さまざまな先天異常を合併する疾患群があるが,その中で,体表の先天異常が主症状であるものを体表先天異常症候群と呼ぶ。有名なところでは,Treacher-Collins症候群,Poland症候群などがある。
このうち,発生機序が判っているものは診断上の問題が少ない。例えば,第1鰓弓の形成不全による第1鰓弓症候群とか,上肢系片側の血管系の形成不全が原因と思われるPoland症候群などがそれだ。これらの症候群にもさまざまなパターンのものが含まれることがあるが,病態から考えると大体解釈可能の範囲内である。また同様に,染色体異常が原因と判っている症候群も診断に困ることはない。染色体検査をすれば診断できるからだ。
問題は,そういう発生機序が不明の症候群であり,先天異常症候群の多くがこれに含まれる(・・・多分)。こういう症候群の主症状は体表の異常,要するに見た目の異常である。低身長だったり,指が短かったり,鼻が低かったり,耳の形が奇妙だったりと,あくまでも見た目が問題である。血液検査や染色体検査では異常は見つからないから,外見が唯一の診断手段である。
だから診断には主観が入る・・・というか,主観しかない。そのため,診断の確からしさには経験が大きく関与する。経験による診断だから,診断に際して得意分野,不得意分野がでてしまうことは避けられない。
私の場合,顔面で言うと口唇や外鼻,外耳の異常については大体間違いなく診断できるが,頭蓋の変形や口腔内の異常についてはあまり詳しくない。手首より先の指の異常なら見逃すことはないが,背骨とか肋骨の異常はレントゲンを見ても見逃す可能性が高い。これが私の診断力の限界である。
だから,学会報告をしたり論文を書く際には,口唇や外耳,手指の症状は詳細に記載できるが,胸郭の先天性の変形については「胸郭変形あり」とお茶を濁すか,私より詳しい先生の記述を丸写しする事になる。そうしなければ,学会で発表もできないし,論文を書くこともできないからしょうがないのである。
恐らくこれは,体表先天異常症候群の症例報告をする医者,症例報告するように命令された医者に共通している現象だと思うし,あながち的外れではないと思う。
恐らく,医学の黎明期にあっては,「耳の形がなんだか変」,「指が短いような気がする」程度の記述で十分だったが,耳の専門家,指の専門家が登場することでどんどん細分化し,体表先天異常の専門家といえども,全ての体表先天異常に精通することが不可能になったのが現状だろうと思う。要するにこれは,19世紀の博物学者が20世紀になって絶滅したのと同じだ。
体表先天異常症候群の診断とは博物学なのだ。頭のてっぺんから爪先までの,ありとあらゆる症状を正確に診断し,記載できる能力が必要なのである。しかし現実にはそれは机上の空論である。それがいかに困難なのかは少し考えただけで判るはずだ。医学は臓器ごとのSpecialist養成を優先するため,全身をくまなく診察できるGeneralistは少ないからだ。
では,全身の所見が取れるGeneralistなら先天異常症候群の診断が可能かと言えば,それも難しい。先天体表異常の各分野(口唇の形態異常,指の形態異常,外耳の形態異常など)はどんどん細分化するため,それらに全て精通することは不可能だからだ。
私の経験で言えば,体表先天異常の診断に最も重要なのは感だ。一目見て,「これはなんか変だぞ」という感だ。要するに,「なんでも鑑定団」に出品された掛け軸を見て,鑑定士が一目見て「線が死んでますね」と見抜くようなものだ。要するに,経験に裏打ちされた感であり,それまで見てきた経験がものを言う。多く見れば見るほど,その感は研ぎ澄まされ,揺るぎないものになっていく。それがプロの目,というやつだろう。
体表先天異常症候群を正しく記述するためには,そういう「口の形を見るプロの目」,「鼻の形を見るプロの目」・・・「足の指の形を見るプロの目」が必要なのだ。これがいかに非現実的な要求かは,少し考えれば判ると思う。
だから,「絶対に正しい診断しか書かれていない体表先天異常症候群の論文」というのはあり得ないと思う。つまり,この分野に関する限り「エビデンス」という概念は成立しないのだ。
(2006/01/31)