洗浄は生食? 水道水?
私はこれまで「新鮮外傷も褥瘡も,創の洗浄は水道水で十分」と書いてきたし,これが正しいと思っている。参考文献にも載せたように,海外では「新鮮外傷の創洗浄は生理食塩水よりも水道水の方がはるかに効果的」という論文が幾つも出ている。
とはいっても,一般的には「創(褥瘡)の洗浄は生理食塩水」というのが常識である。
先日,関西方面で「褥瘡セミナー」が行われ,著名な先生たちが褥瘡治療について講演なさったようである。ある先生の「褥瘡部の洗浄は生理食塩水でおこないます。在宅の患者さんでしみる場合は1リットルの水に9グラムの食塩をいれます。」という講演に対し,私の講演を聴いたことがある看護婦さんが,「水道水ではいけませんか?」と質問したそうである。
それに対する諸先生方の回答であるが,どう見ても論理的ではないのである。今回は,この回答についての私の考えを書いてみたい。
なお,この講演会を私が直接聞いたわけでもなく,回答もその看護婦さんがメモしたものであるため,細かいニュアンスなどは違っている可能性があることは初めに断っておく。
○○先生のお答え:【在宅の場合はしょうがないにしても医療訴訟が問題になっている時ですし生理食塩水を使うのがいいのではないでしょうか。病院には感染症を持った方もおられますしね。】
- この先生,褥瘡治療では非常に高名な方だったと思う。だが,この答えを見る限り,まったく非論理的である。二重,三重の意味で非論理的である。
- まず,前段の「在宅の場合はしょうがないにしても医療訴訟が問題になっている時ですし生理食塩水を使うのがいい」であるが,これを素直に読めば,「病院で生理食塩水を使わないと訴えられる可能性があるので使った方がいいが,在宅では訴えられる可能性がないので,使わなくてもいい」といっているのと同じだ。これは明らかにおかしい。
- 確かに医療訴訟は重要な問題だが,訴えられるから生食でないと・・・というのは本末転倒ではないだろうか? 医療上必要であれば使う,それが医学ではないだろうか? われわれは訴訟に対応するために治療手段を決めていいのだろうか? 科学的に間違っている方法でも,訴えられなければそれでいい,とでもいうのだろうか?
- 医学的に必要とこの先生が判断するのであれば,在宅治療でもそうするように指導するのが,筋というものだろう。違うか?
- そして後段「病院には感染症を持った方もおられますしね。」という部分。誰か私に,この文章の医学的な意味を解説してください。私には理解不能の文章です。
- 「病院には感染症の患者がいる」というのと,「なぜ褥瘡の洗浄が生理食塩水でなければいけないのか」というのは論理的に無関係である。あるいは,この話の後にさらに言葉が続いたのかもしれないが・・・。
○○先生のお答え:【病院で認可がおりていないものを使用するのは問題がある。水道水には雑菌が混じっていることもあるし、もし医療用に使うにはそれなりの基準を設けなければならないだろう。ただ在宅ではコストの面から使うなといえないところはある。いづれにしてもここで『使用していい』と大きな声でいうことはできない。】
- 「病院で(医療用として)認可されていないものを使用するのは問題がある」というのは正論である。
この論理からすると,家庭用のラップで治療するのはとんでもない話になるし,数年前まで,どこの病院でも使っていたビニールテープ(いわゆる,電気工事用のビニールテープであるが,絆創膏かぶれが少ないため,よく使われたが,その後,医療メーカーから同じものが発売された)だって,「使っていけないもの」である。
- しかし,考えてみればすぐにわかるが,いくらアメリカで「傷の洗浄には水道水が一番効果的」という論文が出たところで,水道水を「医療用材料」として申請するメーカーなんてないのである。つまり,いくら治療効果があろうと,いくら待っても「医療用」として申請されることはない。
- 恐らくこの先生の病院では,「医療用として認可されたパジャマ」を着せ,「医療用の枕」と「医療用の布団」に患者さんを寝かせ,絆創膏を切るハサミも「医療用ハサミ」を使い,患者が飲む水は「医療用に認可された水道の水」を飲ませ,患者の食事は「医療法の調理器具」で調理した食事になさっていることでしょう。そうでなければ,この先生のおっしゃっていることと矛盾しますからね。
- 「水道水には雑菌が混じっていることもあるし」あたりになると,もう言いがかりである。論理も何もない。この先生は,自分でおっしゃっていることの意味がわかっていらっしゃるのだろうか?
- 参考までに,現在の水道水は残留塩素が問題になるくらいの塩素濃度であり,上水道である限り細菌はほとんど含まれていない。従った「水道水には雑菌が・・・」というのは水道局の皆様に対し,失礼ではないだろうか?
- 第一,流水中に細菌がいたとしても,それがどうやったら褥瘡の創面にくっつけるのか,生物学的,物理的に証明していただきたいところである。
- そして「在宅ではコストの面から使うなといえない」というのも何だかすごく嫌な言い方だ。これはつまり,「金持ちの治療には使えないが,貧乏人の治療には使ってもいい」と言っているようなものである。
- 少なくとも,病院では使っていけないけれど,在宅では使っていい,というのは「医学的・科学的」な回答にはなっていない。
○○先生のお答え:【水道水では血液が溶解してしまうので生理食塩水にするべきだ。】
- これも無茶苦茶系,「言いがかり」系の回答である。
- 「血液が溶解」というのがよくわからないが(あるいは別の意味のことをおっしゃったのだろうか?),それがなぜ,褥瘡治療に害を及ぼすのか,まったく理解できません。
- しかも,ここでの水道水は,洗浄の時に一時的に触れるだけであり,なにも「水道水の中に長時間漬けて置く」訳ではないのである。となると,水道水と生理食塩水の違いは,生じようがないはずだ。
- このようなことをおっしゃる前に,自分で一度「水道水で褥瘡を洗浄」してみて,「血液が溶解」するかどうか,御自分の目で確認なさった方がよろしいかと思います。そうすれば,この回答がどれほど非現実的かがわかります。
ここで取り上げた3人の先生たちは,いずれも褥瘡治療では著名な方たちばかりであり,日本の褥瘡治療をリードなさってきた方々である。私のような無名医者にとっては雲の上の存在である。そういう御三方であるからこそ,上記のような非論理的回答は残念であり,悲しい限りである。
恐らくこれまで「褥瘡の洗浄は生理食塩水」と言ってきただけに,それを否定する「水道水でも大丈夫」という現実を認めるわけにはいかないのだろうか?
患者さんは「治療法のため」の存在ではない。患者さんのために治療法があるのだ。
私たちは「治療法を守るために」診療しているのではない。「患者さんを守るために」診療しているのだ。
(2002/06/17)
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