手術用縫合糸をめぐる問題


 例えば,鉄板の端っこに穴をあけてナイロン糸を通し,力一杯引っ張ったとする。どうなるか・・・と言うともちろん,ナイロン糸が切れ,鉄板はびくともしない。
 では,同じ太さ,同じ材質のナイロン糸2本同士を結び合わせて引っ張ったらどうなるか。この場合は2本の糸が同時に切れるだろう。
 では,薄いコピー用紙に穴をあけてナイロン糸を通し,引っ張るとどうなるか。もちろんこの場合は,紙が切れてナイロン糸は傷一つついていない。


 そんな当たり前の事を何で書くの? と,言わないで欲しい。次の場合はどうなるか,ちょっと考えて欲しい。

  1. 皮膚に穴をあけてナイロン糸を通し,糸を強い力で引っ張る。
  2. アキレス腱に太いナイロン糸を通して引っ張る。
  3. 太い骨の真中に糸を通して引っ張る。

 最初の例は皮膚が裂けることはすぐに想像できる。
 最後の例は通常であれば,糸が切れて骨はなんともない。しかし,穴をあける位置が骨の端っこだったら,骨が先に砕けるかもしれない。これは糸の強度の骨の強度の力比べだ。
 では2番目の例はどうだろうか? この場合は,「太くて丈夫な糸」であれば腱が裂け,「細くて丈夫でない糸」であれば糸が切れる。

要するに,構造的に弱い物が切れ, 強い物が残る。当然と言えば当然,恐らく,幼稚園児にも理解できる簡単な原理だろう。
 ところがこれが医学現場になると,これがなぜか忘れられてしまうのだ。


 例えば,「アキレス腱は強い力が加わる部位なので,太い糸で強く結ぶ必要がある」というのは正しい考えだろうか?
 もちろん間違いだ。どんなに太くて強い糸で力一杯に腱の断端を縫合したとしても,一定以上の力が加われば,糸は切れなくても腱が裂けてしまうからだ。
 要するに,腱を糸で縫合しているのは「見掛け上」で腱が繋がっているだけであり,腱の断端が組織学的に繋がって(腱の組織が再生し,血流が再開する)こそ,腱が繋がったと言える。


 となると,「強い力が加わる部位だから,非吸収性の糸で縫合しよう」というのも,論拠が非常に怪しくなってこないだろうか?

 要するに,「組織の再生」が完了すれば固定用の糸は必要ないし,いくらたっても組織として再生がなければ,結合用の糸が残っていても意味がない(強い力で引っ張れば,組織の方が切れるから)

 となると関節形成術をターゲットに販売されている「ナイロン(ポリエステル)の編み糸」も,本当に必要なのか,という気がしてくる。これらの糸は,強い抗張力と強い結節保持力を持っていることを売り文句にしているのだが,「組織は糸でくっついているわけではない」のだから,上述の性質は必ずしも必要なものではないように思われる。


 こういう風に考えてみると,「この部位はテンションが強いから1号プロリンを使うぞ。外科結節,男結びで5回以上結べ」という先輩医師の教え(命令?)も,実はとても怪しいものである事がわかる。つまり,縫合している組織の強さを上回る力が縫合部に加われば,糸が切れる前に組織が切れてしまうからだ。従って,縫合糸だけ丈夫なものにしても全く無意味である。

 要するに,強い縫合糸を選ぶのでなく,縫合部に強い力が加わらないように工夫しなければ(ギプス固定とかでね),根本的な解決にはなっていないのである。大抵の場合,縫合している糸より人体組織の方が弱いのだから,「縫合糸の太さ,抗張力,結節保持力,どのくらいで吸収されるか,何回結ぶか,男結びか女結びか」というのは実は,本質的な問題ではないのである。


 骨折治療に使うプレートの物理的強度を問題にする人がいるが,これはナンセンスだろう。同様に,プレートを固定するスクリューが抜けにくい構造をしているというのも,本質的な問題ではないと思う。
 強い力が加われば,骨が砕けるか,プレートが折れるか,スクリューが抜けるかのいずれかだからだ。いくらプレートとスクリューが強固であっても,それ以上に強い力が加われば骨が折れてしまう。「骨も砕けず,プレートも折れず,スクリューも抜けず,しかも骨折部位に強い力が加わっても大丈夫」というのは,理論的にありえないのだ。

何だか縫合糸から遠いところに来てしまったが,本質は同じだろう。医学と言えども力学的バランスを忘れた議論は意味がない。構造的に強いものと弱い物があれば,弱い物が負け,強い物が残るしかないのだ。

こういう「当たり前」の感覚を医者は忘れるべきではないと思う。これを忘れると,縫合糸の種類とか太さとか,結紮の方法とか,そういう瑣末な袋小路に入り込んでしまうだけだ。

(2002/09/30)

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