『名将たちの戦争学』(松村 劭,文春文庫)


 治療や手術は一種の戦争であると見ることができる。だからそこには明確な戦略がなければいけない。この意味で,優れた戦争学,戦略論は手術理論,治療理論に通じているのである。優れた医師とは,無意識のうちに卓越した戦略が取れている医師なのである。

 その意味で,戦争学を学び,戦略理論を学ぶことは,医学において意味があると思っている。そういう視点で,この書物を読んでみると,非常に多くのことを教えてくれるのだ。当たり障りのないことしか書いていない「治療マニュアル」を読むくらいなら,この「戦争学」を読むべきだと思う。


 20世紀の戦略研究家,リデル・ハート『間接接近戦略論(1954)』には,戦いに勝つための原則として,次の8つを示している。

  1. 目的に対応する目標を選ぶにあたっては,可能性を優先して考え,手段に適合させよ。
  2. 常に目標だけでなく,その上位の目的を念頭から離すな。目的達成に利用できる目標は数個ある。
  3. 敵が最小に予期している路線を選べ。
  4. 敵の抵抗がもっとも少ないところを狙え。
  5. 常に代替目標に切り替えられるような作戦線をとれ。
  6. 計画は,状況の変化に対応できるように,常に柔軟性を持て。
  7. 敵の構えを崩してから打撃せよ。
  8. 失敗した時と同じ作戦を取るな。単なる兵力の増強は,新しい作戦ではない。

 これらの原則は実は手術や治療に通じる原則なのである。手術にしろ治療にしろ,そこには「戦略」が必要である以上,それは戦争における戦略と原則は同じなのだ。


 例えば1番目「目的に対応する目標を選ぶにあたっては,可能性を優先して考え,手段に適合させよ」2番目「常に目標だけでなく,その上位の目的を念頭から離すな。目的達成に利用できる目標は数個ある」は,目的と目標をわけて考えろ,という事である。ハートの言う「目的」とは「戦争の最終目的」であり,「目標」とは「個々の戦闘における目標」という意味だろう。別の言い方をすると,“War(戦争)”と“Battle(戦闘)”を混同するな,という事だと思う。

 個々の戦闘(Battle)の勝ち負けに拘泥するあまり,いつのまにか戦争(War)の目的を忘れてしまった例が,太平洋戦争における日本陸軍である・・・というか,最初から「Warにおける目的」を明確にせずに戦争を始めちゃったような気が・・・!

 手術や治療には「最終目標」がある。煎じ詰めれば,その病的状態を改善し,元通りの社会生活に戻す事だ。ところが治療の現場,手術の現場では,個々のBattleでどうするかに注意が奪われてしまう。その結果,目の前の症状だけを考え,それを何とかしようとする。この時,忘れがちなのが「患者を元通りの社会生活に戻す」という「本来の目標」である。


 実は,慢性骨髄炎で抗生物質を投与したり持続還流するのも,褥瘡を消毒するのも,熱傷を消毒するのも,外傷を消毒するのも,「目標を忘れ目的に拘泥」しているのと同じで,愚かな行為である。こういう方針の医者が司令官を務めている軍隊は,真っ先に敗れるのである。


 昨年(2003年),腹腔鏡手術で前立腺の手術を行ったものの,腹腔鏡の操作に不慣れな医者ばかりで手術を始めたため,出血多量で患者を死なせた事件があったと思うが,これはまさに「目標」と「目的」の混同のよい例だと思う。「前立腺の手術を安全に行う」という本来の「目標」を忘れ,「とにかく腹腔鏡で手術をする」事が「目標」にすりかわってしまうのだ。

 同様の事故は多数起きているが(医学以外の分野でも同じだろう),その構図は驚くほどに類似していると思う。

 言うまでもないが,「安全な前立腺手術」が「前立腺癌手術というWar」の目標であるなら,「腹腔鏡を使う」というのはその目標達成のための「Battleの目的」,すなわち「手段」に過ぎないのである。だからあの手術の場では,腹腔鏡という「目的」に固執せず,さっさと開腹術という「別の目的(手段)」に切り替えるべきだったのだ。ハートの言う「目的達成に利用できる目標は数個ある」というのはこの事だと思う。


 5番目「常に代替目標に切り替えられるような作戦線をとれ」も,6番目「計画は,状況の変化に対応できるように,常に柔軟性を持て」というのも,原則的には同じ事だろう。
 手術や治療で「あけてビックリ」というのは日常茶飯事である。予期しない部分からの出血,予期しない偶発症は常につきまとう。だから,その場に応じて複数の「目的」から,その場にあった最善の「目的」を取捨選択していかなければ,手術(治療)は負け戦である。


 最後「失敗した時と同じ作戦を取るな。単なる兵力の増強は,新しい作戦ではない」も興味深い。私は以前から,「手術に3度目の正直はない」と考えている。2度,同じ手術をして失敗したなら,3度目は全く別の手術法を考慮すべきなのだ。同じ手段で2度続けて失敗したのは,手技上の問題ではなく,その手段そのものに問題点(欠点)があるはずだ。

 「アキレス腱の手術後に傷が開き,再手術をしたのにまた開いた。これは縫合した糸が弱かったのが原因だろうから,次は太い糸で縫合しよう」というのが,ハートの言う「単なる兵力の増強」である。縫合創が2回続けて離開したら,その部位の緊張が強すぎるのか,創縁の循環が不良なのかのいずれかである。だったら,太い糸で縫合しても問題は解決しないのは自明であり,緊張を少なくするか,循環をよくするしか解決方法はないのである。


 そういえば,同じ本にフラーの次の言葉が引用されていた。

「先入観を取り除くために,常に『なぜ』を自問しない者は,どんなに勉強しようとも怠け者だ。頭脳は過去の記録の博物館でもなければ,現在のがらくた置き場でもない。将来の問題についての研究所なのだ」

 これも極めて示唆に富んでいると思う。何かというと「外傷の治療で消毒が不要という事を証明する文献を教えてください。文献がなければ信じられません」という生真面目な医師,看護師がいるが,これはまさにフラーの言葉を借りれば「頭が良く,勉強熱心な怠け者(お馬鹿さんと同義だな)である。過去の全ての戦争について暗記したとしても,次の戦争では全く別の出来事が起こるかもしれないのだ。その時に必要なのは,過去の記憶を頭の片隅に置きつつ,新しい状況を先入観なしに分析し,その場に最適の選択肢を選ぶ事である。


 ここでは2箇所を引用したが,この本にはこのような様々な先人の知恵と,その知恵を凝縮した言葉が詰まっている。繰り返しになるが,戦争学は医学に通じているのである。

(2004/01/09)

 

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