犬咬傷による上口唇組織欠損の治療例


 治療法,治療原則を知らないと,治療に難渋する(・・・というか,どうしたらいいか見当がつかない)外傷が,動物咬傷による組織欠損,特に口唇の組織欠損だ。今回はその治療例。

 口唇は目と共に最も人目につく部位であり,これらにちょっとした変形があっても非常に目立ってしまう。ましてやこれらに大きな組織欠損があると,その後の変形治癒は避けられない(ように見える)
 ましてや,組織欠損の原因が動物咬傷(もちろん,人間咬傷ってのもありだけどさ)だったりすると,感染の危険性が加わる。そして実際,動物に口唇を咬まれる人はそれほど珍しくないのである。

 というわけで,まず実例。


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  1. 受傷直後の状態。症例は70代の女性。上口唇赤唇部の7割が欠損し,白唇部も欠損しています。創の両脇には口輪筋の断端が見え,創中央部では口腔側の粘膜を残すのみで口輪筋はほぼ完全に欠損。
    受傷時,噴出すように出血したということだが,両側の口唇動脈は筋断端で切断されているようだ(受診時には止血されていた)
    なお,咬んだ犬は自宅の犬で,長年このおばあちゃんが散歩に連れて行ったり餌をあげたりと,毎日世話をしてきたという。「恩知らずの犬畜生」のような犬である。
    抗生剤はセファゾリンを点滴で一日のみ投与し,翌日,感染徴候が見られないことを確認してからは,抗生剤は全く投与していない。
  2. 軟膏(口に入れても安全だろうということでゲンタシン軟膏を使用。ワセリンでもよかったかな?)を創面に厚く塗布し,ティエールで覆ってみた。
  3. 受傷4日後。良好な肉芽形成があり,創面は肉芽で覆われている。この頃からハイドロサイトと軟膏の治療に切り替えた。味噌汁を飲むとティエールが味噌汁を吸い込んで重くなる,と言われたため。
  4. 受傷8日後。口腔側から粘膜が急速に伸びているのがわかる。
  5. 受傷11日後。粘膜,皮膚欠損部は急速に縮小し,口唇の形態も正常に近づいてきた。
  6. この頃から,デュオアクティブETのみとし,軟膏は中止した。よほど近づかないと貼っていることがわからないので,おばあちゃん,満足。
  7. 受傷14日目。創は完全に閉鎖し,口唇の形もきわめて良好。少なくとも,2週間前に上口唇が7割を失っていたおばあちゃんだとは信じられないのではないだろうか? 口唇はぴったりと閉じることができ,食事に支障はなく,もちろん発音にも変化はない。
    「入院して自分の傷の状態を見た時は,一生,マスクをつけて生活するのかな,と思っていましたが,これなら普通に外を歩けますね」というのが退院時のおばあちゃんのお言葉。


 この症例に限らず,口唇の組織欠損は保存的治療で極めてきれいに治癒することが知られているし,形成外科の雑誌を見ると,症例報告も論文もかなり見つかる。しかし,この症例のような広範囲なものとなるとかなりまれだろう。私はもちろん「保存的治療できれいに治る」ことは知っていたが,これほど広範囲の欠損がどうなるか,正直,自信がなかった。

 治療のポイントは軟膏でなるべく乾燥を防ぐこと。表面のドレッシングはガーゼでもいいのかもしれないが,やはり,創面に固着しないという点でハイドロサイトがいいようだし,欠損部が小さくなってからは写真で示すようにデュオアクティブETが使いやすいと思う。

 抗生剤投与はかなり悩んだが,発赤などの感染症状がなければ,さっさと投与を中止してもいいようだ。
 経口摂取ももちろん,制限する必要はない。「患者さんが食べられそうなものを食べさせる」のが原則だろう。

(2002/07/18)