昨日時点では、患者さんからのメールの内容について以下4つのポイントでお話させていただきたいと思っていました。
- 受傷部位が「足」であったことの不運
- ○○クリニックにおいては感染症を認めてもらえなかったこと
- 熱傷治療は「湿潤療法×ガーゼ軟膏治療」というような雰囲気であること(患者側から見ると)
- 苦しむ患者にとって最も重要なことは「湿潤療法か従来の治療や皮膚移植か」ではなく「信頼できる医師の治療か」であること
しかし本日「○○先生からの情報による客観的事実」に対し夏井先生が医師の視点でコメントされていたので、私は自分自身を○○先生に強い不信感を覚えた患者(メールの患者さんは不信感を通りこして怒りを覚えたと推測します)として、感じたことを述べてみようと思います。
医師の方々には、痛烈・辛辣な批判のような印象を与えると思いますが、私個人は、医師の方々に対する恨みやつらみは全くありません。それでも不快感を与えるでしょう。また、怒りを買うことになるかも知れません。お許しください。
1.当院に来られた時は既に他院でゲーベンなどで処置されており、壊死組織も多く医原性に深度が進行しているように見受けました。
→他院での処置(従来の処置)により痛みが発生したのなら、湿潤療法で痛みが消えるはずでは?
しかし、結果「痛みは改善されなかった」と言う事実に対してのこの情報は、患者としては、少しでも形勢を良くしようとする「医師の言い訳」にしか聞こえない。
2.当初から激しい痛みを訴えられ、可及的なデブリドマンとズイコウパッド、一部プラスチベースの使用で治療を開始しました。
→これは夏井先生のサイトで学習した治療方法なので、信頼できる。
3.壊死組織は徐々になくなり上皮化も遅いながらも進み、熱傷範囲はかなり縮小しましたが、反面、疼痛は続きました。
→湿潤療法・この医院を選んだ一番の理由は「痛みに苦しんでいるから」であり、最重要ポイントの痛みを軽減できない事実を「熱傷範囲は縮小した」では、やはり責任を逃れようとする問題のすり替えではないか、と思えてしまう。
4.創面の改善に反してフィブリン膜を触るだけでも絶叫したり、足を触らせなかったりと、他覚所見と自覚所見の乖離があることから、感染よりもむしろCRPSの可能性を考えました。
→患者が医師に望みかつ信じていることは、「感染よりもむしろCRPSの可能性を考えた」ではなく、「感染とCRPSの2つ可能性を考えた」であり、更に言えば、人体に対して危険度の高い感染こそを、真っ先に考え対処して欲しかったし、するのが医師だと思っている。
4.肥満体であることから糖質制限で痛みが改善する可能性や、あまり過保護に足の動きを制限することも逆効果であることをお話しましたが、それはあまり受け入れてもらえませんでした。
→先生の言葉・表現は、患者が受け入れることのできる言葉・表現であったのか。
相手はただの熱傷患者ではなく、「痛みに苦しむ熱傷患者」であること考慮していたか。(ここまで医師に望むのは・・・とも思いますが、そこまで考慮して欲しいのが患者だと思います。)
5.もちろん創面をゴシゴシ洗う指導なんてしていません。
→患者さんがそう誤解してしまうほど、不信感を抱かせてしまったと言うことではないか。
6.抗生剤の点滴は劇的だったが、内服はそれほど効果を感じなかった、その後また痛くなったと言っていたので、引き続き抗生剤の処方はしませんでした。(この一文によると、痛み に苦しむ患者さんは総合病院での点滴終了後、再びこちらの医院に通院されたと言うことでしょうか?ここは謎であり疑問ですが、そうだと仮定して。)
→この時点でCRPSも認め、対応して然るべきではないか。
「痛みの治療が難しいのは,痛みはその人にしかわからず,客観的評価が不可能である点にあります。」とおっしゃった夏井先生、同じように感じていらっしゃる先生方、そして、痛みに苦しんだ熱傷患者さん、私もまた、足に熱傷を負い、痛みで苦しんだ者です。
長くなりますが、私の経験したあの痛み・苦しみを話すことは、少しはお役に立つでしょうか?
お話します。
当時、痛みに苦しむ私が担当の先生に訴えたその表現は、「足を切断してください」です。原因が何であれ、痛みを生み出しているのは足なのですから、連日の、夜も眠れないほどの痛みから解放されるためには「足を切り捨ててしまおう」と、本気で考え、複数回、そう訴えたのです。この訴えに、私の我慢が限界に達してしまう前には、2通りの回答が提示されました。私は恵まれていました。
一つは、メールの患者さんが処方されたのと同じ「リリカカプセルを服用する」と言うもの。もう一つは、「実際には不可能ですが」と前 置きしたうえで、「○○さんがそう望むなら、そうしてあげたいと思います。しかし、足を切断したからと言って痛みが消える保証はありません。」から始まるCRPSへの対処です。「事故等、何らかの事情で足を切断した患者さんが、足が無いのに「足が痛い」と訴えることがあるんです。」そう切り出し、先生は私を諭し、なだめたのでした。お陰で、今では痛みは皆無と言っていいほど無くなった私の足は、現在も、私の体の一部として存在しています。
私の訴えに回答が2通り提示されたのは、熱傷部位が関節部だったためリハビリする必要があったからです。ここで、先生方はもうお気づきでしょう。私は植皮手術を受けたのです。夏井先生のサイト・湿潤療法を知ったのは、術後、退院し た直後でした。その時の衝撃と絶望を、今では懐かしく思います。余談ですが、その時から、毎日、先生のサイトを読み・考え・学習するのが私の日課になりました。
話を戻しましょう。リリカカプセルは形成外科の先生が、CRPSだろうとの見解はリハビリ科の先生が、それぞれ出しました。同時進行です。メールの、痛みに苦しむ患者さんとの大きな違いは、私の痛みは植皮後、形成外科的には既に移植した皮膚が生着し、リハビリに十分耐えられると判断された後に発症したものであり、感染の疑いは限りなく0%であったことです。
リリカカプセルは、効果を確かめる前に副作用と思しき症状が出たため、私の判断で服用を中断してしまいました。形成外科の先生には実は不評のよう でしたが、服用を止めることでの不都合は、私には感じられませんでした。
リハビリ科の先生の忍耐は、相変わらず、かれこれ一年ほど続きました。痛みのために、リハビリが中断したのです。何せ「足を切断して欲しい」と言うほどの痛みですから。先生は、○○先生と同じように脳の話(痛みのメカニズムを中心に)をし、温冷交代浴や痛みに集中しないように気を紛らわすこと等を、常ににこやかに勧めてくれました。内心「え~ぇ、そんなこと?」などと思いながらも、話をする先生のにこやかな表情を見ているだけで、「足を切断して欲しい」と願ったほどの痛みが、もちろん痛いは痛いのですが、「実はそれほど大したことではないのではないか?」と言う思いが無意識にも生まれたのかも知れ ません。また、私にとって最も助けになったのは、先生が話してくれた「皮膚を移植するために切断された神経は再生されるのですが、再生される神経が未熟な状態(徐々に成熟して行く)であるため刺激を上手く処理(伝達)できないので、痛みではない刺激も痛みとして脳が認識してしまう。」「強い痛みを経験してしまうと、脳が痛みに敏感になり、痛みを増幅して感じてしまうようになることがある。」と言うお話でした。この時初めて、自分に起こっている痛みのメカニズムが、私の中で可視化されたように感じました。今思えば、この時が、痛みとの決別に向かって一歩を踏み出した瞬間だったかも知れません。
「自分の体で何が起こっているかわからない」と言うの状態は、得体の知れない不 安と恐怖を生み、痛みを増幅する一因にもなっているのかも知れませんね。欲を言えば、この話は、手術をした形成外科の先生からお聞きしたかった。その方が、より強い説得力があったかも知れないと思います。
長い話になってしまいましたが、結局、いつ・どのように痛みが無くなったのか、わかりません。「思い出せない」のではなく「わからない」と表現するのがピッタリなのです。ある日、「そう言えば・・・痛くない?」と気が付いた感じです。
私の痛みが消えた後、夏井先生が「下肢熱傷の患者が原因不明の痛みを訴えることがある」と指摘されたのを、とても興味深く読みました。これまで何度か、そう指摘されていますね。そして、いつもは「患部はどんどん 動かすように」と指導されている先生も、下肢熱傷で痛みを訴える患者には、それを勧めてはいなかったはずです(記憶違いでしたら訂正してください)。私の場合も、痛みが強い間はリハビリの先生の判断で、無理に動かすことは避けていました。「痛みが軽減されること」を優先したのです。この判断は正しかったと、私は思っています。もちろん、自ら動かそう!などとは、微塵も思いませんでしたが。
痛みは、患者から多くのものを削ぎ取ります。周囲に対する感謝や寛容、優しさなどは真っ先に削ぎ取られるでしょう。忍耐も、医師に対する信頼も、いとも簡単に削ぎ取るはずです。それでも痛みは容赦しません。ありふれた日常生活を削ぎ取り、生きる意欲を削ぎ取り、希望を削ぎ取 り、絶望へと導くのです。
「湿潤治療は痛い」とのメールを読んだ時点でお話したかったことからは大きく逸れて、一方的に患者側からのみの視点で、あれこれ言ってしまいました。不快に思われた方、特に○○先生には申し訳なく思います。お許しください。
痛みで苦しむ患者さんが、湿潤療法に切り替えた一ヶ月半を悔やんでいらっしゃることは、とても残念であり、悲しく、お気の毒に思います。今現在、痛みは軽減されたのでしょうか?まだ続いているのなら、と思うと、心が痛みます。もしまだ痛みで苦しんでいらっしゃるなら、「痛みは永遠ではありません」と言う言葉が、あなたの心に届きますように、と願います。
また夏井先生を始め、従来の治療・エビデンスな るものにひるむこと無く、ご自分の目で患者を観察し、症状・状態を観察し、過去の遺産に捕らわれず、常に最善の治療を施そうと尽力されている先生方には、患者側の者として、最大限の敬意をはらいたいと思います。その先生方と、藁をも掴む思いで先生方のもとを訪れる患者との間に、修復不可能な溝が生じてしまうことが無いように、願って止みません。その溝には、先生方にとっても、また患者にとっては先生方の比にはならないほどの、負の要素しか存在しないことを皆知っているはずです。知って欲しい。