手術で絹糸を使う理由?


 あるメーカーから「手術に使う糸を絹糸の替わりに,欧米並みに合成吸収糸に切り替えたいと考えているのだが,どうしたらいいのでしょうか」と相談を受けた。なんでも現在,手術用の糸に絹糸をこれほど使っている国といえば,中国,中南米が中心で,サミット参加国では手術で絹糸を使っているのは日本だけであり,それ以外の国では絹糸そのものが使われていないらしい(そのメーカーに聞いたところでは)
 もちろん,日本の医療現場では血管結紮と言えば絹糸,筋膜縫合と言えば絹糸,皮膚縫合と言えば絹糸・・・と言う具合に,絹糸が頻用されているのは,皆様ご存知の通りである。

 外科医であれば誰でも,絹糸が感染源になって縫合糸膿瘍を起こしやすい事,いつまでも吸収されないため体内に異物として残存する事(つまり,永久に感染源になる危険性を持っている)を知っているだろう。
 創感染の機序から考えても,構造的に感染源になる危険性の高い編み糸(=絹糸)ではなく,モノフィラメントの糸(吸収糸でも非吸収糸でも)を使うべきであることは自明の理だろう。私はかなり前から手術の際,絹糸は全く使っていない。


 しかし絹糸は結びやすくほどけにくい(つまり,手術で使いやすい)。そして値段も安い。手術の際,糸は手術材料として請求できないため,できるだけ安上がりの材料を使わなければ病院は損をしてしまう,と言う事情もある。
 また,絹糸が感染源になったり,異物として炎症を起こすといわれても,自分はそんなのを全く見た事がないし,これまで何十年も絹糸を使っているけどトラブルを経験していない,と主張される先生も多数いらっしゃると思う(実際には,偉い先生は自分でトラブルを経験していないだけで,本当は下の先生が縫合糸膿瘍を処理しているために気がつかないだけだったりするんだけどね・・・)

 そして,「ここは絹糸を使って縫合する。この血管は絹糸で二重に結紮処理する」なんて明記された「手術のマニュアル」が存在することも絡んでくる。要するに「腸管吻合の際,serosaは絹糸で縫合する」とか「筋膜を縫合する際は絹糸を使う」という手術の手順が決められていて,これは医者になりたての頃に覚えさせられるため,これを絶対的な手順として,守るのが当然,守らなければいけないと考えている医者も多い(ようだ)


 もちろん,少し考えれば,「ここでは絹糸を使って縫合」なんて手術手技は,絹糸と数種類の縫合糸しかなかった時代の偉い先生が決めただけであり,永遠の真実ではない事がわかりそうなものだ。しかし,こういう決まりを守る事が手術だ,という意識を医者が持っている限り,絹糸神話はなかなか崩せないような気がする。

 要するに,他の先進国の外科医たちがしているように,絹糸を追放し,より感染の危険性の少ない合成糸に切りかえるには,その糸の値段を絹糸以下に安くする事も重要だが,それ以上に,上述のような「これはこうするものだ」という医者の意識をどうにかして替えない限り,難しいのではないだろうか。


 それにしても,絹糸を使って手術をしている国は先進国では日本以外は皆無,というのもなんだか物悲しい状況である。
 何しろ,「なぜ絹糸を使っているの?」と尋ねられた時,答えとしては「値段が安いから」,「使いなれているから」,「先輩から使えと教えられたから」という三つしかない訳で,これはちょっと情けない状況ではないだろうか・・・違うかなぁ?

(2002/09/02)

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