眼瞼下垂症の吊り上げ術で思うこと


 眼瞼下垂症と言う病気がある。「上まぶた(上眼瞼)が上げられない(上がらない)」という症状があり,原因はさまざま。多くは眼科で治療(手術)するが,形成外科を受診する事も多い。

 そこで,通常行われている手術の一つに以前から疑問を持っていた・・・というか,この手術は無意味じゃないのか,とずっと考えている。創傷治療とは関係ないが,「人体の組織が治るとはどう言う事なのか」を考える上で非常に面白いので,敢えてここで取り上げてみる。


 まず,眼瞼下垂症で通常,まぶたを上げる筋肉(眼瞼挙筋)の力が弱かったり,伸びてしまったりすると起こる。弱くなった筋肉を強くする事は不可能なので,通常は「挙筋短縮術」という「眼瞼挙筋を短く切って繋ぎ直し,弱い力でもまぶたが上がる」ようにする。ほとんどの場合は,これでうまくいく。

 しかし,眼瞼挙筋が全く働いていない場合があり(先天性の症例に多い),この場合は挙筋を短くしても意味がない。
 そこでどうするかと言うと,「眉毛を上げる筋肉」である前頭筋の力を借りる。要するに,「眉毛を上げようとするとまぶたも一緒に上がる」という仕組みを新たに作るのだ。これを「吊り上げ術」と呼び,さまざまな術式が開発されてきた。

要するに,上眼瞼と前頭筋(眉毛の下にある)との間には数cm距離が離れているので,前頭筋の力を上眼瞼に伝えるためには,「何か」でこの二つを連絡する必要がある。これに何を使うかで,術式が異なってくるのだ。


 念のために病院図書館にあった眼科の教科書を見てみた。『眼科学』(東京文光堂 2002年2月発行)という最新の教科書である。そこで「吊り上げ術」の項目には以下のように書かれている。

眼瞼挙筋に全く機能がない場合,挙筋短縮は無効で,前頭筋の力を眼瞼後葉に伝えて開瞼させるしかない。これが前頭筋吊り上げ術。吊り上げ術では吊り上げ材料に何を使うかが問題。自家組織(筋膜,腱),同種組織(保存強膜),人工材料(スプラミッド糸など)がある。自家移植は確実であるが,過矯正をきたすことがある。同種組織や人工物は感染の危険がある。しかし余分な手術が不要で,特に人工材は術後過矯正にならないので(逆に戻る事があるが),筆者は幼児に好んで利用している。

まぁ,一般的な教科書的な記述で,イチャモンをつけられそうな部分がなさそうに見えるが,実は最後の部分の「特に人工物は術後過矯正にならないので(逆に戻る事があるが),筆者は幼児に好んで利用している」というくだりが,明らかにおかしいのだ。非科学的な記述なのである。

つまり,「逆に戻る事がある」のではなく,「百発百中,後に戻る」からだ。こんな事を書くと,世界中の眼科医に反論されそうだが,この手術で永続的な「上眼瞼を上げる」機能が保てるはずがない。物理的に不可能だからだ。おかしいものは絶対におかしい。

ちょっと前置きが長くなったが,以後これを論証する。


 実際の術式はこのようになる。

  1. 二重まぶたのラインと,眉毛上部を切開。
  2. 瞼板にスプラミッド糸をかけ,両端を糸で補強。
  3. スプラミッド糸を眼輪筋の裏を通して眉毛上部の切開部から引き出す。
  4. ちょうどいい位置で目がパッチリと開くように,糸を結ぶ。

 この絵を見ていると,糸(赤の実線,点線)で眼瞼と前頭筋が連結され,いかにも眉毛を上げるとまぶたも上がりそう・・・・・に見える。だが,ここがおかしいのだ。


 要するにここでは,「瞼板とスプラミッド糸」が縫いつけられ,「前頭筋(あるいは皮下組織)とスプラミッド糸」が結ばれている。スプラミッド糸と言うのがどういう材質かは不明だが,恐らく「合成・非吸収性・編み糸」の類だろう。恐らく抗張力(要するに引っ張りに抵抗する強さ)は強いはずだ。

 一方,瞼板は軟骨である,丈夫なように見えるが,所詮は軟骨。強い力が加われば簡単にちぎれてしまう。
 また,眉毛上部の皮下組織(あるいは筋肉)にいたっては,瞼板よりさらに弱い。真皮組織はかなり丈夫だが,強い糸をかけて強く引っ張れば簡単に裂けてしまう。さらに筋肉はもっと脆弱だ。


 これは以前論じた「紙の端に穴をあけてナイロン糸を通し,糸を引っ張るとどっちが切れる」という話と同じ。

 この術式の場合,構造的に最も弱いのは眉毛上部の皮下組織なので,術後ほどなく,糸は組織の中に食い込み,どんどん下の方(つまり瞼板のほう)に移動するはずだ(具体的に言うと,組織が糸で裂けて修復,が常に繰り返される)
 で,どこで眉毛上部の糸の移動が終わるかと言うと,「糸が引っ張らなくなった場所」である。つまり,「吊り上げ」の力が加わらなくなった場所だ。

 上記の教科書で「(人工物による吊り上げは)術後,後に戻る事がある」と書いているが,単に「後戻りするような」手術なのである。生物学的,物理学的に意味がない手術としか思えないのだ。
 この手術を推奨している先生方は,こんな目で手術(そして人体)を見た事がないのだろうか? こんな術式に疑問に思わないのだろうか?


 実は私は,「先天性の眼瞼下垂で,幼児期に眼科で縫合糸による眼瞼吊り上げ術をうけたが,1年もしないうちに眼瞼が上げられなくなった」という症例を幾つも見ている。そのたびに,自家筋膜移植による手術を行っているが,3年くらいの経過では眼瞼下垂の再発はない。
 また,これらの手術の時に前回の手術で吊り上げに使われた糸を探すと,眉毛上部よりかなり低い位置に移動している事がわかる。

 生体の中で,一つの筋の収縮を,物理的なモノで連結された地点に及ぼそうと思ったとき,その二つの地点をつなぐモノはやはり,生体組織でなければ意味がないと思う。丈夫な人工物(スプラミッド糸のような)と生体組織を物理的に連結させても,結局は両者の力比べになり,強い方は残るが,弱い方は切れるかちぎれるかのいずれかだ。

 こういう,ごく当たり前の発想(と私は思う)をしないのか,私にはとても不思議だ。

(2002/10/03)

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