細菌を殺す(殺菌する)手段はいろいろありますが,「殺菌のターゲット」は次の4つしかありません。
これらはどういう物質からなるかというと,次のようになります。
従って,
消毒薬も色素も熱湯も蛋白質の立体構造を不可逆的変性させます。つまり,生卵を茹でてゆで卵を作るのと同じ変化であり,ゆで卵を暖めても雛が孵ることがないように,消毒薬で変性した細胞は元に戻りません。蛋白質の立体構造が変化し,もとの立体構造に戻すには大きなエネルギーを外部から与えることが必要だったり,エネルギーを投与してももとの立体構造に戻れなかったりするからです。
このような変性はもちろん,創面に露出した人間の細胞膜や細胞質でも起こります。つまり,消毒薬の創面に対する作用は不可逆性変性です。だから,人体細胞も消毒薬で死にます。これが,人体細胞に対する消毒薬の作用です
(2001/10/09)
医療現場で最も日常的に行われているのが消毒だ。医者の第一歩は「傷を消毒」することを学ぶことから始まるし,外科病棟の一日は「傷を消毒」することで始まる。まさに病院と消毒は切っても切れない間柄だ。
だが,消毒している医者に問うてみたい。あなたは何のために消毒しているのか,どんな効果を期待して消毒しているのか・・・と。
恐らく医者からは,次のような答えが返ってくるはずだ。
しかし,本当に傷は消毒しないと化膿するのだろうか? 化膿した傷は消毒しないと治らないのだろうか?
私がまだ駆け出しの医者だった頃,なぜ手術後に手術創を消毒するのか疑問に思ったことがある。
例えば大腸癌の術後を考えてみよう。癌は切除され,大腸同士を吻合し,腹膜や腹直筋鞘,そして皮膚を縫合して手術は終了する。次の日から毎日,回診のたびに腹部の縫合創を消毒するのが日課だ。研修医ならどうやって傷を消毒するか,先輩の医者から手取り足取り,教えてもらうはずだ。
「どういう理由で傷を消毒しているのか」については一切説明はないが,多分聞いたところで「傷が化膿しないように消毒する」という答えしか返ってこなかっただろう。
しかし考えて欲しい。化膿されて怖いのはお腹を縫った傷ではなく,大腸吻合部だ。ここが化膿して傷が破れたら,お腹中,ウンコだらけ。重篤な腹膜炎が起こる。高齢者だったら命だって危ない。それほど危機的な情況になってしまう。
もしも,消毒が傷の化膿にそれほど重要であり,化膿防止に必要であれば,大腸吻合部をなぜ毎日消毒しないのだろうか? 消毒にそれほどの威力があったら,腹部の縫合部なんて放っておいて,大腸吻合部を消毒すべきだろう。それが科学的な医療ってもんだ。
もちろん,「そんな事言ったって,お腹の傷を毎日開くわけにいかないよ。大変だし非現実的だよ」,という反論も出るだろう。だが,大変だからしないと言うのは本末転倒。必要な医療行為だったらそれをするように工夫すべきだ・・・本当に必要だったら・・・。
しかも,この大腸吻合部は消毒していないだけでない。ウンコという大腸菌の塊が中を四六時中通っているのだ。つまり,ここは「消毒できない上に,大量の細菌が必ずいる」という「化膿」にとっては最悪(最善?)の状態にあるのだ。
しかし,通常の場合,大腸吻合部が感染(化膿)により縫合不全を起こすことは稀だ。つまり,消毒していないのに化膿しない。
じゃあ,消毒って何なんだ? 何のためにしているんだ?
あるいは抜歯後の消毒。歯を抜いたあと,毎日のように歯科医院に通院し,口の中を消毒してもらうはずだが,消毒している歯科医たちはこの行為に空しさを感じていないだろうか?
何しろ,口の中なんて消毒したところで,消毒液なんてすぐに唾液で流されてしまう。何となく消毒しないと不安だけど,すぐ流されてしまうのがわかっていて消毒するのはすごく馬鹿らしくないだろうか?
あるいは顔面外傷で「頬から口の中」までの長大な傷を受傷した患者がいて,苦労の末,傷を縫ったとしよう。もちろん,頬の傷は消毒できる。唇の傷も消毒できる。しかし,それがもっと奥(それこそ喉の奥まで)まで連続している場合はどうするのだろう? そこまで深い傷はどう頑張ってももう消毒できない。
この場合も,「頬は消毒できるが,口の中の奥にある傷は消毒できない」からという理由で,前者は消毒し,後者は消毒しないというのは論理的に不合理だ。
要するに上記の例でわかる通り,術後の傷は消毒しても,消毒しなくても同じように治るのだ。ということは,消毒しなくても傷は治るということを意味している。しなくていいなら止めてしまったほうがいい。そっちの方が合理的で科学的だ。
つまり,消毒という行為とそれがもたらす結果についてちょっと考えてみると,「消毒の意味」がわからなくなってくる。消毒は昔から行われている行為であるが,「昔からしているから」以外にその意味を説明できなくなってしまう。
(2001/10/09)
次のような質問を受けた。
「外傷の消毒は不要」「消毒しても感染予防にはならない」と言うが,19世紀の半ば,手術創を消毒する事で感染率を劇的に下げたと言う事実と矛盾するのではないか?
もっともな疑問だと思う。この「消毒による術後敗血症の克服」の経緯については,かの名著『外科の夜明け』に詳しく書かれていて,私も何度も取り上げている。産婦人科医のゼンメルワイスが分娩の前に消毒薬で手を洗っただけで産褥熱が劇的に減少し,リスターが手術創や外傷の創を消毒薬の石炭酸で処置し,術後の敗血症による死亡が劇的に下がったのは紛れもない事実である。確かにこれだけ見ると,私の主張と矛盾しているように見える。
『外科の夜明け』を素直に読めば,「傷を消毒する事で感染率が下がった」となるはずだ。だが,事実はそれほど単純ではない。
消毒薬として石炭酸は決して強力なものではなく,むしろ非力な消毒薬剤に過ぎない。だから現在,石炭酸は消毒薬業界の表舞台から姿を消している(現時点で石炭酸は,「陥入爪治療のフェノール法」で使われるくらいだろう。この場合の石炭酸は,消毒薬としてではなく,爪母を破壊する「組織破壊薬」として使われている)。
また,リスターの時代から,石炭酸で死なない細菌が多数いることは実験的にも証明されていて,より強力な消毒薬が開発されたのも,歴史的事実である。要するに,リスターの時代から石炭酸は殺菌力の弱い消毒薬として知られていたのである。
となると,たいして殺菌力のない石炭酸なのに,なぜ創感染率を下げる事ができたのか,と言う疑問が生じないだろうか。殺菌力の弱い消毒薬が劇的に創感染が低下させたという方がおかしくないだろうか。
実は,感染率が下がったのは「石炭酸の殺菌効果」によるものではないのである。創感染率を下げたのは「石炭酸の殺菌力」ではなく,石炭酸で「洗った」ことによるのである。つまり,「傷を洗った」事が重要であり,洗うものは石炭酸でも水道水でも生理食塩水でもよかったのである。
これと同じ勘違いは「強酸性水による褥瘡洗浄の有効性」とか「カテキン水による褥瘡洗浄は効果的」と言う形で,今日でも健在である。いずれも「洗った」事が重要なのに,なぜか,強酸性水とかカテキンとか,「洗ったもの」にばかり興味が集中するのである。
なぜこのような勘違いが生まれるかと言うと,医療関係者は基本的に薬とか薬効成分に弱いからである。薬効成分が明記されていると,それを盲目的に信じてしまうからである。
つまり,なにか治療上の効果が得られたら,それは薬の成分が含まれていたからと考えてしまうのだ。逆の言い方をすると,薬効成分を含まないものに治療効果があるはずない,と考えてしまうのだ。
だから,「石炭酸で洗ったから」効果があった,「強酸性水で洗ったから」効果があった,「消毒したから」治った,と考えてしまい,「石炭酸で洗った」から効果があるのであり,「普通の水で洗う」のは効果がないと考えてしまう。つまり「何で」洗ったらいいのか,ということしか考えなくなるのだ。
これが「消毒による感染率の劇的低下」の真相ではないかと思っている。
(2003/10/30)
まず,下の表を見て欲しい。消毒薬ポビドン・ヨード(商品名イソジン,ネオヨジン,マイクロシールド)のうち,イソジンの殺菌力と,細胞毒性を濃度ごとにまとめたものだ。なおこのデータは岩沢篤郎ほか. ポビドンヨード製剤の使用上の留意点. Infection Control, 11, 2002, 18-24 を参照した。
この論文ではポビドンヨード製剤間の殺菌効果の違い,細胞毒性の違いについて論じているが,最も日常的に多く使われているであろうイソジンのデータに着目してみた。
イソジンの濃度 | 細胞毒性 | 組織障害性 |
10% | + | +++ |
1% | + | +++ |
0.1% | ++ | ++ |
0.01% | - | + |
イソジンの殺菌作用はヨウ素の酸化力によるものである。従ってその殺菌力は細菌にだけ有効なのではなく,生体細胞全般に分け隔てなく作用するのだ。従って,細菌を殺すことができれば,人間の細胞も殺すことができる。それが消毒薬だ。
また酸化作用がメインの機能であるだけに,細菌と何かの有機物が共存していれば,酸化力はその有機物にも発揮されることになり,この場合は当然,殺菌力は低下する(なお,クロルヘキシジンではこのような低下は起こらないようだ)。
ポビドンヨードの殺菌力は遊離ヨウ素の濃度に依存するため,最もヨウ素濃度が高くなる0.1%で最強の殺菌力を持つことになる。しかしこれはあくまでも試験管内のデータであり,上述のように有機物の存在で効力が失われるため,臨床の場では7.5~10%の製剤が使われている(http://www.yoshida-pharm.com/text/05/5_2_2_1.html)。
また,上記の論文によると,ポビドンヨード製剤の細胞毒性ではヨウ素そのものの毒性とともに,添加されている界面活性剤などによる毒性も大きく関与しているらしい。
と言うのを前提に,上述の表を見て欲しい。殺菌力のない0.01%のイソジンでも組織障害性を有していることがわかる。そして,通常使われている濃度では,非常に強い組織障害性を有していることもわかる。
これを踏まえ,「化膿している傷をイソジンで消毒」するという行為をもう一度考えてみる。当然,化膿している傷だから有機物だらけである。イソジンにとっては殺菌力を低下させるものばかりである。となると,膿だらけの傷,出血している傷では殺菌力はかなり低下していると考えざるを得ない。
しかし,殺菌力がなくなっても,添加物による細胞毒性は残存している。
となると,傷を消毒すると言う行為は,下手をすると,「味方を援護射撃しようとして,味方だけを選んで撃ち殺し,敵だけが残った」ということになりかねないのだ。これははっきり言って,かなり間抜けな状況であるし,本末転倒である。
もちろん,傷は消毒しても治ることは治る(・・・消毒しないより時間はかかるが・・・)が,それは,「消毒という医者の妨害行動」を乗り越えて,なけなしの力で何とか治っているだけだ。医者の妨害にもめげず,生き残った細胞が健気に頑張った結果として治っただけだ。
創面を消毒するだけで,創面の大事な細胞は死んでしまうが,下手すると細菌だけは残っている」ことを医師は銘記すべきだと思う。
ここではイソジンを例に出したが(何しろ,日本で一番たくさん使われている消毒薬ですから,代表例として例に出すのは当然でしょう),その他の消毒薬でも事情は恐らく同じだろう。「細菌だけ殺すが,創面の人間の細胞だけは殺さない」という消毒薬があれば理想かもしれないが,その作用機序から考えてもまず無理だろう。
「そんなことを言ったって,傷にばい菌がいたら化膿するんじゃないの? 組織障害性があろうとあるまいと,ばい菌が除去できればいいんじゃないの?」という反論も当然あると思う。しかしこれが大間違い。創面に細菌がいるだけでは化膿しないのである。
すなわち,創感染にとって細菌の存在は必要条件であるが十分条件ではないのだ。創感染が成立するためには,細菌と異物・壊死組織が混在していることが必要なのである。
(2002/08/30)
日本形成外科学会雑誌にクロルヘキシジン(ヒビテンとかマスキンなどですね)によるアナフィラキシーショックの症例報告が掲載されていました。
今沢 隆ら:グルコン酸クロルヘキシジン使用後にアナフィラキシーショックを起こした1症例. 日形会誌, 23; 582-588, 2003
局所麻酔で手術をしていて,閉創前に0.05%グルコン酸クロルヘキシジンで創面の消毒を行なったところ,その20~30秒後に心拍数が低化し,血圧は測定不能,呼吸停止をきたしたが,アンビューバッグによる呼吸補助と酸素投与により,3分後に自発呼吸を認め,意識が戻ったという報告です。そして,次のように書かれています。
グルコン酸クロルヘキシジンは市販の歯磨き,軟膏,薬用クリーム,うがい剤に使用されているため,この症例は過去に何らかの薬剤から感作を受けていた可能性があり,今回のアナフィラキシーが発症したものと思われる。
国内では過去21年間に32例のアナフィラキシーショックなどのアレルギー症例の報告がある。
1980年,厚生省はオキシドールを発癌性の問題から口腔内での使用は行なわないようにとの情報を出しているが,まだ多くの施設で使われている。さらに,医薬品としては粘膜での使用が禁止されているグルコン酸クロルヘキシジンが医薬部外品としては粘膜での使用が認められ,最近では予防歯科の観点から日常生活での使用が奨励されている。
また論文では多数のクロルヘキシジンに関連する論文が引用されていて,それだけでも読む価値があります。
もっとも私に言わせりゃ,「傷を消毒」なんてしていること自体が,そもそも間違っているのです。傷は消毒しちゃいけないのに,しちゃいけないことをしているから,こんな怖い目にあうのです。さっさと「傷の消毒」を止めましょう。
そしてこういう症例から,「傷を消毒」されているとアナフィラキシーショックを起こす危険性がある,という事実に気が付くはずです。つまり,ちょっとした傷で病院を受診し,2回以上,クロルヘキシジンで消毒されたとたん,血圧低下,呼吸停止をきたす可能性はゼロではありません。こうなったら,その医者が緊急処置の知識があり,外来診察室に緊急処置のための設備があることを祈るしかありません。万一,緊急時の処置ができなければ,命が危ないのは言うまでもありません。
何しろ創面を消毒すると,皮膚の消毒より直接的に生体に作用します。いずれにしても,「傷を消毒」する医者にかかるのは命がけの行為になる可能性があることは覚えておいた方がいいでしょう。
(2003/09/24)
常在菌が定着している組織(皮膚や粘膜)の消毒をどう考えたらいいか,ですが,消毒の対象が通過菌なのか常在菌なのかを考えれば,答えが出そうです。
要するに,通過菌の除去のためには1回だけ消毒するか洗浄すればいい,通過菌が除去できたらそれ以後の消毒(洗浄)は無駄でありむしろ危険,ということになります。
(2005/12/27)
外科にしろ整形外科にしろ耳鼻科にしろ,手術後の縫合創はガーゼで覆っている。大抵は滅菌されているガーゼである。手術後,傷を消毒した後,その滅菌ガーゼを,滅菌ピンセットでうやうやしくつまみ,傷の上を覆うのが,いわば儀式と化している。
こういうのを医学では「清潔操作」と呼んでいる。
消毒した傷口に患者の手が触れようものなら,「触るんじゃない! 傷が不潔になって化膿するだろ!」と烈火の如く怒られたりするのだ。もちろん,そのガーゼを素手で扱うなんて御法度中の御法度。
とにかく,外科の手術の後は,「傷が化膿しないように」厳密な清潔操作をするのが常識となっている。
だがよくよく考えると,これらの医学的根拠は希薄になってくる。よく考えてみると,どれもが嘘じゃないかという気がしてくる。
術後の「清潔操作」って,本当に必要なんだろうか?
滅菌されたガーゼを使う意味はあるのか?
そもそも,「滅菌ガーゼ」にしても「清潔操作」にしても,それが目的とするのは「外から細菌を持ち込まないように」というものだろう。つまり,本来「細菌がいない」臓器を扱うための操作だ。
しかし,開放創にしろ,縫合創にしろ,そこには必ず皮膚常在菌が存在する。常在菌がたくさんいるのに,「外から細菌を持ち込まないように」というのは全くナンセンスだ。まして,滅菌されているからといって,ガーゼを盲信するのは滑稽としか言いようがない。
傷を手で触れるのはいけないことか?
ガーゼは何のため?
(2001/11/04)
スイス(?)の貴族の朝は「ダバダ~♪」というメロディーと一杯のネス○フェで始まるが,外科医の病棟回診は前日に手術した患者の傷の消毒で始まる。傷を消毒するのが外科回診であるし,それが外科医の日課である。
しかし,外科医が毎日している「手術創の消毒」は実は,医学的に全く無意味な行為である。
今回はこの行為について論じてみる。
なぜ毎日,手術した傷を消毒するのか,その意味を考えたことがある外科医はいるのだろうか? 恐らく,毎朝の日常業務として,惰性的にこなしているだけではないのだろうか?
私の外科研修医時代の頃を思い出すと,「なぜ手術した傷を消毒するのか?」を説明してくれた先輩医師はいなかったし,わざわざ先輩医師に訊ねる暇もなかった。
消毒そのものは一般家庭でもしている行為のため,傷は消毒するのが当たり前,消毒して当然,と思い込んでいた。「傷と消毒」の組み合わせは,「車は左,人は右」「ご飯に味噌汁,カレーに福神漬け,刺身にワサビ」くらい当たり前の組み合わせだった。
要するに「術後の傷の消毒」は,先輩医師に命じられてしている行為であり,それが毎日続くため,何の疑問も持たずにする行為となり,やがて「しなければいけない」行為と思い込むようになった。
しかし,しつこく繰り返すが,「術後の傷」は消毒する必要なんて全くないのだ。
まず,縫合された傷の治り方(創傷治癒)の研究からすると,縫合された傷(つまり手術創)は「一時治癒」するものであり,24時間から48時間で創表面が上皮細胞で完全に覆われてしまう。つまり,手術で縫合された傷は,遅くても48時間で完全閉鎖されるのだ(縫合の巧拙で多少のずれはあるだろうが・・・)。
これは何を意味するかというと,「術後48時間以降,傷口から細菌が進入することはない」ということである。何しろ,48時間で上皮細胞がぴったりと傷口を覆ってしまうのだ(もちろん,頑丈にくっつくのはもっと先なので,傷口を開こうと思えば開いてしまうが・・・)。普通細菌は傷口から進入するが,術後48時間でこの「傷口」が閉じてしまっては,もう細菌が入り込む余地はない。
となると,手術後の傷は,消毒しようがしまいが全く関係ない,という事になってしまう。
何しろ,術後創の消毒は「傷が化膿しないように」という理由でしているのだ。それなのに,傷がぴったりと閉鎖されているのでは「傷を化膿させる細菌」が入り込む余地はない。となると当然,何のために消毒しているのかという事になり,術後の傷の消毒は全く意味を失う。
もちろん,「そうかもしれないけど,縫合している糸の脇とかから細菌が入るんじゃないの。糸の穴から細菌が入らないように消毒しているんじゃないの」と反論される人もいると思う。こういう考えは根強いものがある。要するに,傷周囲の皮膚を消毒することで無菌化し,感染を防いでいるはずだ,という考えだ。
もしもこの考えが正しく,消毒で傷周囲の皮膚を全く無菌化できたと仮定しよう。
この「消毒による無菌状態」がずっと維持されているのなら問題はない。上記のような反論をする医者は「一度消毒すると,ずっと皮膚は無菌化状態になっている」と考えているはずだ。
しかし考えてみて欲しい。皮膚には常在菌が必ずいる。毛穴の奥にまで潜んで,そこで生活している。いくら皮膚表面を消毒したところで,こういう常在菌を全滅させることはできないのだ。
事実,外科医や看護婦は手術前,長い時間をかけて消毒薬でブラッシングや手洗いをして滅菌手袋をはめるが,数十分して手袋をはずしてみると,ほとんど元通りの細菌叢に戻っていたというデータがあったはずだ。
まして,「傷の消毒」と言ったって,実際のところは消毒薬でちょっと湿らせた綿球で傷の周りとちょっとなでる程度のものであり,それが何時間にもわたって消毒効果を維持し,皮膚常在菌を完全に根絶やししているとは,到底考えられない(イソジンを完全に自然乾燥させると,1時間くらいは滅菌状態を保っていられる,というデータはあるようだが・・・)。
また手術後の傷の消毒は通常,毎朝一回しか行っていないはずだ。つまりこれは地球の自転の時間,すなわち「一日」というお天道様(そして人間)の生活(?)サイクルにあわせているだけだ。
しかし,消毒の対象となっている細菌は24時間のサイクルで分裂・増殖しているわけではない。通常の細菌の生活サイクルは24時間よりはかなり短い。つまり,人間の都合で「一日一回」の消毒をしていたところで,それ以上のスピードで細菌が増えているので,「一日一回の消毒」はそもそも全くナンセンスなのである。
このように考えると,術後の傷を「清潔操作」する意味もわからなくなってくる。通常,術後の傷は化膿しないようにということで,滅菌ピンセットで滅菌ガーゼを摘まみ,手術した傷の上に乗せているわけだが,これって本当に意味があるのだろうか?
この「滅菌したガーゼ」に患者さんの手が触れると,さも一大事のように「不潔になります!」と叱りつける医者・看護婦がいるけれど,これは正しい態度なのだろうか? たかがガーゼで,「傷を清潔に」保っておけるのだろうか?
というわけで,この清潔操作についてもその欺瞞性を論破する予定である。
(2001/10/30)
外科系の診療科の皆様,手術が終わり,最後の仕上げの皮膚縫合の直前,あるいは縫合直後に「傷を消毒」していないでしょうか? 私の見たところ,かなりの医者,診療科,病院で,皮膚縫合の前後に消毒をしているようです。半ばルーチンワークとして行われているようです。
しかしこれは無意味というならまだしも,「傷が治らないように」「術後,傷がくっつかないように」「傷が開くように」としている行為です。それは医療行為の名前を借りた傷害行為です。
術後,縫合創が時々開いて困っている,と思っている外科系医師の皆様。もしも皮膚縫合の前後に傷を消毒しているのでしたら,直ちにお止めください。恐らく,「創離開」の数はぐんと減るはずです。
「消毒薬は毒」で解説したように,イソジンを例に取ると,殺菌効果をもつのは10%イソジン溶液のみで,1%に希釈されると殺菌力はほとんど期待できなくなる。しかし,0.1%に希釈されたイソジンは,創治癒に最も重要な細胞(線維芽細胞,上皮細胞,好中球など)全てを全滅させることが可能なのだ。
まして,血液や浸出液などの有機物があると,イソジンの遊離ヨード(これが殺菌力を作り出している)は急速に減少し失活する。
従って,創面をイソジンで消毒した場合,「細菌は殺せない程度に失活しているのに,傷が治癒するのに必要な細胞だけを選択的に殺しまくっている」ということになっているのだ。これでは縫合した傷がくっつくことを期待するほうが無理である。
創縫合の前後に「傷を消毒」している医者は,その消毒という行為によって「術後,傷が治らずに,早く開くように」しているわけである。医者がいくら無知とはいえ,実に恐ろしい行為をしている,としか言いようがない。
恐らくこういうお医者様は,一生かかっても自分が間違ったことをしているなんて,気が付かないんだろうな。こういう医者にかかった患者さんは,不幸と諦めるしかないんだろうな。
「消毒しなければ傷が化膿する」というのは単なる思い込みである。傷が化膿するには,細菌の存在は必要条件であるが十分条件ではないのだ。細菌がいくらいても,異物や壊死組織がなければ化膿なんて起きないのである。
(2001/12/01)
これまで,新鮮外傷,あるいは縫合後の手術創などで消毒が無意味で不必要で有害な医療行為であることを論証してきた。だが,すべての「消毒」が必要ないと言っているわけではない。必要な局面では必要であり,それを厳密に行うべき局面では,厳密に消毒すべきだ。
どんな場合に必要で,どんな場合は必要ないか,私の考えをまとめてみる。
消毒,あるいは無菌操作は,その操作が感染を起こす危険性がある場合には絶対に必要となる。それは何かというと,「本来無菌の部位に異物を残す操作」をする場合と「細菌が侵入したらそれを排除できない臓器を操作」する場合である。
まず後者としては,関節腔であり,目の水晶体もそうだろう。これらの臓器はその機能的特質から血管があっては困る臓器であり(関節軟骨に血管があったら運動のたびに出血するだろうし,水晶体に血管があったら光が十分に通れない),そのため白血球による細菌排除がうまく働かず,細菌が侵入したら感染が必発。だから関節穿刺などの操作をするのであれば皮膚は十分に消毒した方がいいだろうし,無菌操作は厳密に守るべきだろう。
前者としては,手術全般(血管結紮の絹糸や人工物を体内に残す操作が付きもの),IVHカテーテル,硬膜外カテーテル挿入などが相当する。手術創や外傷の創感染が異物の存在下でのみ起こることは既に説明した通りだが,異物を体内に残す操作をする予定や可能性があれば,やはり外から持ちこむ細菌は少ないに越したことはないだろう。その意味で,手術の際に切開する部位の皮膚を消毒するのは必要な操作だし(ドレープで覆うのも同様),使用する器具は滅菌処理したものを使うべきだ。
私は以前,採血や注射の前に酒精綿で皮膚を消毒するのは無意味だと断じたが,これは採血や注射が基本的に「異物を体内に残さない」操作だからだ。炭疽菌のような特殊な細菌ならいざ知らず,皮膚常在菌が注射でもたらされる量で感染を起こすことは,事実上不可能だ。
同様に手術で縫合した創を消毒するのも無意味だし,IVHカテーテルにしても一旦挿入してしまえば,刺入部の皮膚を消毒することは無駄な行為だ。
「そうは言っても,医療行為と言うのは普段からの心がけが大切だから,清潔操作の儀式として酒精綿で消毒するのは意味があるはずだ」という考えもあるだろう。しかし,消毒せずに採血による皮下組織の感染の確率は,空から隕石が降ってきて直撃される確率みたいなものではないだろうか(理論的に考えるとそんなものだと思う)。そのような起こりえない危険性に対処するために酒精綿で皮膚を拭くのは,隕石直撃を恐れて外を歩かないように注意するようなものだと思うが,如何だろうか?
日本全体の病院で使われている酒精綿用のアルコールの総量はとんでもないものだろう。同様に,術後の消毒に使われるイソジンやヒビテンの量だって,日本全体では莫大なものになっているはずだ。これがすべて,無駄なものだとしたら,それを見逃していいのだろうか? やはり,無駄なものだったらやめるべきだろう。それが「科学としての医学」の原点ではないだろうか。
(2002/01/15)
【本当に必要な皮膚の消毒とは?】
まいどまいど,「傷の消毒はもってのほか」「こういう消毒は無意味」と書き散らしているが,逆に,本当に必要な「皮膚の消毒」とはどういう場合だろうか。
私の考えでは,抽象的な言い方をすれば「本来無菌でないところから無菌のところに操作を及ぼす時,その操作の前に無菌でないところを消毒するのは意味がある」と考えている。具体的に言うと,手術の執刀前の術野の消毒,カテーテル挿入前の術野の消毒がこれにあたる。
つまり「本来無菌でないところ(=術野の皮膚)」から「無菌のところ(=深部臓器)」に侵入する操作が手術でありカテーテル挿入である。だから,これらの操作をする前に経路にあたる皮膚を十分に消毒する事には意味があるし,手術や操作の間,その部分の皮膚だけでも無菌に近い状態にできれば感染の確率はグンと減るのは当然である。
【消毒したフリ】
こうなってくると,「必要な消毒は徹底的に行い,不必要な消毒は全廃の方向で」というのが望ましい方向だと思うが,どうも医療現場には「消毒しているが実は消毒になっていない」行為が多いのではないかと思う。いわゆる「消毒したフリ」である。
例えば,消毒薬を皮膚に作用させても,殺菌力が瞬時に発揮されるわけではない。殺菌力が本質的に化学反応である以上,効果がでるまでに時間が必要だ。確かポビドンヨード(イソジン)では最低でも3分くらいは必要だったと思う。となると,消毒した直後に生理食塩水で湿らせたガーゼで術野を拭き取るのは(・・・実は私,これをよくやってます・・・短気なもんでして・・・),全く効果がないことになり,ほとんど「消毒したフリ」である。
あるいはポビドンヨードで消毒した直後,ハイポで脱色する医者がかなりいるが,この時もハイポで脱色した瞬間にイソジンの消毒効果は全くなくなっているらしい。これも「消毒したフリ」であり,イソジンもハイポも無駄な使われ方をしている。
あるいは,垢でテカテカしている皮膚を消毒するのも問題。見ていると白亜紀の地層のように堆積した垢の層が,消毒薬をはじいているのがわかると思う(イソジンではこれがよくわかる)。これは垢が一種の被膜になって,消毒薬に対するバリアになっているわけだ。もちろん,こういうところをいくら消毒したところで,堆積した垢層の下の細菌は安泰である。これもよく見る「消毒したフリ」の例。
こういう皮膚に対しては,手術前にお風呂に入れて十分に石鹸で洗い,更に消毒前にアルコールで脱脂し,それから消毒した方がいいと思う。垢の上からの消毒は全く無意味である。
(2003/03/04)
消毒はウル○ラマンである。我輩は猫であると同様,消毒はウル○ラマンなのである。そして,ウル○ラマン・タロウは強酸性水による褥瘡洗浄,ウル○ラマン・レオは水圧をかけて行う褥瘡洗浄である。
まず,一般の手術創の消毒について考えてみよう。
たとえば,毎朝9時,回診時に手術創の消毒をしていたとする。 | |
消毒で皮膚表面の細菌は死ぬが,毛穴に潜む皮膚常在菌には消毒薬は作用しないのでこれらが生き残り,消毒薬の効果がなくなると皮膚表面に這い出し,次第に増えてくる。滅菌ガーゼで創を覆おうが,覆うまいが,この細菌は無関係に這い出してくる。 これが大体,午前10時頃のできごとだ。 |
|
そして,翌朝9時の回診時まで,手術創はガーゼで覆われたまま。 この頃までには,毛穴から這い出した細菌は,消毒したところもしないところも,わけ隔てなく均等に分布している。 |
|
ということは,お昼頃から翌朝の午前9時まで,皮膚の細菌数は「消毒前」と同じになっている。つまり,一日の大半が「消毒していない状態」と変わりがないのである。 |
さて今度はウル○ラマン氏の登場。言うまでもなく住所はM78星雲,仕事は地球での怪獣退治である。恐らく毎日,遠距離通勤していらっしゃるのだろう。話の都合上,ウル○ラマン氏は朝9時に出勤することにさせていただく。 朝9時に地球に出社したウル○ラマン氏は直ちに業務(怪獣退治)に取り掛かる。 |
|
ウル○ラマン氏が地球にいられるのは3分間のみ。この間に怪獣をやっつけてくれるわけだ。そして,地球での滞在制限時間(3分間)近くになると胸のカラータイマーがピコピコ点滅し,9時3分になるとM78星雲への帰途につく。 | |
そして丸一日が過ぎ,翌日の朝9時,ウル○ラマン氏は地球に出勤,また怪獣退治の3分間が始まるのであった。 つまり,ウル○ラマン氏が地球にいるのは3分間で,その後23時間57分は地球にいらっしゃらないわけだ。 |
|
と,ここで気がつくのは,「この23時間57分間,地球には怪獣がいないのか?」という疑問である。 ウル○ラマン氏が3分間の間の獅子奮迅の奮闘で,地球上のすべての怪獣を全滅しているのであればいいが,何しろこの怪獣は6時間ごとに分裂する能力を持っているのである。つまり,ウル○ラマンに退治(怪獣側からすると虐殺だな)されずにすんだ怪獣や,洞窟に隠れていた怪獣がいたら,すぐに分裂して数が増えてしまうのだ。 頭のいい怪獣だったら,9時3分,ウル○ラマン氏が帰った時点で洞窟から這い出して暴れまわるだろう。 「ウル○ラマン氏が不在の時は怪獣はおとなしく眠っていて,翌朝,ウル○ラマン氏が地球に来る頃を見計らって暴れだす」なんてのは間抜けな怪獣であり,それは水戸黄門御一行が来たのを見計らって悪事を働く悪代官みたいなものである。頭の良い悪代官は水戸の御老公がいなくなってから悪事を働くもんです。 |
と,ここまで来ると,「毎朝,満員電車に揺られてウル○ラマン氏が通勤してくる意味があるの?」という疑問が生まれるはずだ。つまり,
しかも最近,このウル○ラマン氏が「地球防衛活動」と称して行っている行為について,疑惑が浮上しているのだ。
また,ウル○ラマン氏が所用により地球に来られなかった数年間,彼に替わって地球防衛の仕事をしていた実弟のウル○ラマン・タロウ氏(強酸性水による攻撃を得意としていた),ウル○ラマン・レオ氏(水圧をかけて洗浄することで怪獣を倒すのが得意だった)らの活動についても,以下のような疑問の声が上がっている。
以上のような理由から,地域住民は地球防衛隊に「地球の防衛になっていないし,それどころか環境を破壊し,住民まで巻き添えにしているウル○ラマン一族の地球での活動停止」を求め,署名を添えた嘆願書を提出しているが,地球防衛隊の首脳部は「ウル○ラマン一族が毎朝,地球を訪れるのは1世紀前に閣議決定されたことであり,昔から慣れ親しんできたことだ。いわば地球の風物詩であり,地球の朝はウル○ラマン一族で始まる。ウル○ラマン一族によって破壊されたものがあるとしてもそれは些少であり,地域住民の努力で復元して欲しい」というコメントを出している。
なお,帰ってきたウル○ラマン氏は,怪獣をお茶で洗って倒すという必殺技で地球デビューを果たしたが,同氏が戦闘に使用しているお茶では怪獣を倒せない,といわれており,ウル○ラマン一族についての疑惑はさらに深まっている。
なお,このウル○ラマン,ウル○ラマン一族は,実在のウルトラマン,実在のウルトラマン一族とは一切関係ありません。
(2003/07/17)
医療現場にはいろいろな「消毒がらみの処置」がある。その多くは1日に一度であったり2日に一度だと思う。場合によっては1週間に一度だったりする。
結論から先に書くと,このような処置は全て嘘っぱちである。いくら「エビデンスがあります」といったって,嘘は嘘である。そういう「エビデンス」を信じる方がおかしいのである。
「1日」とは何だろうか。もちろん,地球が1回自転するのに要する時間である。人間からすると,太陽が顔を覗かせると1日が始まり,次に太陽が昇るまでが1日という時間単位である。
別の言い方をすると,「太陽の動きを元にして決めた生活の単位」であるといってもいい。人間は太陽を動きに従って生活しているから当然である。だから,あらゆる生活パターンの基本にこの「1日」という単位が登場する。当然の事ながら医師や看護師の勤務体制も「1日」を基本に決めている。
一方,消毒は細菌を殺したり,細菌を少なくするために行なう行為である。となれば消毒(処置)の間隔は本来,細菌の増殖速度とか,消毒液の消毒効果の持続時間などを元に決められるべきであろう。例えば,細菌の増殖速度で決めるとしたら6時間とか7時間とか,そういう時間が「処置間隔の単位」になるだろうし,消毒薬の効果持続時間で決めるとしたら「1時間」とか「1時間半」とかが「単位」になるはずだ。そしてこうやって決めた間隔は,決して「○日」にはならないのである。
ここでわかったと思う。「1日1回の消毒」というのは人間の勤務の都合で決めただけである。少なくとも細菌学的な意味は皆無だ。消毒の対象である細菌の増殖とも,消毒薬の効果が続く時間とも無関係である。だから,1日に1回の消毒がらみの処置は全て嘘っぱちなのである。
ましてこれが「1週間に1度消毒して・・・」となると噴飯物。細菌がカレンダーを見て生活しているなら話は別だろうが,一般に細菌はグレゴリオ歴とは無関係に生活している。細菌は決して「今日は月曜日だから燃えるゴミの日だったな」とゴミを出したりしないのである。
となると,CDCの「CVカテーテルの処置は1週間に1度,2%ヒビテンで消毒し・・・」というのも嘘っぱちである。いくら「エビデンス」があろうと,嘘は嘘である。CDCというと金科玉条の如く,永遠の真理の如く考えている人は少なくないが,こういう嘘を見逃していいのだろうか?
「1週間に1度の処置と1日に1度の処置で感染率は変化しない」という実験論文があったとしても,「1週間とはそもそも何なのか?」という基本も考えていないのだから,根本から間違っている論文だ。いくらCDCがエビデンスとして採用しているといっても,こういう論文を頭から信用するのはおかしいと思うし,こういう嘘に気がつかないのも困りものだと思う。CDCともあろうものが,こんな初歩的な嘘論文に騙されるのは嘆かわしいと思う。
と書くと,「じゃあ,処置の間隔はどうしたらいいの?」という疑問が生じてくるはずだ。「○日に1回の消毒と処置」が嘘である以上,消毒する必要はないのである。必要なければ止めればいいのである。そして,処置の間隔は「皮膚(創)の状態に合わせて決める」べきであるし,その間隔はその時の状態によって,弾力的に変えていいし,変えるべきなのである。
もちろん1週間に1度だっていいだろうし,3日に1度でもいい。月水金と「燃えるゴミの日」に合わせて処置する日を決めてもいい。
それこそ,医師や看護師の都合で決めていいし,病院・病棟の都合にあわせて適当に決めてもいいのである。こんなこと,CDCに決めてもらわなくてもいいのである。
そして真夏と真冬では,当然,処置の間隔は変えるべきなのである。
(2003/09/22)
アメリカ軍によるイラク占領がもしかしたらうまくいかないかもしれない,ということは,医学的にも証明できるような気がする。なぜなら,アメリカ軍がイラクでやろうとしている「テロ撲滅」は「傷の消毒」と同じだからである。
この証明に必要な事実は二つで十分である。
まず,現時点(2003年12月7日)でのイラク情勢をまとめると,次のようになるかな?
ここで問題は,アメリカ軍が武力でゲリラ勢力を一掃できるかどうかという点にかかっている。相手がテロ組織の場合は,この作戦でもある程度効果があると思うが,相手がゲリラとなると話が違ってくる。ゲリラとテロ組織では,一般民衆との「混ざり具合」が全然違うからだ。この二つの区別をどこでつけるかは非常に難しいが,一般民衆の多数が「あれは迷惑な存在だ」と考えていればテロ組織だろうし,逆に「あいつらのやっていること,わかるよ」と支持する民衆が多ければゲリラではないかと思う(かなり大雑把な分け方だな)。つまりゲリラ兵は一般民衆と混在しているのである。
その結果,ゲリラは普通の市民と見分けるのが難しいのだ。ここで前述の2番目の定理が効いてくる。「混ざり合ったものから分離するのはえらく大変か,ほとんどは不可能」というやつだ。これは物理的にも熱力学第2法則として証明されているのである。
となると,ゲリラ組織を攻撃しようとすればするほど,一般市民の被害も増えていく,という事になる。ここで効いてくるのが上述の1番目の定理。
つまり,「兵士だけ殺す兵器」というのが存在せず,「殺す対象であるゲリラ兵と一般市民を区別する手段」が存在しないのである。殺すとなったら,一緒くたに殺すしかない。もちろん,怪しい地域を住民ごと全滅させれば,ゲリラ兵も一緒に殺せるだろうが,それによって平和がもたらされると考えるのはあまりに脳天気。この作戦で一時期はゲリラが少なくなるから,一時的に平和が訪れるかもしれないが,その後,怒り狂った市民がゲリラ活動に参加することになる可能性が強いからだ。
と,ここまで書いてきて,この話,どっかで聞いた事があると思いませんか? そうです,ゲリラ掃討作戦のための兵器が消毒,ゲリラ兵が創面の細菌,ゲリラ兵が暮らしている街が創面に露出している人体組織(細胞)ですね。傷を消毒するというのは,ゲリラ兵も一般市民も区別がつかないから街ごと吹き飛ばしてしまえ,という論理です。
ここで恐ろしいのは,ゲリラ兵と一般市民を比べると,ゲリラ兵は訓練も積んでいるし,防御法も知っているからいいけれど,一般市民は抵抗する間もなく,真っ先に殺されちゃうのでありますよ・・・ゲリラ兵は死ななくても・・・。
しかも,テロ組織と一般市民は無関係の事が多いけれど,ゲリラ兵になるのはそれまで一般市民と一緒に暮らしてきた人間なんですね。となると,ゲリラ兵を壊滅しようとすると最終的には,全民衆を根絶やしにするしかなくなっちゃう。
このあたりも消毒と同じ。つまり細菌に例えれば(人間を細菌に例えるのは失礼な話だけど),テロ組織は通過菌であり,ゲリラ組織は創面の常在菌に例えることができると思う。だから,掃討作戦(消毒)でテロ組織(通過菌)は消滅させられるが,同じ作戦をゲリラ(創面の常在菌)相手にとっても,ゲリラ(創面の常在菌)は一掃できないのである。何しろ,ゲリラ(創面の常在菌)兵はついさっきまで,ゲリラ活動にシンパシーを感じている普通の市民(皮膚常在菌)だったからである。
つまり,ゲリラ組織(創面の常在菌)を根絶やしにしたかったら,通常の武器(消毒)なんて生ぬるい手段を使っても無駄なのである。核兵器(傷をガスバーナーで焼き尽くす)くらいの事をしないといけないのである。もちろん,この作戦をとったら,後でさらにまずい状況(組織が破壊されて感染しやすい状況がのこる)になる事は言うまでもないだろう。
では,アメリカ軍は創感染や創傷治癒から何か学ぶことがあるだろうか。これが大ありである。
まず,テロなりゲリラなり,そういう活動(=創感染)が生まれた背景・環境を知る事である。原因もなしに,これらが生まれる事はないのである。テロ(通過菌)を根絶やしにしろ,と言っているうちはいいが,ゲリラ戦となると話が違ってくる。ゲリラ(創面常在菌)はそれまで普通の市民(皮膚常在菌)である。つまり,ゲリラはけしからんといって一掃しようとすると,一般市民まで殺さなければいけなくなるだけだ。
それよりは,一般市民がゲリラ活動に参加するようになった社会の背景を分析し,その原因を取り除く事が先決である。創感染の場合はその原因は異物や壊死組織などだが,ゲリラの場合は,自分達の民族の尊厳が踏みにじられたとか,不当に扱われているとか,文化を否定されたとか,民族や宗教で差別されているとか,そういうのが根本にあるはずだ。ゲリラ戦が長引くのは,そのような一般市民の意識が背景にあるからだろう。
創感染も同じで,感染が起こる背景(異物や壊死組織などの原因)を放置しておいて,抗生剤を投与したり感染創面を消毒しても全く効かないのである。
というわけで,アメリカ軍が現時点でとっている作戦は,「傷の消毒」と同じなのである・・・と思う。一事は万事に通じ,万事は一事に通じる・・・はずである。
(2003/12/08)
最近,中心静脈カテーテル(CVカテーテル)の局所の管理をめぐって,ガイドラインに基づいた方法が提唱されている。これらはかなり科学的なものに見えるが,更に一歩踏みこんでそれらを検討してみると,理論的に納得できない点が幾つか見えてくる。
私は別にこれに関して実験をしたわけでも,深く研究したわけでもないが,日頃考えていることを少し書いてみたい。
まず,私が考えているCVカテーテルの局所管理方法とは次のようなものだ。
1, 3, 4についてはまぁ,問題ないだろうが,2で議論があるところだろう。なぜ,このような方法になったか,順を追って説明する。
CVカテーテルによる感染 (catheter fever) で起炎菌を調べた論文を以前読んだことがある。現在,その論文コピーを失ってしまったため,雑誌名,タイトルなどを明記できないのが残念だが(オイオイ),その論文によると,起炎菌は二つにパターンに分かれていた。刺入後3日くらいまでに発症する場合は表皮ブドウ球菌がほとんどだが,1週間くらいして発熱する場合は,緑膿菌やカンジダなどが多く,表皮ブドウ球菌はむしろ少数派だ,という結果だった。
この菌種の違いは,個人的な経験からも納得できるものだった。確かに,時間が経ってから発症するカテーテル熱では,カテーテル尖端の培養で菌が検出される時,それは表皮ブドウ球菌以外だったと思う。
このような研究が他にあるか調べていないが(・・・ここらがEBMとしてはちょっと弱いな),もしもこれが事実だとすると,感染ルートはどのようになっていると考えたら良いのだろうか?
刺入直後の起炎菌が表皮ブドウ球菌だとすると,これはカテーテル挿入時に皮膚からもたらされたものだろう。それ以外にこの細菌が血管内に進入できる経路は無いからだ。つまり,カテーテルを挿入する時,針先に皮膚の表皮ブドウ球菌がくっつき,それを血管内に押し込んだとしか考えられない。
この場合は単に,挿入時の手技的ミス,正確に言うと清潔操作のミスが原因である。とすれば,このようなタイプのカテーテル感染を防ぐには,カテーテルを入れる前に皮膚は十分に広く,しっかりと消毒する必要があるし(細菌の絶対数を減らすために),挿入する直前に入浴をさせて刺入予定部位を十分に洗い,皮膚を清潔にするのも効果的だろう。
またどうせやるなら,挿入する時にマスクをかけて,唾が飛ばないようにするくらいの工夫はすべきだろう。勿論,ベッドサイドで入れるよりは十分に広い処置室などで入れた方が操作も楽だし,結果的に感染率を下げられるはずだ(ベッドサイドのカーテンなんか,いかにも汚そうである)。
またどうせ消毒するのなら,イソジンは自然乾燥させたほうが殺菌効果が残存する時間が長いといわれているので,イソジン消毒のあとは10分くらい放置して自然乾燥するのを待ち,そのあとでカテーテル挿入した方が確実と思われる。
問題は1週間くらいして発熱するパターン。この場合は「表皮ブドウ球菌以外の細菌」が多い。ということは,これらの細菌はどこから進入したものだろうか? 皮膚(すなわちカテーテル刺入部の皮膚)から細菌が進入したのだとすると,起炎菌は皮膚常在菌である表皮ブドウ球菌でなければいけない。
ところが起炎菌は「表皮ブドウ球菌以外」が多いのだ。これはつまり,これらの細菌は皮膚から進入したので無いことを示す。
皮膚から進入したので無いとすると,どこから進入したのか?
答えは「ルートの中から」。これしか考えられない。具体的に言うと,三方活栓を利用して薬液を注入する時や中心静脈圧を測定する時に,ここから菌が進入したはずだ。
となると,この2番目のパターンのカテーテル感染を予防するためにはどうした良いのだろうか?
答えは簡単で,CVカテーテルの三方活栓はなるべく使わないこと。使えば使うほど,感染の危険性は高まるはずだ。
どうしても三方活栓を使わざるを得ない場合(現実的にはそういう場合が多いだろうな),「三方活栓のキャップは使い捨てにして一度はずしたキャップはすぐに捨て,新しいキャップにする」,「操作の際にはマスクと手袋を着用」,「作り置きの酒精綿は使わずに,一回ごとに作る」・・・などが必要になる。
実際アメリカでは,三方活栓のキャップは少しでもはずしたらすぐに捨てることになっているらしいし,酒精綿も「1枚パック」になっていて,日本のように薬液缶に脱脂綿を詰め込んで朝作った酒精綿を,夕方までずっと使うようなことはしていないらしい。
酒精綿であるが,最近日本でも少し話題になっていたが,作り置きしているものはアルコールが蒸発して殺菌力が低下し,またこのような酒精綿から細菌が検出されて問題になっている。酒精綿の殺菌力に対する信頼も,実は「思い込み」だったのではないだろうか。
となると,カテーテルを挿入している皮膚を消毒するのは意味があるのだろうか? 皮膚からの感染はカテーテル挿入時には見られるものの,それ以降の時期ではむしろマイナーな感染ルートだからだ。
皮膚の消毒は,カテーテル刺入時には厳密に行う必要はあるが,それ以降の時期の幹線を押さえるのであれば,皮膚の消毒をするよりも先に,三方活栓の使い方,管理法を変えるなどをすべきであろう。そしてそちらの方が遥かに効果的だろう。
このように考えると,カテーテル刺入部を何で覆うかとか,何で消毒するかとか,入浴の際に何で覆うのがベストか,固定する糸の素材は,などはごく些細な問題であり,瑣末な問題であると考えられる。
つまり,入浴の際,カテーテル刺入部を密封せずに一緒に洗っても問題は起きないと思われる(私はそうしています)。何しろ洗わない場合,カテーテル刺入部付近は垢が一杯たまっている! こんなところを消毒したところで,消毒薬なんてほとんど失活してしまうのではないだろうか(特にイソジンは)。
皮膚からの感染を心配するのなら,垢を落とすのがまず最初だと思う。垢だらけの皮膚で「清潔」も何もあったものではない。これが普通の感覚じゃないだろうか?
「消毒だけしていて洗っていない皮膚」は実は汚いのである。こういうのを放置して,皮膚の消毒法をあれこれ論じても,全く的外れなのではないだろうか?
(2001/11/08)
大体,CVカテーテルに沿って皮膚から細菌が入ることなんて,現実に起こりうることなのだろうか? 私の頭ではどう考えてもこれが理解できない。どう考えてみても無理な現象にしか思えない。。
まず,CVカテーテルに沿って細菌が進入するとしたら,CVカテーテルと人体組織の間に隙間が必要だ(最低でも細菌1個が通れるくらいの)。この「隙間」って,人体において存在しうるのだろうか?
形成外科はいろいろな組織を再建するのが仕事だが,「出っ張った物」と「凹んだ物」を作って,それを維持するのは想像以上に大変なのである。支えとなる骨や軟骨などの硬組織と一緒でなければ,せっかく作った「出っ張り」はすぐに平坦になってしまう。これは「凹んだ物」でも同じ。
これは一般的にも,「ピアスの穴は使っていないとすぐに閉じてしまう」ことでも理解できるだろうと思う。要するに,たかだか直径1ミリもないトンネルだって,ピアスという支えが無ければすぐに塞がってしまうのだ。
従って,CVカテーテル周囲に細菌が通れるだけの隙間があって,それが維持されるなんてお伽話にしか思えない。これが実際に人体を扱っている外科医の率直な感想。
仮に百歩譲って,CVカテーテルの周囲に細菌が進入したとしよう。それでもその細菌が血管内に入るのは不可能である。
CVカテーテルは太い静脈の壁を貫いて,静脈内部に入っている。そして静脈といえども,CVカテーテルを入れるのに使う血管は筋層だってかなり発達している。つまり,CVカテーテルに沿って進入してきた細菌が血管に入るためには,この分厚い血管壁を乗り越える必要がある。その「乗り越える」ルートとは,CVカテーテルが血管壁を貫いている部分の「CVカテーテルと血管壁の隙間」であるはずだ。通り道があるとすればここしかない。
しかし,考えてみて欲しい。細菌が入り込むほどの隙間があったとしたら,細菌が入るより先に出血してくるんじゃないか? そういう「隙間」があって細菌が入り込もうとしても,血管内からあふれだす血液に押し戻されるのが関の山じゃないだろうか? 出血のスピードは通常,細菌の鞭毛運動による移動スピードをはるかに凌駕しているのだ。一体どうやって入り込むというのだろうか?
いわばそれは,「メダカが華厳の滝を昇り」「台風の中をトンボが風上に向かって飛ぶ」ような現象である。
CVカテーテルを入れた時に血腫を作るのは「刺入時」だけであり,刺入直後に血腫を作らなければ,その後血腫を作ることは極めて稀だ(出血傾向があれば別だが・・・)。
つまり,通常の場合,CVカテーテルと血管壁の間は「水も漏らさぬ」状態になっていると考えられる。なぜかというと,CVカテーテルが突き刺さった瞬間,血管壁の筋層が収縮し,血液が外に漏れ出さないようにぴったりと締め付けているからだ。現実に血液が漏れ出していないのに,どうやって細菌が進入できるのだろうか?
「CVカテーテルに沿って細菌が進入し,血管の中に入って感染する」という一般的なイメージがあるが,体内でそれが起こる様子を思い浮かべてみると,それはもう,偶然に偶然が重なるような幸運(?)でもなければ起こり得ないものだと思うし,極めて非現実的だ。特にどう考えても,血管壁を乗り越えて細菌が血管内に進入するという現象は,実現不可能だと思う。
もちろん,「CVカテーテルの周囲に巨大膿瘍を作り,感染が静脈に及び,血管が破綻して出血し,その結果敗血症になった」・・・という症例はあるかもしれないが,これはかなり極端な場合だろう。日常的にお目にかかる症例ではないはずだ。
(2001/11/08)
イラストでもう一度,説明することにする。
皮膚,血管,カテーテルの関係を示す。紫の●が皮膚表面の細菌ですね。 「カテーテル刺入部を消毒しないとカテーテル感染が起こる」ということは,この●がカテーテル外壁沿いに深部に侵入することが前提として必要である。 |
|
でも,皮膚表面の細菌(ほとんどが好気性菌)が組織深部(嫌気性の環境)にそのまま進入するのは,ちょっと大変な気が・・・。 となると,カテーテル沿いに膿瘍を形成したとか,カテーテル沿いにバイオフィルムを次々作りながら,深部に入り込んでいくしかルートがないような気がする。 でも,膿瘍を形成していたら,放置しておく人なんていないよね。 |
|
血管外壁周囲まで細菌●が到達できたとして,この●が血管内に入らないと,カテーテル熱を起こしようがない。 しかし血管壁は「水も漏らさぬ」ようになっているから,細菌が「血管壁から」進入するのは不可能。 となると,カテーテルが血管壁を貫いている「脇」を通って,血管内に入るしかないはず・・・この図のように・・・。 |
|
細菌の大きさは大体1μm,つまり10-6mくらい,一方,水の分子(つまり血液の液体成分)は1オングストロームくらい,つまり10-10mである。つまり4桁違っている。両者の比率はちょうど,ゾウとアリのサイズの違いと同じくらいである(実際には,水は分子1つで行動するわけじゃないけどさ)。 ということは,「カテーテルと血管壁の間に細菌が通れるような隙間」があったら,細菌が入るより先に,出血しているはずなのだ(しかも,静脈といえども静脈圧は組織圧より高い)。 逆に「細菌は通れるけれど,血液の液体成分は通れない」というのは,「ゾウは軽々と通れるけれど,アリは通れない穴を作れ」というのに等しく,これは一休さんのトンチ話の世界である。 |
|
さらに,細菌の身になって考えると,左図の①と②ではどちらが居心地いいだろうか? ①は流速も早いし栄養分もそんなに多くないが,②は流速は遅いし,高カロリー輸液なら上流から栄養たっぷりの液体は流れてくるし,細菌にとっては天国みたいなものだろう。 |
|
ということは,「アリは通れない穴をゾウは通れるようにする魔法」を使って血管壁をすり抜けた細菌は,安住の地を目指してカテーテル外壁を移動し, | |
カテーテルの先端を乗り越えることで,なんとか約束の地,安住の地,エデンの園(?)に到達できることになる。 これはかなり無理矢理な状況設定である。 |
|
既に点滴のルートに上流から進入した細菌がいて,カテーテルの中を流れてどこかにくっつき,そこで繁殖した,と考える方が素直な理解だと思うんだけどなぁ・・・。 |
(2003/01/06)
ドレーンやカテーテルの処置に関する質問が実に多い。また「気管切開部の処置はわかったが,腎瘻の場合はどうなのか」とか,「脳室ドレーンと腹腔ドレーンを一緒くたに扱うのは間違っている。脳室ドレーンは別格に扱うべきだ」という質問・疑問も多数いただく。こういう質問があまりに多いため,ドレーン・カテーテルの類の処置を,一つの原理で説明してみようと思う。
ドレーンにしろカテーテルにしろ,それらは全て「皮膚を貫いて深部の臓器に通じる穴があり,そこに人工物が入っている」ということで共通している。この意味で,CVHカテーテルも腹部手術後のドレーンも脳室に入っているドレーンも創外固定器のピンも全て同じである。脳室ドレーンだけ特殊,創外固定器は別,という理屈は成り立たない。こんな事を書くと,「脳室に逆行性感染が起きたら命にかかわるのだから,脳外科の手術後のドレーンは別だろう」という脳外科医が必ずいるが,そんな事を言ったら,創外固定器だって特別,腹腔ドレーンだって特別ということになり,いつまでたっても話が進まない。
ま,誰しも自分がしていること,自分が扱っている臓器は別格だと思いたいんでしょうが,そうは問屋が卸さない。要するに,違いや特殊性にばかり目を囚われていては全体像が見えてこないのだ。それらに共通するものを見つけ出し,そこから共通の治療原理を導き出して,その後で個々の特殊事情に配慮した方がはるかに効率がい
違いや特殊性にばかり目を囚われていては全体像が見えてこない。それらに共通するものを見つけ出し,そこから共通の治療原理を導き出して,その後で個々の特殊事情に配慮した方がはるかに効率がいいはずだ。
というわけで,「皮膚を貫いて深部の臓器に通じる穴があり,そこに人工物が入っている」治療材料の処置法について,考察する。ここではこの人工物を「刺入人工物」と呼ぶ事にする。
1-1 感染ルートから見た刺入人工物の分類
その「刺入人工物」を介在して,患者自身の皮膚常在菌が深部に到達するルートを考えてみる。この刺入人工物を大きく二つに分けると,「チューブ状の物」と「内腔がない物」になる。前者は多くのドレーンやカテーテルであり,後者は創外固定器のピンや骨折固定用のワイヤーなどが相当する。
前者が深部に通じているのは「人工物の表面」と「チューブの内腔」の2箇所であり,後者のピン・ワイヤーの場合は「人工物の外側」ということになる。こう考えると,全ての「刺入人工物」がらみの逆行性感染は,「チューブの内側」経由か,「人工物の表面」経由かの2つの場合を考えるだけでいい事になる(そりゃ当たり前か・・・)。
なお,閉鎖式ドレーン,吸引式ドレーンの場合は「内腔あり」タイプであるが,事実上,内腔は皮膚に開いていないため,皮膚常在菌の移動ルートを考える上では,「内腔のない物」と同じに考える事ができる。
1-2 チューブの内側経由の逆行性感染 -その1-
まず,「チューブの内側」経由の逆行性感染の場合。このような「内腔のある刺入人工物」の目的は何かと考えると,一つは「体外から体内に何かを運ぶ」ことであり(例:CVHカテーテル),もう一つは「体内から体外に何かを運び出す」こと(例:腹腔ドレーンや脳室ドレーン)である。気管切開はどうかというと,両者を兼ね備えている事になる(外から空気を運び,内側から痰を外に出す)。
「体外から体内に何かを運ぶ」刺入人工物では感染が起きやすいのは当然である。何しろ,「運ぶもの」が細菌で汚染されていれば,細菌がフリーパスで運ばれるのだから・・・。しかし「皮膚常在菌の逆行性感染」の可能性を考えてみると,実はほとんど起こりえない事がわかる。「患者自身のの皮膚常在菌が,体内に運ばれるもの(高カロリー輸液など)の中に混入」することが前提になるからだ。つまり,患者が素手で自分の輸液を調合でもしない限り,皮膚常在菌による感染は起こりえないのだ。これが如何に非現実的な状態かは,説明するまでもないだろう。
従って,CVHカテーテルのように「体外から体内へ」の物質の移動があっても,内腔を通じて患者自身の皮膚常在菌が深部に移動することはありえない,というのが第一の結論。つまり,この場合は刺入部の皮膚をいくら消毒しても,感染率には差が出ないことになる。CVHカテーテル感染については,こちらも参照にしていただきたい。
1-3 チューブの内側経由の逆行性感染 -その2-
次に「内腔のある刺入人工物で,体内から体外に物が移動する」場合。開腹術の腹腔ドレーン,腎瘻,血腫予防のためのドレーンなどがこれに相当する。
まず,「体内から体外への体液が移動している場合」を考える。これはドレーンを通じて,浸出液や血液が体外(=ガーゼ)に流れ出ている状態に相当する。この場合,体内から体外へ,という流れが成立しているため,これに逆行して細菌が移動するのは物理的に見て不可能だろう。要するに,皮膚常在菌が流れに逆らうだけの強力な遊泳力を持っていると仮定しない限り,「排液が続いているドレーンの内腔」を通じての逆行性感染は起こりえないと思われる。
逆に言うと,こういう「体内から体外へ」の流れが止まってしまうと,細菌が侵入する可能性はゼロではなくなる。というわけで,「排液が出なくなったドレーンは,さっさと抜け」というのが第二の結論。
もちろんこれは原則論であり,実際には,皮膚入口部から深部臓器までの距離が関与する。つまり,その距離が長く皮下組織が豊富なほど「外側から内側へ」の細菌の移動は難しくなる。逆に気管切開のように,開口部が大きくて深部臓器(=気管)への距離が全くない切開創部は皮膚常在菌の侵入がしやすいことになる。
この場合の感染予防としては,切開部周囲の皮膚の細菌数を少なくするしかなく,皮膚の消毒でなく洗浄(よく垢を落とす)したほうがはるかに感染予防としては効果的だろうし,また,切開口周囲の皮膚を細菌が繁殖しにくい物(フィルムドレッシングなどかな?)で被覆するのも効果的かと思われるし,皮膚を消毒すると消毒薬による皮膚炎が起こり,逆に細菌繁殖を助長すると考えられる。
少なくとも,気管切開部をはさんでの皮膚と気管内の距離の近さを考えると,皮膚からの細菌侵入を完全に防ぐことは不可能ではないか,という気がする。
1-4 刺入人工物表面経由の細菌進入
最後に残ったのが,「刺入人工物の表面を介しての逆行性感染」である。これが一番面倒(・・・だから最後に残した)。問題は,皮膚常在菌が刺入人工物の表面づたいに深部に侵入できるのかである。それなしには「カテーテル(ドレーン)を介しての逆行性感染」という図式は成立しない。
まず基本的に,皮膚常在菌は基本的に好気性菌であり,酸素のない状態で活動性は著しく低化する。また細菌が移動するためには,ある程度湿潤であった方が都合がいいだろう。このように考えると,カテーテルやドレーンの周囲に最初から浸出液がある状態(感染や,刺入物に対するアレルギー反応ある状態など),あるいはカテーテルなどの周囲に隙間(空間)がある場合を除くと,細菌は容易に侵入できないことが予想される。すなわち,刺入人工物周囲に前もって何らかのトラブルが起きていないと,細菌は深部に移動できないということになる。人工物の周囲に沿って細菌が深部に侵入するのは,最初に人工物の周囲に上記のようなトラブルが起き,二次的に細菌が侵入する場合に限られるのである。
上記のような条件が最初にあって感染しているのだとすると,ドレーン・カテーテル・ピン刺入部の消毒をどうするとか,何で覆うか,というのは本質的な問題ではなく,それをいくら工夫しても感染は防げない,という結論になる。よほど表面的な感染でもない限り,「刺入人工物を入れたまま感染を治癒させよう」というのは,ちょっと難しそうだ。
また刺入部の消毒であるが,消毒薬によって刺入口の組織が傷害され,消毒を繰り返す事でそれが次第に深くなり,結果的に上記の「ドレーン周囲の隙間」を作る可能性がある事を指摘しておく。
2-1 入浴の問題
必ず出てくるのは「それじゃ,ドレーン(カテーテル)が入ったままお風呂に入ってもいいの? シャワーをかけてもいいの?」という疑問だろう。
まず,刺入人工物と入浴について考えてみると,二つが問題について考えなければいけない。一つは「風呂の水が本当に深部に入るのか」,そして「風呂の水が入る事で本当に細菌感染が起こるのか」という二つである。この二つが同時に真でなければ入浴で感染は起こりえない。
まず,お風呂の水圧で,体腔側に風呂の水が移動できるか。この問題については既に「関節腔穿刺後の入浴の是非1,2」で詳細に論じているとおりである。よほど硬くて太いドレーンを入れていない限り,風呂の水圧程度の圧力差で体腔側に水分が移動するのは物理的に不可能だろう。ペンローズドレーンのような軟らかいものだと,水圧と組織の圧力で内腔がつぶれる方が先で,外から水が侵入する事は難しい。
これは「刺入人工物の外側の隙間を通じて水が入る」のも同じ。通常の場合,この「外側の隙間」は非常に細く(「外側の隙間」が大きい場合はどうするんだって? オイオイ,それを放っておくのは非常識だろ?),ここに水を通すのは非常に大きな圧力が必要となる。風呂の水圧じゃとても足りない。
こういう話をすると必ず,「風呂の水は無菌ではない」とか「風呂の水にレジオネラ菌がいたらどうするんだ」と反論する人が必ずいる。前者に対しては,風呂の水より患者の皮膚の方に遥かに多くの細菌がいることを指摘しておこう。通常,患者の皮膚よりは風呂の水のほうが清潔なのである。また,後者については,「あなたの病院ではレジオネラを初めとする病原菌がウヨウヨいる風呂に患者さんを入れているのですか」と反論しよう。
万一,入浴で風呂の水が深部に入り,細菌が深部に到達した状態を考えてみても,進入する細菌は極少数であるし,風呂から上がれば細菌の進入も停止してしまうので,永続的な感染が起こるかどうかは非常に疑わしい。また,腎瘻のように「体内から体外へ」の流れがあれば,その流れで菌も外に出てしまうだろう。
従って,どのような種類の「刺入人工物」であれ,よほど特殊な状況を設定しない限り,入浴で細菌が深部に到達することは稀だろうし,それで永続的な感染が起こるというのも考えにくいと思う。
なお,この文章をこれまで読んで,「それじゃ,このカテーテルの処置はどうするの? 何で覆ったらいいの?」と疑問を持つ人も多いかもしれないが,ここで説明した原則(もちろん,私が原則と考えるものです)をもとに,個々の症例の状態に合わせて工夫して欲しい。
処置の方法,治療の方法に「絶対正しい汎用的な方法」はないのである。あるのは「その症例について正しい方法」である。
(2002/11/11)
「尿道カテーテルをいれる前の消毒は必要なのか」,という質問もよく受ける。過去の論文を見ても明確に書いてあるものはないらしい。となると,得意の(?)思考実験であるが,実に簡単に消毒の必要がない事が証明できる。
まず,消毒薬がどのくらいの時間で殺菌効果を発揮するかというと,消毒薬と細菌がある程度の時間(数分程度とされている)接触している事が必要らしい。つまり,消毒したからといって瞬時のうちに殺菌されるわけではない。これは,化学反応には時間がかかるからである。
消毒薬の作用機序は要するに化学反応(酸化,還元,凝固,吸着など)である。化学反応の速度は温度に依存している。温度が高いほど速く低くなると遅い。これは中学生でも知っている普遍的事実である。
もちろんこれは消毒薬の作用でも同様であり,温度が高ければ反応が早く,消毒薬の温度が低ければ反応は遅くなる。このため一般的に,消毒薬が20℃以下の場合には反応(=殺菌効果)はかなり遅くなるらしい。
さてここで,実際の医療現場での尿道カテーテルを入れている様子を思い浮かべてみよう。オチンチンの先をイソジン綿球でちょっと拭き,すかさずカテーテルを入れていないだろうか。イソジン消毒後に3分間待ってからカテーテルを入れているだろうか。
しかもそのイソジンはせいぜい室温程度であり(つまり大抵の場合,20℃程度だと思う),殺菌効果を発揮するのにかなり時間を要するはずだ。少なくとも「イソジン消毒した瞬間に殺菌」することは不可能である。
要するに,イソジンの殺菌力が発揮される前にカテーテルを入れているわけで,これでは「消毒せずに入れている」のと同じである。
しかし現実には,このようないい加減な,殺菌効果を期待できない消毒でカテーテルを入れているのに,尿路感染が多発しているわけではない。むしろ,尿道カテーテル挿入直後に感染を起こすことは極めて稀である(挿入前の消毒法が悪くて感染するのであれば,挿入直後から感染症状が出るはずだ)。
このような現実を見据えれば,《殺菌効果のない消毒方法でカテーテルを入れても感染はほとんど起きていない》→《消毒せずに入れても大丈夫》という結論になると思う。
つまり,100%感染を起こしたくなければ尿道口を消毒して3分以上経ってからカテーテルを入れればいいし,99%(?)で感染が起きなければいいのであれば,消毒なしでカテーテルを入れていい,ということになると思う。要は確率問題だろう。
(2004/09/27)
まず,皮膚と皮膚常在菌の関係のおさらいだ。参考となるのはこの本,『人体常在菌 ―共生と病原菌排除能』である(⇒amazon.co.jp)。大雑把に,皮膚常在菌による非常在菌の排除機構をまとめると,次の図のようになる。
要するに,毛嚢から皮脂が分泌され,それをPropionibacterium属が栄養源として分解し,その分解産物としてオレイン酸などの有機酸が分泌される。これらの有機酸はpH 5.0~5.5であり,P. acnes, S. epidermidis などの常在菌群の増殖は促進され,逆に,S. aureus やグラム陰性桿菌は増殖が抑制される。また,皮膚常在菌群は pH 5前後が生存の至適pHであり,S. aureus やグラム陰性桿菌は pH 7.0前後でないと増殖できない。
また,Propionibacterium属などの皮膚常在菌の多くは嫌気性菌,一方,S. aureus は好気性菌である。「皮膚表面は好気性条件じゃないの?」と思われるかもしれないが,恐らく,常在菌は周囲に皮脂に包まれることで「ミクロの嫌気性環境」で生きているのだろう。このような存在様式は,多くの細菌が認められているからだ。
実際,皮膚常在菌は好気性条件下では増殖は抑制されるらしい。逆に, S. aureus は好気性条件下で増殖が進むが,嫌気性の条件下でもある程度は増殖できる。
さて,カテーテル刺入部からの感染を防ぐために消毒が有効かどうかを思考実験してみよう。この場合,刺入部の皮膚に存在する細菌の種類を場合分けしてみるとわかりやすい。簡単にするために, Propionibacterium 属と S. aureus の二つで考えてみる。これらがカテーテル沿いに深部に侵入できるかどうかである。
さらに,皮膚より深部のカテーテル周囲の環境はどうなっているかといえば「嫌気性環境,pH 7.0」である。なぜ中性かといえば,カテーテル周囲には組織液しかなく,組織液は中性だからである。
【1. 刺入部に皮膚常在菌しかいない場合】
この場合,皮膚常在菌は深部に進めない。pH 7.0のため増殖が強く抑制されるためだ。皮膚常在菌はあくまでもpH 5.0世界の住人であって,中性環境では暮らせないのである。だから,皮膚常在菌しかいなければ,カテーテル感染は起こらない。
さらに,皮膚常在菌は S. aureus の増殖を抑制するためこの細菌による感染を抑制する。つまり,皮膚に皮膚常在菌しかいない状態にしておけばカテーテル沿いの感染は起こらないことになる。
【2.刺入部に非常在菌( S. aureus )がいる場合】
この場合, S. aureus はカテーテル沿いに深部に進める。そこはpH 7.0の世界だからだ。皮膚より深くなると嫌気性環境になるが,少なくとも入り口のあたりは好気性の環境であり,ここに進入することは可能だ。
問題は皮膚常在菌は S. aureus の増殖を抑制ことだけだ。だから,カテーテル刺入部付近の皮膚が常在菌が住めない状態になっていることが大前提になり,こういう状態であればカテーテル沿いの S. aureus 侵入が可能になる。
【カテーテル刺入部の消毒はどう作用するか】
これも条件分けして考えてみよう。刺入部に関して消毒薬の作用は次の3つしかない。
【1.皮膚に一切影響しない】
皮膚の角化層が健全であれば消毒が皮膚に悪影響することはほとんどないが,あくまでも皮膚が健常である場合だ。
この場合,消毒薬により皮膚常在菌も抑制されるが一時的なものであり,常在菌叢の乱れは一時的であろう。
【2.消毒薬による接触性皮膚炎】
接触性皮膚炎があると患部から滲出液が出るため,皮膚炎の部分は中性に近づく。つまり S. aureus の増殖環境となり,逆に Propionibacterium 属に棲みにくい(増殖できない)環境となる。このため,カテーテル刺入部感染発症のの条件となる。
【3.刺入部の傷の治癒を遅らせる】
刺入部の消毒で治癒(=カテーテル周囲の傷の上皮化)が遅れれば,その部分はミクロ的にであっても「中性,好気性」環境になる。傷があれば滲出液が創面から分泌され,それで皮膚の有機酸は希釈されるからだ。この場合も S. aureus に最適, Propionibacterium 属に最悪の条件になる。
以上から,カテーテル刺入部の消毒は,カテーテル沿いの S. aureus 感染を助長すると結論付けられる。消毒薬で接触性皮膚炎が起こればその部分は「中性・好気性」,つまり S. aureus しか生息できない状態になるし,接触性皮膚炎が起きていなくても,カテーテル刺入部分は消毒により, S. aureus の増殖に最適の状態となっている。
もちろん,「消毒して S. aureus を殺してしまえばいいではないか」と考える人もいるだろうが,この細菌は発汗が多くて湿っている皮膚(湿っていると皮膚は中性に近づき S. aureus が生存できる)には必ず定着しているのだから,この細菌の侵入は消毒しようとしまいと必ず起こる。
(2007/08/1)
皮膚にカテーテルが入っている状態を細菌の生態系として見直すと次のようになる。下図は断面である。
【①:カテーテル表面】
【②:皮膚表面】
【③:カテーテル刺入部】
【④:カテーテルと脂肪組織の間】
以上の思考実験から,次のような方針が決まる。
おそらく,これがベストであろう。
【外からの細菌侵入を防ぐ…というのは愚策・・・というか幻想だ】
【滅菌物は不要】
(2007/08/07)
次のような質問をいただきました。同様の症例も多いと思いますので,この問題の根本がどこにあるのかを詳しく説明してみます。
腹膜透析をされている方で出口部から膿が結構大量にでている患者さんがおられます。腹部CTをみると皮下トンネル部の腹膜透析チューブ周囲にhigh densityをみとめ皮下トンネル感染を起こしています。(透析液の排液はきれいですので腹膜炎は起こしていません)
培養からはMSSAが検出されています。CRP 0.6mg/dlくらいです。出口部の処置としては消毒はせずに洗浄をつづけています。
まずこの問題を考える前に,チューブやドレーンは生体からどのような力を受けているかを考える必要があります。これは皮膚を切った時にどういう現象が起こるかを考えるとわかりやすいです。
皮膚を切ると傷がぱっくり開くことは誰でも知っています。これは何かに似ています。羽根布団をギュウギュウに詰め込んだ布団袋の一部が破れた時,そこがぱっくりと開くのと同じです。
なぜ布団袋でこういう現象が起きるかというと,詰め込まれた布団が元の形に戻ろうとしているためです。その元に戻ろうとする力(=内圧)を布団袋という頑丈な袋が包み込み,内圧に袋の強度が勝っているからこそ,布団袋は壊れずに形を保っています。
これを人体に当てはめると,布団袋が皮膚,羽毛布団が軟部組織(脂肪や筋肉)ということになります。ちなみに,若い時にキュッと締まったウェストをしていたのに,中年になるとメリハリのないくびれのない体型になるのは,この皮膚の張力が軟部組織の圧力に物理的に抗し切れなくなったための現象です。
ここにチューブやカテーテル,創外固定器のピンや人工物を入れると,それらはどういう力を受けるでしょうか。もちろん,内圧はこれらの人工物にも均等に加わり,結果としてチューブやカテーテルを押しつぶす方向に作用します。
一方,チューブやカテーテル,金属は生体組織と癒着することはなく密着はしていますが,それらと生体組織の間には必ず「腔」が存在します。癒着していないのですから当然です。ただ,上記の圧力で潰れているだけの話です。チューブに加わる力はこのようにして生まれます。
従って,チューブの周囲に細菌がなかなか定着できない原因の一つは,この内圧により,事実上「腔」が潰れてなくなっているからです。「腔」という生活の場がなければ,いくら細菌でも暮らせませんから。
では,この「人工物周囲の腔」はどういう場合に出現するかを考えて見ます。
物理的に考えれば,チューブやカテーテルにかかる圧力が小さくなった場合だけです。これが小さくなれば,押しつぶされていた「腔」が出現する余地ができます。
では,どういう場合に内圧が小さくなるでしょうか。これは次の3つしかありません。
正常の人体で起こるのは 1 と 2 だけで,いずれも高齢者の加齢現象の結果として起きます。加齢現象で皮膚の物理的強度が低下したか,栄養が取れなくなって皮下脂肪が落ち,筋肉が萎縮してきた場合です。これらの場合,カテーテルなどの周囲には容易に「腔」が出現し,ここで細菌が生存できるようになります。だから,若い人と高齢者を比べると,高齢者ほどチューブ周囲に細菌が侵入しやすくなるわけです。
一方,チューブ周囲の軟部組織(脂肪組織)は「pH 7.4の嫌気性状態」ですから,皮膚常在菌(pH 5.5の環境でないと生存できない)は生存できず,生存できるとしたら常在菌以外の皮膚通過菌ということになります。通常,このような条件に合う皮膚上の通過菌は S.aureus ですが,この細菌は本来好気性菌のため,入り口部分にわずかに定着しつつ,次第に代謝を嫌気性代謝を主体とするものに切り替えながら嫌気性環境に適応し,ゆっくりと深部の「腔」に入り込んでいると予想されます(あくまでも私の個人的想像ですが)。
これが,チューブやカテーテルの周囲に細菌定着が起こる条件です。
単純化すれば,チューブにかかる脂肪組織の内圧の減弱がおきない限り,細菌定着は入口部のみで,それより深部に行こうとしても内圧が邪魔しますが,内圧が減弱すれば深部にも「腔」が出現し細菌が侵入できるようになります。
だから,高齢者の皮下組織にチューブ・カテーテルを入れておけば,よほど皮膚の弾力が保たれていない限り,遅かれ早かれ,チューブ・カテーテル周囲への細菌定着が起こり,それを防ぐことは物理的・生物学的に不可能という結論になります。
また,高齢者で脂肪組織そのものが薄くなってくれば,脂肪組織の厚みに対する細菌定着深度(入り口からの距離)の割合は大きくなりますので,質問にあったような「チューブ全長から膿が出ている」という現象が起きるのは当然といえます。
ここまで来てようやく,チューブ周囲が膿になっている状態への対策について説明できます。
チューブは抜くしかありません。理由は上記の説明で明白だと思います。チューブ入り口部分をいくら念入りに洗っても,抗生剤を投与しても状態が改善しないのも,上記の説明から明らかでしょう。
また,チューブ入口部での細菌定着の所見を早期に見つけ,しかも皮膚がたるんでいない場合であれば,このように治療することは可能です。要するに,入り口のみで深部に菌が到達していない(=「腔」が潰れている)場合なら菌を除去できます。
(2007/12/18)
「気管切開部(気切部)のカニューレ交換の際の消毒の可否」についてのお問い合わせをいただきました。もちろん,私に言わせればこの消毒は全く無意味です。即刻止めるべきでしょう。
なぜ,消毒を止めた方がいいかというと,消毒薬による皮膚炎を起こしている例が少なからずあるからだ。気切は通常,長期間に渡ってなされるため,消毒も当然,長い期間にわたって続けられる。このため,皮膚炎からビラン,皮膚潰瘍となっている例が少なくないのだ。
しかも,潰瘍となると創面からはMRSAなどが検出される率が高くなる(抗生剤を使っていればほぼ必発ね)。となると医者,看護婦が大騒ぎし,やれ個室に隔離しろ,カルベニンとバンコマイシンだ,という騒動になる。しかも創面から細菌が検出されているので,より頻回に消毒が行われる。
だが,こんな時は慌てずに消毒を止め,創面を洗ってみることだ。消毒薬による皮膚炎だったら,ものの見事に治ってしまう。何のことはない,消毒による「医源性潰瘍」だったわけである。
さらに本質的な問題として,「気切部周囲の皮膚の消毒」という行為は感染予防という目的に対し全く意味がないのだ。これを科学的に論証しようと思うが,ちょっと長くなるため,章を改めることにする。
(2002/01/24)
更に「気切部の消毒」という行為をちょっと考えてみると,すごく不合理なのである。
気切部の消毒は,どのくらいの頻度で行われているだろうか? 病院によって,医者によって,病棟によって異なると思うが,カニューレ交換の時にだけ消毒するか,毎日の処置として気切部周囲を消毒するかのいずれかだろう。
仮に,毎日消毒していると想定しよう。
なぜ,毎日消毒しているのだろうか? 余りに日常的なため,こんな疑問を持つ人って,ほとんどいないと思うが,なぜ「毎日,1日1回」なのだろうか? この「1日1回」に医学的根拠はあるのだろうか?
なぜ「毎日」かと問われれば,大抵の人は,「だってそれが仕事だから」と答えると思う。なぜ「1日1回」かと問われれば,ほとんどの人は「朝,回診する時にしているから」と答えると思う。つまり,それは日常業務だから毎日しているだけであり,仕事のパターンとして1日1回の処置をしているだけなのだ。つまり,医学的根拠はなく,人間の生活パターンに合わせてしているだけの行為である。
「1日1回」の処置が意味を持つのは,その処置の効果が24時間以上持続していることが前提となる。
例えば,「1日3回」服用する薬は有効血中濃度を維持するために8時間ごとに服用しているわけで,1日1回,3錠まとめて服用することはできない。
「1日1回の消毒」が医学的に意味があるのは,消毒薬の効果,つまり皮膚を無菌化し,その状態が24時間以上持続していることが絶対に必要だ。消毒による無菌化が24時間より短ければ,その持続時間に応じて,20時間ごととか,1日2回とか行わなければ,消毒というのは意味がなくなってしまう。
例えば外科医は手術前,ブラシなどを使い,5分以上かけて手洗いをし,その上で滅菌処理した手袋をはめる。きちんと手洗いをすれば,手表面の細菌が激減するのは確かだ。しかし,それから30分手術をした後に手袋をはずしてみると,手の細菌数は手洗い前と同じに戻っていた,という報告があったはずだ。
毛穴や汗腺にも常在菌はいるのだし,いくら表面を消毒薬で洗ったとしても,こういう毛穴の中にいる細菌までは除去できず,時間の経過とともに,こいつらが汗と一緒に表面に出てくるのだ。
このため,アメリカでは手術の手袋は二重装着することが勧められている。いくら手洗いを厳重にしても,その効果はせいぜい数十分程度であり,手袋にピンホールが開いたら術野は「無菌」ではありえないからだ(こういう事から考えると,手術中に手袋が破れた時に,手袋だけつけ直して手術を続けることが多いと思うが,これは「無菌操作」からは程遠い行為であることを外科医・看護婦は銘記すべきだろう)。
また,イソジンで皮膚を消毒する場合は,イソジンを10分以上かけて自然乾燥すると皮膚の無菌状態が長く保てると言うのは事実だ。しかし「長く」と言ってもせいぜい1時間程度らしい。それ以降になると,やはり発汗などでイソジンの被膜が流され,元通りの細菌叢に戻ってしまう。
と言うことは,気切部の消毒に効果を求めるとしたら,「イソジンで消毒した後,10分かけて自然乾燥させ,これを1時間ごとに繰り返す」でなければいけない。つまり,気切部を消毒することで感染を防げると信じているのであれば,1時間ごとにせっせと消毒を繰り返すべきである・・・本当に信じているのなら。
つまり,「1日1回」の消毒とは,消毒部位をせいぜい1時間無菌に保っているだけであり,残りの23時間は常在菌で一杯の状態なのである。果たしてこんな行為に意味があるといえるのだろうか?
となると,「気切部の消毒」のように1日1回だけ行っている消毒行為そのものの根拠が全てあやふやになってくる。以前にも取り上げたIVHカテーテル刺入部の消毒も,骨折治療用の創外固定器のピン刺入部の消毒も,ドレーン刺入部の消毒も,胸腔ドレーン刺入部の消毒も,すべて医学的には無意味で無駄な行為ということになる。
ちなみに,イソジン以外のヨード剤の殺菌効果持続時間って,どのくらいなのだろうか?
褥瘡面に使う抗菌剤のデータについての記憶をたどると,ヨード系の消毒薬を例に取ると,最も殺菌効果が持続するのがカデックスなどのポリマーにヨードを染み込ませた徐放剤,次がシュガーゲル,次が普通のゲルで,最も短いのが通常のイソジンだった(どの文献だったかは不明だけど・・・)。細かい数字は定かでないが,最長のカデックスでも効果を維持できるのは6時間ほどだったと記憶している。イソジンゲルに至っては,数十分程度だったはず。
いずれにせよ,「感染予防のためには消毒」と考えて医者,看護婦はせっせと消毒処置をして,感染予防のための措置を講じているつもりになっているが,その有効時間はせいぜい長くても数時間程度であり,「1日1回」の消毒では残りの20時間は何もしていないのと同じことになる。要するにこういう消毒とは,単に気分的なものであり,日常的業務として惰性で行っているだけなのである。
それでも,創外固定器のピン刺入部,あるいは気切部の消毒が必要だ,とお考えの方は,消毒の効果が24時間以上持続している,というデータを提示して反論していただきたい。
(2002/01/24)
胃瘻,膀胱瘻など皮膚から深部に管を通すことが多いが,この入口部に肉芽ができていつまでも乾かなかったり,周囲の皮膚に発赤を伴った皮膚炎が起こることが時々(?)ある。そして肉芽からの浸出液を細菌培養するとたいていの場合,MRSAが検出されるもんだから,「MRSAによる院内感染のため,傷が治らない」と診断され,イソジンなどで毎日消毒し,イソジンゲルなどを塗布し,抗生剤投与が行われたりする。
また肉芽の周囲の皮膚には発赤を伴った糜爛があったりすると,ガーゼ交換のたびに出血することになる。
もちろん,これは「感染しているから・・・」というところに根本的勘違いがある。「MRSAがいるから感染している」のでなく「傷が治らないからMRSAが棲みついた」と考えるべきである。傷が治ればMRSAは住処を失って消えてしまう運命にある。要するに,放っておけばいいのである。
また周囲の皮膚の発赤は感染によるものでなく,イソジンなどの消毒薬による接触性皮膚炎でしょうね。
・・・というわけで,治療例の写真(安いデジカメで接写すると,このように「白とび」が起きます。気をつけましょう)。
1 | 2 | 3 |
この症例にはいくつかのポイントがある。
まず,絹糸で縫合している点。絹糸と感染については以前も書いたが,皮膚を縫合して1週間以上置くと,高率に縫合し膿瘍を合併する。これは皮膚はもともと,常在菌がいる環境であり,その常在菌が絹糸(多数の細い繊維が撚り合わさって作られている)の内部に入り込むためだろうと思う。こう考えると,少なくとも胃瘻入口部などの縫合固定には不向きの素材ではないかと考えている。
次に消毒。消毒の有害さ,無意味さについてはこのサイトで嫌というほど書いてきたが,いくら書いても書き足りないくらいだ。この症例に限らず,イソジン消毒による皮膚炎から糜爛を生じる例が少なくない。
ところがこれに気がつかないと,「培養で細菌が検出された」→「感染で皮膚炎が起きた」→「細菌除去のためには消毒!」→「さらに糜爛が悪化」→「もっと強力に消毒」というデフレスパイラルならぬ「消毒・糜爛スパイラル」に陥る可能性が強い。「医療行為」をすればするほど状態を悪化させるよい見本である。
また,入浴が制限されることも多いと思うが,これも私の考えではナンセンス。胃瘻の先は胃袋である。口から飲んだ水が真っ先に入るところである。ならば,飲める水であれば胃瘻から入ろうと,口から入ろうと,本質的に差はない。少なくともシャワーの水なら飲んでも大丈夫。安心して,ガンガン洗いましょう。
(2002/04/02)
注射をする前,採血をする前,病院では必ず酒精綿(アルコールが染み込んだ綿)で皮膚を拭き,チクっとされるのが日本の医学の常識。恐らく,これをしないで注射・採血している病院はほとんどないと思うが,いかがだろうか?
実はこれも無駄ではないかと考えている。
なぜ注射(採血)の前に酒精綿で皮膚を拭くかと尋ねられたら,医者・看護婦はどう答えるだろうか? 何人かの看護婦に確かめてみたが,「注射の前には必ず酒精綿で皮膚を拭くように教えられたから」,あるいは「皮膚の細菌が注射と共にからだの中に入って感染するのを防ぐため」が多かった。恐らく,医者に尋ねても同じ答えしか返ってこないはずだ。断言するが,これ以外の答えはありえないと思う。
もしもこれ以外に答えがないとしたら,この「注射の前の酒精綿」は全く無駄だ。意味のない行為だ。
これまで何度も述べてきたように,皮膚・皮下組織の感染は細菌だけによって起こるのではない。壊死組織・異物があって初めて,細菌による感染が起こるのだ。
確かに,酒精綿で拭かずに注射した場合,針先に皮膚の細菌(常在菌)がくっついているかもしれない。そしてそれが,皮下脂肪層に入るかもしれない。しかしそれでおしまい。そこから「感染」まで発展することはありえないのだ。注射の針はすぐに抜かれてしまうし,注射したところに異物・壊死組織が偶然あれば話は別だが,そうでない限り感染は絶対に起こりえない(IVHカテーテルのように長期間留置する場合は,カテーテル自体が異物になっているので,話は別)。たとえ注射針の先が折れて残ったとしても,金属片が感染源になることはまずほとんどない。
と考えると,「採血(注射)の前には酒精綿で皮膚を消毒」という医療現場の常識も,根拠が極めてあやふやになってくる。一体,この行動には理論的根拠があるのだろうか。
恐らく,次のような実験(?)をしてみれば,事の是非は明らかだろう。
もしも,注射(採血)まえの酒精綿での皮膚消毒に意味があるとしたら,どの程度の濃度のアルコールで,作成後どの程度の時間放置したものまでが有効で,どのくらいの時間をかけて皮膚をこするべきかを提示すべきだろう。しかし今だかつて,このような「ガイドライン」が示されたことはないはずだ。つまりこの「注射・採血前の酒精綿での消毒」は単なる習慣,風習,言い伝えではないだろうか。なんとなく効きそうだ,と言うことでしているだけだと思う。
この酒精綿がらみの「風習」もそろそろ,考え直していいのではないだろうか。
必要だとするデータが出たらその方法を厳密に守るようにすればいいし,必要ないと言うデータしか出なかったら,それはさっさとやめるべきだ。一番問題になるのは「必要かどうか検証されていない」という状態のまま,なんとなくそれを続けていることだ。
酒精綿やアルコールがいくら安いと入っても,全国で使われているものを合計すると,実に莫大な金額になるはずだ。それがすべて無駄だったとするとこれはやはり,無視すべきではないと思うが,いかがだろうか?
ちなみに筆者であるが,この2年ほどは局所麻酔をするのに皮膚の消毒は一切していない。拭きもせずにいきなり注射。これを全例に行っているが,注射により感染した症例はいまだに皆無である。
たかだか400例ほどの経験ではあるが,注射する時に酒精綿でゴシゴシしなくても,皮膚・皮下組織の感染が引き起こされることはないのである。
なお,酒精綿に関しては以前も書いたが,薬液缶に大量に作っておいて時間が経った酒精綿は,消毒効果はかなり弱まっているらしい(アルコールが蒸発してしまうため)。作り置きの酒精綿で細菌が繁殖していた,という報告もあったはず。
そのためアメリカでは「作り置きの酒精綿」は使用せず,1枚パックのものを使っているらしいことを,付け加えておく。
(2001/12/27)
最近,献血ルームには「初流血除去を行っています」という張り紙が張ってあるそうだ。詳しくは,http://www.hyogo.bc.jrc.or.jp/oshirase/syoryuu-ketu2006.10.26/syoryu-ketu2006.10.26.htmlとかhttp://www.munejun.com/kenketsu/2007/02/post_29.htmlを読んでいただくとして,要するに,いくら皮膚表面を消毒したところで皮下の毛嚢をかすめちゃったら血液が皮膚常在菌で汚染されるため,針を刺して最初に得られた25mlの血液は輸血用には使用しないよ,というものらしい。皮膚の構造からすれば当然の対処法である。
当然,日赤が先頭に立っているのだろうし,赤十字病院あたりが基礎実験をしているはずだと考えて探してみると,どうやらこれじゃないかと思われる。
http://www.yuketsu.gr.jp/gakkaishi/49-6/049060761.pdf
この論文を読むと,確かに最初の25mlを除去すれば,それ以後に採決した血液が細菌汚染される可能性はゼロになっている。
さあ,そこでもう一度この論文の Material & Method を読み直してみると,とても面白いことが書いてあるではないか。犬の頚部から採血した実験なのだが,剃毛した後に黄色ブドウ球菌,表皮ブドウ球菌,アクネ菌を正常皮膚(つまり消毒していない皮膚)と同じ細菌数になるように塗布し,そこから採血を行っているのである。つまり,この実験データを素直に読めば,「消毒せずに採血しても,最初の25mlさえ除去すれば以後の血液の細菌汚染はない」という解釈になるはずだ。であれば,献血時の採血前の消毒すら不要ということにならないだろうか。どうせ初流血は使用しないのだから・・・。この実験データを素直に読めばそうなるなるはずだ。
であれば,この論文の結論としては
それにしても,この実験ではなぜわざわざ,細菌を塗布してから採血したんだろうか。なぜ,通常通りに消毒した部位から採血しなかったのだろうか。もしかしたら消毒した皮膚からの採血実験もあるんだけど,ほとんど細菌が検出されなかったとか,あるいは消毒したのと細菌を塗布したのではデータにあまり違いがなかったとか・・・? まさかそんなことはないよね。
(2007/08/17)
白血球減少症,あるいはステロイドで治療中の易感染性患者では細菌の侵入が重篤な感染を起こす。これはまぎれもない事実である。しかし「細菌の侵入は防がなくてはいけない→消毒しよう」と短絡的に考えてはいけない。
これはカテーテル処置に限らず,全ての消毒がらみの処置に共通している事実であり,安易な消毒がかえって感染しやすい状態をもたらす可能性があることを銘記すべきであろう。
無菌の組織に通じている人工物があって,それが皮膚(=細菌が常在している)を貫いている場合,その人工物による感染を完全に防ぐ方法はありえないと思う。これはどんなに強固で完璧な防犯システムを備えている建物でも,侵入者を未来永劫に防ぐことができないのと同じことである。この例に当てはめると消毒とは「防犯システム」の破壊活動にほかならないのである。
(2003/10/16)
さて,皮膚科領域の疾患でCompromised Hostの場合は消毒は必要ではないか,抗生剤の投与法は,という質問をいただいた。
まず,消毒について。確かに免疫不全状態で,皮膚全体に病変があった場合,消毒しないとすぐに敗血症を起こしてしまいそうな気がする。ここでも問題になるのは,そのような患者の皮膚や創面を消毒して,皮膚や創面の細菌が除去できるのか,除去できるとしてその効果がいつまで続くのか,という点だと思う。
もちろん,いくら厳密に消毒したところで毛穴の細菌が殺せるわけではないし,消毒していない皮膚にも細菌はたくさんいることは,健康人だろうとCompromised Hostだろうと同じである。
だから,もしも「Compromised Hostでは消毒で感染を予防する事が必要」と考えているのだったら,1時間おきに全身を消毒する必要があるはずだ。さらに厳密にするのなら全身,消毒薬の風呂に漬けておく方法もさらに効果的だろう。でも,イソジンでもヒビテンでも死なない細菌だったらどうする? 全身をグルタルアルデハイドのお風呂に入れちゃおうか。それなら大抵の細菌を殺せそうだ。
もちろん,こんなバカな事をしたらどうなるか,誰でもわかると思う。全身に創がある患者を「消毒風呂」に入れたら,間違いなく患者は死ぬだろう。多分,細菌が死ぬ前に本人が死んじゃうだろう。死なないまでも,イソジンで全身を頻回に消毒していたら,高ヨウ素血症で意識障害が起こるはずである。
つまり,「Compromised Hostだから感染予防が大事で,そのためには消毒は欠かせない」というのだったら,消毒薬の動態から考えて,「消毒風呂」に入れなければいけないし,それができないとしたら,日頃している「1日に1回の消毒」は患者のためでなく,医者が安心するためという意味しかないように思うのだ。
これまでも論証してきたように,1日に1回の消毒には何の意味もない。もしも1日1回の消毒で感染していないのであれば,その1回の消毒も不要なのである。消毒しなければ創感染から敗血症になると考えているのであれば,最低でも1時間ごとに消毒すべきなのである。全ての業務をなげうち,家にも帰らず,昼も夜も1時間ごとに消毒すべきである。そんなの不可能だ,というのは医者の都合に過ぎない。あなたが消毒に意味を見出しているのだったら,そこまでして消毒すべきである。
これはつまり,ドアも窓も壁も全て穴だらけの家があって,泥棒の侵入を防ごうとしているようなものじゃないだろうか。そして,泥棒の侵入対策として全ての穴の前にガードマンを配置し,怪しいやつは全て撃ち殺しているわけだ。ところがこのガードマンの拳銃は怪しいやつには当たったりそれたりするんだけど,家にだけは確実に当たって,そのたびに家を壊してはさらに穴を大きくしているのである。おまけに,このガードマンは1時間で帰ってしまい,翌朝まで来てくれないのである。これがCompromised Hostに対する「感染予防としての消毒」である。すごく無駄な事がわかると思うし,このガードマンが去った後,銃で撃たれて穴が大きくなり,さらに泥棒が侵入しやすくなるのである。
こういう時はどうしたらいいかと言うと,穴を塞げばいいのである。ガードマンを雇うのでなく,穴を塞ぐための大工さんや左官屋さんを雇えばいいのである。穴さえ塞いでしまえば,泥棒は侵入できないのである。
もちろん,穴を塞ぐのが間に合わなくて泥棒が入る事があるかもしれない。でもそれは,大工さんの腕が悪かったり,穴を塞ぐ材料が足りなかったり,大工さんの数が足りない事が根本的原因なのである。決して,ガードマンを雇わなかったから穴が塞がらなかったのではないのである。つまりそれは,多数の大工さん,左官屋さんを雇,材料を買い揃えるだけの財力(=体力)がなかったための現象であり,避けられなかった「泥棒侵入」だと考えられる。
ついでに抗生剤についてであるが,感染していない状態で抗生剤投与をしていると間違いなく耐性菌が登場する。となると,次は感受性のある別の抗生剤を投与し,また耐性菌が出たら・・・のループに入り込みそうだ。そして最後はカビの登場。こうなるとなかなか大変だぞ。
要するに,Compromised Hostだからという理由で抗生剤を投与すると,このコースまっしぐらなのである。それが嫌なら,最初から投与しないことだ。もちろん,本当に感染症状が起きたら,その時は通常より多めの抗生剤をどんと投与しよう。そして,症状が治まったらすぐに抗生剤を止めるべきだろう。
要するに,Compromised Hostである,という状態を最初に設定して物事を考えるから,ややこしくなるのだと思う。必要なのは,共通の原理を認め,治療の目的を設定し,その上で個別の問題を考える事だ。個別の問題を解決するのは,共通原理が決まってからでいいはずだ。
(2003/12/16)
「傷は消毒しない方がいいというのはわかったが,破傷風の存在を忘れているのではないか。破傷風の事を考えたら,やはり消毒は必要ではないか」このような質問を時々いただくので,それへの回答を書く事にする。
まず破傷風についての基礎知識については次のサイトで十分だろう・・・というか,これだけ知っていたら専門家でしょうね。
要するに破傷風は,破傷風菌が体内に入って神経毒素を産生し,強直性痙攣を引き起こし,呼吸障害を起こすなどして死に至る疾患である。現在,国内では年間30~50例が発症し,死亡率は20%~50%と極めて高い。一旦発症してしまったら筋痙攣に対する対処療法を行なうしかなく,受傷直後に破傷風ヒト免疫グロブリンを投与するのが最も効果的である。
破傷風菌は土壌中に存在する嫌気性菌であり,通常は芽胞という状態で休眠状態にあるが,これが土などと一緒に傷の中に侵入して目を覚まし,活動を始めることで発症する。要するに外でケガをしたら破傷風を考慮しろ,と,どんな教科書にも書いてある通りである。
よく,古釘を踏みぬくと破傷風になる,と言われるが,これは釘と一緒に破傷風菌が創内に侵入し,そこが閉鎖腔になって嫌気性の条件になるからだろう。
さて,このように恐ろしい疾患であり,発症してしまったら根本的治療は存在しないのが破傷風である。現在でも治療としては上記のごとく,先手必勝で発症を防ぐしかない。
となると,やはり「土が入り込んだ傷は,消毒して破傷風を防ぐべきではないか」ということになりそうだが,実はそうならないのである。
破傷風菌は通常「芽胞」の形態で地中に存在している。問題は「芽胞」という存在形態である。この芽胞,生半可なことでは死んでくれないのである。たとえば,80度の熱湯で煮るとほとんどの生物は死んでしまうが,芽胞はびくともしない。沸騰している水中で15分以上加熱を続けても,まだ芽胞は死なない。紫外線照射にも強く,たいていの微生物が死滅するくらいでもまだ大丈夫だ。
芽胞を殺そうと思ったら120℃で15分間加熱するか,人間には危なくて使えないような強烈な毒性を有する消毒薬を長時間作用させるしかない。要するに,普通に使われている消毒薬でちょっと消毒したくらいでは芽胞は死なないのである。消毒薬で芽胞を死滅させるためには,人間が死ぬくらい(・・・ちょっと大袈裟)にしないといけない。
従って,土が入り込んだ傷だからといって,それを消毒しても破傷風の予防にはならないのである。
つまり破傷風の恐れがある傷の局所処置であるが,積極的に外科的デブリードマンするか,大量の水で洗い流すくらいしかない,ということになる。いずれにしても,通常の消毒薬に効果がないことは明らかだ。
ちなみに,破傷風菌を発見したのはあの有名な北里柴三郎。彼は100年前に既に,土中に存在する破傷風菌芽胞の分布が地表10センチまでで,10センチより深い土にはほとんどいないことを明らかにしているそうである。
20世紀初頭まで,戦場での兵士の死亡原因の多くは破傷風であったが,第1次大戦では破傷風による死者が大幅に減少した。抗菌薬のサルファ剤の登場である。しかし,サルファ剤は嫌気性菌の破傷風菌には全く無効である。破傷風菌に無効のサルファ剤がなぜ破傷風を激減させたのか。
理由は「創内の破傷風菌芽胞が目覚めるためには創内が無酸素状態になっていることが必要で,破傷風と同時に創内に入り込んだ溶連菌などの好気性菌がまず最初に酸素を消費し,その結果として無酸素環境になることが必要」という事情があったからだ。だから,外傷患者にサルファ剤を投与すると創内で溶連菌が繁殖できなくなり,その結果,創内は有酸素状態のままで破傷風菌芽胞が目覚められなかったのだ。
現時点では,破傷風は先進国では軒並み発生が少なく「破傷風は途上国の病気」であるのは,先進国では軽微な傷でも抗生剤が投与されているからかもしれない。
(2003/06/19)
救急・集中治療 Vol.16 No.6 2004,が「症例とQ&Aで学ぶ最新の熱傷診療」という特集号を出している。熱傷の最新の知見をまとめたものらしい。どれほどすばらしいことが書いてあるのかと期待して読んでみたが,どうも変なところがある。特に,局所治療の部分(p.671-678)と感染症対策を取り上げた部分(p.679-684)には同意できない事ばかり書いている。
もちろん,これを執筆された先生は熱傷の専門家だろうし,多数の教科書,論文を読まれた上で書かれたものだと思う。一方私は,論文も教科書も適当にしか読んでいないし,学会に出た事すらないチンピラ医者である。
だが,自分で治療した症例だけは徹底的に観察してきたつもりだし,創の変化の様子は克明に見てきたつもりだ。その結果として,従来からの熱傷の局所治療法,感染対策は全て間違っていたと確信するに至った。
私は熱傷の教科書なんて信じていないが,自分が治療した患者は信じている。自分で治療した患者から教えてもらったことを武器に,この「熱傷特集号」を批評してみようと思う。
なお,以下の部分は「質問」→「それに対する回答部分」→「その回答に対する批判」となっている。
熱傷創の深化とはどういうことでしょうか?
「熱傷創はその他の創傷とは異なり,容易に悪化してしまいます。浅達性Ⅱ度熱傷創(SDB)が深達性Ⅱ度熱傷(DDB)に,あるいはDDBがⅢ度熱傷創に悪化する事をいいます。原因としては感染,血流障害,創部の非湿潤環境(乾燥傾向)が挙げられます。」こういう解釈が一般的だと思うが,明らかに間違っている。熱傷創が深くなる唯一の原因は創を乾燥させた事であり,感染で深くなる事は絶対にないからだ。感染は,乾燥して壊死した組織が感染源になっている場合に起こるものであり,決して感染が先行するわけではないのである。
感染の予防・治療にはどのような方法がありますか?
「予防には抗菌剤を含有した外用剤,創部を密封する被覆材,超早期手術,air betの使用などが挙げられます。治療も同じですが,ゲーベンクリームによる化学的デブリードマン,hydrotherapyなどを挙げることができます。」果たして,抗菌剤含有軟膏で感染予防ができるものだろうか。抗生剤含有軟膏は確かに抗生剤は含んでいるだろうが,殺菌・静菌に必要な濃度を保っているのだろうか。あんなに浸出液が出ているのに,抗菌剤の濃度が保たれる事はあるのだろうか。
創部は湿潤(閉鎖)させる方がいいですか? 乾燥(開放)させる方がいいですか?
「原則的には湿潤環境におく方が,創傷治療は良好です。乾燥傾向にすると,たいていの熱傷創は深化してしまいます。しかし感染を合併してくると話は違ってきます。湿潤環境では細菌の繁殖も旺盛であり,逆に乾燥させると繁殖を抑える事ができます。どちらを優先させるか,天秤ばかりにかけるように,症例ごとによく考えなければなりません。広範囲熱傷ではair bedを用いる事が多く,これは創傷治癒からいれば悪影響を及ぼしています。浸出液の多い初期には創部の深化は見られませんが,浸出液の減る4日目頃から深化が本格的に始まります。しかしこの頃より感染が成立してくる事も事実です。」「湿潤環境では細菌の繁殖も旺盛,乾燥させると繁殖を抑える事ができる。どちらを優先させるか,症例ごとによく考えなければなりません」というのはどういう事を言っているのだろうか。どうしろと言っているのだろうか。なぜ,このような奥歯に物が挟まったような言い方をするのだろうか。これは何も言っていないのと同じである。
外用剤の種類と使い分けについて教えてください。
「外用剤は,イソジン液やヒビテン液で創面を消毒後,直接塗布します。・・・抗菌力が強いゲーベンクリームは,化学的デブリードマンを必要とするようなDDB以深の創に対して有効であり,SDBのような軽症熱傷には逆に禁忌です。・・・最近の製品の中では,線維芽細胞増殖因子であるフィブラストスプレーの効果が突出しています。表皮再生効果もかなり高く,難治化する症例に有効です。」まず,「イソジン液やヒビテン液で創面を消毒」というあたりで,この著者は判ってないなぁ,と思いませんか? 既にこの時点で時代遅れである。
被覆材について教えてください。
「complete sealingにはデュオアクティブET,ニュージェル,ハイドロサイトなど,semi-sealingのものにはガーゼ,ソフラチュール,アダプティック,ベスキチン,各種フィルムドレッシング材がある」「complete sealingは創部を密閉するため保水性が高く,乾燥の影響を受けにくいのですが,感染があると内部で重症化しやすい欠点があります。semi-sealinはそのメリットもデメリットも少ないといえます。」最も珍妙なのがこの個所。書かれた先生は被覆材についてご存知なのだろうか。何しろガーゼとかアダプティックのような「創面乾燥材料」を被覆材に含めているのだ。大昔ならいざ知らず,現在ではこのような材料を「被覆材」とは呼ばないはずである。
hydrotherapyとは何でしょうか?
「シャワー浴や薬浴の事です。・・・受傷から日数の経った創部に水分を補給する事で,肉芽組織の形成がよくなり,結果的に治癒が早まるという効果があります。」薬浴は必要ないが(消毒薬そのものが不要だから),まぁそれは些細な問題である。問題は「水分を補給する事で肉芽組織形成がよくなり」という部分。これは真っ赤な嘘だ。常識的に考えれば判るが,シャワーの水はすぐに流れてしまい,創面に留まることはなく,「水分の補給」にはならないのである。水をかけただけで水分補給になるのは庭の草木くらいのものだろう。
熱傷患者に対する抗菌薬の予防的投与について教えてください。
「・・・熱傷患者に対する抗菌薬の予防的投与に関しては,欧米では否定的な意見が多く,米国では小児の広範囲熱傷以外は予防的投与を行わない施設が多くを占めます。我が国では,広範囲熱傷の易感染性を根拠として,体表面の20%を超える熱傷患者に感染予防目的で全身的化学療法を行う事はコンセンサスとなっており,多くの施設で予防的投与が行われていますが,MRSAと多剤耐性緑膿菌などの耐性菌出現が大きな問題となっています。」私は欧米の治療が全部正しいとは思っていないが,この抗生剤の投与法については,欧米が正しく,日本のコンセンサスの方が間違っていると思う。「易感染性にあるから抗生剤の予防的投与が必要」というのはムチャクチャな論理だと思うし,これが日本の熱傷治療業界の常識なのだとすると,世界の医学常識から逸脱しているし,これが熱傷学会お墨付きの抗生剤の使い方だとすれば,レベルが低い学会ではないかと思う。
熱傷創への抗菌薬の使用について教えてください
「浅達性Ⅱ度熱傷では,水疱が破れていない場合には基本的に抗菌薬は不要ですが,毛根などの皮膚常在細菌叢が感染を起こす事があるので,我々は熱傷局所にBC/FRM含有軟膏を使用しています。」「水疱が破れていない場合には基本的に抗菌薬は不要」というのと「毛根などの皮膚常在細菌叢が感染を起こす事があるので,BC/FRM含有軟膏を使用」というのって,完全に論理が矛盾してますよね。要するにこの著者は,脳みそでは「本当は抗菌薬は不要」と理解しているんだけど,感情的に「でも,何となく感染が起こりそうな気がする」と考えているわけだ。本音と建前ってやつね。
(2004/08/02)
突っ込み甲斐があり,ツッコミどころ満載の爆笑論文である。特に創の消毒に関する項目は世界の常識からも大きく外れていて,呆れると言うよりこんな論文を出していいんだろうかと,そちらの方が心配になるくらいだ。
執筆しているのは波多江新平先生ほか49名である(・・・49人の力を合わせてこの程度の内容ですかぁ・・・なんて,言っちゃいけない)。執筆者の中にはイソジンの製造,販売元の明治製菓関係者が5名程含まれているが,これはまあ,会社からの命令だろうから,許してあげよう。生きていくためだもの。立場上,イソジンを擁護するのは当たり前だ。
問題はこういうトンデモ論文を執筆した医者と看護師である。49人がこの30ページの大論文のどの部分を分担して書いたのかは不明だが,そこはやはり連帯責任と言うものだろう。執筆者全員,「傷は消毒するものだ。消毒しないと化膿するじゃないか」と考えていらっしゃるのだろう。要するに,これらのお医者様,看護師様達は,患者を痛めつけ,苦しめ,治らないようにする事が医療だと考えていらっしゃるのでしょう。私が患者だったら,私の家族が患者だったら,こういう医者や看護師のいる病院は嫌だな。
暇があったら,執筆者全員の名前を掲載しましょう。完成の暁にはそれは「傷を消毒している医師・看護師」の一覧表になることでしょう。
それにしても,世の中がすこしずつ「傷は消毒しない」方向に動いていると言うのに,こういう論文の執筆者として名前を出して大丈夫なんだろうか。「消毒しないのが常識」になった時,これらの執筆者は「古い常識に囚われた頑迷な医師・看護師」としてレッテルを張られてしまいますからね。
ま,沈みゆくタイタニックと運命を共にするのも,滅びゆく江戸幕府への忠義に死ぬのも悪くないけどさ・・・。頑迷さは一種の美学に見えますから・・・。
なお,以下に述べる私の批判に対し,執筆者からの反対意見,疑問,質問がありましたら,是非,メールでご連絡ください。討論は私の望むところですし,むしろ議論を吹っかけてください。執筆者からの勇気ある反論,論理的反論を心よりお待ち申し上げております。
ちなみに,その討論はすべてこのサイトで公開し,どちらの言い分が正しいのか,読者の方に判定していただこうと思っております。
さあ,それでは,ギター侍じゃないけど,「残念! 消毒斬り!」のはじまり,はじまり。
(2004/10/26)
【EBMとは,「診ている患者の臨床上の疑問点に関して医師が関連文献等を検索し,それらを批判的に吟味した上で患者への適応の妥当性を評価し,さらに患者の価値観や意向を考慮した上で臨床評価を下し,専門技能を活用して医療を行う事」としている。】773ページ
最初,にEBMとは,と書き出している。この内容に文句はない。一応正しいと思う。ところがこの後,この定義を自分で破っちゃうのである。冒頭にこういう文章を置くなら,それを自分で破っちゃいかんよ。ミットモナイからね。
【「しないよりしたほうがいい」とか,「昔からこうやっている」とせずにEBMに基づいて見直しをすることが大切である。】773ページ
こういう事を書いくから,〔「消毒しないよりしたほうがいい」とか「昔から消毒している」とせずにEBMに基づいて見直しする事が大切である〕,って突っ込まれるんだぜ。
この文章がその後,著者たちにどのような災厄をもたらすことになるのか,神ならぬ執筆者達は知るよしもなかったのであった。
【(2)消毒剤の試験管内での有用性と臨床使用
一般的に試験管内での効果判定は,20℃の温度と有機物等の不活物のないクリーンな条件での効果である。(中略)試験管内での試験結果は,効果の目安にはなるが,絶対的なものではない。】783ページ
何気なく読み飛ばしてしまう一文だけど,「温度が低い消毒薬,垢やフケや膿(いずれも有機物)に接触した消毒薬はあまり効いていないよ。効かすためには濃度が高くないと駄目だよ」と言外に匂わせている事がわかる。
濃度が高い消毒薬はどんどん生体毒性が強くなるのであるから,常識的には「通常の使い方の消毒薬はあまり効いていなくて,効かせようと思ったら人体への毒性も強くなっているんじゃないの?」と気がつくと思う。
【皮膚の消毒に用いる10%ポビドンヨード液は,原液を皮膚・粘膜に直接塗布して消毒する事で,医薬品としての承認を得ている。】783ページ
おっ,いきなりお上を出してきたな。子供同士の喧嘩に負けた奴が「先生に言いつけてやる。市長に言いつけてやる。国会議員に言いつけてやる。厚生労働省に言いつけてやる」と捨てぜりふを吐いているようなもんだな。
言っとくけど,今まで「医薬品として承認」されて薬害を起こした薬剤がいくらあるか,知ってるかい? 医薬品として承認されている事と現実に危険性がない事は一致していないのだよ。消毒薬の毒性がはっきりして治療効果がない事がわかれば,手のひらを返したように「承認取り消し」になるんじゃないでしょうか。
【(3)生体の消毒
消毒剤で生体を無菌にする事はできない。しかし,留置針やカテーテル挿入,手術時等の侵襲的処置は感染リスクが高いので,厳重な消毒と正しい消毒技法が要求される。特に,MRSAを含む黄色ブドウ球菌は,刺入部位や創傷部位,カテーテルに定着しやすく,傷が治らない限り,またカテーテルを抜去しない限り消失しない。】784ページ
前半の「消毒剤で生体を~要求される」は,どっかのサイトに書いてある事をそのまま引用しているような気がするけど,ま,メクジラをたてるほどじゃないな。
問題は後半だ。ここでは「感染源(=カテーテルなど)を除去しない限り,MRSAは消失しない」と明記してある点が重要だ。要するにこの記述からすれば,「化膿している傷を消毒しても無駄だから止めましょう」と言う結論になるはずだ。この文章を書いた人,その事がわかっていて書いたんだよね。
(2004/10/26)
【CVカテーテル・関節鏡・経皮的穿刺部位の皮膚消毒 塗布した消毒剤は,処置を始めるまで拭き取らない。処置等の妨げになる場合はハイポエタノール等で拭き取るが,消毒剤の持続効果がなくなる事と,拭き取る事による細菌汚染に注意する。】784ページ
一体何を言いたい文章なんでしょうか。この文章をまとめると,「感染を防ぐためにはしっかりと消毒しなさい。でもイソジンだと色がついていて処置の邪魔になるからハイポでふき取ってもいいよ。でもハイポで拭き取ると殺菌力がなくなっちゃうよ。だから細菌汚染に注意してね」という事でしょうか。じゃあ,思いっきりバカな文章じゃん。
要するにこの論文のインチキ性は,「まず最初にイソジンありき」と言う前提を設定している事に起因している。イソジンを使うから色がついちゃうし,色がついちゃったら邪魔だからハイポで脱色したくなる。でも脱色したとたんに殺菌力はなくなる。ジレンマと言えばジレンマだが,情けないジレンマである。
感染を防ぐためにこれらの術野を消毒することは必要である。それならイソジンじゃなくて色のつかないヒビテンを使えばいいんじゃないの? そうすればハイポで脱色する必要はないし,ハイポで殺菌力を失う心配もないし,細菌汚染も心配しなくていい。
要するにこれは,高濃度アルコールに溶かしてある肝庇護剤みたいなもんだな。その取り扱い説明書には「肝臓の機能を高める薬ですが,肝機能が悪い人は飲まないで下さい」と書いてあるんだ。
なら最初から,アルコールに溶かしてない水溶性肝庇護剤を使えよ。
【CVカテーテル等,ラインを皮膚に留置する場合は,ライン刺入部位にポビドンヨードゲル等を塗布してもよい。(中略)留置後の観察が必要な際は,透明タイプのドレッシング剤が便利である。】784ページ
これは同じ段落の中の文章である。この文章の筆者は中学の国語の授業で,「前後で文脈が矛盾している文章を書いてはいけません」と注意されなかったのかな? ポビドンヨードゲルを塗ると,透明タイプのドレッシング剤を貼付してもイソジンゲルの茶色が邪魔して留置後の観察ができなくなること,この文章を書いたお医者様はわかっているのかな?
「留置後の観察が必要だったらイソジンゲルを使わないこと。でも,観察が不要ならイソジンゲルを使ってもいいよ」という事なんだろうけど,意味ないよ。だって,刺入部にトラブルが起きているかどうかは刺入部を直接見ないとわからないからね。つまり,「刺入部の観察が不要」という事態はありえないのだ(あなたが予知能力を持っているのなら話は別だが・・・)。刺入部の観察が不要かどうかは予めわからないのだから,刺入部の観察は必ず必要である。だから,刺入部は常に観察できないと困るのだ。観察するにはイソジンゲルは邪魔者でしかないのだ。
「留置後の観察が必要な際は,透明タイプのドレッシング剤が便利である」なんて一般常識さえ書かなきゃ,こういう論理の矛盾は起きなかったんだよ。イソジンゲルを擁護しようとして墓穴を掘ったな。
【ヨードホール製剤は幅広い抗菌スペクトルを示すにもかかわらず,その製造工程で製品自体がBurkholderia cepacia等により汚染を受ける可能性がある。】785ページ
「ヨードホール製剤は製造過程いい加減なので製造過程で汚染される可能性がある」という文章ですが,イソジンの場合は細菌汚染されるような事は絶対にないのでしょうか? これだけ自信を持って書いているからには,多分そうなのでしょうね。
ところで,イソジン以外のヨードホール製剤を作っているメーカーの方からの反論はないのですか? こんなことを書かれていて,黙っていていいのですか?
【3)創傷の消毒
健康な大人でも,ちょっとした切り傷を放置しておくと,結構,ズキズキと痛む。これは創傷部位に黄色ブドウ球菌等が感染して,炎症を起こしているためである。近年,一部に「消毒剤は創傷治癒過程に影響を与えるので使用すべきでない」という論調がある。果たして,創傷部位に消毒剤を使用しなくてよいのだろうか。】785ページ
このトンデモ論文のハイライト,白眉とでも言うべき個所である。味わい深い文章だから,みんな,心して読むように。
まず凄いのが前段の「切り傷がズキズキ痛むのは黄色ブドウ球菌の感染による」という個所。思わず吹き出しちゃいました。この文章を書いたのは本当に医者なんだろうか? 解剖学とか生理学とか学んだことがあるんだろうか? 素人が書けば「珍説」ですむけど,プロが書いたら噴飯物ですぜ。
どっからツッコミを入れたらいいかわからないくらい面白い文章だが,これを書いた医者(まさか素人じゃないよね)は傷の痛みが起こるメカニズムをどう考えているのだろうか? この文章からはそれがよくわからないのである。
「切り傷を放置しておくと結構痛む」とあるが,普通は切った直後から痛いはずだ。この痛みの原因は何なんだろう? この痛みは治療しなくていいのだろうか? もしかしたら「化膿しなければ切り傷は痛くない」という現象を発見したのだろうか?
「黄色ブドウ球菌」感染がなければ切り傷は痛くないという論調だが,黄色ブドウ球菌は全ての人に常在しているわけでないから,この細菌が常在していない人は切り傷を放置しても痛くないのだろうか?
もしも本当に黄色ブドウ球菌感染が切り傷の痛みの原因なら,放置した切り傷でも抗生剤を投与しておけば痛みは治まるはずじゃないのか?
もう一度書くが,この文章を書いたのは本当に医者か? 素人じゃないのか?
さらに上述の文章の後半。〔近年,一部に「消毒剤は創傷治癒過程に影響を与えるので使用すべきでない」という論調がある〕なんて回りくどい言い方をせずに,私を名指しすればいいのに・・・。遠慮は要らないよ。
さらにその後に〔果たして,創傷部位に消毒剤を使用しなくてよいのだろうか〕とあるけれど,傷を消毒しないこと,消毒しなくても化膿しない事,傷の化膿は消毒とは無関係な事,傷の化膿は消毒で防げない事は,化学と生物学の基礎的知識から明かだ。
おまけに,この執筆者は外科の教科書すら読んだことがないらしい。英語の外科の教科書を読むと「傷の中に消毒薬はいれない事」と明記されているし,「目にいれても安全なものしか傷にいれてはいけない」とも書かれている。少なくとも「創面を消毒しろ」と書いてある教科書はないはずだ・・・30年以上前の教科書以外には・・・。
この論文の冒頭に「EBMとは」と大上段に振りかざしていたが,論文を読む前にまず教科書を読め,と言いたい。教科書を読んで常識を身につけてから,論文を読むべきだと思う。
そして確か,この論文の冒頭では,〔「しないよりしたほうがいい」とか,「昔からこうやっている」といったことは,EBMに基づいて見直しをすることが大切である〕と自分達で書いていたが,まさか忘れたわけじゃないだろうな。ならば,「果たして消毒しなくていいものだろうか」ではなく,「昔から消毒していたからと言って,本当に消毒が必要なんだろうか」と考えるべきだろう。
人に提言する前に,まず自分でやれ,ってことだよ。
自分で提唱しておきながら,それを自分で否定する文章を書いちゃうのは,科学者としては恥ずかしい事だと思う。最初の部分を消すか,この785ページの文章を消すか,どっちかにした方がいいと思うよ・・・科学者なら。
(2004/10/27)
【消毒剤は有機物(病原体や生体細胞の区別なく)と接触すると直ちに化学反応する薬剤である。このため,生体に用いる際は細胞毒性を生じないよう短時間の使用にとどめる必要がある。また,消毒剤は接触した表面でしか反応できないため,組織内で増殖している病原体に効果は期待できない。】785ページ
前の文章と並んで,もう一つの凄い文章がこれだ。自己否定といったらいいのか,自爆テロといったらいいのか,とにかく論理がムチャクチャである。
まず,この文章前半をまとめると,「消毒薬は病原体だろうと人体だろうと無差別攻撃する」→「だから生体(傷口)への接触は短い時間にとどめなさい」ということになる。もっともらしいが,ここでは「短時間の接触で細菌は死ぬけど,人体には悪影響はない」という証明が抜けている。
ご存知のように,消毒薬で死なない細菌は沢山いるが(ヨードホール製剤が細菌で汚染されると言う文章が前にあったことを思い出そう),消毒薬で死なない人体細胞はない。これはちょっと実験すればすぐにわかる普遍的事実である。
つまり,生物学的・化学的には,短時間の消毒薬の使用では人体には害がないかもしれないが,病原菌は死なない,と言う結論しか出てこない。なら,消毒なんて止めちゃおう,というのが科学というものだろう。
後半の〔消毒剤は接触した表面でしか反応できないため,組織内で増殖している病原体に効果は期待できない〕というのは非常によい文章である。これを読むと,「ちょっとでも深部に侵入した細菌には消毒薬は効かないよ」ということになる。ってことは,化膿している傷には消毒薬は効いてないんじゃないの?
ちなみにこの一文が後々,この論文自体の首を閉める事になるのだから面白い。
【病原体が創傷部位に定着していても,創傷治癒過程への影響は少ない。しかし,創傷部位に組織内に病原体が侵入・増殖し,宿主の反応(発赤,疼痛,発熱,腫脹,浮腫,浸出液等)が起きている状態(感染創)は,感染をコントロールしないと創傷は治癒できない。したがって,創傷部位が感染創の場合や,創傷部位が病原体により汚染を受けた可能性がある新鮮外傷のばあいは,創傷処置時に消毒剤を使用する。】785ページ
論理に矛盾のある文章を読むのは苦痛である。特にこういう無茶な論理の文章を読むと頭が痛くなる。何かいろいろ書いているが,まとめると次のようになると思うが,どうだろうか。非論理的文章をまとめるのが苦手なもんで・・・。
「創に病原体が定着(Colonizationのことだろう)していても創傷治癒には影響しない。しかし感染創では感染をコントロールしないと治癒しない。だから感染創の場合,創が細菌で汚染されている新鮮外傷では,創処置時に消毒する」。
書いている人は論理の矛盾に本当に気がついていないのだろうか? まさか冗談で書いた文章じゃないよな。医者が書いた文章ですよね。
まず前半の「細菌が定着しているだけでは創治癒を傷害しないが,感染してしまったら感染を何とかしないと傷は治らないよ」と言う部分は正しい。正しいけれど,「定着している細菌は何がきっかけで創感染を起こすのか」と言う考察がすっぽり抜け落ちている。だからその後の部分がムチャクチャになるのだ。
そして「感染創の場合,創が細菌で汚染されている新鮮外傷では消毒を」となるが,前半の「感染創の場合は消毒が必要」と言うのは,同じページの〔消毒剤は接触した表面でしか反応できないため,組織内で増殖している病原体に効果は期待できない〕という記述と矛盾している。つまり,本論文で既に述べている「消毒薬では表面の細菌しか殺せないよ」が正しいのであれば,効果が期待できる感染創は「細菌が表面に留まっているもの」だけということになる。だったら,何も消毒薬を持ちださなくても,水道の流水で洗ってしまえば感染創の治療になりそうだ・・・表面にしか細菌がいないんだから・・・。もちろんこの場合,表面よりちょっとでも深く入った細菌には消毒は無効である事は言うまでもない。
さらに「創が細菌で汚染されている新鮮外傷では消毒が必要」と言うのも,この段落の前半と矛盾している。だって,「創に病原体が定着していても創傷治癒には影響しない」って書いてあるんだもの。それなら,細菌がいたって感染しなければ構わないという結論になるし,細菌を消毒薬で除去するよりは「定着→感染」の過程をブロックした方が効果的ということになるはずだ。
つまりこの文章は,「なぜ創は感染するのか? 細菌がいれば必ず感染するのか?」という視点を全く欠いているから,こんな,非論理的文章になるのだ。
悪いことは言わないから,少なくとも論文として発表する前に,論理的な整合性はとれているか,非論理的な記述はないかくらいはチェックすべきだと思う。
【表11 生体に消毒剤を使用する際の主な留意点
通常,塗布後2~3分たてば効果を発揮。(中略)創面(の消毒薬)は生理食塩水で洗い流す】785ページ
またも頭が痛くなるような文章である。同じ表(といっても5行か6行しかない小さな表だ)の中で,何でこんな矛盾した事が書けるのだろうか?
例えば「今日は寒いから寄席鍋でも食べようぜ」と店に行ったら,店員さんが「5分くらいして沸騰してから鍋の蓋を取ってお食べください。でも30秒後に鍋はお下げいたします」って言っているようなもんだぜ。普通,頭が痛くならないか? だって「消毒薬は塗ってから3分経過しないと殺菌力がないよ」と書いておきながら,「創面の消毒薬は(すぐに)生理食塩水で洗い落とせ」だぜ。一方が正しければ一方は間違っているんじゃない?
墓穴堀まくりである。
(2004/10/30)
【表12 創傷処置と消毒剤
新鮮外傷・感染創の処置:(中略)有機物・異物を除去後,消毒剤にて消毒する。
肉芽形成期・治癒過程の創傷処置:生理食塩液にて洗浄するか,あるいは創傷治癒過程が良好な環境に保たれていれば何もしなくてよい。ただし,創周囲の皮膚は清潔を保ち,病原体で汚染されている可能性があれば,消毒剤にて消毒する】785ページ
この文章をまとめると,「創傷治癒過程が良好な創面なら消毒しなくてよい。でも,創周囲の皮膚は清潔にしなければいけないし,病原菌に汚染されていたら消毒しようね」と言う事になるんだろうか。最後の「消毒剤にて消毒する」と言う部分が「何を」消毒するのか不明だが,文脈から判断すると皮膚だろう。
何で執筆者はここまでして消毒にこだわるのだろうか? 消毒してなにかいいことがあるのだろうか? この執筆者が守りたいのは消毒薬でしょうか,メーカーでしょうか,それとも患者さんの健康でしょうか?
もしかしたらこの文章を書いた医者(?)は「外から来る細菌は全て病原菌だ。だから皮膚も傷も消毒して無菌にしないと病気になるぞ,化膿するぞ」と思っているじゃないだろうか。でなきゃ,こんなバカ文章なんて書けないよね。それじゃ,抗菌グッズに騙されている素人(=非医療従事者)と同じだよ。単なる不潔恐怖症だよ。
そんなに消毒薬が体にいいのだったら,これからお風呂は原液の消毒薬にして,あなたとあなたのご家族はそれに漬かって下さい。ご家族の健康のためにイソジン風呂に入りましょう。きっと,皮膚の細菌が一掃できて,きわめて清潔になり健康になることでしょう。もちろん,美容と健康のため洗顔も消毒薬で行いましょう。それで失明しても健康のためですから納得ですよね?
この文章を書いた医者に逆に質問したいのだが,「下眼瞼縁にかかる下眼瞼の深い挫創で,創面からは細菌が検出され,創周囲の皮膚にも細菌が一杯」という状況で,あなたはどうするんだろうか?
つまり,「傷の周囲が細菌汚染されていれば,消毒しなければいけない」ということを守ろうとすると,こんな間抜けな状況になっちゃうのだよ。
- 「もちろん,消毒薬で処置する」→〔角膜,結膜が損傷されます。場合によっては失明します〕
- 「薄めた消毒薬で処置する」→〔殺菌力がないのでばい菌は殺せません〕
【4)無菌的創ドレッシング
創及び褥瘡を持った患者のケアは無菌的操作で行う。】786ページ
これを書いた人(医者か看護師か知らないけど)は,実際に傷や褥瘡を見た事があるんだろうか。褥瘡創面は無菌だと思っているのだろうか?
褥瘡創面にしろ,それ以外の創面にしろ,表面には必ず細菌がいる。だって,創周囲の皮膚に一杯常在菌がいるんだもの。皮膚に連続している創面が無菌のわけがないじゃん。菌がもういるのに無菌的操作をする意味があるんでしょうか。
無菌操作は無菌部位で行うから意味があります。しかし既に大量の細菌がいるのに,滅菌手袋をして滅菌鑷子で滅菌ガーゼをつまみ挙げて創を覆って,意味があるんでしょうか?
多分,上述のような文章を書く人は,トイレのウォシュレットを滅菌水にしていたり,滅菌されていないトイレットペーパーでないとお尻が拭けないというタイプの人でしょうね。抗菌グッズで拭かないと電車の吊革も触れない人だな,きっと。こういう人は,外部の世界は病原菌だらけだと思い込んでいるんだけど,自分の手にどれほどの細菌がいるかだけは無視しています。
第一,海外では既に「清潔」と「不潔」と言う二元論でなく,「清潔」と「不潔」の間に「準清潔(準汚染)」に分けて考える考えが一般的になっていると指摘しておこう。「清潔か不潔か?」と騒いでいる時点で,既にあんたは時代遅れなんだよ。
「それでも,外部からは細菌は一個たりとも持ち込むべきではない」と文句をつける人もいるだろう。そういう人は,滅菌前のガーゼ,部屋においてあるティッシュペーパー,食品包装用ラップ,水道水などを自分で実際に調べ,本当に細菌がいるのか,いるとしたらどのくらいの密度なのか,病原菌がいるのか,創感染起炎菌がいるのかを自分の目で確かめた方がいい。「清潔じゃないから不潔。滅菌物でなければ病原菌だらけに決まっている」と決めつけるのもいいけれど,そりゃ単なる「清潔バカ」だって。
以前から思っていたことだけど,消毒原理主義者,消毒至上主義者,CDC原理主義者,CDC万能主義者の一部は,単なる不潔恐怖症,強迫観念症じゃないでしょうか?
【ペーパータオルは,コスト面,環境問題等が懸念されるが,バージンパルプ100%の必要はなく,(中略)再生紙を利用したもので十分である】789ページ
ペーパータオルを再生紙にすれば,確かに地球に優しいが,再生紙ペーパータオルを使っている一方で,この論文が推奨するように「何が何でも消毒,どんなときにも消毒」じゃあ,本末転倒じゃないだろうか? 言ってみれば,「牛乳紙パックを集めて地球に優しく」なんていっている本人が,毎朝,大量の水道水で愛車を洗車しているようなものだ。
消毒薬を生産するのにどれだけの地球資源を使っているのか,その消毒薬を無毒化するためにどれほど大量の水資源を消費しているのか,是非,執筆者にはこの方面にも関心を向けて欲しいものである。
無駄な消毒薬を作らない,消費しないことは地球に優しいよ。
(2004/11/04)
現在主流の外傷治療,術後創処置,ドレーンやカテーテルの管理はいわば,消毒を中心とした理論体系である。消毒により感染を起こす細菌を殺し,感染を防ぐという理論体系である。これは実際の医療現場でなされる医学教育で,繰り返し教育されているし,また,家庭でもものごころついた頃から繰り返し教えられている理論体系だ。当然,消毒薬を販売して利益を得ている会社はあるし,それを啓蒙することを仕事にしている人もいる。歯磨き粉にも消毒薬が入っていたり,テレビコマーシャルでは「手指は消毒,傷も消毒,喉も消毒」と繰り返し宣伝している。消毒を基本とした治療体系,消毒により生み出された利益共同体といってもいいかもしれない。その意味で,「消毒を基礎とした治療体系」はパラダイムそのものである。つまり,天動説や燃素説(フロギストン説),エーテル説と同じ,確固たるパラダイムである。
この「消毒パラダイム」は非常に強固である。まず,19世紀半ばからの長い歴史がある。それまで誰も予防できなかった産褥熱が塩素水の手洗いで予防できたという実績はあるし,術後の敗血症も石炭酸で劇的に減らせた。これは紛れもない事実だ。また,家庭においても病院においても,傷を消毒して治療してきたし,それで治ってきたのである。消毒すると痛いが,それは「良薬口に苦し」,「治るのに必要な痛み」だと思えば我慢できる。これは普通の社会生活をする上では,天動説を信じていても何の不便も無いのと同じだ。地球が中心にいようと太陽が中心だろうと,日常生活は変わらないからだ。だから,慣れ親しんだ天動説を手放す必要もないし,地動説に宗旨替えする必然性も無い。なにより今更,地動説を勉強するなんて面倒だ。
消毒って本当に必要なの,という疑いが頭をよぎったとしても,消毒しないで傷が化膿したらお前の責任だといわれたら,とりあえず消毒しておけば安全だ。また,過去の論文を探しても,消毒方法の優劣を比較した実験はあっても,消毒しないのとしたのを比較する論文はほとんどない。まさに,地球が宇宙の中心だということを前提としたパラダイムと同じで,消毒を中心からはずすという発想そのものが生まれないのだ。
このように考えると,なんと言われようと消毒を止められない医者は消毒を続けるだろうし,理論的に説明されても感情的に反発してしまう医者がいてもしょうがないような気がしてくる。パラダイムへの信頼感は信仰そのものだから,消毒必要派が消毒不要派に鞍替えするのは,ユダヤ教徒がイスラム教に改宗するようなものであり,それは不可能なのだ。彼らは死ぬまで消毒薬を手放さないだろうし,消毒しないと人間は敗血症で死んでしまうと信じたまま墓場に向かうのだろう。
だが結局は,消毒が止められない世代の医者が死に絶えるか引退し,初めから消毒しないのが当たり前だと教えられた医者たちが増えてくる。「消毒必須派」が死に絶えた後の世代は「消毒しても化膿は防げない。消毒しなくても化膿しない」ことを最初から知っているか教えられた世代である。彼らは「まな板の消毒と人体の消毒を一緒くたにしていたなんて,昔の医者って馬鹿だったんだね」と笑い話にしてくれるはずである。
もっとも,宗教の改宗に比べると,「消毒しない感染予防」のほうははるかに容易だろう。「消毒ってもしかして不要なんじゃないか」と少しでも考えたことがある医者が少なからずいるからである。こういう人たちは,実に易々と宗旨替えするだろう。
そう言えば,いろいろな病院で講演すると,「ガチガチの消毒派の先生がいるので,是非,講演会に出席して講師の先生を論破してみてくださいと声をかけているんですが,そういう医者に限って出席しないんですよ」と言われることが少なくない。文句があるなら面を向かって言えばいいのに,そういう度胸がないのだろう。こういうのを敵前逃亡という。情けない限りである。文句があるなら,堂々と反論すればいい。実に簡単なことである。
いずれ,こういう敵前逃亡するしか芸の無い医者は死に絶えるはずだ。時間が彼らを淘汰するはずだ。
(2006/12/26)
その他の話題
ある整形外科医の方から「整形外科ではよく関節穿刺を行いますが,穿刺後は入浴しないようにと説明しています。これは果たして必要でしょうか。以前,整形外科医のネットで質問したところ,危ないことは極力避けたほうがいい,入浴後に感染した例を知っている,というように,入浴に否定的な意見ばかりでした」というメールをいただきました。
これも非常に面白い話題ですので,私の考えをまとめてみます。
まず結論,入浴しても構いません。また,入浴によって感染が引き起こされることは理論上,起こりえませんし,起こるわけがありません。
「なぜ関節穿刺の後に入浴していけないのか」と整形外科の先生に尋ねてみてください。ほぼ100%,「お風呂の中の雑菌が注射の針穴から関節腔内に入り,化膿性関節炎を起こすからだ」と答えられると思います。
だとしたら,これは全く馬鹿げています。このような理由で化膿性関節炎が起こることは物理的に不可能です。絶対に起こらない現象です。
「注射の針穴からバイ菌が進入し,化膿性関節炎を起こす」のだとすると,このような現象が起こるためには「穿刺した注射針を抜いた後,注射針が通った部分がトンネルとなって残っている」事が前提となります。当然,針が通って関節包に開いた穴も,そのままの形で残ってもらわなければいけません。図にすると,こういう状態です。
左が関節穿刺(注射器で関節液を吸い取る)をしている最中,左が針を抜いた後。
なるほど,これならトンネルが関節腔内に通じているわけですから,お風呂に入るのは,確かにヤバそうですね。
ですが残念ながら,こういう現象,絶対に起こりません。こういうトンネルは体内では存続できないからです。針を抜いた瞬間,注射針の通り道は完全に閉鎖し,それこそ水の洩れだす隙間さえない状態になります。そうでなかったら,関節穿刺をするたびに関節腔から関節液は「だだ洩れ」状態になっているはずです。
皮下組織内にこのような「トンネル」が存在すると考える方が無理です。注射の針穴など瞬時のうちに,周囲の組織の圧力でつぶれてしまうはずです。トンネルを存続させるためにはそれを外部から支える頑丈な剛構造が必要です。山腹に穴を開けただけのトンネルがすぐに山の重力で潰れてしまうように,注射針によって空けられたトンネルは,針を抜いたとたん,周囲の組織の圧力で跡形もなく埋まってしまいます。
形成外科では鼻を作ることがありますが,呼吸のできる鼻穴まで作るのはものすごく大変なのです。骨か軟骨で支えを作らない限り,穴はあっけなくつぶれてしまいます。人体に空間を作ると言うのは,想像以上に大変なことなのです。
IVHカテーテル抜いた時のことを思いだしてみてください。長期間留置したIVHカテーテルを抜去する時,申し訳程度に抜いたあたりを圧迫していると思いますが,決してそれは「カテーテルが血管を貫いていた場所」を圧迫しているわけではありません。それなのに血腫を作ることも滅多にないし(出血傾向があれば話は別だけどね),まして,カテーテルを抜いた穴から血が噴き出してくる(静脈と言えども,あの鎖骨下静脈ですから血は噴き出します)ことはありません。せいぜい,静脈周囲に血腫を作るくらいです。
つまり,IVHカテーテルのように長期間留置したとしても,カテーテルの通ったルートはカテーテルの抜去とともにつぶれてしまうのです。
従って,関節腔穿刺をしたあと,お風呂に入ろうが海に入ろうが,外から細菌が進入できるわけがありません。細菌が入りこむルートがないのですから何をしようと構いません。
「そうは言っても,関節液は漏れないけれど,細菌が入り込むくらいのごく微細なトンネルくらいは開いているんじゃないか? そこから風呂の水と一緒に細菌が入るんじゃないか」という慎重な(?)考えもあると思います。
こういう質問も想定してみましたが,「液体が漏れないのに細菌だけが通れる穴がある」というのはもうお伽噺レベルの話になってしまいます。
また,そのようなトンネルが仮にあったとしても話は同じです。
細菌がやっと通れるくらいのトンネルが開いていたところで,それを通ってお風呂の水が関節内に入るのは物理的に不可能です。注射の針といってもせいぜい外径で1㎜内外のものです。このように細いトンネルに水を通すとしたら,注射器で注入する以外は不可能でしょう(・・・現実には,注射器でいくら圧をかけて入れようとしても入らないだろうけどね)。
10m位の深さのお風呂の底に沈んで水圧で無理やり風呂の水を押し込むか,あるいは関節腔内を何とか陰圧にして風呂の水を吸い込むことも考えられますが,力学的・常識的に考えればそれだけの圧力差があれば,水が入るより先にトンネルがつぶれてしまいますよね。トンネルを支える硬い構造物がないから当然です。
「いやいや,細菌は風呂の水と一緒に入るんじゃなくて,自分自身で動いて関節腔に入るんだ」という考えもあるでしょうか?
こういう疑問に対しては,細菌の移動速度と皮膚から関節腔までの距離から,細菌が到達するのに必要な時間を計算するようにアドバイスいたします。
それでは,なぜ「関節穿刺後に入浴した患者が感染した」という例があるのでしょうか?
これは単純に考えれば「関節穿刺の時に皮膚の細菌を中に持ちこんだ」のが原因でしょう。つまり「入浴前に関節内に細菌が入っていた」わけです。つまり原因は関節穿刺をする際の手技的ミスです。それを認めたくないものだから(?)「お風呂になんか入るから化膿しちゃっただろう」と患者に責任転化をするわけですな。
ちなみに,関節穿刺をする前の消毒とした後の消毒では全く意味が異なります。関節腔は細菌が入った場合にそれを排除するシステムがない器官です。ですから関節を穿刺するのであれば,関節腔内に細菌を持ちこまないように厳密に無菌操作すべきです。
しかし,関節穿刺が終わってしまえば,もう外から細菌が入りこむことは不可能です。つまり,関節穿刺後に皮膚を消毒するのはナンセンスです。
このように考えると,関節穿刺をする前の皮膚の消毒を見ていると,本当にこれで大丈夫なの? ということが多く見受けられます。
イソジン消毒した後,ハイポで脱色する医者をよく見かけますが,これは消毒効果を帳消しにする行為ですし,消毒してすぐに消毒薬を拭き取るのも同様。消毒しているように見えて,実はしていない,というよい実例です。
ま,逆の考え方をすると,これほどいい加減に消毒して関節穿刺しているのに,感染する例が極めて少ないということですから,消毒しようとしまいと,感染率はそんなに違わないのかな,という気もしますね。
ちなみにイソジンの場合,消毒した後に自然乾燥させると1時間くらいは皮膚は無菌状態を保っていると言われています(もちろん,血液などが皮膚にくっついてイソジンが流れればそれまでだけどね)。
穿刺後のお風呂のことを心配するくらい慎重な医者だったら,関節穿刺をする際,もっと他に注意すべきことがあるだろうに,といいたくなります。
それでもまだ「関節穿刺をした後に入浴なんて,もってのほか」とお考えの整形外科医の方,どんどん論争を挑んでください。いつでも受けて立ちます。
(2002/01/13)
「関節穿刺後の入浴の是非」,言い換えれば「関節穿刺をした後に入浴させることで,化膿性関節炎が起こるのか」についてさらに理論的(?)補足をする。
で,私の反論は,「体内ではこういうトンネルは存在できないのだ」というものだったが,ある整形外科医の方から「関節穿刺後に関節液が漏出することがある。つまり,この場合はトンネルは存在することになる。となると,関節の動きにより関節腔が陰圧(もちろん,周囲の圧より低い,ということです)になることもあるだろう。その場合,水の流れによって関節内に細菌が移動してもおかしくはないはずだ」というご意見をいただいた。
この意見に対し,物理学的(?)な面から反論を試みることにする(とはいっても,物理学の知識は中学生程度のため,なんだか非常に怪しいが・・・)。
まず,「なぜ,関節穿刺後に関節液が漏出するのか」について。
関節腔内が高くなっている場合,関節包内壁が受ける圧力はパスカルの原理(でしたよね?)により,全ての方向で等しくなっている。この力が実際の関節でどのように作用するか考えると,関節軟骨は変形できないため,関節の側面(軟骨でない部分,つまり関節包)に圧が集中し,その結果,関節包は膨隆することになる。
もしもこの時,関節包に物理的に弱い部分があれば,焼いたお餅が膨らむように,その部分だけが膨隆することになる。
ということは,関節穿刺をした場合,針を抜いたところが「最も弱くなっている」部分に相当するため,内圧が高まっていれば関節液はこの「孔」から流出することになり,圧平衡に達するまで漏出は続く。
一方,関節腔内の圧力が周囲より低くなり,関節包に皮膚に通じる「内径1ミリ前後のトンネル」がある場合を考えてみよう。
この場合も,圧による力は外側から内側にかかるが,この場合も内腔全体に均等である。当然,「トンネル」内壁にも外側から内側へと力が加わり,これは「トンネルを潰す」方向の力となる。
ここで単位体積あたりの組織が受ける力を考えてみると,「体積の割に内腔面積が大きい」と組織が受ける力は大きくなる。この場合,「トンネル」のような体積の割に内腔面積が大きい」構造では,周囲組織はより大きな力を受けることを意味する(・・・はずだ・・・多分)。
要するにこの「トンネル」は内腔が0.5mm,内側に移動しただけで閉鎖してしまうのだ。つまり陰圧がかかってしまうと,特別強い力が加わらなくても,すぐに潰れてしまう運命なのである。
となると,当然,「トンネル以外の関節包」が凹むより先に,「トンネル」が潰れてしまうことになる。
つまり,関節腔に通じる「トンネル」があると,関節腔内圧が外部の圧よりも高い場合はこの「トンネル」に最も強く力が加わり,外に噴出するルートになるのに対し,内腔の圧力が低い場合は,このトンネル内壁は最も強い力で内側に引き込まれ,真っ先につぶれてしまうのだ。
「関節腔内が陰圧になると,トンネルを通じて外の水を吸い込んでしまう」のは机上の空論ではないかと思われるのだ。
また仮に,このような「トンネル」が潰れずに残っている場合を想定しみよう。この場合,関節内腔の圧が外側より低い場合,水を吸い込めるのだろうか?
この場合,「トンネル」の内腔は,注射針の外径より太くなることはありえない。つまり,せいぜい1㎜程度である。
このような細い「トンネル」に水を通そうとすると,今度は水自体の粘性が効いてくるはずだ(・・・自信ないけど)。注射針をつけたシリンジで液体を吸い込むのは,かなり力のいる作業である。18Gの針ならまだしも,23Gくらいになると一仕事だ。
つまり,たとえ「トンネル」が存在していたとしても,内外の圧力差で液体が移動するのは,想像以上に大変なことであり,非常に大きな圧力差が必要になる。
このような「皮膚側の水を吸い込むような圧力差」が,生体の関節腔で発生しうるものだろうか?
物理的に考えて,関節内腔の圧力が低くなる場合とは,関節液の量が変化しないのに関節内腔の体積が急に増大した場合,つまり相対する関節軟骨の距離が拡大する場合だけだ。つまり,関節で連結している骨の距離が大きくなった場合だ(関節軟骨や関節包が急に大量の関節液を吸収し始めた,などの無理やりな情況があれば別だが・・・)。
もちろんこれは起こりえない。こんな現象が起こるのは関節離断などの重篤な外傷の場合だけだろう。なぜなら,関節を作っている骨同士は強靭な靭帯で連結されていて,容易なことで骨が離れないように(=関節が破壊されないように)なっているからだ。
つまり,「皮膚の外側の水を吸い込む」ほどの圧力差を作ろうとすれば,関節そのものを破壊するしか方法がないと思われる。従って,「風呂に入る」程度の動作では,外の水を関節に吸い込むだけの圧力差は作れないと断言する。
そしてさらに駄目押し。
ここで問題にしている「皮膚から関節腔に通じるトンネル」は関節穿刺をするときに作られたものだ。当たり前である。穿刺をする際は,膝ならば関節を軽く屈曲させるとか,あるいは伸ばしたままとか,ある一定の姿勢を取らせて穿刺する。また,針を刺しやすいように,皮膚をピンと延ばして刺すことも多いと思われる。
つまり,この「トンネル」はあくまで,「穿刺をした瞬間の状態での,皮膚と関節腔の最短距離」をとっているに過ぎない。
当然,関節を動かしたとか「皮膚をピンと延ばすのを止め」れば,皮膚は動いてしまう。その結果,皮膚の刺入部と関節包の刺入部の位置関係は動くことになる。図で書くと下記のようになる。
ここではわかりやすいように「直線状のトンネル」で書いたが,実際には真皮と皮下脂肪では移動距離が変化するため(皮膚との結合力に差があるため),この「トンネル」は大きく変形しているはずだ。しかもその上,引き伸ばされてさらに細くなっている。
いくら関節内腔の圧が極度に低下したとしても(それすら非現実的であるが・・・),このように細く変形した「トンネル」の中をピンポイントで狙ったように水が通るのは,科学というよりはお伽噺ではないだろうか?
(2002/02/05)
外科系診療科の創傷処置の基本は「清潔操作(無菌操作)」である。つまり,ピンセットやハサミは全て滅菌処理をしたものを使い,ガーゼも全て滅菌処理済だ。ガーゼを傷にあてる場合は,素手で扱うのは御法度であり,滅菌ピンセットでガーゼを摘むのが常識。
ピンセットの端がちょっとでも手に触れようものなら,「不潔になったから使うな! すぐに捨てて!」と先輩から鋭い叱責の声が飛ぶはずだ。
だがこれも,別の見方をするとなんだか根拠が怪しくなる。
無菌操作は何のために行うかというと,「本来無菌である臓器」を扱うための操作である。つまり,心臓やら肝臓やら腹膜やら脳味噌やら,細菌が存在しない場所を扱う場合にするものである。これらの臓器に細菌がいたら,それこそ大事である。だから,「外から細菌を持ち込まないように」無菌操作をするのだ。これは論理的に正しい。
しかし,術後の皮膚の手術創を処置するときに無菌操作って,必要なんだろうか?
再三述べているように,皮膚は無菌ということはありえない。どんなに強力な消毒薬を使ったところで,ちょっと時間がたてば,消毒前の状態(=常在菌が繁殖している)に戻っている。
皮膚から常在菌を全く除去しようとするのなら,ガスバーナーで皮膚を焼くか,高圧下の130℃のお湯でグツグツ煮るか,あるいは皮膚を根こそぎ剥いでしまうしかない。
まして,手術後の縫合部ときたら,洗っているわけでないから垢が溜まり放題だ。普段より細菌が多くて当たり前だろう。
つまり,手術の縫合創は「必ず皮膚常在菌がいる」ものなのだ。そういう縫合創を処置するときに,無菌操作をするのは論理的に矛盾していないだろうか。
もう既に「細菌がいる」のに,「外から細菌を持ち込まないように」無菌操作したって,全く無意味である。これはいわば「ウンコのついたお尻を拭くのに滅菌ガーゼ」を使っているようなものだろう。術後の傷を清潔操作で処置するのは,つまりそういうことなのだ。
もちろん,手術のときに無菌操作をすることは意味がある。本来無菌であるべき臓器を扱うのだから,感染のリスクを少なくするためには,厳密に無菌操作すべきだろう。
しかし,皮膚のように「常在菌が必ずいる」部位に無菌操作するのは無駄な行為である。無菌操作を完全に止めたって,恐らく創感染の発生率は変わらないだろう。
同様に考えてみると,「膿瘍切開」をする前に皮膚を消毒するのもほとんどナンセンス。何しろ,切開する皮膚の下は既に「膿だらけ」なのだ。そういう状態で,皮膚を消毒したところで,何の意味があるのだろうか? ほとんどオマジナイ程度であろう。
もちろん,「これらの無菌操作は本質的に無意味かもしれないが,本当に無菌操作が必要な局面で自然にその操作ができるようにするための訓練として行っているのだ」という意見もあるかもしれない。
このような考えを否定する気はないが,あまりに非現実的な気がする。要するにこういう考えは,「外を歩くときは,雨や雪が降る可能性もあるし,空から隕石が落ちてくる可能性もあるので,常に雨傘を持ち,毛皮のコートを着て,ヘルメットをかぶるようにしよう」と言っているようなものだ。
少なくとも,術後の皮膚の傷を処置するのに,無菌操作はナンセンスだと断言する。
(2001/12/20)
病院では数多くの滅菌物が使われている。それは病院で滅菌したり(ガーゼやピンセットなど),滅菌物として市販されたり(縫合糸など)と,さまざまである。そこで,滅菌物はどう言う時に必要なのかを,論理的に考えてみることにする。
これには次の二つの局面ごとに考える必要がありそうだ。
1)滅菌物を使用する組織などの細菌環境について
・・・なんて難しく書いてしまったが,要は「操作の対象となっている部位や組織は無菌なのか」ということである。例えば,深部臓器は本来的に無菌の組織だし,皮下脂肪も筋肉ももちろん無菌である。逆に,皮膚や口腔,下部消化管などは常在菌が必ずいる部位であり,いかなる消毒薬を使おうと,これらの部位を無菌にする事は不可能である。
2)滅菌物の再利用はあるのか?
再利用とは別の言い方をすると「複数の患者で使いまわされるか?」ということである。これでいうと「使いまわされる」物としては多くの器具(ピンセットや鋏,ペアンやコッヘル,内視鏡,ほとんどの手術用器材など)が含まれ,一方,「使いまわされない」物としてはガーゼや注射器,縫合糸などがある。
以上の2つの条件を組み合わせて,それぞれ,滅菌物が必要かどうかを考えてみる。
本質的に無菌の部位・組織 | 無菌でない部位・組織 | |
使いまわされる器具・材料 | 滅菌が必要 | 滅菌が必要 |
使いまわされない器具・材料 | 滅菌が必要 | 滅菌は必ずしも必要でない |
まず,本来無菌の部位を扱うのであれば滅菌物以外は使うべきではない,というのは問題ないだろうと思う。何しろ,細菌がいては困る部位なのだから,それへの操作では細菌の侵入は可能な限り防ぐべきである。だから使用する器具も材料も「滅菌」していなければいけない。これに異論はないだろう。当然,「複数患者で使いまわされる手術用のハサミ」だろうが,「使いまわされる事がない(=使用後は直ちに廃棄される)ガーゼ」だろうが,滅菌する必要がある。
次に,「複数の人間で使いまわされる器具や材料」だが,これも滅菌してから使うべきだ。要するに複数の患者で「使いまわされる」のであれば,患者間での感染を防ぐために滅菌してから使用すべきである。ま,当たり前だな。
残ったのは「本来無菌でない部分に使う,使いまわされない材料」だ。具体的にどういうものがあるかと言うと,「術後の創を覆うガーゼ」「気管切開のカニューレのガーゼ」「腹腔ドレーンを覆うガーゼ」「褥瘡創面を覆うガーゼ」「熱傷創面を覆うガーゼ」・・・などだ。これらは滅菌物である必要があるのだろうか?
理論的に考えれば,これらは「もう既に細菌がいる」訳であり,これらに滅菌物を使うのは本質的に矛盾していると言わざるを得ない。要するにここで滅菌物を使うのは「お風呂に滅菌水」「お尻を拭くのに滅菌のトイレットペーパー」「うがいをするのに滅菌水」を使うようなものである。要するに,既に皮膚に常在菌がいるのだから,風呂の水を滅菌水にしてもしょうがないのである。
もちろん,こんなことを書くと「万一,滅菌していないガーゼに炭疽菌や肝炎ウィルスやHIVウィルスや天然痘ウィルスや狂犬病ウィルスが付いていたらどうするの! あなた,責任取れるの?」というヒステリック(?)な声が聞こえてきそうだが,これは敢えて無視する事にする。これがかなり極端な条件設定である事は明らかだからだ。こんな事を考えていたら,パン屋で買ったパンには常に毒物が混入されているし,乗り込んだ地下鉄の車両内には必ず殺人鬼がいるし,水道の水はレジオネラで汚染されているし,飛行機のパイロットは自殺志願者だし,料亭で出されたフグ鍋には卵巣が沢山入っている・・・ということになるのだ。
これを一般に杞憂と言う。
要するに,「パン屋で買ったパンには毒物が入っている可能性がある」と考える人は,手術創を覆うガーゼも気管切開部のガーゼも滅菌ガーゼにすべきだろうし,「パン屋で売っているのだから,毒が入っているわけないよね」と考える人は,ドレーンだろうとIVHカテーテルだろうと,滅菌ガーゼで覆う必要はないということになる。さぁ,あなたは前者だろうか後者だろうか?
ちなみに私はもちろん,「未滅菌ガーゼ」しか使っていない。だって,それで感染するわけなんてないもの。理論的に考えて,未滅菌ガーゼで感染する率なんて,素人が手を振りまわしたら偶然にも,ストラビンスキーの「春の祭典」第2部のフィナーレのリズムだった,というのと同じくらいの確率じゃないだろうか?
ついでに言うと滅菌物はただではない。「滅菌に要するコスト」+「滅菌装置のランニングコスト」がかかってくる。先日,ある病院の医師と話した時,彼の病院では「滅菌ガーゼ」を作るのに25円以上のコストがかかっていたそうである。
これに関連してであるが,もうそろそろ,「滅菌していないもの」を「不潔」と呼ぶのをやめにしないか? 不潔,なんて呼ぶから,細菌がウジャウジャいるように感じちゃうのだ。
購入したばかりのガーゼに細菌がいると思う? 新品のガーゼは滅菌処理していないから,細菌だらけだと思う? 買ったばかりの本に細菌はいる? 買ったばかりのセーターに細菌はいる? これらは「滅菌していない」から不潔?
つまり,そういうことである。
(2002/12/10)
考えてみるとすぐにわかることであるが,物に対する消毒の効果は次の二つに分けられる。
前者は手術器具や手術材料であり,後者に相当するものが皮膚や開放創面(褥瘡,熱傷創面など)である。
そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれないが,医療現場ではこの二つは混同され(というか,分けて考える,という発想自体がない?),それがひいては無駄な医療行為となり,医療費を押し上げる原因の一つになっているのではないか,と考えている。
そこでいきなりウンコの話になるけれど,ウンコをしてウォシュレットを使う時,滅菌水で洗う人はいないし,トイレットペーパーでお尻を拭く時に滅菌されたペーパーを使う人もいない。なぜか? もちろん,無駄だからだ。なぜ無駄かというと,お尻の皮膚には必ず常在菌がいるわけで,それを洗ったり拭いたりするのに,無菌のものを使う必要がないからだ(そういえばなんでも,他人の座った便座は不潔だからと,一生懸命,抗菌剤入りのウェットティッシュで拭いている人が入るらしいが,こういう人は,自分のお尻の皮膚には便座より多くの細菌が生息している事を知らないだけのことであり,実に馬鹿げた行為である)。
ま,便座はどうでもいいけれど,「滅菌トイレットペーパーでお尻を拭く」のと本質的に同じ無駄な行為が,病院でごく普通に日常的に行われている。それが「術後の傷を覆う滅菌ガーゼ」である。
本来滅菌物とか滅菌行為というのは,無菌のものを扱う時に「外から細菌を持ち込まないように」するためのものだ。ところが,最初から細菌がいるのに「外から細菌を持ち込まないように」努力するのは矛盾とは言わないだろうか。
つまり,消毒しようとしまいと縫合創も皮膚も常在菌で一杯なのだ。それなのに「無菌化したガーゼ」をあてるのは論理的に矛盾している。何度も言うように,皮膚や傷を消毒したところで,無菌化できないし,無菌化できたとしてもごく短時間なのである。それこそ「ウンコの付いたお尻を滅菌ガーゼで拭く」ようなものである。
こう考えると,術後の傷にあてるガーゼは何も滅菌である必要はない。少なくとも,縫合後,24~48時間で縫合創は上皮が完全に覆うわけだから,すくなくとも48時間以上経過した縫合創を滅菌ガーゼで覆う必要はどこにもない。きれいに洗濯し,漂白したガーゼなら一切問題は生じないはずだ。
同様に,膿瘍切開をする時に無菌操作をして滅菌物を使うのも,何だか意味がわからなくなってくる。これから切開する先にあるのは,大量の膿,つまり大量の細菌の塊である。既に汚染されているところに対し,無菌操作をする意味ってあるのだろうか? 滅菌ガーゼを使う必要があるのだろうか?
無菌操作や滅菌物の使用が必要なのは,「本来,無菌であるべき部位」だろう。本質的に無菌でないところに無菌操作をしたって無駄なだけに思えるがどうだろうか?
どこの病院でも,医療材料を滅菌化するのに要するコストはかなりのものだ。それこそ,傷を覆うガーゼを滅菌するために,日本全体でどれほど莫大なコストがかかり,労力がかかっていることだろうか? これを止めるだけで,日本全体でどれほどの医療コストを削減できることだろうか。
こんな提案をすると「そんなことを言ったって,万一,それが原因で感染したら困るだろう。滅菌ガーゼで覆ったほうが安全だ」という反論が必ず来る。この「万一」の思想も非常に強固だ。
しかし「万が一にも」非滅菌ガーゼで感染が起こるものだろうか? どう考えても,起こりうる可能性と言うか,起こるためのメカニズムが思いつかない。感染が起こらないと言うことを論証するのは簡単だが,逆にいくら想像力をかきたてても,これで感染が引き起こされる理由は考えつかない。
それこそ,洗濯して漂白したガーゼに炭疽菌がなぜか付着していて,それで皮膚を覆ったら感染した,なんていうかなり不合理で強引な状況しか思いつかないのだが,如何だろうか?
それこそ,こんな「万一」ばかり言っていたら何でもありだ。例えば,
(2002/04/24)
皆様の病院,病棟では強酸性水を使ったり,お茶で褥瘡を洗浄したりしていますか?
講演会のたびに,質疑応答になると「強酸性水は有効でしょうか?」という質問が必ずと言って良いほどありますし,お茶(カテキン水)による洗浄についての質問も時々あります。恐らく,結構多くの病院,病棟で使われているんじゃないでしょうか?
実は私,どちらも極めて胡散臭いと思っています。効果があるのは「洗浄」であって,「強酸性水(カテキン水)」ではないと思っています。以下それを論証します。
まず,強酸性水とは何かを説明します。
水道水にNaCl(あるいはKCl)などの電解質を加えて電気分解した時,陽極(陰極)側に生成される水のことを「強酸性水(強アルカリ水)」と呼び,「アクア酸化水、超酸化水、強酸化水」呼ばれることもあります。化学的には pH=2.7 以下,酸化還元電位 +1000mV 以上のものを指します。
この強酸性水が注目されたのは強力な殺菌作用です。通常,細菌やウィルス,真菌が生存できる環境は,pH 3~10,酸化還元電位 +900~-400mV とされています。つまり,これ以外の環境では細菌もウィルスも生存できないことになり,上記の強酸化水の環境はまさにそれに相当し,強力かつ広範な殺菌作用を持つわけです。このような作用機序から,抗生物質に対して細菌が獲得するような「耐性」は通常,起こりえません。
またほとんどの菌が5秒以内に死滅するとされています。
欠点は作ったらすぐに使わないと失活すること。つまり,光に当たったり,有機物に触れると短時間(5分くらいだったかな?)でただの水(塩水)に戻ってしまうため「作ったらすぐに使う」のが原則。一応,完全遮光して完全密封すると一週間は効果が保たれるようですが,実際の診療上は「すぐに失活する」と覚えておいた方がよさそうです。
また「有機物に触れると失活する」ので,褥瘡周囲の皮膚に垢がついていたり,褥瘡創面に分泌液や血液,壊死組織があれば,ほとんど効果はありません。
この強酸性水ですが,1996年頃から褥瘡に対する有効性が相次いで報告されたため,多くの病院に採用される事になりました。事実,強酸性水生成器(かなり高価)はかなりの売れ行きだったようです。
さて,以上の事実を踏まえ,この強酸性水(そしてカテキン水)が少なくとも褥瘡や皮膚損傷の消毒・殺菌で無効である事を示します。
皮膚欠損創(褥瘡,熱傷,擦過傷など)の創面は皮膚常在菌(MRSAを含む)がいるのが当たり前,いても構わないこと,細菌単独で感染を起こすことは極めて稀なこと,発赤などの感染症状がなければ細菌を除去する必要がないことは,これまでしつこいほど説明してきました。
「褥瘡に強酸性水を使えば速く治る」という考えの根本にあるのは,「細菌が創面にいるから治らない,細菌を除去できれば褥瘡は治る」という発想でしょう。しかしこれは,上記の説明でわかる通り,非科学的な思い込みであり,科学的根拠はありません。いわゆるひとつの迷信に過ぎません。
繰り返しになりますが,褥瘡や熱傷創面に常在している細菌は,たとえMRSAであっても除去する必要は全くありません。
仮に「強酸性水の強力な滅菌・消毒作用により,褥瘡面の細菌が除かれた」としましょう。この場合,除菌できたとしても,それはほんの短時間に過ぎません。上述のように,強酸性水は協力で広範な殺菌効果を持ちますが,完全遮光でもしない限り,作ってから数分で失活してしまいます。まして,創面に有機物(壊死組織,血液,壊死組織,分泌液,垢など)があれば実に速やかに,実に呆気なく失活してしまいます。
つまり,強酸性水で創面を洗浄し,5秒で全ての細菌が死滅したとしても,殺菌効果はそこまで。細菌がいなくなった褥瘡面には,周囲の健全な皮膚から皮膚常在菌が移動し始め,ほどなく,元の細菌叢に戻ってしまいます。まして,真皮が残っているような創面だったら,もっと速く戻ってしまうはず(毛穴に常在菌がいるからね)。
ということは,一日一回,強酸性水洗浄で創を無菌化できるのはせいぜい10分程度であり,残りの23時間50分は洗浄前同様,「細菌だらけ」なんですね。もしも「強酸性水による褥瘡面の清浄化」を期待しているのであれば,少なくとも10分ごとに創を洗浄しなければいけないという結論になります。
理論的に考えれば考えるほど,強酸性水による洗浄がいかに馬鹿げているかがわかると思います。事実,日本以外の国で強酸性水は使われていないし,褥瘡に対する有効性を示すデータは存在しません。有効だと言っているのは,日本の医者と看護婦だけです。
「超酸化水信仰」に決定的に欠けているのは科学的なEvidenceそのものです。
とここまでくれば,なぜ「カテキン水(お茶)」による褥瘡洗浄に意味がないか,おわかりいただけると思います。たとえお茶のカテキンに殺菌作用があったところで,それは短時間のものであり,殺菌力が長時間持続するものでない限り,効果は皆無です。
ではなぜ,「強酸性水(カテキン水)が褥瘡に有効」というデータ・報告が多いのでしょうか?
それはこれらの報告の元になっている実験そのものが不完全だからです。ここにトリックが隠されています。これらの報告(実験)では,「洗浄していない褥瘡と,強酸性水で洗浄した褥瘡」を比較し,後者が速く治癒したとする報告(論文)がほとんどです。
しかし,ちょっと考えればわかりますが,これは 'case-control study' になっていません。このような実験で言えるのは「洗浄しないより,洗浄したほうが治癒が速そうだ」と言うことだけです。強酸性水の優位性はこの実験では結論付けられません。つまり,正確な実験をするなら
さらにこの強酸性水で危険なことは,金属を腐蝕する作用を持つことです。つまり強酸性水を流すと,配管が腐蝕します。ステンレスであっても長期間では腐蝕した,という報告もあるくらいですから,強酸性水をよく使っている病棟だと,ある日突然,階下の病棟の天井から汚水が・・・という事態にもなりかねません。悪いことは言わないから,使用を中止した方が良さそうです。
なお,これを書くにあたって参考にさせていただいたサイトを列挙させていただきます。
これらの中で,「強酸性水の褥瘡洗浄には有効性がない」と断じていたのは,最後の日東メディカルのサイトだけでした。(2002/03/18)
手術前にはイソジンなどの消毒薬で手洗いし,滅菌水で流すのが医学界の常識。手術の前には,こうやって5分以上両手を洗うことになっている。
ごく一部の先進的な病院では「水道水での手洗い」を行っていると聞いているが,圧倒的多数の病院ではもちろん,滅菌水での手洗いをしていると思う。なぜ,滅菌水で手を洗うかと問われれば,「手術中の感染を防ぐため」,あるいは「手を無菌にするため」という答えが返ってくるはずだ
いかにももっともらしい答えであるが,しかし,この問題をちょっと深く考えてみると,滅菌水だろうと水道水だろうと,感染率に差が出ないはずだ。要するにこの「滅菌水で手洗い」は単なる慣習に過ぎないのではないか,と考えている。そして,この行為に医学的根拠,論理的根拠はないと思っている。
以下,それを論証する。
手術の時に手袋をするようになるのは,20世紀の初頭だったはずだ。手術の際,ゴム手袋をつけた最初の医者は,乳癌根治術であるハルステッド手術を提案した若き天才外科医,ハルステッドである。彼がどのような経緯から手袋をつけることを思いついたかに関する人間ドラマは,名著『外科の夜明け』(トールワルド著)に詳しいが,要するに当時,どんな消毒薬を使っても手を無菌化できないことが明らかになったからだ。
19世紀後半,細菌の存在がわかり,それが病気の原因になったり傷が化膿する原因であることがわかってきた。そして人間の皮膚(もちろん手にも)には皮膚常在菌が沢山生息していることもわかっていた。
当時手術をする際,外科医は素手で行っていたため,手術創の感染を防ぐためには,外科医の手を無菌化する必要があることは明らかだった。そのため,どんどん強力な消毒薬が開発されたが,皮膚がボロボロになるくらい強い消毒薬を使っても,結局,皮膚は無菌化できなかった。無菌にできたとしてもそれはごく短時間に過ぎなかった。
感染を起こさないためには手を無菌化しなければいけないのに,手を無菌化することは不可能,という事実を前に,外科医たちは途方に暮れてしまった。
この時,手を無菌化するのでなく,無菌化した手袋をつけて手術すればいいではないか,と気がついたのがハルステッドだった。要するにコロンブスの卵だが,手は無菌化できないが,手袋は簡単に無菌化できることに気づいたハルステッドは,やはり天才といっていいだろう。
この逆転の発想により,手術時の感染が激減し,腹腔内臓器や脳なども手術することが可能になり,すべての臓器への手術が可能になったことは,皆様,ご存知の通りである。
ここで重要なのは,「手はどういう手段を使っても無菌にはできない」ということだ。事実,手術前に5分以上かけて手洗いして滅菌手袋をつけても,数十分すると手袋の中の手の表面は手洗い前の常在菌一杯の状態に戻っている。これは厳然たる事実だ。
となると,消毒薬で手洗いをした手を滅菌水で流そうが水道水で流そうが,差はないはずである。たとえ水道水に細菌がいたとしても,それは通常ごく少数であるし,また,十分な量の水道流水で洗い流せば,事実上,ほとんど無菌と考えていいだろう。そして,たとえ全ての細菌を洗い流せずに滅菌手袋をつけたとしても,手袋の中の手が「手洗い前」の常在菌一杯状態に戻る時間に差が出るとは到底考えられない。それこそ,目糞鼻糞の違いである。
「水道水で手洗いして,それで感染が起こったらどうするのだ。責任を取れるのか」という声が聞こえてきそうだ。だが,「手術により感染したら大変だ」ということと「感染を防ぐための手洗いは滅菌水が有効だ」ということの間には,全く関連性がない。
このことについては項を改めて論じることにする。
なお,「手洗いの水は滅菌でなくてもいい」ことを証明した実験があることを教えていただきました。御興味をお持ちの方はこちらをご覧ください。
(2002/04/22)
私はこれまで「新鮮外傷も褥瘡も,創の洗浄は水道水で十分」と書いてきたし,これが正しいと思っている。参考文献にも載せたように,海外では「新鮮外傷の創洗浄は生理食塩水よりも水道水の方がはるかに効果的」という論文が幾つも出ている。
とはいっても,一般的には「創(褥瘡)の洗浄は生理食塩水」というのが常識である。
先日,関西方面で「褥瘡セミナー」が行われ,著名な先生たちが褥瘡治療について講演なさったようである。ある先生の「褥瘡部の洗浄は生理食塩水でおこないます。在宅の患者さんでしみる場合は1リットルの水に9グラムの食塩をいれます。」という講演に対し,私の講演を聴いたことがある看護婦さんが,「水道水ではいけませんか?」と質問したそうである。
それに対する諸先生方の回答であるが,どう見ても論理的ではないのである。今回は,この回答についての私の考えを書いてみたい。
なお,この講演会を私が直接聞いたわけでもなく,回答もその看護婦さんがメモしたものであるため,細かいニュアンスなどは違っている可能性があることは初めに断っておく。
○○先生のお答え:【在宅の場合はしょうがないにしても医療訴訟が問題になっている時ですし生理食塩水を使うのがいいのではないでしょうか。病院には感染症を持った方もおられますしね。】
○○先生のお答え:【病院で認可がおりていないものを使用するのは問題がある。水道水には雑菌が混じっていることもあるし、もし医療用に使うにはそれなりの基準を設けなければならないだろう。ただ在宅ではコストの面から使うなといえないところはある。いづれにしてもここで『使用していい』と大きな声でいうことはできない。】
○○先生のお答え:【水道水では血液が溶解してしまうので生理食塩水にするべきだ。】
ここで取り上げた3人の先生たちは,いずれも褥瘡治療では著名な方たちばかりであり,日本の褥瘡治療をリードなさってきた方々である。私のような無名医者にとっては雲の上の存在である。そういう御三方であるからこそ,上記のような非論理的回答は残念であり,悲しい限りである。
恐らくこれまで「褥瘡の洗浄は生理食塩水」と言ってきただけに,それを否定する「水道水でも大丈夫」という現実を認めるわけにはいかないのだろうか?
患者さんは「治療法のため」の存在ではない。患者さんのために治療法があるのだ。
私たちは「治療法を守るために」診療しているのではない。「患者さんを守るために」診療しているのだ。
(2002/06/17)
以前,「褥瘡洗浄は生食か,水道水か」で褥瘡洗浄は水道水で十分と書いたが,それについてちょっと補則。
まず基本的に水道水(上水道)は無菌である。
例えば,藤沢市学校薬剤師会のサイトでは生徒が持参する水筒の水の安全性について研究しているが,ここでは「水道水から細菌は検出されなかった」とある。
あるいは,横浜市衛生研究所は「ポリタンクで保存した水道水はいつまで安全に飲めるか」という実験を行っているが,それによるとポリタンク中の水は8日目までは細菌が全く検出されず,水質基準に定める細菌数を超えたのは11日目以降だったという。
また「焼酎盆地」というサイトでは「水道水に大腸菌を混入し細菌数の変化をみる」実験を行っているが,水道水中では大腸菌は減少することが示されている。もちろん,残留塩素の効果であろう。
これらをもってして,全国全ての水道局の水が全く無菌である,と結論付ける事は無理にしても,残留塩素がある通常の上水道は無菌と考えていいだろう。となると,「水道水には雑菌が含まれるため,水道水で洗浄すると細菌感染の危険性がある」という考えは全く意味のない杞憂であることがわかる。
(2003/01/24)
医療関係者,特に医師の皆様,余計なことかもしれませんが,処置の際はよく手を洗いましょう。別に石鹸をつけて洗う必要はありません。十分に水道で水洗いしただけで効果があります。
また,出血している創,浸出液のある創,確実に細菌が常在化している創(褥瘡のような慢性創)の処置をする際は,素手でしないようにして下さい。このような場合は必ず,ディスポーザブルの手袋をつけて処置し,血液や浸出液が医師自身の手につかないようにしましょう。言うまでもありませんが,こういう場合に素手で処置すると,医師の手を介在して感染が広がることになります("colonization" であって感染していない創の細菌であっても,他の患者にとっては感染起炎菌になる可能性がありからです)。
また,患者の血液に血液感染するウィルスが含まれている可能性もゼロではありません。
私は「手術創,外傷創の消毒は有害無益。術後創の無菌操作も無駄」と言っていますが,それと上記のような「無造作な処置」をしていいということにはなりません。術後創の無菌操作は無駄ですが,素手で創に触って血液で汚染されるのは,医師にとっても,他の患者にとっても危険です。
消毒が不要であり,創面や皮膚が無菌でないからといって,処置者の手が汚れていい事にはならいないのです。
ちなみに,私の外来を見学なさった方はおわかりと思いますが,私は診療の場ではしつこいほど頻繁に手を洗っています。患者が代わるたびに手を洗うのは当然として,少しでも汚れた場合はすぐに洗います。もちろん,少しでも出血していたり,開放創の場合は素手で扱わず,ディスポーザブル手袋をはめて操作していますし,創縫合する際は必ずマスクもしています。
これらの注意は,あなた自身の身を守り,他の患者さんの院内感染を防ぐ最善の方法だと思います。
(2003/11/04)
術後縫合創の離開部や,褥瘡のポケットにヨードホルムガーゼを入れる「治療」が,かなり行われていると思う。この際,この愚行を一刀両断してしまおう。
こういう治療をしている医者を見ると,「あんたの目にヨードホルムを入れてみてもいいよね? 患者の傷に入れて大丈夫なんだから,あんたの目に入れても安全でしょう?」と言いたい。
患者の傷にヨードホルムガーゼを突っ込んでいる医者は,毎日一回は自分の目にヨードホルムを入れてみたらいい。そうしたら,どれほど患者が苦しんでいるかを,身を持って体験できるだろう。断言するが,患者の傷が治る前に,あなた(=医者)は角膜潰瘍を起こし失明しているはずだ。
要するに問題の本質は「細菌がいなくなれば傷が治るの? 細菌がいるから傷が治らないの?」という点に集約されると思う。この主治医はとにかく,細菌がいるから傷が治らないと考え,それ故に細菌を殺す事しか頭にないのだろう。だから,ヨードホルムガーゼを創に入れるのだろう。
何しろヨードホルムは消毒薬である。細菌を殺しているはずだ。ヨードホルムが細菌を殺してさえくれれば,このにっくき「難治性創」は治るはず・・・だ。
ところがどっこい,ヨードホルムでは死なない細菌がかなりいるのだ。嘘だと思ったら調べてごらん。これは厳然たる事実だ。
ヨードホルムで細菌が死なないのだったら,ヨードホルムより確実に細菌を殺す方法を教えてあげるとしよう。傷に沸騰している熱湯を入れて殺菌するか,患者を熱湯に入れて煮たてる事である。そうすれば細菌は「ほとんど」いなくなる。
だが,これだって生き残る細菌はいるのだ。熱湯を注いでも傷は無菌にならないのである。
となると,より完璧を期す必要がある。そのためには,手術創をガスバーナーで焼くとか,あるいは真っ赤に溶けた鉛を傷に流し込む,なんて方法がいいだろう。これなら細菌を一匹残らず殺す事ができるぞ。完璧な無菌状態にできるぞ。そしたら,傷が治るはずだ。
「細菌がいるから感染が治まらない。細菌がいるから傷が治らない」と考えている医師であれば,ここまで徹底すべきである。治らない傷には溶かした鉛を注ぐか,ガスバーナーで焼くしかないのである。「細菌がいるから傷が治らない」と考えている医者ならここまで徹底的に細菌を殺さなければいけないはずだ。それが,科学者である医師の道である。
要するに,ヨードホルムガーゼを傷に突っ込んでいるというのは,「弱火のガスバーナー」で傷を焼くのと大差ない行為なのである。強火だろうと弱火だろうと,ガスバーナーはガスバーナーである。どちらも,人体には甚大な被害を及ぼす点では違いはない。
つまり,細菌を全て殺せるガスバーナーだったら人間はその前に死んでいるし,人間に害がない温度のガスバーナーだったらそもそも細菌は一匹も殺せないのである。
さらに言うと,ヨードホルムガーゼによる重篤な合併症が数多く報告されている。感染創内にヨードホルムガーゼを充填する処置を続けたところ,1週間目から意識障害を生じ,昏睡状態になり,血液検査でヨードの血中濃度が以上高値を示していた,という例が結構多いのである(嘘だと思ったら,「ヨードホルム 合併症」でインターネット検索して欲しい。すぐに見つかるはずだ)。
患者の傷にヨードホルムガーゼを突っ込んで,それで治療をしていると考えている医者は,この危険性に気がついているのだろうか。この危険性を知っていて,ヨードホルムによる治療を続けているのだろうか。
もしもそうだったら,それは勇気ある野蛮な行為と言うべきであろう。危険性を知らずにしているのであれば,それは単なる勉強不足,無知である。
ヨードホルムガーゼで術後離開創や褥瘡を「治療」している医者はこれまでに,ヨードホルムガーゼ充填で術後離開創を治した経験があるのだろうか,と思う。
「治療を続けていたら,いつの間にか,患者が通院しなくなった」とか「数年の経過で何とか治ったような気がする」というのはあったかもしれないが,少なくとも「治療して2ヶ月くらいできれいに治癒した」例は見た事がないはずだ。
ヨードホルムガーゼを使って2ヶ月で創が完全に閉鎖した,というのであれば,私もその方法を「治療」として認めるのにやぶさかではないが,何ヶ月続けても創の状態が改善しないとしたら,やはりその方法は根本的に間違っているのである。
それにしても,なんでヨードホルムガーゼなんだろうか。ヨードホルムに何か医学的必然性があるのだろうか。ヨードホルムガーゼでなければいけない理由があるのだろうか。ヨードホルムガーゼの医学的な意味について確かめてからそれを使っている医者がいるのだろうか。
おそらく,ないと思う。
なぜ,ヨードホルムガーゼかといえば理由はただ一つ,「先輩医師から教えてもらったから」「先輩医師が使っていたから」「それを使うようにマニュアルに書いてあったから」だけだろうと思う。
(2003/12/02)
みんながなんとなくしていて,何となく要らないなと思いつつしているのが,「消毒の口切り」である。ちなみに「口切り」というのは,薬液を使おうと思って容器のふたを開けたときに,ちょろっと薬液を流して捨てる,あの行為である。主に消毒薬に対して行われていると思う。
もちろん,ここで取り上げるのだから不要に決まっている。しかし,文献がなければエビデンスにあらず,という「文献原理主義者」に提示できる論文というのが,ほとんどないというか,全く(?)ないらしい。こういう場合は,思考実験の出番である。
問題を段純化すると,「消毒薬の汚染の有無」と「ビンの口の部分の汚染の有無」だけであることがわかる。それなら,場合分けは次の4通りしかないはずだ。ちなみに,消毒薬といえどもそこで繁殖する細菌が存在することは,皆様御存知の通りである。
この4通りでそれぞれ,「口切り」が汚染を防げるかについて考えればいいはずだ。
それにしても,この「口切り」という儀式,どこの誰が始めたものなんだろうか。
(2004/04/14)
5月31日の産経新聞に面白い記事が掲載されていました。詳しい内容は上記のサイトで読めます。要するに,アメリカの11歳の女の子が,
抗菌ソープは99.6%の菌を殺すとされるが、普通のせっけんでも99.4%の殺菌効果がある。除菌商品の多くはいいバクテリアまで殺してしまったり、「スーパー・ジャーム」という耐性の強い菌を生み出したりする恐れもあり、除菌洗剤に入っている殺菌作用のあるトリクロサンが人体に有害である可能性も指摘ということを発見した,という記事です。要するに,石鹸だろうが殺菌石鹸だろうが,皮膚常在菌まで殺してしまい,その結果,皮膚常在菌がいなくなれば皮膚の弱酸性は保たれなくなり,さまざまな好ましくない細菌(病原菌)が入り込み,その人の健康にも害が出ます。さらにそれを無視して手を洗い続けると,手の皮膚が荒れて表皮ブドウ球菌が棲めなくなり,黄色ブドウ球菌だらけになります。
つまり,手洗い励行すると院内感染が多くなります。常在菌のことを知っていれば常識なんですが,このあたりのことをご存じない「院内感染対策の専門家」がたくさんいて,「院内感染対策のために手を消毒薬で洗いましょう」なんて喚いたりしているようです(・・・あくまでも伝聞ね)。こういう「専門家」は,上記の11歳に教えを乞うべきでしょう。
それにしても,11歳でこれを発見しちゃうか。もしも本当なら,彼女が今後も,このような視点を持ち続けて成長して欲しいと思う。
同時に,この記事を紹介している女優の西田ひかるさんの反応も面白い。
水洗トイレでは便器の水を流すと、霧状になって三メートルほども飛ぶそうです。アメリカではお風呂とトイレが併設された洗面所が多く、霧状に舞った便器の水が洗面台に置いた歯ブラシにかかるというのです。という部分だ。確かに,水洗トイレでは3メートルの範囲で霧状になった水が飛んでいる,と聞くと,「それならトイレの蓋を閉めて流しましょう」と反応しちゃうのはわかるけど,これってどうなんだろう。こういう情報を前にすると,人間の反応は2種類に分かれると思う。
トイレより台所の方がばい菌が多い家も少なくないそうです。ちょっと信じがたかったのですが、同じふきんやスポンジをずっと使っていませんか? お肉や魚を切るときに使ったまな板を洗った後、同じスポンジをそのまま使うと、菌を広げているようなものです。
私なら断然,後者だな。もちろん私はこれまで病気になったことはあるが,それは,トイレの壁にくっついているであろう「水洗トイレの霧状の水」に触れたためでもないし,トイレに入ったあとに腹痛になったこともないからである。恐らくバイキンだらけの環境で生活していると思うが,多分,それらのバイキン君たちと共存する術を持っているから,別に病気にならないんだろうと思う。
でも世の中には「3メートルも飛んでいるのですから,トイレを流すときは蓋をするように」と考えちゃう真面目な人がいる。インフェクション・コントロールの専門家に多い気がするし,その巣窟と化しているのがCDCである。
どうも彼らの考えを見ていると,一神教的発想だな,と思ってしまう。要するに
普通なら,「こんなにしているのに院内感染が減らないのなら,そもそもその方針が間違っているからじゃないか?」と考えるのが普通だと思うが,一神教的院内感染対策専門家は,「まだわれわれの信心が足りないからだ」と考えちゃう。神を疑うことが最大の禁忌だから,しょうがないんだろうけどね。
(2005/06/02)
皮膚や創面と消毒の関係について,これまでさまざま書いてきた。もちろん結論は,「皮膚(創面)は消毒するだけ無駄・無意味・有害」というものだ。これをわかりやすい(?)喩えを思いついたので,これでさらに説明する。
なお,「喩え」というのは非常に便利な説明法だが,相手を騙してやろうという時にも非常に有効な手段なので,そこら辺は気をつけて読むように。
例えば,あなたの庭に蟻の巣があって蟻が家に入ってくるので何とかしたい,と思ったとしよう。あなたはどういう手段をとるだろうか。
目に付いた蟻に片っ端から殺虫剤をかける,という手段をとるだろうか? ちょっと考えてみてもわかるが,殺虫剤をかけまくったとしても,蟻は巣穴から何事もなかったように出てくるはずだ。なぜ蟻が出てくるかというと,女王蟻が休みなく卵を産み,次々,働き蟻が生まれてくるからだ。要するに蟻の巣を丸ごと潰さない限り,無数の蟻がせっせと巣穴から出てくるはずだ。
実は「皮膚(創面)を消毒して菌を除去しよう」というのは,この「殺虫剤で蟻を全滅しよう」というのと本質的に同一である。
蟻の巣を潰そうとするのなら,蟻の巣を丸ごとショベルカーで掘り起こすというダイナミックかつ力任せの方法もあるが,普通なら女王蟻を殺す方法を考えるだろう。要するに蟻の供給源(=女王蟻)がなくなってしまえば,やがて巣から這い出てくる働き蟻はいなくなるからだ。
問題は「女王蟻(働き蟻の供給源)を殺してしまえ」という方法が,皮膚(創面)では取りえないというか,ありえないことだ。蟻の巣の場合は働き蟻の供給源は女王蟻一匹だけだが,皮膚の場合,皮膚全体が常在菌の供給源というか住処,つまり巣穴になっているのだ。
従って,皮膚(創面)を消毒してその部位を無菌化したとしても,それは目の前の地面が殺虫剤で「一時的に無蟻地帯」になっただけのことであり,女王蟻(あるいは巣)が健在である限り働き蟻はすぐに元の数に戻ってしまう。
このように考えると,皮膚(創面)の消毒は,組織傷害性などの問題以前に,どれほど無意味な行為かわかるはずだ。
もしも蟻の巣を殺虫剤で全滅しようとしたら,一日中蟻の巣穴の前に張りつき,殺虫剤をかけまくるしかないだろう(もっとも蟻の方も別の巣の出口を作るという対策を取り,結局蟻の巣は全滅できないだろうけどね)。
同様に皮膚(創面)を消毒薬で無菌状態を維持しようとしたら,30分ごとに消毒を繰り返すしかないだろう。消毒に感染予防の効果があると信じている医者・看護婦は,最低でも一日48回は消毒すべきである。
(2002/06/24)
細菌を蟻に例えると消毒がらみの話,無菌操作がらみの話が非常にわかりやすくなる。前回の例えをさらに敷衍すると,いろんなことが明確になってくるのだ。
あなたの家に庭があり,蟻の巣穴があるとしよう。蟻の種類はクロオオアリ(別にアメイロケアリでもクビナガアシナガアリでもいいわけだけどね・・・っていうか,クロオオアリにする必然性もないか・・・)。もちろん庭の表面が皮膚ですね。蟻の巣は皮膚の毛穴に相当するのかな?
庭(皮膚)には蟻が沢山這いまわっている。これが要するに皮膚の常在菌と言うわけだ。ちなみに庭はこの蟻のお陰で死んだ昆虫の死骸もなくきれいな状態を維持できている。つまり,庭(皮膚)にとって蟻(常在菌)は必要な存在。
同様に,殺虫剤が消毒薬に相当するが,この殺虫剤は人体には有害な成分で作られているんだ。
「開放創(皮膚欠損創,褥瘡,熱傷創など)」とは庭の一部を掘った状態に相当する。当然,蟻は庭の他の部分同様,掘れた部分の上も這いまわる。これが「皮膚欠損創面には常在菌がいて当たり前」というのの説明。「皮膚欠損創を消毒しても無駄」というのは,この「掘れたところにいる蟻」を殺虫剤で殺すようなもの。殺虫剤で蟻は殺せるけど,すぐにほどなく別の蟻が這い出てくるだろう。
そして掘れた部分を土でならしてやると,傷は修復されることになるが,この操作において蟻がいようといまいと関係はない。つまり,庭を修復する上で,蟻を除去する必要はない。同様に皮膚欠損創の治療において,創面の常在菌を除去する必要はない(このあたりは全然,説明になってないじゃん・・・書いてから気が付いたりして・・・)。
蟻は蟻の巣の中と庭表面にしかいない。つまり蟻の巣以外の地中には蟻は存在しない。これが人体で言うところの臓器,組織に相当する(肝臓とか肺とか皮下組織,つまり本来無菌のもの)。そしてこの「蟻の巣以外の地中」になぜか,お菓子貯蔵庫があるわけですよ(・・・ちょっと強引)。
土がちょっと掘れたくらいなら問題ないが,この「お菓子貯蔵庫」に蟻が入られては困る。ましてやここに蟻の巣を作られたらもっと困る。これが感染に相当する。
例えば手術というのはこのお菓子貯蔵庫に向かって穴を掘る作業である。だから掘る部分に蟻がいては困るから掘る前に殺虫剤をまくのは意味があるだろう。当然,穴を掘る道具に蟻がついていては困るので,道具を殺虫剤で「消毒」するのも必要だ。これが手術執刀前の皮膚の消毒,手術器具の滅菌に相当する。
だから,執刀前に皮膚を消毒するのは意味があるし,滅菌の手術器具を使うのも意味がある。
もしも穴掘り作業中に蟻の侵入を防ぐのであれば,作業前に殺虫剤をまき,庭全体を防水シートを敷き詰め(それこそ蟻の這い出る隙間もないようなシートね),それから掘っていく方法が考えられる。これが手術の際のドレープ使用の意味。ただし術中の感染予防には有効だが,シートの下には蟻が這いまわっているわけで,ドレープの端っこが剥がれると,蟻はすぐに這い出てくることだけは念頭に置く必要がある。
蟻が貯蔵庫に入ってしまったり,そこに巣を作ってしまったらどうするか?
もちろん,蟻に殺虫剤をかけることは可能だが,そうするとお菓子も食べられなくなってしまう。手段としては女王蟻を見つけて殺すか,人体に影響がなく蟻だけ殺してしまう薬を使うことだけだ。前者がデブリードマン,後者が抗生剤投与に相当する。
ただ,この薬を長期間使っていると,クロオオアリが絶滅した後に隣の庭からその薬に強い別の蟻(サムライアリとか)が侵入して増えることがある。これが耐性菌への菌交代,ってやつだな。
こうやって考えると,手術創に滅菌ガーゼをあてたり無菌操作するのがおかしいことがよくわかる。
前述のように,「深部への穴掘り作業(=手術)」が終わり,地面がきれいにならされると手術終了。手術前には殺虫剤をまいて蟻を殺したはずなんだけど,手術が終わる頃には殺虫剤の効果も薄れ,巣穴から出てきた蟻が,手術前と変わらずに這い回っている。
無菌操作というのは,「本来蟻がいない部分に対し,外から蟻を持ち込まないように」するための操作だ。ところがこの穴掘り作業後の庭には蟻は一杯いる。「外から蟻が入り込まないように」と操作しようがしまいが,蟻の数は変わらない。つまり,無菌操作をしようとしまいと,手術創の蟻の数は状態は変わらないのだ。
(2002/06/24)
以前,「細菌を蟻に例えると -その1-,-その2-」と書きましたが,ちょっと意味が判りにくいという声があったため,わかりやすい(?)図で再度説明。絵が幼稚,なんて言わないこと!
なお,画面は1024×768ドット,あるいはそれ以上でご覧下さい。これより小さいと図の説明が読みにくくなります。
皮膚が地面,皮膚常在菌が蟻(赤いからエゾアカヤマアリだな,きっと),毛穴が蟻の巣穴ですね。 |
消毒薬に相当するのが殺虫剤。これを地面を這いまわっている蟻を殺すために地面に噴霧する。 ちなみに,たいていの殺虫剤は人体にも有害だけど,これも消毒薬に似てますね。 |
するとめでたく(?)地面の蟻は全滅できた・・・・が,巣穴の中の蟻の数は殺虫剤をまく前と変わっていない。 |
かくして,殺虫剤の効果が消えると,また地面は蟻だらけ。 いったい何のために殺虫剤をまいたんだっけ? 殺虫剤をまいてもまかなくても同じじゃん。じゃぁ,まかなくてもいいんじゃない? |
要するに,「蟻の供給源」としての蟻の巣がある限り,地面に殺虫剤を振りまいたところで,蟻がいないのは短時間に過ぎない。時間がたてばありはまた這い出してくる。皮膚常在菌なのだから当たり前である。
皮膚の消毒も同様。皮膚(あるいは粘膜,創面)を消毒してもその効果は一時的なものに過ぎない。一時的にでも菌がいなければいいという場面(例:IVHを挿入するとか,これから皮膚を切開して手術するとか)では,皮膚の消毒は意味を持つが,それ以外で皮膚を消毒するのは意味がないのだ(例:IVH挿入後に皮膚を消毒する。手術創を消毒するなど)。
で,次なるモデルを考えてみる。エゾアカヤマアリの巣の近くにツヅレサセコオロギがいる場合。
エゾアカヤマアリとツヅレサセコオロギが仲良く(?)遊んでいるの図。 蟻は巣を持っているが,コオロギは巣を持っていない。つまり,コオロギの「供給源」はない。 |
ここに殺虫剤をまくの図。 |
蟻もコオロギも一緒に殺され,地面から昆虫の姿が消える。 |
しかし,蟻の巣が健在なので,蟻だけがまた地面を這い回る。つまり,コオロギだけがいなくなる。 |
つまり,常在菌(=蟻)と外来菌(=コオロギ)がいる場合,消毒することによって後者は除くことができることになる。これは消毒薬のみならず,抗生剤の投与でも重要な概念になる(・・・と思う)。
何度も書いてきたように,褥瘡や熱傷,開放創面から検出される細菌のほとんどは,周囲の皮膚から移動してきた「皮膚常在菌」,すなわち蟻と同じだ。だから,抗生剤を投与して褥瘡創面,熱傷創面の細菌を消そうと思ってもうまくいかないのだ。一時的に消えたと思っても,耐性菌に菌交代してしまうのが関の山(これは「隣の庭の蟻」がこちらの庭に入ってくるようなもの)。
しかし,肺炎球菌による肺炎で抗生剤投与をするのは,コオロギに殺虫剤をふりまくのと同じ。肺炎球菌は呼吸器や皮膚の常在菌でないため(要するに巣を持たないコオロギ),一度全部消してしまえば,よそから菌(=コオロギ)が侵入しなければ肺炎は再発しない。
ちなみに,このモデルを使うと褥瘡,熱傷,皮膚欠損創はどうなるかというと,
これは褥瘡,熱傷,皮膚欠損創がない状態。健常は皮膚って,こんなに細菌(皮膚常在菌)がうごめいているものです。 皮膚常在菌が居てはじめて皮膚って健康なんだなぁ(・・・立松和平風・・・ってみんな覚えているかな?)。 |
庭の一部が掘れてしまった。これが褥瘡や皮膚欠損創のでき始めの状態。 掘れた部分(=潰瘍創面)にはまだ蟻は入り込んでいない。 |
でも,ちょっと時間がたつと,掘れた土の表面(=褥瘡や皮膚潰瘍の創面)にも蟻が這い回ってくる。 この掘れた部分だけ蟻に殺虫剤をかけても(=褥瘡などの創面を消毒しても),時間が立てばやはり蟻は掘れた部分に入り込んでくる。 |
ちなみに,この図で掘れた穴はどうすれば元通りになるかというと,土をかけて埋めるだけである。蟻がいようといまいと,せっせと土をかけていけば,やがて穴は平らになる。
褥瘡や皮膚欠損創の場合は,図のオレンジの部分に蓋をしておくだけで,オレンジの部分が自然に盛り上がり(=肉芽が上がり),やがて上皮化する,というのに相当する。
(2002/11/17)
更にこの「細菌=アリ」理論を手術に敷衍する(・・・いまさらながら強引な展開!)。手術における術野の消毒,無菌操作,閉創時の操作の意味がよくわかる(・・・はずだ・・・多分)。例によって,眉に唾を塗りたくってからお読みいただきたい。
まず,手術の対象である深部臓器とは何かというと,「庭の土の中に埋まっている食糧貯蔵庫」である。 もちろん,食糧貯蔵庫はアリの巣とも,地面とも直接繋がる部分はなく,アリ一匹入り込む余地はない。もちろん,アリもいない(だから無菌) |
手術とはどういう操作かというと,「庭の中に埋まっている食糧貯蔵庫を開け,食料を取り出す操作」である。 で,問題はどこにあるかというと,貯蔵庫(=深部臓器)にアリが入り込むと非常にまずいこと(食料が変質するとか,アリが食べちゃうとか・・・)。 しかし,貯蔵庫に到達するには,庭の土を掘らなければいけないが,庭にはアリがたくさん。さぁ,どうする? |
「アリが貯蔵庫に入らないようにして,貯蔵庫に通じる穴を掘る」ためには,アリがいないところを掘ればいい。 つまり,アリがいない状態を作って,そこを掘ればいいはずだ。 これが「殺虫剤で地面のアリを全滅」作戦,すなわち「手術前の術野の消毒」に相当する。執刀前の術野の消毒とはこういう意味を持っている。 |
殺虫剤によりアリがいなくなった地面(消毒で無菌になった皮膚)を掘って貯蔵庫に到達し,食料を取り出し,掘った穴を埋めることができれば,アリは貯蔵庫に侵入できないことになり,深部臓器の感染も起きない。 また穴掘りに使うスコップも,アリがつかないように事前に滅アリ(滅菌)処理しておくべきである。これが「滅菌している手術器具・材料」を使う意味。 |
ところが,これはあくまでも「殺虫剤の効果が効いている間に全ての操作を終了」できた場合の話で,殺虫剤の効果がなくなれば,またアリはアリの巣から這い出してきて・・・。 |
もたもたしていると,アリは貯蔵庫の中に入り込んでしまう。 つまりこの例でわかるとおり,執刀前の術野の消毒は必要だが,「消毒により術野は無菌になっている(はずだ)」と考えるのは間違っていることを意味する。一時間以上の手術の場合,術野に露出している患者の皮膚は,決して無菌ではないのである。 |
さて,もしも最後の例のように「貯蔵庫にアリが侵入」してしまったら,どうしたらいいだろうか? ここで「貯蔵庫内に殺虫剤(=消毒薬)をまく」というのは非常にまずい。貯蔵庫そのものを壊してしまうし(これが「消毒薬の組織障害性」),食料だって殺虫剤まみれでは食べられなくなる。
この場合に有効なのは,「大量の生理食塩水で貯蔵庫を洗ってしまえ」という方法。いくらアリがたくさんいても,大量の水で繰り返し洗えば,アリはゼロにできるはずだ。これなら貯蔵庫が壊れる心配はないし,食料もちょっと味が落ちる程度(・・・ということにしてください)。
あるいは,術前,術中から抗生物質を投与し,アリそのものの絶対数を少なくして,掘った穴から侵入するアリを少なくする,という方法も有効だ。ちなみに「術後の抗生剤予防的投与」とは「アリが貯蔵庫に入り込んでいないのに,アリを殺す薬を投与」する行為と等しく,本質的に意味がないことがわかる(従って,術後の感染予防のためには,抗生剤は術前,術中投与すべきで,術後投与は推奨されていない)。
こんな風に考えてみると,どんな場合に消毒は意味を持つのか,そもそも消毒の意味とは何なのか,無菌操作とはどんな場面に行うものなのか,滅菌物はどういう場面で使うべきなのか・・・がわかってくると思う。
(2002/11/26)