共生関係が繁栄をもたらす


 前述のシロアリの論文を読んでみよう。シロアリは木材を食べるが,自身で木材を分解できるわけではない。シロアリは木材を噛み砕くだけで,それを腸内のセルロース分解菌がセルロースを分解して栄養とし,その過程でできる様々な物質をシロアリが腸から吸収するというプロセスを踏んで,シロアリは木材を分解し,結果的に栄養を得ている。このシステムがどれほど巧みで効率的なものかは,地球の至る所でシロアリは繁栄し,巨大なアリ塚を作っていることが証明している。

 これは他の草食動物も同じで,馬にしても牛にしても干し草や牧草だけであの巨体を維持できるわけがないのだ。干し草や牧草のエネルギーはたかがしれているし,第一,馬も牛もセルロースを分解できないのだ(牛や馬だけでなく,セルロースを分解できる動物,昆虫は実は一種類もいないらしい)。それなのに馬も牛もあれほど大きくなれるのは,消化管内(牛なら4つの胃,馬は大腸)に莫大な数の常在菌がいて,彼らが草のセルロースを分解して自分たちのエネルギー源として利用し,その分解産物を宿主の牛や馬が栄養として吸収しているからだ。

 シロアリや牛や馬にとっては,体内に勝手にエネルギー源と栄養を作り出してくれる工場を持っているようなものであり,一方の常在菌にとってシロアリや牛は「快適な発酵槽」のようなものだ。


 同様に,南の海は実は栄養に乏しい海域であり,その海の水や泥の栄養を利用するだけでは,貝はせいぜいアサリのサイズにしか大きくなれないらしい。それなのに南の海には信じられないくらい巨大なシャコ貝などが生息している。
 これは自前で栄養を取っているのでなく,体内に住まわせている光合成渦鞭毛藻類(これは細菌ではなく真核生物に属する生物だが)が光合成でエネルギーを作り出し,それをシャコ貝が利用しているからだ。だからこそ,あれほど大きくなれるのだ。もちろん,共生渦鞭毛藻類にしてもエネルギーを取られっぱなしではなく,貝の体内という安定した環境で安逸に暮らせるというメリットを享受している。まさにギブ・アンド・テイクである。

 もちろん,こういう関係は人間にもあり,たとえば人間は食べた物からだけから栄養を取っているわけでなく,腸内細菌が作った栄養もかなり吸収して生きているのである。
 同様に,皮膚の常在菌も毛穴からにじみ出る皮脂などをエネルギー源として生きていて,そのかわり,人間に病気を起こすかもしれない外来菌の侵入を防いでいる。このような皮膚常在菌,腸管常在菌に対し,人間側は快適な生活環境を提供することでお返ししているわけだ。


 また,常在菌にとって宿主である人間が病気になったり死んだりするのはもっとも困った状況となる。常在菌にとって唯一の生活の場は人体(皮膚や腸管)しかないから,人間が死ねば彼らもまた死滅するしかないからだ。だから,皮膚常在菌も腸管常在菌も全力挙げて(?),人間が病気になるのを防いでいる。人間の健康を守るためでなく,自分たちの生命を守るためにだ。

 だから,たとえば赤痢菌やコレラ菌が口から入って腸管に進入すると,大腸菌が「おかしな奴が入ってきた」という警告物質を作って他の腸内細菌たちに伝え,それに応じて赤痢菌などの増殖を防ぐ物質を作る菌が活躍するなどしてこれらの菌を排除する,という高度な防衛システムを作っている。何しろこの防衛システムは,大腸菌にとって身内ともいうべき病原性大腸菌に対しても働くのだから,どれほど徹底したものかがわかる。大腸菌は仲間(?)である病原性大腸菌より,人間の健康を優先させているのだ。

 皮膚常在菌も腸管常在菌も,自分たちが快適に生きていく環境を守るために,一致団結して「人間に病気を起こす細菌」の侵入を防ぐ必要があり,そのために精緻な防衛システムを作り上げたのだ。


 このような「常在菌と人間の共生関係」がわかってくると,経口抗生剤の連用が常在菌叢を乱れること,その乱れは進入してきた外来菌の増殖に有利に働くことは簡単に理解できるはずだ。もちろん,常在菌は人間の大腸にもっとも適応した生物だから,いずれ常在菌叢は元に戻るのだが,それは人間にとっては常在菌にとってもよけいな負荷になることは間違いない。

 皮膚常在菌も腸管常在菌も,人間にとっては仲間,いや身内同然である。腸管常在菌がいない腸管は腸として機能しないし,皮膚常在菌がいない皮膚も完全な皮膚とは呼べないのだ。

(2008/12/04)