ショパンの時代の外科


 19世紀最大のピアノ曲作曲家,ショパンやシューマン,リストたちが怪我をした時,どんな外科治療を受けていただろうか? 私は趣味でピアノを弾き,なおかつ外科医でもあるので,こういう疑問を持ったことがある。

 結論から言うと,想像を絶するような状況である。ショパンが怪我をしたとか,腫瘍ができて手術を受けたとか,そういう記載は残されていないが(・・・自信ないけど),彼が外科医の治療を受けなかったと言うのは非常に幸運だったなぁと思う。


 19世紀,外科学は二つの発見で劇的に変化した。その一つは,1846年の発表された「全身麻酔法」であり,他の一つは,1867年に発表された「防腐法」(今で言う「消毒法」。つまり,麻酔により「苦痛の無い外科手術」を受けられるようになったのが,ショパンの最晩年であり,手術後に化膿し,そこから敗血症を併発して死ななくなったのがリストの晩年のことなのである。

 中世以来,内科学はその治療法が着実に進歩していたが,こと外科学の「治療法」に関する限り,全く何の進歩もなかったのである。
 解剖学は16世紀のヴェサリウスにより一挙に完成の高みに押し上げられ,どこにどういう臓器があり,どこを切ったら出血するかは,もう解明されていたが,解剖が分かっていても,手術できなかったのだ。つまり,外科医が治療できる疾患,外科の治療手段はグレゴリオ聖歌以前の時代から何世紀もの間,まったく変わっていなかった

 なぜか? 手術の苦痛により患者がショック死することがままあり,ショック死しないで助かったとしても,術後の敗血症で患者が死ぬ可能性の方が,はるかに高かったからだ。当時,外科手術を受けようと言うのは,死神に治療を受けるようなものだった。いわばそれが,19世紀半ばまでの世界の常識だった。


 もしもショパンが往来を歩いていて馬車にはねられ,下腿の開放骨折を受傷したら大事である(当時,馬車による開放骨折は大きな社会問題だった)。病院に何とか到着したショパンには,直ちに下肢切断手術が行われた。他に選択肢は無い。ぐずぐずしていたら敗血症で死ぬことは確実であり,手術で死ぬかもしれないが,手術を受けなくても必ず死ぬ
 しかし,その手術たるや,麻酔無し! 患者をベッドに縛り付け,口に猿轡をかませ,屈強な男4人くらいで全身を押さえ,手術開始! 麻酔としてはせいぜい,ブランデーを飲ませるとか,強い葉巻を吸わせるくらい。患者が泣こうが喚こうが気絶しようが,構わず,皮膚を切開し,骨を断ち切るのだ。うひゃああ,書いているだけで足が痛くなってきた。

 当時の外科医にとって,下肢の切断をどのくらい速くできるかが腕の見せ所だった。当時の記録によると,下肢切断に要する時間は,平均4分! スペインのラレーと言う医者は,なんと17秒(!)で一本落としたそうだ。
 これがどのくらい速いかと言うと,「カラマーゾフの兄弟」全巻を30分で読破し,ショパンの「練習曲集 作品10,作品25」の合計24曲を10分で演奏し,礼文島を出発して西表島に1時間で到着するようなものである。

 なぜ,それほど急いだかと言うと,患者が苦痛のあまりショック死する前に手術を終わらせよう,という理由以外の何物でもない。しかも,速く落とすほど,術後の感染(当時は,感染と言う概念そのものが無かったけど)が少ないことが,経験的に知られていたからだ。


 おまけに当時は,「傷が化膿するのは,傷が治るために必要な現象である」という学説が信じられていた。これを唱えたのが,当時最高の病理学者といわれた,かの有名なるウィルヒョーその人である(胃癌の「ウィルヒョーリンパ節転移」って知っているよね)。化膿せずに傷が治るなんて,誰も考えなかった。

 「膿が出るのは傷が治る前兆」「膿が出ない傷が治るわけがない」と医者は誰でも信じていたのである。何しろその説を提唱しているのは,当代きっての大学者。反対するバカはいなかった。


 当時の外科医の格好は,今みたいに「白衣」を着ているわけじゃない。血や膿がついても汚れが目立たないように,との配慮から「黒」のコートを着て手術するのが普通。しかも,それを洗濯するわけじゃなく,汚れっぱなし。手術に入る時も,せいぜい腕まくりをするだけで,術前に手を洗う医者は,例外中の例外,大多数の医者は,手についた汚れを服の裾でぬぐうだけ。しかも,大学病院の外科医ともなると,病理解剖も自分でしていた訳で,感染症で死んだ患者の膿を直接触った手で,それを洗いもせずに,素手で手術を始めちゃう
 これで,術後,感染しなかったら奇跡である。当時の記録によれば,手術後の死亡率は50%〜70%に達していたと言う(死因はもちろん,敗血症)。ま,感覚的には「手術で死ななければ儲けもの」だな。


 そして,照明の問題。当時,明かりと言えば,太陽光か月の光,ロウソクかランプ(油を燃やすランプね)だけだった。現在の私たちにすれば,ほとんど,「蛍の光,窓の雪」程度の明るさである(・・・と言うよりも,「暗さ」と言った方がいいんじゃないだろうか?)。つまり,手術をする医者の周りでは,ロウソクをつけた燭台の位置を調節するのが助手の仕事だった。当時の記録によると,ジャン・バルジャンもかつて手術助手をしていたことがあり,そっと銀の燭台を差し出していたらしい。

 つまり,当時の外科医は,風に揺れるロウソクの炎のかすかな明かりを頼りに,手術を行っていた訳である。ううむ,想像するだに恐ろしい。それにしても,こう言う状況下で,わずか数分で足を切断していうのだから,当時の外科医,恐るべし。


 つまり,ショパンやリストの時代の外科治療は,15世紀の作曲家,リュリが指揮の際に指揮棒(当時は棍棒で床をたたいてリズムを取っていた)で自分の足をつぶしてしまい,そこが化膿して敗血症で死んだ時代と,ほとんど変わっていなかったことになる。
 バッハもヘンデルも白内障に罹患し,同じ眼科医の治療を受けたが手術の失敗がもとで失明した・・・と言うのが有名な史実であるが,どうも当時の外科治療の水準を考えると,失明しない方が珍しかったのではないか,という気がする。

 今日の感覚からすると,13世紀のグレゴリオ聖歌の歌い手も,モーツァルトもベートーヴェンも,シューベルトもショパンも,過酷な時代に生きていたわけだ。彼らが,大きな怪我をしなくてよかったなあ,と思わってしまう。


 なお,参考文献としては,『外科の夜明け』(トールワルド,講談社 地球人ライブラリー)と,『外科学の歴史』(ダレーヌ,白水社 文庫クセジュ)をあげておく。特に前者は,感動に溢れた名著中の名著!

(2002/11/07)

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