『ミトコンドリアが進化を決めた』(ニック・レーン,みすず書房)


 なんと言う気宇壮大にして緻密な本なのだろうか。大伽藍のような威容を誇りながら,細部にいたるまでに精緻な論理が張り巡らされている。一点一画もおろそかにしない厳格さと,全体を一つの作品としてみたときの美しさが,極めて高い水準で実現されている。恐らく,私がこれまでで出会った科学書で最高の書,最善の書の一つだ。

 一つの物事に着目して,それで地球の歴史や生物の歴史を解きほぐす本に出合えるのはとても楽しい。例えば,これまでに紹介した本で言うと,『鉄理論=地球と生命の奇跡』『『生と死の自然史 ‐進化を統べる酸素‐』『銃・病原菌・鉄』などがそうだ。


 ミトコンドリアとは何か。もちろん,ちょっと生物学を知っている人なら誰でも知っている。酸素呼吸をしてエネルギーを作り出す役割をしている細胞内小器官である。かつては自由生活をしていた細菌だったが,いつかの時点で別の生物に取り込まれ,ミトコンドリアとして働くようになった,ということを知っている人もいるだろう。だが,それは表層の知識であって,本当のミトコンドリアの役割は生命現象のすべてに及んでいるのだ。真核生物の目覚しい進化と分化を支え,アポトーシスの指令を出し,有性生殖への道を開き,誕生から死までのあらゆる局面に関与している。まさに,ミトコンドリアを通してみると,生命は全く違って見えてくるのだ。

 本書は全体を7つの章に分け,真核細胞の起源,プロトン・パワーと生命の起源,単純さと複雑さを分けたもの,体のサイズの複雑さの背後に潜むもの,なぜアポトーシスが起こるのか,有性生殖の意味は何か,老化とは何か,といったさまざまな問題について深く論じ,その背後にいずれもミトコンドリアの存在があることを明らかにしていく。そしてその過程で生物学のさまざまな新しい知見を紹介していくのだ。まさに,恐るべき博識にしてデータ収集能力であり,データ分析能力とともに逞しい想像力の産物である。


 例えば,最初の章では真核細胞の起源を探るが,冒頭,細菌(原核生物:核膜に包まれた核を持たない)と真核生物(核膜に包まれた核を持つ,原生生物+植物+動物のすべて)がどれほど異なっているかを示す。何しろサイズが桁違いだ。真核生物の細胞は細菌に比べると体積で10万倍も大きいのだ。核そのものを見ても,核膜があり,ゲノムのサイズもはるかに大きく,遺伝子はヒストンに包まれている。また,食作用により他の細胞を飲み込むこともできる。一方,細菌は細胞壁を持つために形を変えることができず,内部に膜系を持たない。体を支える構造で言うと,細菌は外骨格系(昆虫や節足動物),真核生物は内骨格系(脊椎動物)という比喩も成り立つ。要するに,全く異なる生物だ。

 一方,細菌にはもう一つの大勢力がある。メタン生成菌のような古細菌だ。古細菌も細胞壁を持つが細菌の細胞壁とは化学組成が全く異なっている。さらに,古細菌のDNAは真核生物のようにヒストンで包まれている。つまり,古細菌は細菌とは全く異なった生命体であり,現在ではすべての地球上の生命体は次の3つに大きく分類されている。

  1. 古細菌
  2. 細菌
  3. 真核生物

 要するに,古細菌と細菌の違いより,アメーバと人間の違いの方が小さいというわけだ。


 さて,最初に地球上に生まれた生命体は古細菌と細菌の共通祖先と考えられ,LUCAと呼ばれている。そして,最も原始的な細菌・古細菌が誕生してから数十億年は地球は彼らだけの世界だった。そして20億年前,そこに一つの奇跡,一つの大事件が起こる。真核細胞の誕生だ。真核細胞は一旦誕生するとどんどんサイズを大きくし,多細胞化し,さまざまな形態の生物に分化し,種々の運動系を獲得していった。

 細菌や古細菌が誕生以来40億年間,大きさは全く変化せず,形態的な多様性の方向に進化しなかったのに,真核細胞は誕生するや否や多様に分化し巨大化していった。それを分けたものがミトコンドリアだった。真核生物とは核膜で核が包まれていることが本質ではなく,ミトコンドリアを持つことが真核生物の本質だったのだ。核膜の存在は実は,二種類の細菌の共生の結果に過ぎないのだ。


 今日,最初の真核細胞はミトコンドリアの祖先の細菌と,宿主細胞の共生によって誕生したと考えられており,さまざまな証拠から,ミトコンドリアはα−プロテオバクテリアに近い細菌,宿主は古細菌のメタン生成菌だったと考えられている。問題は,両者の酸素に対する反応にある。α−プロテオバクテリアは酸素を好む好気性菌,メタン生成菌は嫌気性菌なのだ。

 本来なら共存するはずのない二つの細菌を結びつけるのが「水素仮説」だ。要するに,水素に依存する代謝系を持つメタン生成菌と分解産物として水素を発生するα−プロテオバクテリアが,水素という物質で協力関係を持ったとする説だ。あとは,飲み込まれたα−プロテオバクテリアが作り出すエネルギーを宿主が取り出すシステムがあればいいが,ここでATPポンプの原型がその時点で既に存在していたという事実で確認される。問題は,取り込まれたα−プロテオバクテリア側のメリットがどこにあったかだが,それも「水素仮説」で見事に説明がつけられる。

 だが,メタン生成菌が本来の生育環境(=無酸素環境)での生活を続けていては,α−プロテオバクテリアが持っていた酸素を利用する能力はやがて失われてしまったはずだ。メタン生成菌を酸素のある環境に追いやったのは硫酸塩還元細菌だった。海水中で硫酸塩の濃度が上がると硫酸塩還元細菌が増え,メタン生成菌との間で水素の奪い合いになるが,両者の争いではメタン生成菌は硫酸塩還元細菌に圧倒されてしまう(現在でもこの力関係は変わっていないという)
 その結果,弱者であるメタン生成菌は勝者の硫酸塩還元細菌に居場所を明け渡し,苦手な酸素がある環境に敗走するしかなかった。しかし,この弱者の逃走が奇跡を生む。細胞内に飲み込んだα−プロテオバクテリアの酸素処理能力が発揮され,エネルギーを生み出してくれたのだ。細胞内のα−プロテオバクテリアが酸素を処理してくれるようになったおかげで宿主のメタン生成菌は酸素がある状態で生きられるようになった。そして,弱者連合に過ぎなかった真核細胞は,地球全体を手中に収めることとなった。

 ここで問題なのは,この硫酸塩の増加が起こった時期と,メタン生成菌とα−プロテオバクテリアの共生の始まった時期がずれていたら真核細胞への進化は起こらなかったという点にある。硫酸塩増加が遅かったら,α−プロテオバクテリアの酸素呼吸の遺伝子は失われていた可能性があるからだ(細菌は分裂速度を最優先するために,軽量の遺伝子のほうが有利になるから)。つまり,他の惑星で細菌が発生することはあっても,真核生物が発生することはほとんどないということになる。この地球でも,両細菌の共生の時期と硫酸塩増加の時期が一致していたからこそ,真核細胞が誕生できたのだ。まさに奇跡である。
 実際,真核細胞の誕生は,地球46億年の歴史でただ一度しか起きていないのだ。細菌や古細菌のような地球外生命体が存在する可能性は低くない。しかし,真核生物,多細胞生物が存在する可能性は限りなくゼロに近いのだ。

ちなみに本書で一番気になったのはこの「真核細胞の誕生は地球の歴史でただ一度だった」という箇所だ。葉緑体はどうなのか,と思ったからである。気になって調べてみたら,葉緑体はシアノバクテリアのような原核藻類の細胞内共生体だったと考えられているが,それを飲み込んだのは原核細胞でなく真核細胞だったようだ。


 では,細菌はなぜ小さなサイズのままだったのか,なぜ真核細胞に比べてゲノムサイズが極端に小さいのか,なぜ形態の多様化という進化の道を辿らなかったのか。この問題はしかし,代謝という視点から見ると全く違った様相を呈する。細菌は確かに形態的な多様性,複雑さは進化させなかったが,生化学的にはほぼ無限ともいえる多様性を持っている。真核生物はその逆で,形態の多様性は見事だが,生化学的な多様性の幅は非常に小さく,植物も動物も似たような代謝系路しか持っていない。進化の淘汰圧が,細菌では生化学的多様性に働き,真核生物は形態の多様性に作用したのだ。

 真核細胞は細胞壁を脱ぎ捨てることができたのは,ミトコンドリアが二重膜を持っていたからだ。逆に細菌は細胞壁がエネルギーを生み出すために必要だ。ミトコンドリアの外膜と細菌の細胞壁はともに,プロトンの散逸を防ぐという役割を持っていて,ATP生成にはプロトンを膜外に保持する必要があるからだ。細菌は細胞膜で呼吸をするため,呼吸効率は細胞膜の面積に比例し,体積が大きくなると呼吸効率は低くなってしまう。このため,細菌のサイズには制限が生じた。
 これは現在の昆虫の気門という呼吸システムが昆虫のサイズの上限を決めているのと同じだ。気門系は必然的に拡散でしか酸素を取り込めず,ある大きさを越えると酸素の取り込み量が需要を下回るからだ。


 細菌では増殖スピードと代謝の多様性が繁栄の切り札になった。同じ環境で同じような代謝をする他の細菌がいたらそいつを凌駕するスピードで分裂することが勝利への唯一の手段だ。だから,サイズは小さいほうが有利になり,DNAも小さな方が複製する時間が短くなるし,細胞内の構造もできるだけ単純化したほうが有利だ。このため細菌は,不要なDNAはどんどん捨て去る傾向を持っている。

 一方,真核細胞は巨大化・多細胞化が可能になった。ミトコンドリアの量を増やすことにより,エネルギー需要の増加に対応できるようになったからだ。また,細胞壁を失ったことにより細胞膜を他の目的に使えるようになり,その一つが食作用となった。ライバルがいたら食ってしまえ,という戦術が生まれ,増殖スピードを増す必要はなくなった。相手より高度な機能を持つほうが有利になり,多くのゲノムを持つ必要が生じ,細胞核も大きくなった。普段は使わない遺伝子でも,いざ鎌倉,という事態では必要になるかもしれないから,遺伝子を捨てることは不利になった。

 一方,細菌は必要最小限の遺伝子しか持っていないが,それでは環境の変化に対応できないはずだ。この大問題を細菌は見事な戦略で解決する。プラスミドを介しての遺伝子の水平移動である。ある遺伝子が必要になったら,それを持っている細菌から分けてもらう,という戦略だ。いわば,地球上のすべての細菌の遺伝子を共有財産として融通しあうという作戦である。これなら事実上,無限の遺伝子を持っているのと同じになる。

 コンピュータにたとえれば,個々のコンピュータがスタンドアローンでそれぞれが巨大なハードディスクに大量の情報を持っているのが真核生物,個々のコンピュータは最小限のハードディスクしか持っていないがネットワーク接続機能を持っていて,必要なときは世界中のコンピュータと接続して分散している情報から必要なものだけ選んでダウンロードするのが細菌である。
 このように考えると,ワープロソフトも表計算もブラウザ上で動かせれば個々のコンピュータにソフトを入れておくこともデータを保存しておく必要もない,というのが最近の流行だが,細菌たちはそれを40億年前からしてきたことになる。

 遺伝子が異なった種類の細菌で共有されているということは,細菌の世界においては「生物種」という概念が通用しないということを意味している。事実,2種類の大腸菌のゲノムの違いは,全脊椎動物間の違いより大きいのだ。


 と,長々と本の内容を紹介したが,これでもまだ全体の1/10にも満たないのである。むしろこれから先がさらに面白くスリリングな考証が続くのだ。それらをざっと紹介すると次のようなものがある。

 生命現象の本質について少しでも考えをめぐらせたことがある人には,どれをとっても無視できない問題ではないかと思う。この質問全てに,著者は膨大なデータと明晰な思考で見事に回答するのだ。

(2008/07/14)

読書一覧へ

Top Page

_