クリーンルームというのがある。医療関係者なら誰でも御存知だろうが,わかりやすくいうと,空中の微細な粉塵や細菌を除去した部屋,という意味である。要するにエアフィルターで細菌などの「感染の原因となる邪魔者」を取り除き,感染が起きない状態で手術をしようというシステムだ。
外科手術では臓器移植や人工骨頭置換術など,感染が絶対に起きて欲しくない手術でよく使われる。またインターネットで「クリーンルーム 手術」で検索してみると,クリーンルームを持っていることを売り物にしている眼科の病院(白内障などの手術を清浄な環境で行うので感染しないと宣伝している)や歯科医院(人工歯根移植を清潔な部屋で行うので感染しないと宣伝している)がかなりあることがわかる。
「手術の感染予防のために空気まで清浄にしているんだから,安全に手術を行える」というのは何となく納得させられるのだが,これは本当なのだろうか? 空気中の粉塵や雑菌を100%ブロックしさえすれば,本当に感染は予防できるのだろうか?
私にはそう思えない。空気をきれいにすることと,その中で行われる手術の感染を防ぐことには全く関係がないからだ。はっきり言って,クリーンルームは見せ掛けの感染予防に過ぎないと思う。少なくとも整形外科関係の歯科関係の手術では意味がない。これらの手術ではクリーンルームであろうとなかろうと,感染率に変化はないと私は推論する。以下,その理由を述べる。
何度も書いているように,人間の皮膚を消毒しても無菌化できるのはごく短時間である。イソジンの場合,皮膚に塗布した後,自然乾燥(10分は必要)させればその時は消毒面は無菌状態にできる。しかしその効果が続くのはせいぜい1時間とされる。つまり,理想的な状態であっても,消毒した皮膚が無菌であるのはわずか1時間。もしも,塗布したイソジンをガーゼで拭き取ったり,生理食塩水ガーゼで拭いたりすれば,無菌状態はもっと短くなる。ましてや,ハイポで脱色しようものならイソジンの殺菌効果はすぐになくなってしまうから,消毒した医者は「消毒した」つもりになっているだろうが,実際は無菌から程遠い状態になっているのだ。
つまり,執刀前にいくら皮膚消毒をしても,手術の進行と共に切開部周囲の皮膚の細菌(皮膚常在菌)は徐々に数を増し,1時間もすると「消毒前」の状態に戻っている。ということは,手術野に露出している皮膚は「無菌」ではないのである。
要するに,クリーンルームのエアフィルタが頑張って空気を清潔にしてくれても,患者自身の体(術野の露出している皮膚)が細菌の供給源となっているのだから,クリーンルームだろうとそうでなかろうと,皮膚から侵入する細菌の数は変わらないのである。
滅菌ドレープ(しかもイソジン付って奴ね)を皮膚に貼付してから皮膚切開をした場合はどうだろうか? この場合もドレープ表面は確かに無菌であるが,ドレープの下の皮膚はやはり常在菌がいつものように存在しているわけで,ドレープの端がちょっとでもめくれれば,やはり皮膚の細菌は侵入してしまうだろう。
もしも術野周囲の皮膚を滅菌にしておこうとするのなら,手術中1時間ごとに,イソジン消毒をして,10分かけて自然乾燥させなければ意味がない。逆の言い方をすると,1時間以上かかる手術で術前に1回だけ消毒しても,術野は清潔(=無菌)ではないのである。クリーンルームとは「見せ掛けの清潔さ」しか提供してくれないのだ。そんなクリーンルームに全面的信頼を寄せて,「この手術はクリーンルームで行うべきだ」なんていうのはナンセンスである。いわば「鰯の頭も・・・」的な信仰に過ぎない。
ましてや歯科口腔外科領域でのクリーンルームの使用となると,もうこれは理解不能・意味不明! 何のために使っているんだろう?
インターネットで検索すると,インプラント(人工歯根)埋め込みをしている歯科開業医でクリーンルームを設置していることを宣伝しているところが多い。いわく
「インプラント手術は日常の歯科診療とは別の専用の完全クリーンルームで行い雑菌管理は完璧です。」
「この診療室は全館クリーンルームの空調設備を持ち、NASA基準(0.5ミクロン以下の塵埃の1フィート立方中の個数)の100以下(通常は1億から2億)に保たれており、種々の生体移植手術も可能です。また、このシステムに使われる多種、多様の機材は最新、最良の設備により完全に滅菌消毒され、クリーンルーム内で厳重に保管されています。」
「クリーンルームとは、空気の汚れを取り除いた部屋のことです。歯科診療室はしばしば観血処置を行う手術室ですがインプラント手術などを除いて処置室のクリーンルーム化はなおざりにされています。インプラント手術はもちろん根管治療、歯髄保在処置、歯周外科手術などの予後や、細菌検査の精度は感染をどれだけ排除しえたかに左右されています。歯科診療室は一般手術室なみのクリーンさが求められています。 」
「患者さんとスタッフを感染から守るため器具、機材はおひとり毎に消毒滅菌を行っております。また、使用する水や空気も除菌や消毒をしていますので安心して治療をお受けください。(当院では特殊手術やインプラントのためのクリーンルームを設置しています。) 」という風に,クリーンルームを備えているから極めて安全に手術できることをうたっている。
オイオイ,これって絶対におかしいよ。
いくらきれいな雑菌のいない部屋にしたところで,口の中にはトンデモナイ数の常在菌がいるのだ。きれいな空気を吸わせたところで口の中が滅菌されるわけはないし,消毒などの方法を用いたところでせいぜい,ちょっと細菌が少なくなるくらいじゃないだろうか。
要するに口腔内の手術は大腸と同じで,どう頑張っても無菌にはできないのだ。クリーンルームにおいてもウンコは細菌だらけであるのと同様,クリーンルームでの患者の口の中は細菌だらけなのである。要するにこれは「クリーンルームを使っていますよ」という見せ掛けのポーズに過ぎないと思う。
このように考えると,クリーンルームでの手術で,血管の結紮に絹糸を使っているのも非常におかしな話だ。論理的に矛盾している。何しろ絹糸という奴は,手術に使う材料の中でもとりわけ感染源になりやすいのだ。つまり,血管結紮用の絹糸が術野の患者の皮膚に触れた瞬間,常在菌がくっつく可能性がある。そういう絹糸を無造作に人工血管や人工関節などの周囲に使うのは危険極まりない行為だと思う。
空気中の細菌を気にするより,絹糸の使用を止めた方がよほど感染予防になるのでは,と思うがどうだろうか。
では,皮膚の常在菌を完全にシャットアウトするにはどうしたらいいか? 前述のように1時間ごと(現実には30分ごとだろうな)に術野に露出している皮膚を消毒するか(この場合,ハイポで脱色しちゃ駄目だよ),皮膚に空気も通さない皮膜を作るしかないだろう,スプレーとかで。
要するに執刀前に術野に露出する部分の皮膚に皮膜を作り,その上を念のため消毒する方法だ。これなら皮膚常在菌の進入を完全シャットアウトできそうだ。
問題は,皮膚の不感蒸泄も完全にシャットアウトされてしまうため,長時間の手術の場合,アセモが必発なこと。しかも皮膚の角質層も破壊されそうだな。となると,水分だけ透過する皮膜を作る? スプレーじゃ難しそうだな。となると,オプサイトIV3000 のような透過性のいいフィルムを貼る? でも,術中に剥がれたらどうする?
かように,術野の皮膚を無菌にするのは難しいのである。
(2002/07/20)