外科の教科書は「炎症学」や「外傷学」で始まる。炎症とは何か,外傷の治療とは何かを教える学問だ。まさにこれらは外科の基本である。
しかしこれはあくまでもタテマエの世界である。日本の医学教育で外傷学は実在しないのである。
外科で教える「外傷」とは腹部外傷であり胸部外傷だ。つまり,肝臓破裂とか肺挫傷とかいうやつ。一方,脳外科で教える「外傷」とは脳挫傷であり頭蓋骨骨折である。整形外科での「外傷」は骨折や腱断裂,頚髄損傷,脊髄損傷とその合併症だ。皮膚科で教えるのが熱傷であり,形成外科で教えるのが顔面骨骨折などだ。
だが,最も一般的な外傷は脳挫傷でも肺挫傷でも顔面骨骨折でもない。皮膚の裂傷であり擦過傷であり挫傷,すなわち「皮膚外傷」だ。しかし,現在の医学界に「皮膚外傷」という言葉は存在しないし,医学教育においてもこの言葉は存在しない。いわば,最も多い外傷なのに,その扱いや治療について教育がなされることはない。
しかし,現実の医療現場に出ると,「皮膚外傷」の患者は外科や整形外科外来をひっきりなしに訪れる。来ない日がないというくらい,患者は多い。
それでは,こういう患者に対する治療法を,医者はどうやって学んでいるのだろうか。
実は,新米の医者にこういう皮膚外傷の治療法を教えてくれるのは先輩医師だ。外傷患者が受診した時,どういう手順で縫合したらいいのか,どういう治療法があるのかを教えてくれるのは先輩医師だ。
もちろん「救急マニュアル」の類には治療法が書かれているが,現場で血だらけになった患者が来た時に,マニュアルを広げて読んでいるヒマなんてないのである。一刻も早く創を縫合しないといけないのである。従って,先輩医師の言う通りに処置を行ない,縫合するしかない。
この先輩医師が教えてくれた方法だが,彼はどのようにして学んだものだろうか? マニュアルを読んで覚えた? 独自で学んだ? ・・・・・
正解は,「そのまた先輩の医師から」である。そして,その上の先輩医師は,更に大先輩の医師から教えてもらったはずだ。つまり「皮膚外傷の治療」に関しては,先輩から後輩へと,「一子相伝」方式で伝わっているのである。こういう方式を徒弟制度,あるいは家元制度と呼ぶ。
そして,現実的に,このような一子相伝方式で伝わる治療法で,それほど困る事もないのである。いわば,100年前から伝わる治療法でも問題が生じないのである。科学的・医学的に正しかろうが間違っていようが,患者が治ればそれでいい,というプラグマティズム的な側面が医学にはあるからだ。
なぜ,100年前から伝わる「消毒してガーゼで覆う」方法でもあまり問題が生じていないかというと,人間がたくましいからである。人間の組織修復能力の方が強ければ,受けた治療がおかしくても組織を修復させてしまうのである。実にけなげなのである。
こういう「人体の強靭さ」があるからこそ,医者が間違った外傷治療をしている事に気が付かないし,「消毒してガーゼ」以外の治療法があるなんて考えなくてもいいのである。
そして,治療を受ける側の患者にしても,「怪我をしたから痛いのは当たり前」「火傷は痛いのが当たり前」「怪我をしたのだから跡が残ってもしょうがない」と最初から諦めているはずだ。だから,自分が受けている治療を正当のものとして甘受しているはずだ。
このような患者の無知をいいことに,外傷治療においてはいい加減な医療が許されてきたのだ・・・と,私は考えている。
(2003/04/28)