【Feinberg/Borodin: Nocturne】
ロシアの作曲家というと必ず名前が出るのに,あまり作品が知られていないのがボロディン(Borodin)だが,彼の曲で最も知られているものの一つが「夜想曲」と名付けられた「弦楽四重奏曲第2番 第3楽章」だろう。とりわけ,冒頭の主題は繊細にして凛とした佇まいを見せ,まさに「至純の旋律美」であり名曲の名に恥じないものだ。
この「弦楽四重奏曲の至宝」ともいうべき名曲をピアノ曲に編曲するという暴挙に出たのが,ロシアの名ピアニストにして天才的編曲家,サミュエル・フェインベルグ(S. Feinberg)だ。彼は,チャイコフスキーの「交響曲第5番第3楽章」をオーケストラを凌ぐ音量と複雑さで再現する超絶的アレンジを作り上げた天才だ。そのフェインベルグがあらゆるピアノ技法と想像力を注ぎ込んで作ったのがこの「ノクターン」の編曲だ。その結果,彼は驚異的な完成度を誇る空前絶後のピアノ曲を作り上げた。
しかし,この曲は不幸なピアノ曲だ。演奏するピアニストがほとんどいないからだ。実際,YouTubeには日本人ピアニストの演奏が1つだけあるのみで,それ以外の演奏は登録されていない。CDへの録音は誰もしていない。これほど美しい曲なのに,誰も弾こうとはしない。
誰も演奏しないのなら,私が演奏するしかない。まぁ,弾けないだろうけど・・・
実際に弾いてみよう。最初の1ページ目は初見でも弾ける。しかし,2ページ目に入ると左手は跳躍の連続となり,左手だけで異なった音域の3声部を弾き分けなければならないため,一瞬も気を抜けなくなる。音が少ないため,誤魔化しが効かないのが辛い
(音が多いほうが誤魔化せる)。
中間部(ヘ長調)は上昇音階とトリルが交錯して動きが多く,多声部同時進行が多いために響きも派手になるが,テクニカルには頑張れば弾ける,という難易度。
地獄のように難しいのが再現部のリピート部だ。高音域のメロディーを中音域がカノンで追い,それを中音域のアルペジオと低音のベースが支える,という4声部構造になっていて夢の如く美しいが,両手が絶えず跳躍し,しかも音量と音色のコントロールを付けて4つの声部を弾き分けなければいけない,という難行苦行の連続である。両手の音の振り分けをかなり工夫しないと弾けない感じだ。
というわけで,この部分まではなんとかヨタヨタと弾けるようになった。
問題は最後の2ページだ。右手は大跳躍と変拍子アルペジオの連続,左手はメロディーと伴奏音型ということになるが,左手のメロディーを歌いつつ,全ての声部を最弱音で弾き分けるのは私には逆立ちしても不可能だった。
フェインベルグの譜面はスクリアビンの譜面にとても似ている。スクリアビンのピアノ曲は,両手ともに広い音域をアルペジオで動きつつ2声部
(場合によっては3声部)を演奏し,両手が複雑に交差しながら複数の声部が絡みあい,夢幻的な雰囲気を醸し出している。
フェインベルグの最も知られている編曲である「バッハのトリオソナタのラルゴ」,「チャイコフスキーの第5交響曲のスケルツォ」は,こういう「スクリアビンのピアノ技法」をベースにして,多声部が同時進行する曲を2本の手でどこまで再現できるかに挑んだ意欲作だと思う。その延長線上にあるのがこの「ボロディンの夜想曲」だろう。
(2016/08/22)
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