これまで幾つか,ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をテーマにした映画を紹介してきたが(その1,その2),これはその中で最も悲しく,最も悲惨で,そして最も美しい作品だろう。この紛争は,20世紀ヨーロッパ史上,最も凄惨で愚かな内戦と呼ばれたが,その終結から12年後にサラエボの街で何が起きているのかを鋭く,そしてリアルに抉り出している。
そして恐らく,これほど観るのが辛く,観たものについて語るのも辛い映画はないと思う。
サラエボのグルバヴィッツァに住むエスマ(カラノヴィッチ)は12歳になる娘のサラ(ミヨヴィッチ)と二人で暮らしている。サラの父親は内戦で戦死したシャヒード(殉教者・大儀のために殉死した人)で,彼女は一人で娘を育ててきたのだ。そして,内戦で心も体も深く傷ついた女性たちが集まる集団セラピーに参加しながら,生活のためにないとクラブでウェイトレスとして働いている。
サラの学校では修学旅行が近づいていて,子供たちは皆,それを楽しみにしていたが,エスマにはその費用の200ユーロが工面できそうにもない。実は,シャヒードの遺児であれば旅行費用は公費で負担され,サラもそれに当たるはずで,役所が発行するシャヒード証明書を学校に提出すればいいのだが,なぜか母親のエスマは証明書を準備しようとしない。それをなじるサラの言葉についにエスマの怒りが爆発し・・・という映画である。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で起きた「民族浄化」が何かを知っていれば,エスマの身に何が起きたのかは特に説明するまでもないだろう。彼女は「民族浄化」の犠牲者だったのだ。それは,最初の居眠りをするエスマをサラが起こすシーンでのエスマの過剰な反応,途中のバスのシーンでの男性客に対する反応,あるいはナイトクラブで薬(多分,精神安定剤だろう)を飲むシーンを見てもわかる。彼女はPTSDに苦しんでいるのだ。
だからこそ,集団セラピーで初めて自分の身に起きたことを隠さずに吐き出す彼女の言葉は,予め予想できていた内容だったとしても,息を呑み,言葉を失ってしまう。そんな過酷な状況で生まれた赤ん坊(=サラ)を最初に抱き上げた様子を語る彼女の言葉は神々しいばかりに美しく感動的で,そして力強い。映画の中で語られる言葉の中で,これほど強く,美しい言葉を私は他に知らない。
このシーンのちょっと前に,集団セラピーに集う女性たちの顔が順番に映し出されるシーンがある。静かな歌声をバックに何の説明もなく顔だけが映されるシーンである。恐らく,彼女たちにも同様の人に言えない凄惨な過去があったのだと思う。歌声が美しく静謐で,かつ哀切に満ちたものだけに,逆に彼女たちの過去の体験が痛いほど,そして怖いほど伝わってくる。
私には,この作品についてこれ以上語る言葉が見つからない。
2011年3月11日,東北地方と北関東を襲った未曽有の大震災と大津波,そして原子力発電所の事故は,発生から1ヶ月を経過しているのにいまだに問題山積であり,復興の糸口さえ見えていない状態だ。
だからこそ,いつの日に過去の映画のように「私たちは大震災を経験し,立ち直れないほどの被害を受けた。地震と津波はすべてを奪ったが,私たちの心だけは奪えなかった。そして私たちは立ち上がり,街は復活した」と子供たちや孫たちに伝える日が来ることを切に願う。
ボスニアの人々は,あの凄惨で愚かな民族浄化と国民同士の殺し合いをも,わずか12年後に一編の美しい映像詩に昇華させることができたという事実に,勇気づけられる。
(2011/04/12)