『生命の星・エウロパ』(長沼 毅,NHKブックス)


 とても刺激的で面白い本にであった。何がすごいといって,まず,タイトルがすごい。エウロパとはもちろん,木星の第2衛星である。そこでの生命の存在の可能性について様々なデータから言及しているのだが,普通なら「エウロパにおける生命の可能性」とか「もしもエウロパに生命がいるとすれば」というような穏便な(?)タイトルにするはずだ。しかし長沼氏は『生命の星・エウロパ』と断言するのである。生命がいるとすればこの星であり,必ず存在するはずだ,と説くのである。

 普通ならこれだけで「トンデモ本」である。しかし,彼の論拠が極めて明確であり,論理の進め方に無理がなく,読んでいるうちに誰でも「そうか,存在するかもしれないな」という気になってくるはずだ。恐るべき論理の展開力である。


 人間は「地球外生命」と言うとどうしても,普段見なれた生物の事を前提に考えてしまう。だから宇宙人は「タコ型」とか「猿進化型」,あるいは「昆虫進化型」しか想像できない。宇宙人を信じている人にしても信じていない人にしても,この思考の枠を超えられないはずだ。
 宇宙人を信じない人は「人間が生存できる環境が宇宙にあるとは考えられないのだから,他の星での生物発生は難しいだろうし,まして進化した生物となると・・・」と考えるし,逆に宇宙人を信じる人たちは「人間が生存できるような環境がある星は他にいくらでもあるだろうから,他の星に生物は発生しないわけがない」と考えてしまう。

 この両者の考えは逆のように見えて,実は裏表であり,発想の基本は極めて近い。ともに,「地球の生物」を前提に話を薦めているからだ。だがこの本を読むと,こういう生物への理解があまりに皮相であり,人間中心の見方だったことに気がつくはずだ。

 微生物は酸素のない状態でも生きていることは,生物学をちょっとでもかじった事があれば誰でも知っているはずだ。高温,乾燥の「過酷な条件下」でバクテリアが生きていることも知っているはずだ。だが,こういう環境を「過酷」と考える事自体,人間中心の感覚なのである。次に紹介する生物達にとって,酸素が豊富で温度が20度で水が豊富にある環境こそが「過酷で生存に厳しい」状況なのである。彼らにとって,酸素がなく,130℃を超える温度が快適だったりするのである。


 この本の著者,長沼氏の本は以前にも読んだ事がある。『深海生物学への招待』(NHKブックス)である。この本で私は,深海に生活するチューブワームという魅力的な生物について教えてもらった。それまでの私の「生物観」を根底から覆す,実に不思議な生命体,それがチューブワームだった。実は『生命の星・エウロパ』の根底にはこの魅惑の生物,チューブワームへの理解がある。チューブワームの生き方には,地上の生物では計り知れない生命の多様性があり,人間の尺度で計れない生物がいることを教えてくれる。

 チューブワームとは何かというと,数千メートルの深海にある熱水噴出孔周囲に群生する生物だ。駿河湾などでも見つかっているが,長さ2メートルにも達する細長いチューブ状の生き物である。2メートルと言うとかなりの大きさであるが,これが熱水噴出孔の周りに群がっていて,その様子は「深海のお花畑」と言われている。

 このチューブワームのどこが凄いかと言うと,太陽の恩恵を受けずに生きている点にある。


 地球上のあらゆる生物は「太陽の恵み」で生きている,というのが常識である。太陽の熱がなければ地表のあらゆる生物は凍りついてしまうし,太陽の光がなければ植物の光合成がストップし,酸素の供給が絶たれ二酸化炭素が増えて呼吸ができなくなり,植物ブランクトンや植物が死ねばあらゆる動物は餓死するからだ。

 だが,実はそうではないのである。

 この熱水噴出孔(高濃度の硫化水素を含む350度の高温熱湯が噴出している)に群生するチューブワームやシロウリガイ,シンカイヒバリガイは違う。彼らは太陽が輝いていようといまいと,関係なしに生きていられるのである。彼らのエネルギー源は地球そのものなのである。

 チューブワームには口も消化管もない。その細長い体の大部分には硫化水素を分解する化学合成無機独立栄養バクテリアが共生している。つまりチューブワームはバクテリアに居場所を提供し,バクテリアの分解するエネルギーを得て生存しているのである。従って太陽がいきなり活動を停止したとしても,地球のマグマ活動がある限りチューブワームやシロウリガイは生きていけるのだ。恐らくこの時点で,従来の生物学しか知らない人の常識はぶっ飛ばされてしまったはずだ。


 ところがこれで驚いてはいけない。さらに生物は「過酷な」環境下で楽々と生きているのである(もちろん,そこで生活している微生物君たちにとっては過酷どころでなく,快適な環境である)

 なんと,地中5000メートルまで微生物が生存しているのである。5000メートルであり,5メートルではないのである。実に地下5キロメートルの深さである。それも極めて大量に存在しているのだ。
 このような地下微生物のバイオマス(総重量を炭素重量で表したもの)は,地球の全微生物バイオマスの92%を占めると推定されているのである。地上の多細胞生物の80%を昆虫が占めているのはご存知と思うが,全微生物の92%というのは,それどころの話ではないのである。

 もちろん,地下5000メートルとなると酸素はないし,栄養になりそうな有機物もない。もちろん太陽光のかけらもないし,水も極めて少ない。彼らはどうやって生活しているのだろうか。

 実はこのような微生物は地底奥深くの暗黒世界で,次のようにして生命維持に必要なエネルギーを作り出しているのだ。

地中で高温岩体が地下水と接触すると水素が発生

この水素を利用して二酸化炭素呼吸をする微生物がいてメタンを産生

メタンを利用して硫酸呼吸する生物がいて,その結果として硫化水素を発生

硫化水素を利用して硝酸呼吸する生物が窒素を生成


 何とも見事な生物連鎖,代謝連鎖系である。何しろ,花崗岩(墓石の材料。極めて硬く緻密である)の中でも生存している微生物すら発見されているのである。その適応力と言うか生命力は,想像を絶している。


 これらの生物は「熱と水」さえあれば生きられるわけで,太陽の存在は不要である。つまりここに,「太陽の恵みをうける母なる大地」は不要なのだ。「熱と水」さえあればどんな宇宙にも成立する生命系なのである。

 そして,微生物達の環境耐性,環境適応性は人間の想像をはるかに凌駕している。例えば,南極点の雪の中から−17℃でも活動している微生物(デイノコックス族)が見つかったのはつい数年前の事だが,これに属している細菌は放射線,紫外線,過酸化水素,乾燥など,他の生物には致死的な物理的化学的攻撃にも平気なのである。何しろデイノコックス・ラジオデュランスは被爆量15000シーベルトでも生存可能である。この数字を見て唖然としない医者はいないと思う。だって,人間の致死量は7シーベルトなのである。人間の致死量の2000倍以上の放射線を浴びても生きられるというのだ。


 そして,エウロパである。エウロパは木星の第2衛星であり,サイズとしては地球の月よりやや小さい程度。以前は氷が表面を覆っている星だろうと思われていたが,近年の木星探査機により驚くべき発見があった。その氷の下に大量に水の層がある事がほぼ確実視されているのだ。
 具体的な数字で言うと,5〜10キロの氷殻が覆い,その下に50〜100キロの厚さの液体の水がある。地球で最も深いマリアナ海溝ですら水面下10キロに過ぎない事を考えると,月より小さな星にこれほど深い海があると言うのは驚くばかりである。

 そしてエウロパには「熱」がある。木星の巨大な潮汐力で内部が撹乱され,火山活動の原動力となっているからだ。木星の衛星の一つイオで巨大な火山噴火の写真が撮影されたのはつい最近のことだ。同様の内部の動きがエウロパにもある。

 地球で生命が誕生した場についてはいろいろな考えがあるが,最近では,海底の熱水噴出孔のそばの地中,と言うのが有力らしい。となれば,エウロパの海底で生命が誕生しても不思議ないような気になってこないだろうか。

 まして,水は宇宙に普遍的に存在する物質である事もわかっている。星の内部が熱く,熱の噴出があり,そこに水が少しでもあれば生命が発生したっていいし,それは何も多細胞になっている必要はないし,人型に進化している必然性もない。


 こういう微生物がいることを知ってしまうと,「消毒薬で消毒すれば細菌は死ぬはず」とか,「酸性水はあらゆる細菌を殺す能力を持っている」とか,「器具は紫外線照射で滅菌」とか,なんだかすごく頼りなく思えてこないだろうか。

(2004/04/05)

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