リスターと「エビデンス」との闘い


 「エビデンスとは過去の文献ではなく,目の前の患者の反応であるというのが,本来のEBMの考え方である」という言葉を誰かに教えてもらったような気がするんだけど,気のせいかなぁ。これが本当にある言葉なのか,何かの思い違いで私が作ってしまった言葉かは不明だが,自分の考えにぴったりと合っているからそれで話を進めよう。


 私がいくら論理的に「CVカテーテル刺入部の消毒はいらないよ」と説明しても必ず,「それでは他の人を説得できません。それを証明した論文を教えてください」といってくる人が必ずいる。多分こういう人は「論文になっていないものは信じられない」「論文であれば信じられる」と考えているんだろうな。

 こういう考えは「論文至上主義」であるが,別名,「論文原理主義」である。「論文があれば信じる」というのは,「聖書に書いてあるから真実だ。聖書に書いてない事は信じられない」という「キリスト教原理主義」と同じであるからだ。自分で考えて判断するのを放棄して,誰かが「それは正しいよ」と言ってくれなければ不安なんだろうか。


 最近,リスターの仕事について考えていて,実は彼が戦ったのはこういう「論文原理主義」だった事に気がついた。彼は石炭酸で手を洗い,手術創を石炭酸で満たす事で創感染と術後敗血症の発生を劇的に下げられる事をデータを挙げて実証した。ところが,実際にそうする事で敗血症でなくなる人が驚くほど少なくなったというデータを出しているのに,リスターを攻撃した医者たち(もちろん,多数派,良識派であり常識ある医者たちである)は,「それを証明している過去の論文はあるのか?」と攻撃したんじゃないだろうか。リスターがいくら自分の論文を示しても,「お前の論文じゃ信じられない。誰か第三者の論文がなければ信じるわけにはいかない」と反論したはずだ。

 もちろん,第三者の論文なんてあるわけがない。だって,リスターが始めた治療なんだから。誰もしていないからリスターが先駆者になってしまったわけで,最初から第三者なんていないのである。つまり,世の中の常識をひっくり返すような発見を証明する「過去の論文,第三者の書いた論文」があるわけがないのである。

 「証明する論文(=エビデンス)を示せ」と言ってくる石頭どもに,リスターはきっと,「私の患者たちが証拠だ,これがエビデンスだ」と言いたかったはずだ。「目の前の患者を信じないで,何を信じるのだ」と啖呵を切りたかったはずだ。


 ちなみに,当時のリスターが論文を探したところで,出てくるのは「創が化膿するのは正常の治癒過程である」「化膿せずに傷が治る事はありえない」ことを示した論文だけである。当時,世界最高の病理学者といわれた大学教授がそう主張し,論文を書いているのである。彼の追随者も皆,そのような論文を書いているのである。だから「傷が化膿するのは正常な治癒過程である」というのが唯一の「エビデンス(=論文)」なのである。
 つまり,「エビデンス=論文」と考えていると,その時代の間違った考えを受けいれるしかないし,そこから抜け出せないのである。


 私は現在,リスターの提唱した治療法の見直しをし,結果として否定する立場に立っているが,彼が私の生涯の師であるということだけは変わらない。彼の患者を見る目,態度,物事を見る目,世の中の常識に立ち向かう不屈の闘志を尊敬している。

(2003/12/17)

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