《ウェディング・ベルを鳴らせ!》★★★★★(2007年,セルビア/フランス)


 最初の30分は何が何だかよくわからない映画である。人間は空を飛んでいるし,屋根から潜望鏡は出てくるし,落とし穴に人は落ちるし,巨乳のお姉さん(というかおばちゃん前期)は惜しみなくオッパイをユサユサさせている。登場する人間の行動もなんか変で笑うしかないけど,本当に笑っていいのかどうかもよくわからないのである。ドタバタコメディーらしいのはわかるが,ここまでドタバタされてしまうとコメディーとして成り立たないし笑えないよなぁ,という感じなのだ。

 ところが,その後がすごいのである。あのドタバタは全て計算ずくだったのだ。中頃からギャング(?)が絡んでくるあたりから手に汗握る展開となり,しかも,あれほどばらまかれた雑多で無関係なエピソードが全て生かされ,回収されるのだ。最後の銃弾飛び交う教会でのダブル結婚式はもう感動の嵐だ。

 祈りと卑猥,平穏と混乱,暴力と静謐,清楚と猥雑,生と死,それらをまとめて鍋にぶち込んだ作った闇鍋みたいな映画だが,これこそがこの監督にとっての現実であり,舞台となったサラエボの姿なのかもしれない。そして,最後の "Happy End" の文字がいい。いろいろあったが終わりよければ全て善し,という力強い人生肯定のメッセージが強烈に伝わってくる。

 こんな素敵な映画を作ったのはサラエボ生まれのエミール・クリストリッツァ。私はこれまで彼の作品は見たことがなかったが,実は数々の賞を受賞している名匠らしい。これからは,クリストリッツァ監督の名前をみたら,絶対に見てみようと思っている。


 舞台はサラエボの小さな村。ここで15歳の少年ツァーネは祖父のジヴォインと二人で暮らしている。しかし,村の子供はどうやら彼一人らしく,教育委員会(?)は村の学校を廃校にしようとしている。そして学校の女性教師ボサはジヴォインに思いを寄せているらしいが,彼女の心を射止めようとする町の男がしつこくつきまとっている。

 そんなある日,ジヴォインは孫のツァーネに,町に牛を連れて行って売り,その代金で聖ニコラスのイコンとお土産を買い,さらに,町で花嫁を見つけて連れてくるように命じ,彼を町に送り出す。生まれて初めて村を初めて出たツァーネは大きなビルの並ぶ街の様子に戸惑うが,そこで彼は一人の美少女ヤスナに出会う。彼女に一目惚れしたツァーネは何とか彼女の心を射止めようとするが,なかなかうまくいかない。

 しかしそんな折り,ひょんなことからヤスナの母親の秘密を知る。母親は娘に幼稚園の先生をしていると言っていたが,実は娼婦として働いていた。そして,実業家であるが夜の世界も牛耳っているギャングから借金をしていて,借金が返せなければ娘を差し出せと脅されていた。

 そんな時,ツァーネは祖父の親友の孫二人組に出会い,彼らはツァーネに協力してくれることになった。そして3人は,連れ去られたヤスナを救うためにギャングの経営する店に向かう・・・という映画である。


 この映画監督について解説しているサイトによると,この人は幾つかのバラバラのモティーフを映画の中で繰り返し使うのが好きな人らしい。この映画で言えば,「落とし穴」,「ガラクタみたいな発明品」,「宙吊り」,「空飛ぶ人」,「坂・斜面」,「シーソー」,「渦巻き模様」あたりがそのようだ。

 例えば「落とし穴」は何度も登場する。最初の方では,ボサに言い寄ってくる都会の金持ち野郎を邪魔するトラップとしてだが,その後,ここぞと言うところでこの落とし穴がいい味を出すのである。あるいは「ガラクタみたいな発明品」もそうだ。とにかくジヴォインじいさんもツァーネもこういう小細工的発明が大好きなのだ。最初の潜望鏡みたいなのは入浴(?)するボサのオッパイ鑑賞にも使われたりするんだけど,ヤスナの母の姉の家に押し入ったギャングをやっつけるシーンではツァーネの発明才能がフルに発揮されるし,最後のギャングとの最終決戦ではジヴォインじいさんの発明したロケット砲みたいなやつと新型落とし穴が大活躍。ここぞと言うところで,予想もつかない変な発明品が登場して活躍するんだから,もう見ている方は心から楽しくなってしまう。


 ツァーネを演じる俳優は撮影当時まだ16歳で,「オイオイ,こんな子供が嫁探しかよ」,と思ってしまうが,ヤスナを守り,村に連れていくために次第に逞しい男に成長していく。何しろ,ヤスナを連れ戻すために機関銃までバカスカ撃っちゃうのだ(この点については後述する)。子供ってこうやって「男」になっていくんだな,ってなんだか感動してしまう。何より「初体験ビフォー&アフター」の彼の変化がこれまたいいのだ。

 対する,恋人のヤスナを演じるマリアは20歳で,たまたま撮影陣がロケ地選定のために撮影したスナップ写真に写っていて,その美貌に監督が惚れ込んで抜擢したという素人らしい。まさに,清楚な美少女である。ほとんど素顔で演じていると思われるが,それが何とも美しい。だから,最後の方でギャングに囚われて無理矢理化粧をさせられるシーンが痛々しい。

 そしてツァーネを助けるスキンヘッドの兄弟も格好いい。何でも,体のでかい方を演じているのはクリストリッツァ監督の息子らしいが,彼らが機関銃を構えて登場すると,敵が何人待ちかまえていても大丈夫という頼もしさだ。爺さん同士が親友だったと言うだけでツァーネを助ける男気も感涙ものだ。そしてなんと言っても,ギャングのボスが経営する建物を壊す方法に大笑い。お寺の鐘突きかよ,君たちは! よりにもよって,その方法で壊すか?


 映画全体としてみると,少年ツァーネの嫁取り物語と,ジヴォインじいさんとボサの結婚物語の二つが平行して語られているが,二つの物語の切り替えのタイミングと重ね方はほぼ完璧だろう。実に見事である。
 例えば,映画の中でジヴォインが鐘を作る過程が丁寧に描かれている。ストーリーと全く無関係のエピソードだと思っていたら,実はそれは孫の結婚を祝するための鐘(ウェディングベル)だったのだ。そのために爺ちゃんは鐘を心を込めて作っていたのだ。そして,降り注ぐ銃弾の雨の中で鐘に近づき,孫の結婚を祝福する鐘を鳴らすのだ。泣かせるシーンのはずなんだけど,爺さんの姿はお笑いそのものだ。そして,笑いと涙が交錯する。

 あるいは,なぜか深く哲学的なセリフの数々。例えば,最後の教会での攻防で爺ちゃんが語る「ヒトラーは憎しみからポーランドを侵攻したが,現代の戦争は愛のために起きているんだ」なんてすごいセリフだと思う。自分が信じる神への愛のために戦い,民族へ愛で戦う,それが現代の戦いだと喝破している。


 さて,この映画の主人公はまだ15,6歳の少年ツァーネである。この映画は彼の成長物語でもあるのだが,例のスキンヘッド兄弟が彼に機関銃やピストルを手渡したりするのだが,ツァーネ少年は何のためらいもなく機関銃を受け取り,銃を器用に操作するシーンが幾つかある。私は最初,このシーンにちょっと違和感を感じてしまったが,銃が普通にあり,しかも子供でも扱えるのが今のサラエボの真実なのかもしれないと思い直した。恐らく,あのサラエボ内戦の傷はまだ癒えていないのだろう。

 それに気がつくと,この映画に登場するのが年寄りと中年女性と子供ばかりである理由がわかってくる。ツァーネには両親がなく祖父と二人で暮らしているし,ヤスナも母親と二人暮らし。ヤスナの母親の姉にも旦那はいない。ツァーネの村を見ても年寄りばかりだ。恐らく,青壮年の男たちは戦死し,この世代の男がすっぽりと抜け落ちているらしいのだ。そして,この映画に登場する中年の男ども(ギャング,村の学校廃止を命令する教育委員,ボサを狙っている町の男)は,どいつもこいつもろくでもないクズ野郎ばかりだ。まともな大人は戦争で死に,ずる賢く立ち回って生き残ったのはこういう連中ばかりなのだろう。


 それにしても,サラエボという都市の数奇な運命を改めて考えてしまう。第一次世界大戦は1904年のこの街で撃たれた一発の銃弾で始まったことは有名だ。そして,1984年にはユーゴスラビアで初となる冬季オリンピックの舞台になった。その,平和の祭典の舞台がわずか8年後,サラエボは「第二次世界大戦後のヨーロッパで起きた最悪の惨事」の舞台となる。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992〜1995年)である。

 ユーゴスラビア崩壊後に誕生した国家,ボスニア・ヘルツェゴビナにおける民族紛争である。この国では人口の半分近くをムスリム人,1/3をセルビア人,そして1/5をクロアチア人が占める他民族国家だったが,セルビア人が分離独立を宣言して起こしたのがこの紛争だ。

 当初,セルビア人側はユーゴ政府の支援を受け,さらにムスリムとクロアチア勢力が対立したこともあり,セルビア人側が優勢だった。しかし,1994年からアメリカがクロアチア人勢力にムスリム勢力を手を組むように圧力をかけて同盟が結ばれた頃から情勢は変化し,NATOもムスリム・クロアチア勢力を支持してセルビア側に対する空爆を加えるようになり,1995年に戦闘は集結した。

 しかし,この戦争の傷跡は深かった。死者は20万人以上を数え,難民は200万人以上となった。それ以上に悲惨だったのは,ムスリム女性に対するセルビア系住民が行ったの強姦と強制出産である。悪名高き民族浄化だ。20世紀末のヨーロッパで起きた,最も愚かで凄惨な紛争といわれる所以である。

(2010/10/13)

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