《マンデラの名もなき看守 Goodbye Bafana》★★★★★
(2007年,フランス/ドイツ/ベルギー/イタリア/南アフリカ)


 ネルソン・マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela,1918年〜)といえば南アフリカ共和国の人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対して27年間獄中で戦い続けた不屈の闘士であり,新生南アフリカ共和国の初代大統領である。いわば,現在の生ける伝説であり,現代の神話ともいうべき偉大な人物である。1999年に政界から引退した彼のもとには彼の人生の映画化の話が幾つか持ち込まれたと聞くが,その中で唯一,彼が許可したのがこの映画である。まさに圧倒的な感動作である。


 なお,この映画を鑑賞するうえではネルソン・マンデラについての知識は絶対に必要なので,少しまとめてみる。この映画を観るだけではマンデラはどういう人物だったのか,彼がそこまで敬愛されているのはなぜなのか,なぜ世界中が彼を支持したのか,なぜ南アフリカの白人政府が倒れたのかがわからないからだ。

 ネルソン・マンデラは1918年に部族長の息子として生まれ,大学の法学部を卒業し弁護士の資格を得る。1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党し次第に頭角をあらわしていき,1952年に副議長となる。だが1962年に逮捕され,1964年に国家反逆罪の罪で終身刑を言い渡され,地獄島と恐れられていた監獄島,ロベン島に収監される。ロベン島はケープタウンの沖合12キロに浮かぶ孤島で,周囲を常に強い海流が流れているため脱獄不可能な監獄として知られている。
 ちなみに,漫画「ゴルゴ13」の第50巻と81巻にはロベン島を舞台にマンデラが登場する話が収録されている。

 その地獄島でマンデラは生き延び,理不尽な扱いをする看守たちを次々と告訴しさまざまな手段を講じてANCの同志たちと連絡をとり,暴力でANCなどを抑えようとするボタ政権に対し徹底抗戦を続ける。やがてその活動は世界中の人道活動家,政治家の関心をひき,マンデラの主張は静かに,そして確実に支持を広げていく。やがてそれは南アフリカに対する経済制裁という形に発展し,強硬なボタ政権を根底から揺さぶっていくことになる。

 やがてボタが病気に倒れ,後を引き継いで大統領に就任したデクラークと1989年12月に会談し,翌年の2月に彼は正式に釈放される。1991年,デクラークと協力して南アフリカの全人種が参加する民主南アフリカ会議を開催し,民主的平和的政権移譲の道が徐々に開かれていく(この功績により,マンデラはデクラークとともに1992年ノーベル平和賞を授与された)。1994年,南アフリカ史上初の全人種が参加する選挙が実施され,マンデラは初代大統領に選出される。そして1999年,この年の総選挙の結果を見届けて政界から引退する。ネルソン・マンデラとはそういう男である。


 1968年,ジェームスという若い看守がロベン島に赴任する。当時はアパルトヘイト真っ盛りの時代であり,ロベン島には黒人の自由を求めるANCのメンバーなどが収監されていた。そこでジェームスは情報省幹部から直々にマンデラ付きの看守となるように命令された。彼は幼い頃,農場で黒人少年Bafanaと毎日遊んでいたため,コーサ語が話せたからだ。数ヶ月に一度,囚人は家族と面会できるが,その際,マンデラと彼の妻の間でコーサ語で交わされる会話を素知らぬ顔で盗み聞きし,ANCへの秘密指令を明らかにするように命令される。

 ジェームスは何の疑問も持たずに職務に励み,マンデラと彼の妻の何気ない話の内容を上司に告げるが,その直後に,マンデラの妻が逮捕され,マンデラの息子が突然交通事故死するという事件が起こり,それは自分のせいではないかと悩むようになる。そして,マンデラの誠実な人柄に触れ,彼の中で何かが次第に変わっていく。南アフリカ国内では「ANCは共産主義革命を起こして国家を転覆しようとするテロリスト」と報道されているが,マンデラは共産主義者ではなく,黒人の国にしようとも考えていないことをジェームスは知っていく。そしてジェームスはマンデラの考えている理想(南アフリカに住む全人種が融和して一つに国になる)を理解するようになる。

 そんなある日,マンデラはジェームスに「妻にせめてクリスマスプレゼントを送りたい。このチョコレートを渡してくれないだろうか」と頼まれる。それは小さなチョコレートだった。マンデラの言葉に嘘がないことを知ったジェームスは彼の妻にそっとチョコレートを手渡す。しかし,マンデラの妻が夫からチョコレートを贈られたことがANC側の新聞にすっぱ抜かれ,そのことからジェームスは「黒人びいき」の危険人物とみなされ,彼の上司は左遷させられ,彼の家族にも脅迫電話がかかってくる。

 しかしジェームスは南アフリカ当局にとっては唯一の「白人のコーサ語使い」であり,彼の能力を利用するしかない。そしてジェームスは,マンデラの闘争から学んだ交渉術を発揮し,ロベン島を離れ,妻の実家の近くの刑務所勤務を勝ち取る。そしてその頃から,南アフリカに対する国外からの圧力が強まり,ついにマンデラもロベン島刑務所でなく,もっと条件のよい刑務所に移送され,ジェームスはマンデラの看守として指名される。「弁護士マンデラから告訴されなかった看守」は彼ひとりだったからだ。

 そしてついに,マンデラが釈放される日がやってくる。それは1962年に逮捕されてから27年目のことだった。その朝,ジェームスはマンデラに一つのものを手渡す。それはあの黒人の友達Bafanaとの思い出の品だった・・・という映画だ。


 アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国は少数の白人が富のほとんどと権力の全てを握り,先住民族である黒人は自由を奪われ,極度に抑圧されていた。これは人類史上では珍しいことではなく,アフリカでもアジアでも同様の事が行われていて,白人が先住民族を支配し富を搾取してきた。それが植民地時代である。

 もちろん,植民地運営は相当のうまみがあるが,運営には莫大な金がかかる(数の上で少数派が多数はを支配するためには武力が必要だから当然である)。だから,植民地から得られる富と植民地運営に必要な支出のバランスが崩れ,宗主国の国力が衰えてくると,植民地を手放すしかなくなり,占領されていた国は独立を勝ち得る。20世紀,特に第二次大戦後にアジアやアフリカで次々と独立国が生まれたのはそういう事情らしい。


 しかし,南アフリカは例外的に白人支配が続いていた。南アフリカから次々と地下資源が発見され,とくにダイヤモンドの鉱脈が発見され,それが莫大な富を生み出していたからだ。まるで国土全体が「金のなる木」のようなものであり,これを手放す手はない。

 ましてや,南アフリカに暮らす白人たちは南アフリカで生まれ育った白人であり,彼らにとっては祖国はここしかなかったのだ。だから,白人政権はANCなどの黒人組織を絶対に認めるわけにはいかなくなる。黒人が政権を取ったら,それまでの恨み辛みから白人は国外追放されるかもしれない。そうすれば彼らは全てを失ってしまうのだ。繰り返すが,南アフリカ生まれの白人にとって祖国はこの地しかないのである。
 要するに,アパルトヘイトを維持することは南アフリカの白人にとっては生存のための手段でもあったのだ。だからこそボタ政権はANCなどの黒人組織を徹底的に弾圧し,黒人の権利を認めず,抑圧したのだ。


 こういう体制を維持するためには,白人の国民の間に,黒人に対する恐怖感を植え付けるのがもっとも効果的だ。ジェームスの妻グロリアが子供たちに「黒人はテロリストなの。テロリストというのは人殺しをする恐ろしい犯罪者なの。だからテロリストを捕まえて閉じこめておかないと私たちは安心して暮らせないのよ」と説明するシーンがある。恐らく当時の南アフリカではテレビでもラジオでも新聞でも,「また黒人によるテロがあった。ANCが指示したテロだ。それを操っているマンデラは悪の権化だ」と繰り返し報道していたのではないだろうか。嘘も100回繰り返せば真実になる,という言葉があるが,まさにそれだろう。だから,グロリアは心の底から黒人を恐れていたのだと思う。

 それと対照的なのが,彼女の娘,ナターシャの反応だ。彼女は赤ん坊を連れた若い女性が身分証不携帯でいきなり連行され,赤ん坊が道路に投げ出される様子を見てショックを受ける。そしてジェームスの「黒人は身分証を常に持っていないと逮捕される決まりだ」と説明を聞いて,「白人は逮捕されないのに黒人だけ逮捕されるのは不公平だ」と抗議する。

 同じシーンをみてグロリアは何も感じないが,ナターシャはショックを受ける。両者を分けたのは「教育(=洗脳)」だろうと思う。母親のグロリアは「黒人=テロリスト=悪」キャンペーンで洗脳され,娘のナターシャはまだ洗脳されていない。ナターシャのような娘もグロリアのような大人になるよう,南アフリカ政府は繰り返し教育するわけだ。


 そう考えると,ジェームスがマンデラの人柄と思想に次第に惹かれていき,それをグロリアが理解できないのも納得できる。ジェームスは幼い頃から10代の初めくらいまで,黒人の少年を遊び相手にしていたのだ。グロリアにとって黒人は恐怖の対象だが,ジェームスにとっては友達なのだ。ジェームスがこの少年から学んだのはコーサ語だけではなく,肌の色が違っても同じ人間だという「事実」だったのではないだろうか。だからこそジェームスはマンデラに対して「黒人だから」という偏見がなく,「人間マンデラ」の偉大さを理解したのだろう。これもいわば「教育」の効果だと思う。

 マンデラがロベン島監獄より自由な刑務所に移動され,そこで看守のジェームスと棒術でやり合うシーンがある。幼い頃,ジェームスがBafanaから教えてもらった棒術だ。そして,棒を打ち合わせる乾いた響きに他の囚人たちも集まってくる。そして,ジェームスという白人看守が自分たちの言葉だけでなく文化も知っていることに驚く。無知は恐怖を生み出すが,理解は恐怖を張り子の虎とする。


 そのほかにも,息子を交通事故で亡くしたジェームスに対するマンデラの慈愛あふれる文面も感涙ものだし,刑務所での面会の制限が緩くなり,21年ぶりに妻を抱き寄せていいと言われた時のマンデラのちょっと戸惑った表情,そういう彼に対するジェームスの信頼に裏打ちされた優しい言葉も素敵だ。マンデラの穏やかな笑顔が神々しいばかりだ。

 マンデラは「南アフリカは黒人だけのものでもなければ白人だけのものでもない。この地に生まれたあらゆる人種のものだ」と主張していたと思う。これはおそらく,白人政権を打倒して黒人だけの国を作ろうとする勢力(それまで白人に抑圧されてきた黒人にすれば,そう考える方が当然だ)からすれば,何とも煮えきらない中途半端な姿勢に見えたのではないかと思う。普通なら「この地はわれわれ黒人のものだ。白人どもを追い出して我らの国を作ろう」と主張した方がバラバラな黒人部族は一つにまとまるだろうし,何より鼓舞しやすいはずだ。

 しかし,聡明なマンデラはそうしなかった。恐らく彼には,白人を追い出して黒人国家を造ろうとした時に何が起こるかがわかっていたのだろう。数の上で圧倒している黒人側が政府を転覆して新政府を造ろうとしたら,たぶん白人たちは焦土作戦,つまりあらゆる富を国外に持ち出し,インフラを破壊する作戦に出るかもしれない。白人を追い出して「黒人国家・南アフリカ」を作ることは可能だが,国家誕生と同時に国民は地獄に叩き込まれることになったはずだ。
 だからこそマンデラは,白人を含めたすべての人種による国づくりを最初から提案したのではないだろうか。そしてその結果,驚くほどスムーズに政権委譲が行われたのだろうと思う。


 現代の地獄とも言われたロベン島を含め27年間も獄中に囚われていながら,信念を曲げずに理想を貫き通した不撓不屈の男,理想主義者にして現実主義者,老獪な戦略家にして心優しき平和主義者である男に感動しよう。

(2010/03/12)

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