口腔内手術後の絶食,そして「安静の大獄」の構図


 口の中の傷って速く治るよなぁ,って感じたこと,ありません? 事実,口腔内のちょっとした傷なら縫合しなくても治ってしまいますし,熱い食べ物で口蓋が火傷し,粘膜がペロリとはげたとしても,痛いのはせいぜい1日か2日で,その後は何事もなかったかのようになるはずです。

 薬をつけているわけでもなく,ただ傷口をなめているだけなのに,なぜこんなにも傷が早く治るのかと言うと,これは単に唾液により「湿潤環境」が保たれているからでしょうね。考えてみると,これぞ創傷治癒の理想的環境なんですね。

 しかも口の中はガーゼもあてられないし,仮に消毒されたとしてもすぐに唾液で流されてしまうため,「創傷治癒」のことを何も知らない医者が縫合して消毒したとしても,「図らずも」理想的な治癒環境になっているわけです・・・唾液が分泌されている限りにおいては・・・。


と考えてくると,口腔内の手術後に絶食させることって,口腔内の創の治癒にとってはあまりよろしくないんじゃないだろうか,という気がしてくるわけですよ。何しろ,絶飲食にすると唾液の分泌は激減しますからね。


 というわけで,私の病院の歯科・口腔外科の先生に口腔内手術後に絶飲食させているかどうかを尋ねたところ,骨折の治療などの後は経管栄養するものだ,と習ってきたし,大学でもどこでも,経管栄養だけにして絶飲食にしている,ということでした。彼によると,骨折や骨切り術の後は絶飲食,というのは誰疑うことのない「医学の常識」となっている,ということです。

 絶飲食にする根拠として彼が先輩医師から教えられてきたのは,

  1. 食物が通ると不潔になり感染する
  2. 食べることで骨折部や創部の安静が保てない
の2点。

 ううむ,これって正しいのだろうか?


形成外科では,口唇裂や口蓋裂など,口腔内の手術をよく行いますが,少なくとも東北大形成外科では術後3時間を経過すれば経口摂取を開始していますが,それで感染した例を見た事もないし,傷が開いた例も聞いたことがありません。

 もちろん,手術法とか,術後管理などは大学の医局ごとに「作法」がありますから,「唇裂・口蓋裂の術後は経管栄養で,経口摂取は抜糸が終わってから」という方針で治療しているところもありますが,少なくとも私がこれまで東北大などで見てきた唇裂・口蓋裂手術(合計で500例は軽く超えていると思う)の経験からすると,口腔内の手術だからという理由で経口摂取を制限する必要はありませんでした。
 つまり,術後,食べさせても傷の治癒の妨げになっていないのです。

 というような話を,同僚の歯科・口腔外科の医者にしたところ(もちろん,創傷治癒の基礎知識についても説明),飲み込みが速くてしかも頭が軟らかい彼は,「これは目からウロコだ。すぐにやってみよう」と次の日からすべての手術で術後の経管栄養を止め,経口摂取を始めちゃったわけです。


 で,どうなったか。

 それまで時々悩まされてきた術後の創離開,感染が激減・・・というよりも皆無になったそうです。そして何より,食べさせるようになってから口の中がきれいでいいって。それまでの「経管栄養時代」では口腔内が乾燥してすぐ汚くなり,清潔に保つためにさまざまな口腔ケアが必要だったそうですが,食事をさせるようになったら自然にきれいになったらしい。また,創離開があっても構わず食べさせていたら,見る見るうちに傷が小さくなり,閉じてしまったそうです。
 それ以外の方法は全く変えていませんから,「術後は食事」法が効果を上げたとしか考えられません。

 彼いわく,「食べることで唾液が出ている状態って,こんなにも大事だったんですねえ。それなのに,食べると汚くなるとか,食べ物が傷に触れると化膿するとか,俺たちがこれまで信じてやってきた事って,一体なんだったんだ!」

 つまり従来の「術後は絶食」という常識は,

「食べさせないから唾液が出てこない」

「傷が乾燥する」

「傷が治らない」

「治らないから感染する」

「化膿したから更に絶食を厳しくする」

という悪循環を作りだしていただけではないかと思われます。

 「骨折の術後に食べさせて,骨が動いてしまい,くっつかなくなるんじゃないの」という疑問の声も上がってきそうですが,上記の歯科医によると「術後,骨が動くほどの力で噛めるわけがないよ」だそうです。

 つまり患者さんの状態を一番よく知っているのは患者さん自身なわけですよ。「痛ければ食べられないけど,痛くなければ食べられる」だけの話です。つまり,創縫合などの簡単な手術の後なら,硬いものも平気で食べ始めるけれど,骨折の手術の後だと,患者さんも恐る恐る食べ始め,結局,自分に食べられるものしか口にしないのです。

 常識的に考えても,「痛いのに無理して食べる」人なんてよほどの変人か○○(放送禁止用語)ですよ。


 で,こういう例を見ているとさらに発想がぶっ飛んじゃうわけで,,術後の絶食とか安静など患者に科せられる「制限」には不必要なものがあるのではないか,ということに気がついちゃうんだね。
 「口の中を切開して縫っているのだから,食べるとしみるかもしれない。そうなったら可哀想だから,食べさせないようにしよう」とか,「骨を切る手術をしているので,口を動かしたりすると痛むかもしれない。それでは可哀想だから,食事は当分,お預けにしてやろう」という発想ですね。

 そしてそれがいつのまにか,もっともらしい理由付け(化膿するとか,傷が治らないとか)がされて,「医学の常識」として定着したのでは,という気がするのだけれど,どうでしょうか?


 そういえば,前述の「口唇裂・口蓋裂」の術後ですが,ある大学病院では術後,患者の手足を抑制しているらしいの。そのためにどういう工夫をしているか,という学会発表をしたり論文を発表していますから,今でも間違いなく抑制しているはずです。

 なぜ抑制するかと言うと,「患者が暴れて傷のところに手をやり,出血したり,傷が開いたりするかもしれない」というのがその理由(そして,こういう大学では大抵,「術後は経管栄養にして,経口摂取は禁止」もセットにして行われていたりする)

 ですが東北大学方式だと,術後の抑制も何もなし(もちろん経口摂取も赤ん坊任せ)。赤ん坊(=患者)にさせるがまま,暴れるがまま。これぞまさに "Let It Be".
 しかし,それで赤ん坊が傷口に手をやって困るとか,自分で傷口をかきむしって出血させたとか,そういうのは見た事も聞いたこともないのですよ。

 考えてみるとわかりますが,いくら赤ん坊と言っても馬鹿ではありません。手術した傷には触ったりしないものです。たとえちょっと触ってみたとしても,それで痛かったら,二度と触らないように学習するのです。
 「さっき触って痛かった。もっと痛くなるかもしれないからまた触ってみよう」という先天性マゾヒストの赤ん坊なんて滅多にいないと思いますが,いかがでしょうか?


 このような術後の無駄な絶食とか,無意味な抑制などのことを,私は「安静の大獄」と呼んでいます。この「安静の大獄」,日常の医療に結構潜んでいませんか?

(2002/02/08)

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