お集まりいただき,ありがとうございました。
その後さらに数人の先生と二次会へ。ここでもいろいろな話をさせていただきました。
- というわけで,昨晩は酔っぱらいおじさんだったわけですが,同じ頃,アクセスカウンタが200万を超えたようです。サイト開設から4年3ヶ月での快挙(?)です。ご愛顧いただき,ありがとうございます。
2006/01/25
- 23日(月)は横浜南共済病院で講演。会場は満員状態で,通常の同院の勉強会始まって以来の人数だったとかで,質疑応答も活発でした。お集まりいただき,ありがとうございました。
さらにその後,3人ほどで新横浜まで移動し,洒落たイタ飯屋さんで食事。お料理もワインも美味で,楽しく話させていただきました。なんだか,一人でワインを飲みまくっていたような気が・・・。
- で,松本駅でちょっと時間があったため,駅ビルの本屋さんを覗いたら,なんと『さらば消毒とガーゼ』(春秋社)が置いてあるじゃないですか。不意を衝かれたというか,とにかくびっくりしました。松本市内の幾つかの本屋さんに置いてあるようだ,という噂は聞いていましたが,まさか駅ビルの本屋さん(小さな町の本屋さんって感じ)に置いてあるとは思わなかったです。しかもけなげに平積みじゃないですか。
松本駅の書店さん,もしも売れ残ったらごめんね。
ちなみに,春秋社からの連絡によると,販売開始1ヶ月経っていないのに,重版が決まったそうです。
- ごく一部に受けている「B級パニック映画」ですが,勝手ながらシリーズ化することにして,「読書 & 映画」コーナーで書評と一緒にすることにしました。
で,《キラー・バグズ》という昆虫パニック映画について追加。まさにB級です。
- 今日は夕方まで通常通りに仕事をして,それから同じ長野県内の上田市に移動し,19:00より「小県(ちいさがた)医師会」で講演です。そして翌日(26日)は朝7時頃ホテルを出発して松本に戻り,朝9時から通常通りに外来開始。今週はやたらと忙しいです。
- 「危険性は交通事故より低い」 BSEで米いらだちということらしいです。アメリカ国内でのこんな会話が聞こえてきそうです。
- ヘイ,ジョージ! 日本人の野郎ども,何でこんなにうまいアメリカの牛肉を食わないんだ?
- アメリカの牛肉を食うとBSEとかいう病気にかかるとからしいぜ。
- なんだい,その病気?
- よく知らんが,食うと頭が牛になるらしいぞ,ハハハ(お約束の意味不明のアメリカンジョーク)!
- 牛肉を食うと,どのくらいかかるんだい? 俺,毎日肉食っているけど,頭は牛になってないぞ。もっとも,酒を飲んで家に帰ると,カミサンの頭に2本角が生えてくるけどな。ハハハ(お約束の意味不明のアメリカンジョーク)!
- 病気になる確率はすごく低いってよ。
- どのくらい?
- そうだな。お前のカミサンが今日スーパーに買い物に車で行ったとき,交通事故に遭う確率の1/10,000くらいだな。
- そんなに安全なの? チキン野郎だな,日本人ってやつらは。
問題は,確率じゃなくて,罹患したら確実に死ぬことなの。100%助からない絶対致死性の病気だってことなの。そして,アメリカの牛肉なんて食わなくても生きていけるのってことなの。どうせ食うんなら,安全なほうがいいの。脳味噌が崩壊して死ぬのはいやなの。そんなの,当たり前じゃん。
2006/01/23
- 「湿潤治療の講演をしている医師」に,茨城県常陸大宮市の岡崎匡雄先生(mokazaki@carrot.ocn.ne.jp)にも加わっていただきました。茨城近辺の方で講演をご希望の方は,是非,岡崎先生にご連絡下さい。
- 「湿潤治療を行っている医師」に,岐阜市の岐阜外科 院長 澤田逸志先生,宮崎市のくらもと医院 倉元光明先生にもご参加いただきました。ありがとうございます。
- 先週金曜日は大阪で行われた日本熱傷学会近畿地方会で講演。講演時間が1時間とちょっと短く,次のセッションもあったために質疑応答もなし。講演後にちょっと立ち話で数人の人たちと話ができた程度のため,学会に参加されていた他の人たちが私の話を聞いて実際にどう思われたのかほとんど判らなかったため,ちょっと心残りでした。やはり,講演時間を十分にとり,質疑応答も十分にあった方がいいですね,お互いに。
それにしても,この熱傷学会でどのような発表があったのでしょうか。熱傷治療の専門の先生方,どのような局所治療をなさっておられているのでしょうか。
- 今日は昼まで普通に仕事をして,それから横浜に移動し,横浜南共済病院で講演です。講演後は横浜で一泊し,翌朝出発し,昼までに松本に戻ってきます。
- B級映画へのご招待,第○弾!
『Beneath Loch Ness』。Loch Ness,つまりネス湖である。恐竜型怪物の本家本元,ネス湖の怪物を描いたB級映画だ。この映画では,首の長い魚竜(?)の形で描かれている。派手なアクションがあるでもなく,人間が食いちぎられている様子が映るわけでもなく,その意味ではちょっと地味な感じの怪獣映画である。しかも,怪獣は終始水の中で,水面に顔を出すのは1シーンくらいということもあり,怪獣映画としては迫力に欠ける。
ネス湖の湖底に亀裂があって海に繋がっている,というのは昔から言われていることだが,その通路がネッシーの巣というか,繁殖地になっているというのはちょっと目新しい設定でしょうか。
ネス湖は長さ35キロ,幅2キロという非常に細長い湖だ。琵琶湖の面積が672平方キロだからその1/10くらいの面積であり,日本だと洞爺湖や浜名湖あたりと同じ広さだ。最深部は230メートル。魚類はそれほど豊富ではないとどこかで読んだ記憶がある。そこで体長20メートルの爬虫類が生存するのに十分な獲物が得られるのか,という疑問は昔から指摘されてきた。しかもここはスコットランドの北部であり,冷涼な気候の土地だ。つまり爬虫類が生活するには辛い場所である。
しかも,ネッシーが自然繁殖するとしたら最低でも数100頭程度はいないとすぐに絶滅するはずだ(まさか爬虫類が無性生殖するわけにはいかないからね)。と言うか,保護しないと絶滅してしまう数の限界がこのくらいである。浜名湖に数100頭のネッシーがひしめき合っている様子を思い浮かべて欲しい。かなりにぎやかな状況である。
そんなわけで,ネス湖が地底で海と繋がっている,という説が出されたわけである。ま,この説にしても,近くの海(遠くでもいいけど)でくつろいでいるネッシーが見つからないのはなぜ,そんな寒い海で大丈夫? という疑問がついてまわる。
この映画の不可解な点と言えば,地元の沿岸警備をしている警察官(だったかな?)がネス湖調査隊の調査を執拗に妨害する点だ。途中で,岸に打ち上げられた小型ネッシー(?)の死体が見つかるんだけど,調査隊にちょっと頭の部分だけ見せてすぐに隠しちゃう場面なんて本当に不自然すぎ。ネッシーがいることを本当は知っていて,何かの理由で隠したがっているのかな,と思ったが,最後まで見てもそういう謎解きはなし。結局,なぜあれほどに調査を妨害したのかは不明のままだった。
というか,小型ネッシーが見つかった時点でマスコミに売り込めよ。それを展示するだけで,世界中のマスコミ,研究者,野次馬が殺到するはずだ。というか,関連学会が全てひっくり返るくらいの大発見だぞ。何でそれを隠しちゃう?
そして何より,地元の漁師たちが爆雷を湖に放り投げては浮き上がった魚を捕っているのを見ても,この警察官が注意もせずに見逃しているシーン。こういう漁法,通常は違法だと思うぞ。これを環境保護団体が見たら,大挙してやってくるぞ。ネッシー調査を妨害する暇があったら,漁師たちの違法操業を取り締まれよ。
そればかりか,最後の方では,調査隊が「この下にクルーが潜水している。爆雷投下を止めてくれ」と大声で無線連絡しているのに,聞こえているはずなんだけどそれを無視してバカスカと爆雷を投げ入れてくるのだ。こいつら,絶対におかしいぞ。本当に警察か? それとも,ネス湖周辺住民ってのは,ネス湖に爆雷を投げ入れるのを仕事にしているのか?
通常,こういう映画で警察などが妨害してくる場合,ネッシーの正体がばれては困る悪徳市長とか,悪徳ホテルオーナーとかが警察とつるんでいるのが定石なんだけど,この映画に関してはそういう伏線もなし。なぜあれほど執拗に邪魔をしたんだろうか?
自腹を痛めずに暇つぶしに見た・・・なら腹も立たない,という程度の映画です。
2006/01/21
- 今日はこれから(朝9時)にJR特急で名古屋に向かい,そこから大阪に移動して熱傷学会近畿地方会で講演です。
- アクセスカウンタは199万目前,200万アクセスへのカウントダウンに入りました。最近は一日あたり2500アクセスくらいですので,来週半ば頃でしょうか。
- この時期,東海道新幹線は関が原がウィークポイントです。あのあたり,雪が積もるときは半端じゃないですから。本来の東海道だったら,桑名から四日市,亀山,そして山を越えて大津へのルートです。こちらの方が距離も短いし,少なくとも,関が原のように雪でストップするポイントもありません。何で現在の「雪に弱い」ルートのなったのか,ご存知の方はご存知ですよね。
2006/01/20
- 以前から「湿潤治療を行っている医師」にご参加いただいている,静岡県磐田市の和田整形外科・外科医院のホームページが完成したとの連絡をいただきましたので,リンクしました。
- B級映画,第3弾か4弾! 『Shark Attack 3: Megalodon』。
「ジョーズ」を代表とするサメ・パニック映画というジャンルがある(・・・と断言しちゃっていいのだろうか)。ジョーズ・シリーズの他にも幾つか見たことがあるが,これはその中の一つである。"Shark Attack 3" とあるから1と2があったのだろうが,それについてはよく知らない。
この映画の主人公(?)はメガロドン,つまり古代のサメである。新生代第三期中新世(2600万年~600万年前)に生きていた巨大なサメで,体長は15メートルと言うから,現在のホオジロザメの2倍以上,マッコウクジラと同じ大きさである。半端でない大きさだ。この時期は海は温暖で,鯨が多種類に分化した時期であり,同時に鯨の数も増えた時代だ。メガロドンはその鯨を餌にしていたらしい(鯨を主食にするサメ,ってのがすごいな)。しかしその後,大陸棚の海水温が低下する。温血動物である鯨は寒冷な海に適応できたが,メガロドン(基本的に変温動物)はそれに適応できず,絶滅したと考えられている。
とは言っても,このメガロドンが海溝などの深海底で生きているのではないか,という可能性は以前から指摘されていた。これまで何度か,最大級のホオジロザメの歯より大きなサメの歯が見つかっているからだ。そのたびに「メガロドンの生き残りか?」と話題になってきた。
理由はこうである。海水は酸素を含んでいるが,深くなるにつれて酸素濃度が次第に低くなり,ある深さのところから極めて酸素に乏しい水域(水帯)が広がっているらしい。しかしその下には,酸素を含み,温度も比較的暖かな(といってももちろん比較の問題である)が海水が深海底にかけて存在し,この二つの水域は混ざり合わないらしいのだ(このあたりは,昔読んだ本の知識なんで,もしかしたら間違っているかもしれませんが)。ここにメガロドンが生きているのでは,という説である。実際,シーラカンスはこの水域で数億年,生き延びてきた。
実は昔,メガロドンがこの深海底に生きていて,それが何かの理由で無酸素水域を突破し,暖かい海で暴れる,という小説を読んだことがある(1980年代の小説だったと思う)。この映画とは設定が異なるが,関連性はあるのかな?
という無駄話はさておき,この映画だ。ジョーズ級に面白いと言っておこう。海底ケーブル修復作業中の作業員がサメに襲われるという発端があり,それから数ヶ月後,大陸棚に敷設したケーブルも何かに噛み切られ,そこから大きなサメの歯が見つかり,事件が幕を開ける,というのはパニック映画の定番だ。もちろんそれは同時に,海底ケーブルから電磁波が漏れているという伏線であり(サメが電磁波に敏感に反応するのは有名な話),なぜメガロドンが深海底から浅瀬に移動したかと言う理由付け(=海底ケーブル沿いにサメが移動した)にもなっている。
そこで次第にメガロドンの正体が明らかになるのだが,最初に登場する奴はせいぜい5メートルくらいである(これだって十分に大きいが)。大したことないな,なんて思って油断していると,実はこいつは子供ザメなんだ。すぐに,母親ザメが登場する。
この母親,半端じゃなくでかい・・・なんてもんじゃない。体長20メートル,口の横径3メートル以上,歯が大人の手掌よりでかいときてる。だから,小型ボートは丸ごと飲み込んじゃうし,5人が乗った救命ゴムボートも一気飲みしちゃう。まさに手当たり次第(・・・サメには手がないから「口当たり次第」か・・・)である。
映画の前半,子供ザメが活躍(?)する場面はほとんど水中ということもあって画面が暗く,なんだかよく判らない(=何となく迫力に欠ける)画像が続くため,「これで海の怪物か?」とバカにすると思うが,後半になるとお母さんザメが水面に上がってきてパクパク,ガブガブと何でも飲み込んじゃうシーンは迫力満点だ。
また,電磁波のシールドがしっかりしていない安物ケーブルを敷設して安くあげようと考えている通信会社の社長とか,客の安全のためにビーチを閉鎖すべき,という提言を拒否するホテル支配人とか,パニック映画に必ず登場するタイプの「儲け最優先」の敵役もいるし,まさにパニック映画の王道である。
そして,最後にメガロドンを倒す方法も安っぽくなくてよかった。
- ここまで来たら,この「B級映画へのご招待」をシリーズ化しちゃうか。まだまだネタはあるしね。
2006/01/19
- 「湿潤治療を行っている医師」に,東京都新宿区の城北ホームケアクリニック 藤本耕一先生にも加わっていただきました。ありがとうございます。
- 1月から2月といえば受験シーズンである。いつも思うのだが,この時期に受験が行われる「4月入学」制度は,日本の風土に合っていないと思う。今年のように雪が多いくなくても交通の乱れはよく起こるし,この時期は同時に,インフルエンザ流行の最盛期である。人生を左右するかもしれない受験を,このように最も自然環境が厳しく不安定な時期に集中させるのは,やはりおかしいのではないだろうか。
9月入学になると入試は6月から7月にかけてとなる。沖縄が台風の時期という問題はあるが,少なくともインフルエンザのような感染力が強くて症状が激烈な感染症は少ない時期である。少なくとも,1月2月よりは受験生はよいコンディションで受験に臨めるのではないかと思う。
- ではいよいよ,紛れもないB級パニック映画を紹介。
『U.M.A.レイク・プラシッド』。巨大化した野生動物が人を襲うというパニック映画で,まさしくB級である。巨大化と言っても,自然にいる最大の大きさより1割増しくらいの大きさなので,非常識なくらいに巨大というわけじゃないけどね。ちなみにUMAとは "Unidentified Mysterious Animal" (謎の「未確認動物」)の略です。
ここで人間を襲う動物種は○○と伏せておくけど,最初の20分くらいでバレちゃいます。そこらの動物園にいる動物です。ただ,この○○の動きは非常にリアルで迫力。こんな○○に襲われたら,たまったもんじゃございません。アップで顔が写ると目が無表情な分,怖いです。
で,この映画の不自然な点について(こういうのをツッコミを入れるのが好き)。
まず,途中で登場する大金持ちの○○研究家(というより神話研究家かな?)がいきなり,「これは○○の仕業だ。○○は古代から神とあがめられてきた存在なのだ」とまくし立てるんだけど,こいつが凄く不自然。何でいきなり,こいつが出て来るんだよ。誰か説明してくれよ。まだ一人目の犠牲者だけで報道もされていないのに,「この事故は○○が原因だ」と判断した根拠は何? 超能力者か,こいつは? 大体,大金持ちだったらボディーガードの一人や二人くらい,連れて来いよ。
不自然と言えば主人公の古代生物学者(女性)が湖に派遣されたのなら,犯人(?)は古代巨大爬虫類の生き残り,ってのが動物パニック映画の定石だと思うんだけど,この映画に登場するのは現生の生物で,しかもただ単にそれが普通より大きいというだけなんだから,この女性を登場させるにしても,古代生物専門家という設定にする必要はないと思う。○○研究家で十分なはずである。
それと,ちょっと頭がおかしい一人暮らしの婆さんが登場し,こいつが○○に餌を与えていた,という設定なんだけど,それだけでこんなに巨大化しちゃうの? これだけの餌を与えるにはすごく金がかかりそうなんだけど,それはどうして工面しているの?
何より,それまで人を襲わなかった○○がいきなり人を襲い始めた理由は何? 餌だったら,婆さんが用意してくれているはずだが・・・。
ま,新幹線の車中,暇つぶしにはなってくれました。
2006/01/18
- 「湿潤治療を行っている医師」に,兵庫県神戸市の原皮フ科 原 洋子先生にもご参加いただきました。ありがとうございます。
また,この医師リストも登録者数が増えてきたため,病院の所在地(市郡区)ごとに並べ替えてみました(あいうえお順です)。もちろん,膨大な作業となりましたが(特に市や郡の読み方がまるっきりわからないところが半分くらいあり,それを調べるのが大変だった),何とか終えました。
- 『デジタル音楽の行方』(翔泳社,\1,995)という本を少しずつ読んでいる。著者は「水道水のように低額でいつでも音楽が聞けるサービス」が実現すれば,今よりさらに音楽業界は拡大し利益も上がる(水道関連の会社がどれほどの利益を上げているかを数字を挙げて説明している)。もちろん,システムが全体が変わるから潰れる業界もある。CD製作・販売会社である。これは20世紀半ばに確立した業種であり,インターネット時代には消え去る運命である・・・馬車や駕籠やマッチが消えていったように・・・。要するに過去の利益・権益にしがみついている業種が最後の悪あがきをしているのが21世紀初頭の世界なのである。
と,こんなことが書いてある本のようだ。
私は以前,ピアノ楽譜の収集を趣味にしていた。特に,19世紀から20世紀初頭にかけての「失われた曲(=演奏されなくなった曲)」の楽譜収集を行っていた。そこでわかったのは,
- 現在出版されている曲は全ピアノ曲のごく一部であり,大多数のピアノ曲は失われ,演奏される機会は今後も絶無だろう。
- 楽譜はもともと,それほど売れる商品ではない。
- 珍しい曲が出版されることはあるが,絶版になるのも早い。
と言うことだった。要するに,売れるのは定番中の定番の楽譜であり,定番でない曲の楽譜を出版したとしても,実際に聞いた事がない曲であるため(誰も演奏せず,録音もないから),その楽譜を買うのはよほどの物好きである。だからすぐに絶版になる。
そこで考えたのだが,著作権が切れた楽譜は全てPDFファイルなどにデジタル化して国立図書館などのサーバーに保存し,インターネットを介して誰でもただで楽譜をダウンロードできるようにすればいいのでは,ということだった。そうすれば,やがて復活して演奏されるようになる曲も現れるかもしれないし,画一的な曲ばかり演奏されるクラシック音楽の演奏会がちょっとずつ変わってくるかもしれない。著作権が切れているのだから,そういう曲は人類の共有財産であっていいはずだ。
では,楽譜出版業はどうなるのか。もちろん,これがなくなることはない。「ダウンロードして家庭用プリンタで印刷した楽譜」には致命的欠陥があるからだ。要するに,出版された楽譜に比べ,圧倒的に使いにくいのだ。私も以前,A4用紙に印刷した楽譜をクリアファイルに入れて弾いていたが,指使いやアーティキュレーションを書き込むためにわざわざクリアファイルから出さないといけないのが面倒なのだ。だから,実際に演奏しようとすれば,きちんとした製本になっているほうが便利だ。つまり,オンライン・デマンド方式で製本してくれる業者がどうしても必要なのだ。
本書でも指摘しているが,水道水がただ同然の値段でいつでも使える一方で,高価なミネラルウォーターもどんどん売れている。要するに付加価値のあるものは,それを必要としている人には高くても売れているのである。
今は街にあちこちにコピー機が置いてある。誰でも簡単に書籍をコピーできる。だが,それで書籍や雑誌が売れなくなったわけではない。
たとえば,1000円の本の中で必要なのは1ページだけだったら,多分,コピーで済ませるだろう。ところが,必要な部分が50ページあったらコピーする人はいない。コピー代,コピーの手間,コピーしたものの保存(本よりかさばる)を考えたら,本を買ったほうが安いからだ。要するに,本の内容,含まれている必要な情報の量,値段を勘案し,コピーで十分と思えばコピーするだろうし,コピーした方が手間がかかり値段も高くなる,というのならコピーする馬鹿はいない。要するに,本を買うかコピーで済ませるかは,こういうことで決まっているはずだ。
2006/01/17
- またもやB級映画シリーズ・・・と思ったけれど,なぜか正統派A級感動映画を取り上げちゃった。
今回はアカデミー賞4部門に輝く正統派ボクシング映画の『ミリオンダラー・ベイビー』。女性ボクサーを主人公としたスポーツ映画である。こんなコーナーで取り上げていいんだろうか,というくらいの名作とされている。だが,前半と後半が全く違いすぎている。結末を知らずにこの映画を痛快なボクシング映画を思って見始めると,とんでもないしっぺ返しを食らっちゃうぞ。
31歳のボクシング経験のない女性が突如ボクシングに目覚め,「ボクシングを教えて」と年老いたトレーナーに頼み込みことから映画は始まる。初めは厭がっていたトレーナー(彼女の年齢も考えたら当たり前だろう)も彼女の真剣さに根負けし,彼女にボクシングを教え始める。ここらはスポ根映画の定番中の定番の始まり方である。スポ根映画の定石をふまえ,彼女の中に眠っていた才能が目覚め,彼女はボクサーとしてデビューする。
トレーナーの効果的な指導により彼女は連勝街道をひた走るようになり,ついに世界チャンピオンに手が届くところまで上り詰める。ここまでは見ていて楽しく爽快だ。『がんばれベアーズ』や『メジャーリーグ』,『ドッジボール』などのスポーツ映画同様,努力の末に夢を掴もう,というアメリカン・ドリームの世界そのものが描かれている。
普通ならここで敵役になる選手が登場して,こいつの試合で負けて一度は挫折するんだけど,その後また復活し,ついにはチャンピオンの栄冠を手にする・・・なんていう筋書きになるのが一般的だし,映画を見る方もそれを期待してお金を払って映画館に入るはずだ。
ところがそれが違うのだ。ダーティーな反則を繰り返す相手との試合中,事故で彼女は重傷を負ってしまうのだ。
さて,これからあなたならどういうストーリーを考えるだろうか。ケガから奇跡的に復活し,その敵役を倒し,そして世界チャンピオンになる,というハッピーエンドにするか,あるいは,ケガのために引退を余儀なくされたけれど,才能ある少女を見いだして今度は自分が指導する側に回り,彼女をチャンピオンにする,というストーリーも考えられる。どちらも見終わった後にカタルシスが得られるて,客も満足して帰途につくはずだ。
ところがこの『ミリオンダラー・ベイビー』はここから一挙に暗転・失速するのである。どういう最後になるかは明かさないのが礼儀だろうから書かないでおくが,とにかく暗く沈鬱なまま終わってしまうのだ。途中で彼女のケガの状態が明かされる時点で医者なら誰でも,「こりゃ,助からないな」と判っちゃうわけなんだけど,「オイオイ,このまま終わっちゃうの?」という感じです。いずれにしても,この最後には普通の映画ファンは引いちゃうだろうな。
とにかく,この映画は最初の1時間と,その後の1時間では全く調子が異なっています。前半は軽快・痛快なスポーツ映画,後半は沈鬱・真面目な社会派映画です。スポ根映画特有のカタルシスを得ようと思ってこの映画を見たら,絶対に失望します。映画としてはとても誠実に作ってあるし,嘘偽りのない話なんだろうけど,あまりにクソ真面目に作ってしまい,前半と後半が全く異なったものになってしまったようです。
そういえば,老トレーナーと彼の娘との確執が終始語られていたけど,その原因については最後まで明かされなかったな。これも見終わった後,すごく気になってしまった。
そうそう,クリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンの二人の年寄り,渋くて格好いいです。チョイ悪オヤジにはならなくてもいいけど,こういう爺様になってみたいものです。
2006/01/16
- 13日(金)は札幌の中村記念病院で講演でした。この病院では時折,公開の講演会を行っているとのことでしたが,今回は通常の3倍以上の230人(だったかな?)の参加で会場はぎっしり満員状態でした。多数ご参加いただきありがとうございました。また,質疑応答後は拙書『さらば消毒とガーゼ』へのサイン会のような状態になり,下手な字を書きまくってしまいました。
講演後は10人ほどの先生方と「札幌一美味しい」というお寿司屋さんで宴会。ここでもいろいろな話をさせていただきました。もちろん,お料理もお酒も美味でした。北海道はいつ行っても料理が美味しくていいです。
- 年がら年中,週末ごとに日本各地に移動しては講演する生活をしていますが,ここ1年ほど,新幹線や飛行機の中ではポータブルAVプレーヤー(現在はCreative Zen Vision・・・例によって,ぴったりの皮ケースもゲット)で,レンタルDVDからダビングした映画を見ることにしています。とはいっても,主に見ているのはB級のホラーもの,パニックもの,モンスターものですけどね・・・。
そこで,見た映画についてちょっと感想なんぞを書いてみようと思います。とはいっても,B級映画がメインですから,この映画は見ないほうがいいよ(借りないほうがいいよ),というリストになってしまいそうですけどね。好評であれば,シリーズ化して更新ネタに詰まったときの埋め草にできるし・・・。
と言うわけで,初回からあまりにしょうもない映画では呆れられてしまうので,かなり真面目なB級パニック映画の『パラダイスウイルス』について。これは鳥インフルエンザの人への感染を予言しているかのような映画である(制作は2003年)。
カリブ海に浮かぶ南海の楽園のような島で,一人の島民が暴れるニワトリに指をつつかれて出血するシーンから始まる。彼はまもなく高熱を出し,咳が続き,病院に収容されるがどんな治療も効かず,数日後に死んでしまう。
たまたまバカンスでこの島を訪れていた女性医師(感染症が専門だったかな?)が異常に気付き,それが新型のウィルス感染ではないかと疑いCDCに連絡する。かくして島は封鎖され,CDCが島に入って調査開始となるが,患者は次第に増えていくのに有効な治療法は見つからない。次第に死者が増え,島民の間で不安と不満が広がり,ついに脱走を企てる島民が現れ(これは海軍が阻止),CDC職員に暴行するものまで現れる(このため,CDCは一時,島から逃れようとする)。
有効な治療法が見つからなければ,島民全てが犠牲になる。しかしその島にこの新しいウイルス感染症を封じ込められなければ,感染はキューバ,そしてアメリカ,そして世界中に広がってしまう。そのタイムリミットは刻々と迫ってくる。
その極限状態の中で女性医師は,この病気に罹患したのに自然に治癒した人を見つける。つまり,彼は自力で抗体を作ったのだ。彼の血液があれば島民を助けられる。彼女は彼に採血を申し出るが,宗教上の理由で拒否される。しかし,彼から血液(=抗体)を提供してもらわなければ島は全滅だ。必死の説得で採血ができ,血液の入ったバッグを病院に運ぼうとしたその時,自分だけ助かろうとする島民が銃を構えていた。そして彼は銃を発射する。
こんな映画だが,医学的にはいい加減な部分はあまりないように思われた。何より,新しいウィルス疾患が発生した場合にそれがどのようにして地域で広がり,やがてパンデミックになるのか,パンデミックになるのを防ぐためにはどうしたらいいのかを,かなり正確に描いているように思う。もしかしたら,CDCも協力していたりして・・・。
この映画のように,小さな島で新たなウイルス性疾患が発生した場合の対処は,基本的には海岸線の封鎖で事足りる。しかし,現在のトルコや中国のように,大陸の一部で鳥インフルエンザの人への感染が起こり,それが人から人への感染となった場合,その封じ込めは困難を極めることになる。この映画はハッピーエンドで終わるが(このくらいはバラしてもいいよね),それはあくまでも孤島を舞台にしているからかもしれない。この映画と同じ病気が南海の孤島でなく,ロシアや中国で起きてしまったら,どういうことになるのだろうか。これは決して絵空事ではないだけに,ぞっとしてしまう。
2006/01/13
- 「湿潤治療を行っている医師」に,奈良県生駒市の田中泌尿器科医院 松原 博先生も追加させていただきました。ちなみにこれまで,高知県の足摺岬診療所で活動なさってこられた先生です。ありがとうございます。
- 2月10日の牛込歯科医師会での講演の詳細が決まりましたので,追加しました。ご興味をお持ちの方は,学術担当の中西先生(Tel 03-5261-5525)までご連絡下さい。
- 今日(13日)はこれから松本を出発して名古屋に向かい,中部国際空港から新千歳空港に飛び,札幌の中村記念病院(北海道内でもっとも有名な脳外科病院だそうです)で講演です。雪がひどくないことを祈るばかりです。ちなみに同院から春秋社に,拙書『さらば消毒とガーゼ』の大量注文をいただいたそうです。
ちなみにこれで今年の講演が始まります。
2006/01/12
- 『創傷治療の常識非常識2 -熱傷と創感染-』(三輪書店,ISBN4-89590-241-2, \2,940)がそろそろ発売開始となります。よろしかったら,お手にとって立ち読みでもしてください。
- 一昨日,外来で「小さな大仕事」をした。縫合糸膿瘍の原因となっている縫合糸の除去である。患者さんは4年前に急性虫垂炎で手術を受けた後,1年に数回,縫合糸膿瘍と思われる腹壁膿瘍を繰り返していた。今回は昨年の暮れに何度目かの「爆発」があり,切開とドレナージで治療していたが,なかなか傷が浅くなってくれない。
膿瘍口の大きさは1センチほどだが,ゾンデで探ると深さは6センチ以上ある。これまでの経過から考えてその最深部に筋膜縫合などの糸があることはほぼ間違いない。だから,それを除去するためには最低でも皮膚を6センチ切開しなければいけないが,問題はゾンデが手術の傷跡とは全く異なる方向に向いていることだ。つまり,「傷のない皮膚」を切開することになるのである。手術瘢痕を切開するのは気が楽だが,傷がない皮膚を切開するのはためらってしまう。
だが,この状態でドレナージを続けていても埒があかないことは明らかだ。少なくとも,今,口を広げなければドレナージも十分にできないなってしまう。
というわけで,局所麻酔下に入口部を2センチほど切開を広げた。この時点ではまだ,膿瘍形成の根元である縫合糸探しをするかどうか迷っていた。腹部の脂肪の厚さも結構あるのも面倒だし,第一,切開したところで縫合糸が見つけられるという保証もない。むしろ確率的には,糸が見つからない(見つけられない)可能性の方が高いだろう。切開したけれど糸は見つけられなかった,という状況だけは絶対に避けたい。
しかし,広げた切開口から瘻孔の深部を探っても縫合糸らしきものは全く触れない。
ここで10秒考えた末,切開を広げて原因を探ろうと決断。決めてしまえば早いのが外科医である。皮膚切開を一気に伸ばし,厚い脂肪を切開し,瘻孔壁を切開。探ること30秒ほどで,太い絹糸を発見し,切除! 嬉しかったですね。
こういう症例に悩んでいる医者は少なくないと思う。特に,下部消化管の緊急手術後に創部膿瘍を繰り返すことは珍しくない。原因はほとんど縫合糸であり,これを除去しない限り膿瘍を繰り返すことになる。だが,今回のように「傷一つない皮膚」の下に瘻孔が続いている場合,切開するかどうかはかなり迷うはずだ。今回は幸いにして縫合糸が黒くて太かったので見つけやすかったが,細くて白くて柔らかい縫合糸だったら,それを見つけるのはかなり困難なはずだ。今回はたまたま見つかったようなものである。
同様の術後の反復する膿瘍症例には今後もぶつかるだろうが,そのたびに切開するかどうかを悩むんだろうな。
2006/01/11
2006/01/10
- 中国,東南アジア,そしてトルコと鳥インフルエンザが猛威を振るっている。現在のところ,人への感染はあるものの,人から人への感染も不確定であるが(中国当局が情報を隠している,と言う懸念はあるが・・・),トルコ国内がパニック寸前らしい,と伝えられている。トルコのある村では,村に3人しかいない(?)医者に「ちょっと熱がある。鳥インフルエンザではないか?」「ちょっと喉が痛い。鳥インフルエンザではないか?」という患者が殺到している,と報道されている。
これでは,病院の待合室が感染を広げる場になってしまう危険性がある。要するに,感染者と非感染者の動線の分離が非常に重要なのだ。
そういえば『大使閣下の料理人』という漫画があるが,「タイ・ベトナム編」を読んでいると,東南アジア市場で生きた鶏やアヒルが売られ,それを普通の家庭で調理する様子が生き生きと描かれている。これなら鳥がインフルエンザにかかったら,人に感染しても不思議ないと思う。
ちなみに,「鳥インフルエンザは渡り鳥が媒介している」というのはインチキらしい。ロシアの感染ルートを分析すると,渡り鳥の飛行ルート沿いではなく,鉄道沿線沿い,幹線道路沿いである。つまり,人(の手)を媒介して感染が広まっている可能性が強いらしい。
現在,幾つかの国では「渡り鳥を撃ち殺すべき」とか,「渡り鳥の狩猟を禁じる」という政府からの通達が出ているが,専門家からはナンセンスと批判されている。
鳥インフルエンザはかなり激烈な症状を呈する病気である。「鳥エボラ」と呼ぶべきである,という指摘すらある。呼吸器疾患ではなく全身の組織の感染症で,ニワトリの場合,全身から出血して死ぬほどである。まさに「ニワトリ版エボラ出血熱」である。
ということは,鳥インフルエンザに罹患した渡り鳥が長距離を飛ぶことは不可能,ということになる。鳥の種類によって症状の出方には軽重があるが,一般的に,鳥インフルエンザにかかった鳥は群れから脱落し,その結果として群れ全体にインフルエンザが広まることはないと考えられている。
逆の言い方をすると,鳥インフルエンザが広がるためには,狭いところでギュウギュウ詰めに鳥が暮らしていて,インフルエンザにかかったとりもそうでない鳥も一緒になっている状態が理想的である(野生状態だと,罹患した鳥が群れから脱落してしまうから)。これが何か,もうおわかりですね。
2006/01/06
2006/01/05
- 『診断名という名の迷宮』というシリーズものを始めようと思います・・・といっても,数回で終わる予定ですが・・・。今回はとりあえず,「ある先天異常症候群との出会い」,「外胚葉形成不全はあるのか」とアップしました。
自分で掲載しておいて書くことじゃないんだけど,先天異常症候群という非常にマニアックなテーマのなかでも,特にまれな症候群をネタにしているわけで,大丈夫なんだろうか? ま,ここまで真面目に(しつこく,とも言う)他人の論文を読んでいた時期が私にもあったなぁ,という追想ネタでもあるわけですね。それにしても,これからどの方向に展開させようかな?
2006/01/04
- 1月23日(月)の横浜南共済病院での講演の詳細が決まりました。参加申し込み先情報も加えましたので,ご興味をお持ちの方は連絡をとってみて下さい。
- 相澤病院は昨日(3日)から通常業務開始でした。それにしても,「今年もよろしく」という患者さんとの挨拶,外傷治療系の診察室ではちょっと似合わないですね。「今年は来ないように注意してね」というのが正しい挨拶かもしれません。
「新しい本,買って読んでますよ」という年配の患者さんがいらっしゃったのが嬉しかったです。
- 以前から,ユダヤ教の聖典「旧約聖書」は単なるユダヤ民族の神話をまとめただけのもので,神話なんだから,世界中の民族が持っているそれぞれの神話と似たり寄ったり,どっこいどっこいです。目くそ鼻くそ程度の違いしかありません。ユダヤの神話もイヌイットの神話も,同じくらいに尊くて,同じくらいに馬鹿馬鹿しい。
神話は神話なのに,神話を事実だと言い張っている民族の方がおかしいのであって,それを宗教にしてしまったことが一神教のそもそもの間違い,世界の不幸の始まりなのです。旧約聖書の記述を真実として信じるのは,日本人が古事記を聖典として信じてヤマタノオロチの骨の化石を発掘しようとするようなものです。
同様に,何かと言うと「詩篇」の言葉を引用するのは,古事記の一節をことあるごとに引用するのと同じ。詩篇や黙示録の一節は格好良くって,深みがある言葉のように見えますが,アイヌの神話にも似たような言葉があったりします。人間が頭で作ったものですから,似てくるんでしょう。
どの神話が正しくて,どの神話は正しくない,なんてことはないの。どうせどの神話も法螺が半分,願望が半分なんですから・・・。
旧約聖書を含め,世界各地に残る神話にはある共通点があります。神様の系図か,支配者までの系図で必ず始まっている点です。家計図を見せびらかして,「どうだ! 参ったか。俺たちはこんなにすごい歴史を持っているんだぞ。お前らとは違うんだぞ」と他の民族に見せびらかすために,とりあえず神様とか王様(支配者)の家系図を作っちゃう。何しろ系図(家系図)ってやつは,一番偽造しやすい文書ですからね。だから,神話の冒頭に書かれている長々とした系図の部分を見ると,人間の発想って昔も今もあまり変わっていないな,と微笑ましくなっちゃいます。
ま,単なる思いつきなんで,本気にしないでね。
2006/01/03
- 読書コーナーに『西洋音楽史 -「クラシック」の黄昏-』を追加。以前からバッハと,バッハ以外のバロック音楽作曲家の間の関連性のなさが気になっていましたが,この本を読んでようやく納得できました。バッハをバロック音楽の典型と考えるから混乱するんであって,バッハはバロック期より古い時代の作曲技法を極限にまで追及した作曲家なんですね。
「音楽の父バッハ」,「バロック音楽の集大成としてのバッハ」という「常識」に捉われ,常識を疑う心を忘れるとこういう間違いを犯すよ,というよい例ですね。
- 昨日の続きだが,医学情報,医学知識の正しさはどうしたら証明できるか,ということが根本的な問題なのである。「RCT(randomized control trial)で証明されたから正しい」というのが大多数の医療者の常識だが,これを医学以外の科学界で主張したら「お前,馬鹿じゃないの?」と,呆れられるのが関の山だろう。
最近,『医学は科学でない』というようなタイトルの新書が出版された。医学では医者のさじ加減がとても重要だし,第六感もとても大切だ。そんなこと,現場で働いている医者なら誰だって知っている。誰もでも知っている暗黙の了解事項だから,誰も声高に言っていないだけだ。なぜ,こういう安易なタイトルの本をわざわざ書いたんだろうか?
「人体はブラックボックスなのだから何が起こるかはわからないので,数を集めてRCTしなければ何もわからない」,「個々の患者の個別性を無視できない」という考えと,「医学は科学でなく芸術なのだから,RCTのような科学的手法でエビデンスを集めても意味がない」というのは180度違っているように見えるが,実は同じ穴のムジナである。
私は,医学は科学の一員たろうとして努力すべきだと思う。科学の一員であるためにどのようにしたらいいかを模索し続けるべきだと思う。RCTのような多数決で決着をつける非科学的手段に頼るのも,昔の論文に論拠を求める逆立ち論理(EBMともいう)に頼るのも,そろそろ止めていいのではないかと思う。そうでなければいつまでたっても,医学は科学界の笑いものである。
では,医学的正しさはどのようにして証明されるべきか。それは,基礎科学の知識(真理)と,それらを基にした演繹的思考しかないと思っている。
なぜ,基礎科学の知識をベースにするかと言えば,それらの間違いはすぐにばれるからである。だから私は,基礎科学の知識を立脚点においている。しかも,基礎科学の真理は宇宙不変の真理であり,これは人体においても成立している。だから,基礎科学で証明されたものを医学で否定することは不可能だ。
もしもあなたが医療関係者だったら,あなたが根拠としている医学論文を虚心坦懐に読んで欲しい。そこに,論文の著者自身による証明が書かれているかどうかを,もう一度確認して欲しい。恐らく,あなたが手に取った論文の99%以上は,「○○の論文に書かれていたように」と,過去の論文を引用し,それで証明したかのように書いてあるはずだ。
過去の論文に書かれているなら,わざわざ新しい論文を書く必要はないと思うがどうだろうか。
他人が書いた論文は正しい,という性善説を前提に引用するのはおかしくないだろうか。他人に書いた論文を引用して,自説の正しさを証明すると言うシステムは論理的に間違っていないだろうか。「それを支持する論文が多いから正しい」というのは,「だってみんなも万引きしているじゃないか」と開き直るのと基本的に同じではないだろうか。
2006/01/02
- 元日の夕方,NHKのテレビ番組を見ていたら,「科学実験先生」として有名な米村でんじろうさんと,ある小学生の交流の様子が描かれていた。米村さんの紙コップを使った手作り蓄音機をその小学生が自力で作り上げると言う内容だったが,小学生が何度作り直しても,工夫に工夫を重ねても音がならないのである。なんと半年間,この小学生は来る日も来る日も蓄音機と悪戦苦闘するのだ。
そこで米村先生に,自分の蓄音機のどこが悪いのか教えて欲しいと手紙を出すんだけど,米村先生は答えを教えず,その代わりに自作の蓄音機の心臓部分を送るのだ。「これを見て,工夫してごらん。ガンバレ!」という蓄音機に録音した声を添えて・・・。
それを参考に,ありとあらゆる工夫を重ねるが,それでも音は鳴らない。でも,その小学生は蓄音機作りを止めようとはしないし,泣き言を言わない。音が鳴らないのは自分の考えが足りないためだ,自分がどこかで間違っているからだ。だから彼は,親に泣きつかず,答えを教えてくれない米村先生を恨まず,答えを誰かに教えてもらおうともせず,蓄音機に一人で立ち向かい,自分ひとりで解決しようとする。
そしてある日,その蓄音機からついにかすかな音が聞こえてくる。その音を母親にも確認してもらう。それまで黙った見守っていた母親がかすかな音を聞いて息子を抱きしめ,泣き出す。息子も泣いている。最高に格好いい涙だ。
科学っていいな,科学ってそういうもんだよな,と見ている胸が熱くなった。愚直だけれど,これが本物の科学実験であり,科学の原点だと思う。米村先生に「ここはこうしたらいいんだよ」と教えられて音が鳴ったって,彼もお母さんもちっとも嬉しくなかったはずだ。
翻って,日本の医者と看護師さん,あまりに安易に,他人に答えを教えてもらおうとしていないだろうか。
- 「気管切開部のガーゼは必要ですか?」
- 「胸腔ドレーン刺入部のドレッシングはどうしたらいいのでしょうか?」
- 「採血をする前の消毒は必要でしょうか?」
- 「CVカテーテルについてはホームページを読んで理解しましたが,静脈留置カテーテルの場合はどうでしょうか? 人工透析のチューブはどうでしょうか?」
などなど,わからないことは誰かに聞けばいい,どこかに答えを知っている人がいるはずだから,その人から教えてもらえばいい,と考えているからこういう質問するのだろう。ひどいのになると,「それについて書いてある論文を教えてください。教科書を教えてください」と質問してくる。自分で論文を探すのも面倒くさいらしい。手抜きにもほどがある。
自分の頭で考える,という過程をすっ飛ばして,疑問にぶつかったら脊髄反射の如く質問する。これではいつまでたっても進歩はないし,常に他人の意見任せである。
それに第一,私が嘘をついたり,間違った知識を持っていてそれを教えたらどうするつもりなのだろうか。私が教えた論文に間違いが書いてある可能性については考えなくていいのだろうか。
誰が正しいのか,どれが正しいのかは,誰が教えてくれると言うのだろうか。どこかの偉い人が判断するのだろうか,みんなで合議して多数決で決めればいいのだろうか,厚生労働省が判断してくれるのだろうか,CDCが判断してくれるのだろうか。
他人に判断を委ねるということはつまり,そういうことである。「戦争に行けと言われたので戦争に行きます」というのと,なんら変わりはない。
誰の力も借りず,自分の頭脳だけで蓄音機を作り上げた上記の小学生に比べると,なんと安易な幼稚な大人ばかりなのだろうか。医者と看護師はいつから,自分の頭で考えることを止めてしまったのだろうか。何か疑問にぶつかったとき,その答えを考えるのは他の誰かの仕事で,自分はその答えを教えてもらうだけでいいと思っているのだろうか。これでは,疑問を持つたびに「これ何?」と尋ねる幼児と変わらない。
随分嫌味な書き方になってしまったが,実際,私のところに寄せられる質問の多くは,こういう脊髄反射的質問が大多数である。同じ質問をするのでも,自分はこう考えるがどうだろうか,という質問ならこちらも一生懸命に答えようという気になるが,まるっきり考えていない質問に答えるのは,もううんざりである。そんなに自分の脳味噌を働かせずに休ませておきたいのか?
以前紹介した「戦争学」の本に,「常に『なぜ』を自問しない者は,どんなに勉強しようとも怠け者だ。頭脳は過去の記録の博物館でもなければ,現在のがらくた置き場でもない。将来の問題についての研究所なのだ」とあった。まさに至言である。
素人の方からの素朴な質問・疑問なら大歓迎である。時間の許す限り答えるつもりである。しかし,あなたが医療の専門家だったら,質問する前に自分で考えて欲しい。その問題について自分はどう考え,何を私に尋ねたいのかをまとめ,その上で質問して欲しい。医療関係者からの脊髄反射的質問には,逆質問の形式で回答しますので,よろしく。
2006/01/01
- 明けましておめでとうございます。
今年もご愛顧のほど,よろしくお願い申し上げます。
- 1月10日ころ,『創傷治療の常識非常識 Part 2 -熱傷治療と創感染-』が発売となります。書店で目にしたら,手にとって立ち読みでもしてください。
- ミイラの呪い?研究者ら7人が謎の死という報道がありましたね。これは以前読書コーナーで紹介した『5000年前の男』という本の主人公のミイラですが,最上級の推理小説を思わせる面白さでした。暇になったらもう一度読み直してみたい本の一つです。ま,本を読んだくらいでは呪いもかけられないでしょうし・・・(多分)。
- 『文明崩壊 -滅亡と存続の命運を分けるもの 上・下』(ジャレド・ダイアモンド,草思社),読書中。まだ上巻ですが,これもものすごい本です。イースター島やマヤなど,頂点に達した文明がなぜ滅亡したのかを詳細に分析していますが,緻密なデータ分析と見事な筆力は圧倒的です。
- 私はあと5ヶ月ほどで49歳になりますが,この年になるまで漫画週刊誌を毎週買って読んでいるとか,ジーンズばかり穿いているなんて,10代のころには予想してなかったなぁ。あの頃,周囲にいた40代の大人って,本当に「大人」って感じだったもんなぁ。