《インビクタス/負けざる者たち》★★★★★(2009年,アメリカ)


 近年のクリント・イーストウッドは映画監督として神がかり的に名作ばかり生み出している。《グラン・トリノ》,《チェンジリング》,《父親達の星条旗》など,どれも映画史に残る傑作ではないかと思う。反面,私のような「適当に映画のレビューを書いちゃえ」という人間にとっては感想を書きにくい存在になった。偉大すぎるのだ。《グラン・トリノ》も《チェンジリング》も見ているのだが,感想が気軽に書けないのだ。人種差別,親子の情愛,権力の腐敗などの巨大な問題について真正面から描いていくイーストウッドの姿勢はまさに「アメリカの良心」ともいうべき真摯なものだが,逆に言えば気軽に感想を書ける作品ではないのである。

 そんな中で,この《インビクタス》はまだ感想が書きやすい。ネルソン・マンデラと現代南アフリカという重い問題を扱いながら,小難しいところはある程度切り捨てて後半はラグビーの試合に集中するからだ。そして,試合のシーンの素晴らしさと国民の熱狂がストレートに描かれているため,この映画があえて描かなかった部分に対する不満が吹き飛んでしまうのだ。そして,幾多のスポーツを扱った映画の中でも,この映画の最後のオールブラックスとの試合シーンの迫力は群を抜いて素晴らしい。これだけでも,イーストウッドの映画監督としての才能と力量がどれほど抜きんでているかがわかる。


 現代の生ける伝説,それが南アフリカの不屈の闘士であり南アフリカの輝けるシンボルであるネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)だ。彼は27年間の投獄生活でも情熱を失うことなく闘争を続け,1990年に正式に釈放され,1994年の初めての民主的選挙で初代大統領に選ばれた。だが,当時の南アフリカは人種対立は解消されていないし,経済も行き詰まって貧困問題は解決できず,犯罪の増加など問題山積だった。新生南アフリカとマンデラは,実はゼロからの出発ではなくマイナスからの出発を余儀なくされていたのだ。

 しかし,マンデラは27年の獄中生活で,南アフリカの未来の進むべき道をしっかりと思い描いていた。黒人と白人が一つになり,南アフリカを全ての南アフリカ人のものとすることしかないと彼は悟っていた。そして彼は1995年に南アフリカで開催されることが決まっていたラグビー・ワールドカップを利用する。ワールドカップで優勝することで国民を一つにまとめあげようと考えたのだ。

 だが,それは無謀な挑戦でしかなかった。それまで南アフリカは人種隔離政策(アパルトヘイト)を敷いていたことで世界中の反発を買い,長いこと,スポーツの国際試合に出場できなかったのだ。つまり,南アフリカ代表チームとは言っても海外試合の経験はなく,海外チームと対戦する機会がないため実力も向上しない。実際,1994年の久しぶりのイングランドとの国際試合では惨敗している。

 しかも,代表チーム「スプリングボックス」とは言っても主力選手はほとんど白人であり,黒人選手は一人だけ。チームが負けたというのに国民の大多数を占める黒人は白人主体の自国チームの敗退に拍手喝采する始末だった。

 そんなある日,スプリングボックスの主将,フランソワ(マット・デイモン)に一本の電話が入る。電話の主はマンデラ大統領であり,彼をお茶に誘うものだった。そして大統領府でマンデラはフランソワに「持っている以上の力を出すためには何かが必要だ。私の場合,一つの詩の言葉だった。私はその言葉で27年間,持っている以上の力を出して闘えた」と静かに淡々と話す。27年間獄中にあり,迫害され家族も殺されたのに,何一つ恨み言を言わず全て赦すと話すマンデラに姿にフランソワは圧倒される。そして彼の中で何かが変わっていく。

 そして1995年,ラグビー・ワールドカップが開催される。下馬評では予選突破できれば御の字,程度の評価だったが,スプリングボックスは初戦のオーストラリア戦での勝利を皮切りに,次々と神懸かり的な勝利を重ねていく。そしてその勝利の連続に,それまで関心のなかった南アフリカ国民までもが熱狂していく。

 南アフリカチームはあらゆる予想を覆して決勝に進出する。しかし,決勝戦の相手は史上最強とうたわれたニュージーランドのオールブラックスであり,これまで大差で相手チームを破っていた(ちなみに,この1995年ワールドカップには日本代表チームも出場したが,オールブラックスにワールドカップ史上最大得点を取られるという屈辱の敗退をした)。その最強の相手にフランソワ率いるスプリングボックスが挑み,不可能への挑戦が始まる・・・という映画だ。


 ネルソン・マンデラと南アフリカについては,以前紹介した《マンデラの名もなき看守》という映画でちょっと詳しく説明しているので,そちらを参照して欲しい。マンデラがどういう人物であり,27年間の獄中生活にどのようにして耐えていたのか,その間,彼は何を考えていたのか,なぜ「白人を赦す」という思想に到達したのかは,この《インビクタス》には描かれていないので,この映画を見る前に《マンデラの名もなき看守》を最初に見ておいた方がいいと思う。そうでないと,マンデラが新しい国家を作るという途方もない計画をどのようにして成し遂げようとしたのかが見えてこないし,なぜラグビーに目を付けたのか,悪い言葉で言えば「利用したのか」がわからないと思う。

 マンデラは偉大な理想主義者であると同時に,冷徹な現実主義者でもあり,老獪な戦術家でもあったと思う。白人を追い出した方が国民の大多数を湿る黒人の支持は得られるし,国民が熱狂する。恐らくその方が楽な道だろう。だが,それは破滅への道だ。黒人国家南アフリカの誕生に国民は熱狂するが,程なく国家は破綻するからだ。27年間の獄中生活で彼は過去の文明の歴史を冷静に分析し,そういう結論に達したのだろう。だからこそ,黒人と白人の融和というもっとも困難な茨の道を選択したのだと思う。南アフリカの黒人にとって祖国はこの国しかないのと同様,南アフリカで生まれ育った白人にとってもこれが唯一の祖国なのだ。白人は出て行けと言われても,どこにも行くべき国はないのだ。

 だからこそ,マンデラは最善の一手として,スポーツによる人種の融和を選んだ。それが恐らく正しかったことは,あれから15年後,サッカー・ワールドカップをさしたるトラブルなしに開催できたことが証明している。ワールドカップという巨大なイベントを無事に開催・運営できたことは国家としての安定性と信頼性の証だからだ(現在の南アフリカのズマ政権は政治腐敗などを糾弾されているが,それでも他のアフリカ諸国に比べると国内情勢は格段に安定しているようだ)


 そのようなことを抜きにして,純粋に映画としてみたとき,この映画の長所であり欠点でもあるのが,淡々とし過ぎている点だろう。普通なら,マンデラに感化されたフランソワが他の選手に「俺たちは国を代表するチームであり,単なるスポーツ選手ではないのだ」と檄を飛ばすシーンがあっても良さそうなものだし,弱かったチームが強くなるためになにをしたかも描いて欲しい。そして何より,マンデラがフランソワを呼び寄せるシーンも,もうちょっと何かあってもよさそうなものだ。同様に,ワールドカップで連戦連勝する様子も淡白だ。イーストウッドはもしかしたら,「盛り上げるのは簡単だがそれは安易だ。無理に盛り上げるのは下品だ」というのが彼の美学かもしれないが,やはり物足りなく感じてしまうのは否めない。

 そういう意味で,フランソワをはじめとする白人選手たちの心の変化が全く描かれていないのもこの種の映画としては物足りない。フランソワが変化したのはいいとしても,その変化に反発する選手たちもまた多かったはずだし,下手をすればチームは空中分裂だ。それをどのように克服したのかという過程はこの映画では重要なもののはずだし,描くべきだったのではないかと思う。

 そういう淡泊さを補うのが,最後のオールブラックスとの死闘のシーンだ。ここでは,肉体と肉体がぶつかり合うラグビーというスポーツの原初的な凄さを余すことなく描いている。骨と骨がぶつかり合うような鈍い音,関節がきしむ音が画面全体から伝わってくるのだ。スクラムを組む選手にどれほどの圧力が加わるのか,見ていて息苦しくなるほどだ。そして,選手の動きを的確なカメラワークがとらえていく。数あるスポーツ映画の中でも,迫力と凄みという点では他の追随を許さないものだ。これほど過激にして美しいスポーツの映像は他では見たことがない。


 それにしても,マンデラの強いリーダーシップと有限実行ぶりには圧倒される。なんと,それまで黒人を取り締まってきた秘密警察を自分の身辺警護のSPとして抜擢するのだ。もちろん,黒人のSPは彼らを信じられず(何しろ自分の家族を彼らに殺された者もいる),マンデラに不満を言うが,マンデラは一歩も引かない。
 一方,白人SPたちはマンデラの過密スケジュールを見て「これではメシを食う時間も家に帰る時間もない」とボヤくが,黒人SPが「彼は27年間,獄中で十分に休息した。もう休む必要はないと言っている。マンデラはそういうやつだ」と答える。
 こういう人間だったからこそ,マンデラは国民からも世界からも尊敬され,信頼されたのだろう。

(2010/11/02)

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