例えば,料理を作っていて包丁で指を切ったとしよう。痛いし血が出ているし傷口がパックリ開いているから病院を受診する。そして医者に傷を縫ってもらう。当たり前のように見えるが,これっておかしくないか?
「切り傷だから縫うのは当たり前」というのは医者の論理であり,治療の押しつけでしかない。なぜなら,患者は決して「傷を縫って欲しい」とは思っていないからだ。傷を縫って欲しくて病院に来ているわけではないのだ。
例えば,あなたが怪我をしたとしよう。傷口は開いていて出血しているし,傷口はずきずきと痛い。さあ,あなたはまず,「何を」して欲しいのだろうか? 私だったらして欲しいことは次の二つ。
そして,それが得られた後に「きれいにして欲しい」と考えるだろう。とにかく最初は痛み対策であり,止血である。これは一般の患者さんも同じだろう。
つまりここには「縫って欲しい」という項目はない。「患者さんは傷を縫って欲しくて病院を受診するのではない」と言う理由はここにある。「痛みを取り」「出血を止め」,さらに欲を言えば「きれいに治して欲しくて」病院に駆けつけているだけのことであり,縫って欲しいわけではないのだ。
ところが病院に行けば,医者に「では傷を縫いましょう」と言われるはずだ。医者は裂傷を見たとき,反射的に縫合する事しか思い浮かばないからであり,縫合する事が裂傷に対する唯一の治療だと思っているからだ。このギャップに気がついている外科医はほとんどいないと思う。
患者の望みは「痛みがなくなる事」であり「出血が止まる事」である。その目的を実現する手段は幾つかあり,縫合はそのうちの一つに過ぎない。通常の裂傷程度であればテーピングと圧迫でも実現できるし,アルギン酸で覆っても痛みも出血も止めることが可能だ。もちろん,縫合でも可能だ。その意味で,縫合とは裂傷治療の目的における一手段に過ぎないのである。
しかし,多くの外科系医師は縫合を「治療の手段」でなく「治療の目的」だと思っていないだろうか。
なぜ外科医は縫合を唯一の治療手段だと思うかというと,「縫合できる」からだ。縫合できるから縫合しか治療手段が思い浮かばないのだ。縫合して治す医者しか見たことがないから,それしか思い浮かばないのだ。その結果として,赤ん坊や子供を抑えつけ,無理矢理縫っては,いい治療をしたと考えてしまう。最善の治療をしたと満足する。
だが何度も言うように,患者が医者に希望するのは「傷の縫合」ではない。傷の痛みがなくなる事であり,出血が止まる事である。それらが得られれば手段は何だっていいのだ。
もちろん,縫合はそれらを確実に得る手段であることは間違いない。関節部のように激しく動く部位では縫合した方がいい事が多いし,手掌や足底のように発汗の多い部分ではテーピングのみでは難しい。だが,それ以外の部位では縫合以外の手段を考えていいと思うし,小児の場合は子供に馬乗りになってまで縫合する必要はない。
患者のニーズは何か,と言う医療の原点に戻って考える必要があるのではないだろうか。
その傷は縫わないと治せないものですか?
(2004/06/07)