《ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い》★★★★★(2009年,イタリア/スペイン)


 クラシック音楽好きなら絶対に観た方がいい映画だ。あのモーツァルトの傑作オペラ『ドン・ジョヴァンニ』が完成するまでの様子を描いた映画なのだが,何しろ主要登場人物の3人,希代の色事師にして哲学者・外交官・スパイとして18世紀ヨーロッパを縦横無尽に掛け巡ったジャコモ・カサノヴァ(1725〜1798),背徳の神父にして売れっ子劇作家のロレンツォ・ダ・ポンテ(1749〜1838),そして至上の天才モーツァルト(1756〜1791)が登場するのである。これが面白くならない訳がない。

 そして,『ドン・ジョヴァンニ』の音楽の素晴らしさは今更いうまでもないだろうが,劇中劇として演じられる舞台も完璧だし,初演当時のモーツァルトのオペラがどういう劇場でどういう演出で上演されていたのもよくわかるのだ。これだけでも観る価値がある。

 そして,音楽に輪をかけて映像がこれまた素晴らしく美しい。まさに,18世紀のヨーロッパの世界に迷い込んだようなリアルさである。


 まず,この映画を見る上で知っておいた方がいい知識をまとめておく。

 まず,主人公であるイタリア生まれのユダヤ人にして劇作家のポンテ。彼はユダヤ教から改宗した後に神父となったが,放蕩生活を送ったためにベネツィアを追放され,ウィーンに移住した。ここで宮廷作曲家のサリエリ(イタリア人である)の口利きもあって台本作家として頭角を現し,当時ウィーンで流行していたイタリア語オペラの台本を次々と書いていく。モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』(1786),『ドン・ジョヴァンニ』(1787),『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)は彼の台本による作品である。ちなみにポンテは90歳近くまで長生きし,晩年はアメリカに渡って市民権を得,ニューヨークで死去した。

 モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』だが,その前の作品である『フィガロの結婚』がウィーンでは全くウケなかったのにプラハで大ウケし,新作オペラの『ドン・ジョヴァンニ』はこの地で作曲された。しかし,公演前夜になってもまだ序曲が完成せず,モーツァルトは徹夜仕事で序曲を仕上げたことは有名だ。ほとんどやっつけ仕事で作曲したはずなのに,あの傑作を作ってしまうモーツァルトの天才たるや,おそるべし。

 オペラ『ドン・ジョヴァンニ』は17世紀スペインの伝説上のプレーボーイ,ドン・ファン(Don Juan,フランス語読みではドン・ジュアン,イタリア語ではドン・ジョヴァンニ)を元にしている。もともとのお話は,「貴族のドン・ファンが貴族の娘を誘惑し,その父親と決闘になり殺してしまう。墓場でその父親の石像の傍らをドン・ファンが通りかかった時に父親の亡霊が現れ,ドン・ファンはふざけて宴席に招待する。すると石像が本当に宴会の場に現れ,ドン・ファンは地獄に引き込まれ,地獄に堕ちる」というものだ。ちなみにこの物語は大評判となり,モリエールやバイロン,プーシキンが詩や戯曲を作り,リヒャルト・シュトラウスは交響詩を作曲した。

 カサノヴァは,いわゆる「1000人切り」を達成した女ったらしとして有名だが,脱獄不可能といわれた監獄に収監されながら見事脱獄に成功したり(ちなみにその監獄から脱獄したのは後にも先にも彼一人といわれる),当時最高の知識人の一人として数々の歴史上の人物(例:エカテリーナ2世,フリードリヒ大王,ポンパドゥール夫人,ヴォルテール・・・)と知遇を得ているのだからただ者ではない。また,モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の初演にも立ち会っている。さらに,ヴェネツィア追放後もヴェネツィア政府と連絡を取り合い,訪問先の国の機密情報を流していたことが明らかにされている。要するにスパイであり,モテモテのスパイ007のプロトタイプみたいなものだろうか。

 ちなみに,台本作家のポンテの世話をしたのが映画『アマデウス』の敵役サリエリだが,この映画ではモーツァルトと敵対するどころか,逆に彼に仕事の世話をしていて,なんだかいい人に見える。実際のサリエリとモーツァルトの関係はこの映画の方が正しく,《アマデウス》の方が間違っている。


 まず舞台は1763年のヴェネツィアから追放されるポンテ(ロレンツォ・バルドゥッチ)の様子と,当時彼が恋に陥った美少女アンネッタ(エミリア・ヴェルジネッリ)との淡い出会いと別れが描かれる。

 そして彼はウィーンに向かうが,出立の前にカサノヴァから同じイタリア人でウィーンの宮廷音楽家であるサリエリへの紹介状を渡される。そして,同じウィーンで活躍中の新進気鋭の前衛作曲家モーツァルト(リノ・グアンチャーレ)と出会う。宮廷での仕事が多忙なサリエリはポンテをモーツァルトに紹介し,モーツァルトにポンテの台本でイタリア語のオペラを書くよう勧める(当時のウィーンではイタリア語のオペラが大流行していたから)。そして二人の合作第一号である『フィガロの結婚』が上演され,それは大評判となる。

 そこでポンテは次のオペラの構想をモーツァルトに説明する。あの有名な「ドン・ファン(ドン・ジョヴァンニ)伝説」である。モーツァルトは最初,「ドン・ジョヴァンニなんてもう10個もオペラが作られていて,面白くないよ」と取り合わなかったが,ポンテの語る意表を突く冒頭シーンにすっかり魅せられ,彼は作曲に取りかかる。そしてポンテは,従来からのドン・ファン伝説そのままでなく,それにヴェネツィア時代の恩人,カサノヴァの冒険生活を重ね合わせることで次第にストーリーを膨らませていく。

 そんなある日,ポンテはヴェネツィア時代の憧れの美少女,アンネッタと再会する。彼女はモーツァルトのチェロの弟子だったのだ。ポンテは早速,アンネッタを口説くが(さすがはイタリア男!),彼女は「私はすでに婚約している」といって取り合わない。そして,ポンテの方も『フィガロ』のソプラノ歌手フェラレーゼ(ケテワン・ケモクリーゼ)と同棲していたのだ。しかし,若く美しいアンネッタの登場に不安と嫉妬に駆られたフェラレーゼはポンテの女性遍歴を知る人物の元を訪れ,彼がこれまでつきあった女性リストを手に入れ,アンネッタの元に送りつける。当然,アンネッタは怒り狂い,ポンテを追い出してしまう。

 一方で,オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の初演が近づき,舞台稽古も佳境を迎えたが,この後に及んでもポンテはまだ,最終幕の結末を伝説通りにドン・ジョヴァンニは地獄に堕とすか,それとも悔い改めて大円団とするか,まだ悩んでいた。そんな時,カサノヴァが稽古場を訪れ,「私が悔い改めたように,ドン・ジョヴァンニにも救済があってもいい」と助言する。そしてポンテは最後の決断を下し・・・という映画である。


 このように映画では,現実のポンテとアンネッタの愛の物語と,舞台の『ドン・ジョヴァンニ』が二重写しになって進行するという重層的なものとなっている。こう構成をとる映画は他にもあるが(例:《レンブラントの夜警》,他の映画と比べ,この作品は非常に分かりやすい。《レンブラント》の方は現実の世界と絵画の世界が交錯して描かれているため,どこからどこまでが現実なのかわかりにくかったが,今回の《ドン・ジョヴァンニ》はきわめて分かりやすい。それは,劇中劇の《ドン・ジョヴァンニ》は明確に舞台の上で演じられているからだ。だから,同じような話が同時進行しているのに観ていても混乱しない。この正攻法の演出は正解だったと思う。

 そして,ポンテの生活と《ドン・ジョヴァンニ》のリンクのさせ方が非常にうまい。例えば,嫉妬に狂うフェラレーゼがポンテの過去を暴き出してアンネッタに送りつけるシーンは,《ドン・ジョヴァンニ》の有名なレポレロのアリア「カタログの歌」にシンクロするのだが,ここは本当に笑える。劇の進行上,「カタログの歌」は必要だが,まさかそれが自分の実生活に降りかかろうとは,ポンテも思ってもいなかっただろう。

 あるいは,モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の悲劇的結末には,モーツァルトと彼の父親との相克と父の死,そしてカサノヴァの思い,さらにポンテの決断が三重写しになり,重層的なドラマとなっている。このあたりも見事だ。

 ちなみに,この映画では劇作家のポンテはアンネッタとの純愛を最後まで貫いた硬骨漢として描かれている。主人公だから格好良く描いたのだろうが,これでは「背徳と放埒の神父」という面影は全くない。実際のポンテはもっと女にだらしないプレーボーイだったはずである。


 ポンテが一番最初に同棲したソプラノ歌手とフェラレーゼのドロドロの三角関係から元カノの出番も作らざるを得なくなり,ドンナ・エルヴィーラという役を作り彼女に美しいアリアを割り当てた・・・なんていうあたりも,モーツァルトのオペラをちょっと知っている人間には面白い部分だ。同様に,アンネッタとのよりを戻そうと画策するポンテに重なって,純情可憐なツェルリーナをドン・ジョヴァンニが口説く「愛の二重唱」に重ね合わせるところもうまいのである。

 ちなみに,ピアノ人間にとってはこの二重唱はリストの難曲「ドン・ジョヴァンニ幻想曲」の前奏が終わった後の変奏曲のアンダンテ主題なのだが,なるほど,こういうシーンだったのか。そして軽やかな6/8拍子になるところでツェルリーナの態度が変わるわけか。最初拒否していたツェルリーナ(=アンネッタ)が次第に「いいわよ♪」に変化していく過程を,モーツァルトが音楽で見事に描いていることがよくわかる。


 映画の最初の方で『フィガロの結婚』の八重唱(でしたっけ?)のシーンがあるが,ここは何度聴いてもすごいのである。みんなが口々に別々のことを言い合うシーンだと思うが(間違っていたらゴメン),音楽はそれらを完璧に調和させ,しかも,声部が増えるに従ってどんどん音楽が高揚するのである。天才とはつくづく凄い存在である。

 さらに音楽と言えば,ヴェネツィア時代のシーンではモーツァルトでなくヴィヴァルディの『四季』の「冬」の終楽章の冒頭が使われている。もちろん,ヴェネツィアつながりの選曲と思われるが,もちろん,この場面にこの音楽を組み合わせるのは正解である。


 このように,クラシック音楽好き,とりわけモーツァルト好きにはたまらない映画だと思う。そういう人でまだ観ていなかったら,絶対にオススメする傑作である。

(2011/06/16)

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