現在、コンサートのアンコールなどでこの曲を演奏するピアニストは珍しくないし、腕自慢のピアノ愛好家たちがアップしたYouTube動画も多数見つかる。実際に聞いてみるとわかるが、どう考えても2人がかりで演奏しているとしか思えない複雑に絡み合うメロディーと伴奏、それを紡ぎ出す恐るべき超絶技巧とド派手で超弩級の演奏効果、しかも原曲は誰でも知っている超有名曲・・・とくれば最高のアンコールピースとして愛奏されるのは当然と言えるだろう。
だが、このように『星条旗』が普通に演奏されるようになったのは2002年か2003年ころからであり、それ以前は耳コピで採譜した楽譜がその友人たちの間で密かにやり取りされているだけであり、いわば「大っぴらに弾いちゃ駄目な曲」扱いだったのだ。
この曲が現在のように普通に演奏されるようになった経緯に私もちょっと絡んでいるので、記憶が確かなうちに書き記しておこうと思う。
ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz: 1903/10/1-1989/11/5)が死去したのは1989年だったが、それから数カ月後、日本のピアノ雑誌(PIANOforte, 1990, NO.4:リットーミュージック)が「ホロヴィッツ追悼記念号」と銘打たれて発売されたが、なんとそれに『星条旗』全曲の楽譜が掲載されたのだ。採譜者は作曲家・ピアニストの和田則彦氏(数年前にお亡くなりになられたらしい)であり、世界初となる『星条旗』の出版楽譜であった。
当時私は、昼夜なく働く初期研修医であり、おまけに10年以上ピアノから遠ざかっていたこともあり、この雑誌の楽譜の存在については知らなかった。それから数年後、ひょんなことから「昔、あるピアノ雑誌に楽譜が掲載されていた」という情報が入り、東京に行く機会があれば神田の古賀書店などで探してみたが、マイナーピアノ雑誌ということもあり雑誌は見つけられなかった。
私は1996年から『超絶技巧的ピアノ編曲の世界 ~体育会系ピアニズムの系譜~』という個人サイトを立ち上げていて(ちなみに、日本におけるインターネットの商用利用は1994年に始まる)、国内のピアノマニアたちとメールのやりとりをするようになっていて、ホロヴィッツの採譜楽譜が表に出ない/出せない理由を知ることになる。ホロヴィッツ婦人であるワンダ未亡人(1907-1998)が夫の楽譜の出版に頑強に反対していたらしい。彼女は名指揮者トスカニーニの娘であり、どうやら夫の曲芸まがいの超絶技巧編曲を嫌っていたという噂もある。いずれにせよ、彼女の反対でホロヴィッツ演奏から作られた採譜楽譜は著作権の絡みもあって出版できなかったらしい。また、ワンダさんの死後もホロヴィッツの録音の権利についてもいろいろ揉め事があったとも聞いている。
そういう面倒くさい状況下にありながら、日本のピアノ雑誌がおそらくゲリラ的に『星条旗』の楽譜を掲載したらしい。
上記のPIANOforteという雑誌はこのブログ記事によると、創刊号が発行されたのは1988年の9~10月、年4回の季刊雑誌で第8号が終刊となったようだ。つまり、「ホロヴィッツ追悼記念号(1990年の第4号)」の発行から日を置かずに廃刊になったと思われる。
まるで、ホロヴィッツの『星条旗』の楽譜を世に出すために生まれ、その使命を全うして忽然と姿を消した雑誌なのかもしれない。
なお、ホロヴィッツの編曲の採譜楽譜で最も古いものは、ホロヴィッツの最後の弟子(ホロヴィッツが無くなる直前に師事している)とされるピアニストのワレリー・クレショフ(Valery Kuleshov) である。恐るべき耳コピ能力と演奏能力を持っていて、ホロヴィッツの超絶的編曲を楽譜に書き留めていたというが(ホロヴィッツはその楽譜を見て弟子入りを許可したらしい)、その楽譜が表に出ることはなく「クレショフが楽譜を作っているようだ」という噂がネットで囁かれる程度であった。
上記のピアノサイトでは私が所有する編曲物の楽譜リストを掲載し、「楽譜が欲しい人は連絡してほしい」と書いたことから、国内外のピアノマニアやコレクター、ピアニストから連絡が入るようになり、そのたびに私は楽譜をコピーしては郵送していた(当時はまだネットでPDFファイルを送る方法は一般的でなかったため。海外には航空便で送ることになったが航空便は非常に高かった)。その御礼、ということで私が持っていない楽譜がどんどん送られてくるようになり、私の本棚はコピー楽譜で溢れ、それらをスキャンしてPDFファイルに変換するたびにアップして「自由にダウンロードしてください」としたため、いつの間にかピアノ楽譜コレクターとしてそこそこ知られるようになっていた。
そして2001年にピアノ愛好家でもある医師(ちなみに最初期からの湿潤治療の熱狂的な支持者)から「先生、確かこの楽譜を探していましたよね。コピーで良ければ差し上げます」というメールとともに和田則彦バージョンの雑誌掲載楽譜コピーが送られてきたのだ。
私がホロヴィッツの『星条旗』に魂を奪われたのは中学1年生の頃だったが、それから30年の歳月を経て、夢にまで見た楽譜を手に取ることができたのだ。そしてこの楽譜がその後、「ホロヴィッツ採譜楽譜プロジェクト」の引き金を引くことになった。
和田則彦の採譜楽譜を入手した私は直ちに「所蔵楽譜リスト」に追加したが、アップ直後から国内外から「楽譜が欲しい」という多数のメールが舞い込み、そのたびにメール添付ファイルで配布したが(これがさらに孫コピー、曾孫コピーされては世界中に行き渡ることになる)、その直後に海外のコレクターからJon Skinner採譜の楽譜とChristian Jensen採譜の楽譜が送られてきた。お二人ともに採譜界の巨人であり膨大な数の採譜楽譜を作成していることを後に知ることになる。それから程なくして福田直樹さんの採譜、Kong-Jo Leeさんの採譜の『星条旗』も届き、『カルメン変奏曲』の採譜楽譜も次々に舞い込むようになり、そのたびに私は楽譜をネットにアップしていった。
それまで表に出てこなかったホロヴィッツの楽譜が一気に堰を切ったようにネットに登場し、演奏会でプロのピアニストたちが相次いで演奏するようになった(ワンダさんも鬼籍に入ったことだしね・・・)。
そうなると、自然に「ホロヴィッツの全編曲の楽譜を俺たちで作ろうぜ」という機運が盛り上がり、Skinnerさん、Jensenさん、山口雅敏さん(当時はまだ音大の学生だった)、Gustafssonさん(スウェーデンの音大生)などが次々に採譜しては私に送り、私がそれらを公開し、不足している楽譜を次なる採譜ターゲットとする、というシステムが出来上がり、わずか数年で「ホロヴィッツの全編曲楽譜化」が完了した。
ちなみに、現在Youtubeで「楽譜付きのホロヴィッツ編曲の演奏動画」で使われている楽譜のほとんどはこのプロジェクトで作られて私が全世界にばらまいたものである。
この活動を通じて集まった楽譜の採譜者は次の通り(順不同)。
ホロヴィッツの楽譜についてはこのような「有志たちが作成した採譜楽譜」がネットを中心に広まったが、それから20年後の2022年、突然のように楽譜出版社のSchott社から "Horowitz Edition" と銘打たれた楽譜が出版され、それには『星条旗よ永遠なれ』、『カルメン変奏曲』、『悲しげな断章』の3曲が含まれていた。これらは輸入楽譜専門店のアカデミアなどで購入できる。
楽譜の前書きによると、採譜をしたのはホロヴィッツの録音収集家にしてホロヴィッツ研究家のCaine Alder(2012年没)。さまざまな採譜楽譜を見比べ、さらに1950年の録音の演奏を低速で再生して正確な楽譜にした、というようなことが書いてある(ようだ)。
次に、それぞれの採譜楽譜を検討していこうと思うが、まず最初に「2/2拍子か4/4拍子か」という問題がある。ホロヴィッツの演奏を耳コピーして楽譜にする際、リズムを2/2にするか4/4にするかは大きな問題である。音楽のリズムの基本が異なるからだ。
行進曲の起源についてはよく知らないが、おそらく多人数の兵士などの集団をきれいな隊列で行進させるために考案されたものだろう。最初は太鼓などの打楽器に合わせて行進させ、その後、曲が付けられて「行進曲」となり、それに合わせて兵士が行進することになった。これが軍隊行進曲。
人間は二足歩行するので行進の号令は当然のことながら「右、左、右、左」となり、2拍子になる。だから、軍隊行進曲も結婚行進曲も基本的に2拍子だ(軍隊行進曲はキビキビした速い2拍子、結婚行進曲は緩やかな2拍子という違いがあるだけ)。
ジョン・フィリップ・スーザは生涯に100曲余りの行進曲を作曲し、「マーチの王」と呼ばれているが、中でも最も有名なのが『星条旗よ永遠なれ』であり、アメリカでは「第2のアメリカ国歌」と呼ばれているそうだ。
原曲の楽譜は次の通りで2/2拍子で書かれていて、「右、左」で1小節となっていて、これが伝統的な行進曲の記譜法であり、吹奏楽や軍楽隊のために作曲された行進曲は大部分が2/2拍子と思われる。つまり、「4分音符4つで1小節」、「2分音符で一拍」だ。
一方、ピアノ曲の行進曲はその大多数が2/4拍子(つまり、4分音符2つで1小節)で記譜されているので、思いつくままに例を挙げる。
と、「行進曲と2拍子」について延々と(?)説明したのには理由がある、『星条旗』の採譜楽譜には4/4拍子のものがあるからだ。その理由についてはおいおい説明していこうと思う。