無菌化できるもの,できないもの


 考えてみるとすぐにわかることであるが,物に対する消毒の効果は次の二つに分けられる。

  1. 消毒によって無菌化でき,その状態を維持できるもの
  2. 消毒しても無菌化できなかったり,無菌化できたとしても一事的なもの

 前者は手術器具や手術材料であり,後者に相当するものが皮膚や開放創面(褥瘡,熱傷創面など)である。
 そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれないが,医療現場ではこの二つは混同され(というか,分けて考える,という発想自体がない?),それがひいては無駄な医療行為となり,医療費を押し上げる原因の一つになっているのではないか,と考えている。


 そこでいきなりウンコの話になるけれど,ウンコをしてウォシュレットを使う時,滅菌水で洗う人はいないし,トイレットペーパーでお尻を拭く時に滅菌されたペーパーを使う人もいない。なぜか? もちろん,無駄だからだ。なぜ無駄かというと,お尻の皮膚には必ず常在菌がいるわけで,それを洗ったり拭いたりするのに,無菌のものを使う必要がないからだ(そういえばなんでも,他人の座った便座は不潔だからと,一生懸命,抗菌剤入りのウェットティッシュで拭いている人が入るらしいが,こういう人は,自分のお尻の皮膚には便座より多くの細菌が生息している事を知らないだけのことであり,実に馬鹿げた行為である)


 ま,便座はどうでもいいけれど,「滅菌トイレットペーパーでお尻を拭く」のと本質的に同じ無駄な行為が,病院でごく普通に日常的に行われている。それが「術後の傷を覆う滅菌ガーゼ」である。

 本来滅菌物とか滅菌行為というのは,無菌のものを扱う時に「外から細菌を持ち込まないように」するためのものだ。ところが,最初から細菌がいるのに「外から細菌を持ち込まないように」努力するのは矛盾とは言わないだろうか。

 つまり,消毒しようとしまいと縫合創も皮膚も常在菌で一杯なのだ。それなのに「無菌化したガーゼ」をあてるのは論理的に矛盾している。何度も言うように,皮膚や傷を消毒したところで,無菌化できないし,無菌化できたとしてもごく短時間なのである。それこそ「ウンコの付いたお尻を滅菌ガーゼで拭く」ようなものである。

 こう考えると,術後の傷にあてるガーゼは何も滅菌である必要はない。少なくとも,縫合後,24〜48時間で縫合創は上皮が完全に覆うわけだから,すくなくとも48時間以上経過した縫合創を滅菌ガーゼで覆う必要はどこにもない。きれいに洗濯し,漂白したガーゼなら一切問題は生じないはずだ。


 同様に,膿瘍切開をする時に無菌操作をして滅菌物を使うのも,何だか意味がわからなくなってくる。これから切開する先にあるのは,大量の膿,つまり大量の細菌の塊である。既に汚染されているところに対し,無菌操作をする意味ってあるのだろうか? 滅菌ガーゼを使う必要があるのだろうか?

 無菌操作や滅菌物の使用が必要なのは,「本来,無菌であるべき部位」だろう。本質的に無菌でないところに無菌操作をしたって無駄なだけに思えるがどうだろうか?


 どこの病院でも,医療材料を滅菌化するのに要するコストはかなりのものだ。それこそ,傷を覆うガーゼを滅菌するために,日本全体でどれほど莫大なコストがかかり,労力がかかっていることだろうか? これを止めるだけで,日本全体でどれほどの医療コストを削減できることだろうか。


 こんな提案をすると「そんなことを言ったって,万一,それが原因で感染したら困るだろう。滅菌ガーゼで覆ったほうが安全だ」という反論が必ず来る。この「万一」の思想も非常に強固だ。

 しかし「万が一にも」非滅菌ガーゼで感染が起こるものだろうか? どう考えても,起こりうる可能性と言うか,起こるためのメカニズムが思いつかない。感染が起こらないと言うことを論証するのは簡単だが,逆にいくら想像力をかきたてても,これで感染が引き起こされる理由は考えつかない。
 それこそ,洗濯して漂白したガーゼに炭疽菌がなぜか付着していて,それで皮膚を覆ったら感染した,なんていうかなり不合理で強引な状況しか思いつかないのだが,如何だろうか?

 それこそ,こんな「万一」ばかり言っていたら何でもありだ。例えば,

 なんてもありである。だってこれらが起きる可能性は否定できないからね。
 つまり,感染を恐れて滅菌ガーゼを使うのは,自宅を隕石が直撃しても大丈夫なように屋根を補強し,大富豪にいつプロポーズされてもいいようにアラビア語を学ぶようなものである。常識的には,こういうのを杞憂と呼ぶはずだ。

(2002/04/24)

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