《レンブラントの夜警》★★★
(2007年,カナダ/ドイツ/イギリス/フランス/オランダ/ポーランド)


 万人にお勧めできる映画ではない。レンブラントの絵画が好きで、彼についての知識をすでに持っている人で、なおかつ、この映画の監督であるピーター・グリーナウェイの作品の特徴を知っていて、しかも彼の作品が好きな人、という非常にコアな人(そういう人ってどのくらいいるんだろうか)にだけ「面白いと思うよ」と紹介することにする。

 この人の作品としては、以前紹介した《コックと泥棒、その妻と愛人》が面白かったし、画家や絵画を扱った映画には傑作が多いので期待して見たのだが、この映画はさすがにちょっと辛かった。正直に言えば、何度も睡魔に襲われてしまった。画像的には圧倒的に見事なのだが、ストーリー展開が無茶苦茶わかりにくく(グリーナウェイの映画とはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだが)、この映画が何を描こうとしているのか、どこに向かっている映画なのかが途中まで全くわからないからだ。

 しかも、劇中劇(というか、この場合は「映画中劇」かな?)として作られていて、舞台で演じられている劇をそのまま撮影したような感じなのだ(もちろん、グリーナウェイとしてはそういう面白さを狙ってこの映画を作ったんだろうけどね)。そのため、登場人物の会話にしても演技にしても「いわゆる普通の映画」とはかなり違っていて、私なんかだと彼らの会話を聞いているだけで、ちょっと疲れるなぁ、という感じなのだ。


 というわけで、この映画を見るには事前に物語の全体像を知っていた方がいいし、私みたいに予備知識なしに見ると「なんだこの映画は!」となってしまうので、簡単に内容を要約してみる。

 舞台は17世紀半ばのオランダのアムステルダム。当時36歳の画家、レンブラントは画家として絶頂期にあり、また画商の娘だった妻の優れたマネージメントもあり、莫大な富を手にしていた。

 そんなレンブラントにアムステルダム市警団から団員全員の集団肖像画の作成依頼が舞い込んでくる。描かれる人物が多いため高額の報酬(絵に描いた一人につき幾らと報酬が決まるから)が得られる仕事だったが、レンブラントはなぜか乗り気でなかった。市警団の内部で不可解な死亡事故が起こり、真相が闇に葬り去られようとしていることを知っていたからだ。そこで彼は、その殺人事件の犯人が誰か、市警団内部に渦巻く様々な不正を告発しようとして、集団肖像画に「見る人が見ればわかる」証拠を書き込んでいく。

 しかしその頃、レンブラントの最愛の妻は出産後に体調を崩し、呆気なくあの世に旅立ってしまい、彼の生活は次第に崩れていく。同時に、レンブラントが絵に込めた告発を知った市警団は圧力をかけてきて、彼は仕事の場を奪われていく。絶頂を極めた天才画家は零落していった・・・という映画である。


 実際のレンブラントの人生はこの「夜警」を期に転落したわけでなく、その後もしばらく絶好調が続いたようだが、晩年は金銭的にも恵まれず、視力も低下し、不遇の晩年を送ったようだ。グリーナウェイはもともと美術学校で絵画を学んでいたこともあり、この「レンブラントの栄華と転落」について独自に研究していて、この不思議な集団肖像画(舞台での集団劇を思わせる描きかたである)を手がかりにその謎解きを行ったのがこの作品らしい。

 確かに、事前に「この映画はある殺人事件の真相をレンブラントが絵で告発した顛末を描いた作品だ」と言うことを知っていれば、グリーナウェイの推理もそれなりに納得できるものなのだが、そういう事前の知識もなく、まして17世紀のオランダと当時の肖像画についての知識もない人間にとっては、映画を見ていても何がなんだかわからないはずだ。なぜわからないかというと、グリーナウェイが観客にわかってもらおうという努力を一切していないからだ。彼としては「これは周知の事実だよね」と考えてあえて説明を省いているのかもしれないが、彼がそう思っている「知識」は実は「周知の事実」ではないのだ。彼が終始注意を払っているのは「いかにして美しい画像にするか」だけであり、「いかにして観客に自分の推理を伝えるか」ではないようだ。要するに独善的なのである。


 この映画を見ていて一番困るのは、アムステルダム市警団という組織がどういうものかわからないことだ(もちろん、私の勉強不足なんだろうが)。それが自警団みたいなボランティア的組織なのか今日の警察のような公的なものなのか、あるいは軍隊みたいなものなのかがさっぱりわからないのだ。「市警団内部での殺人事件」と言われても、町内会での殺人事件なのか警察内部での事件なのか軍隊での事件なのかでは、事件の重みがまるで違ってくるはずだが、それが(知識不足の)観客は判断できないのだ。このため、なぜレンブラントが殺人事件を告発しようとしたのかもよくわからないことになる。そして何より、レンブラントが相手にした組織の大きさがわからないから、なぜそれでレンブラントが職を失ってしまうのかが理解できないことになる。

 わかりにくいと言えば、市警団の登場人物がやたらと多く(何しろ、レンブラントの「夜警」に登場する全員が映画に登場する)、姿格好で見分けがつけにくいのも難点だろう。レンブラントの「夜警」を映画で再現することにこだわったからなのだが、互いに似ている男たちが頻繁に服装やかぶり物を変えるため、さらに見分けがつけられないこととなる。

 それと、レンブラントと3人の女性の関係が濃厚に露悪的にそしてかなり下品に描かれているため、一つの作品としてまとまりが悪くなってしまったと思う。本来、メインであるべき「一枚の絵を巡る謎解き」が傍らに追いやられているのである。この映画は男女ともにやたらと裸になる映画だし、セックスシーンも少なくない。恐らく、「生と性は切り離せないものだ」というのがグリーナウェイの哲学なんだろうが、この映画の場合はそれが裏目に出てしまったと思う。余計な部分を切り捨てて、謎解き部分に集中してほしかった気がする(そうなると「グリーナウェイの映画」でなくなっちゃうけどね)


 あと、途中から登場する「天使」のような孤児院の少女もなんだかなぁ。彼女のせりふを聞いているとどうやら13、4歳と思われるが、どう見ても20代後半にしか見えないのだ。なぜこんなプレ熟女の女優に10歳もサバを読ませてまで使ったのだろうか。まして彼女は「天使の清純さ」の象徴という役柄であり、余計に無理矢理感が漂う。

 おまけに、彼女の姉が登場し、顔に熱湯をかけられてヤケドを負う、というエピソードも前後関係がわからないため、なぜこの姉を登場させたのかもよくわからない。しかも、どう見もても「20代後半に見えるけど13、4歳」の妹より10歳くらい若く見えるのだ。この姉妹の配役もグリーナウェイ独自のこだわりなんだろうか。


 それと、劇中劇、舞台での演劇の映像化という形にしたための弊害もあった。迫真性が失われたのだ。たとえば映画の冒頭は、暴徒たちが「役に立たない画家は目を潰してしまえ」とリンチにかけるシーンで始まる。かなりショッキングなシーンだが、このシーンが後半繰り返されると衝撃性は感じられなくなる。「舞台で演じられている劇」だからだ。舞台では人が殺されることも傷つけられることもないことを観客が知っているからだ。
 しかしそれが映画だったら、「こいつ、本当に目を潰されちゃうんじゃないか」と見る者は痛みと恐怖を映像から感じてしまう。映画の方がリアルだからだ。その点、舞台での演技はどんなにリアルでも「目を潰すふりをしているだけ」なことは暗黙の了解事項だと思う。だから安心して見ていられるのだ。このあたりも、この映画の根本的問題点だろう。


 もちろん、画像そのものはまさに「レンブラント的」であり、照明のちょっとした加減で一瞬に「レンブラントの絵」に変わる様はさすがに圧巻であり、重厚で華麗な映像美はまさに圧倒的だ。
 そして、弦楽四重奏をメインとする音楽と映像との組み合わせは完璧で、とりわけ、冒頭のバルトーク風の四重奏は素晴らしいと思う。


 というわけで、グリーナウェイ監督の信奉者以外にはちょっと難点の多い映画ではないかと思う。


(2009/12/01)

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