とある勘違い治療の実例


 今回は,某大学病院の○○科(あえて名前を秘したりして・・・)で実際に行われていたトンデモ治療ってのを教材にします。

 患者は下腿の難治性潰瘍(いつまでもジクジクしていて治らない傷のこと)で,○○科で皮膚移植術(植皮術)を受けました。以下,経過をまとめると

  1. 術後,移植した皮膚が生着せず,壊死しドロドロ状態になった
  2. ドロドロを細菌培養すると細菌が検出された
  3. 「これは感染による移植皮膚の壊死だ」と判断した主治医は,感染の治療のために,抗生物質2剤の点滴開始
  4. しかし,いつまでたってもドロドロ状態は治まらず,そのうち,耐性ブドウ球菌(MRSAと言われるやつで,「院内感染」の元凶とされる細菌ですね)が検出される始末
  5. こりゃまずい,「院内感染だ」というわけで,患者を個室に隔離し,面会を制限し,入口で滅菌したガウンに着替えることにし,抗生剤を3種類に増やした訳です。もちろん,傷にも強力な消毒薬に替えました。歩いたりすると創部が安静に保てない,ということでベッド上安静に(要するに,ウンチ・おしっこもベッドの上ね)
  6. ところが,傷はどんどん悪くなり,治る気配を見せない。
  7. あまつさえ,肝機能は悪くなり,肝臓庇護剤を投与
  8. そしてついには,精神症状が出現(夜昼が逆転し,変なことを口走り始めた),精神科医の往診を依頼し・・・


 これほどひどい「勘違いフルコース・オンパレード」もなかなかナイスですが(少なくとも私はそう思うし,これは医療ミスだと思いますね),実はこういう治療,全国のいろんな病院で普通にされているんですよ。要するに,こういう治療を「おかしい」と知っている医者が,日本全体でもごくごく少数なんですね。

 同業者の方(どのくらいお読みいただいているかは不明ですが・・・),この治療のどこが間違っていたか,お分かりでしょうか?


 この場合,発端からして間違っていたんですね。要するに,「感染により移植皮膚が壊死」したのでなく,「壊死したから,細菌が繁殖した」だけのことなの。それなのに,「原因と結果」を混同し,「結果(=感染)」を「原因(=移植皮膚の壊死)」と思い込んだのがそもそもの間違い。
 つまり,最初の時点で「抗生剤の投与」でなく,「壊死した移植皮膚の除去(壊死皮膚が感染源だから当然)」を行っていれば,何事もなかったのです。それなのに,それをせずにどんどん余計なことを積み重ね,患者の容態をどんどん悪くしただけなんですね。

 なぜ,こんなことになるかというと,「移植皮膚が壊死した」ということはつまり「手術が失敗した」ことを認めることになるからです。しかし患者の手前,「手術が失敗し,感染した」とは言いにくい。だから「手術が失敗し,移植皮膚が壊死した」でなく,「感染したために移植皮膚が壊死した。手術はうまくいったのですが・・・」と言い訳するんですね。
 だから,「移植皮膚の壊死」に対し治療をするのでなく,「感染」に対しての治療に固執するんでしょうね。まぁ,気持ちはわかるけど,馬鹿な医者,馬鹿な医療です。失敗は失敗として認めることが,次への第一歩なんだけどな。


 上記の例の「耐性ブドウ球菌(MRSA)による院内感染」という診断も噴飯もの。
 皮膚というのは,「常在菌(表皮ブドウ球菌)」が必ずいて,それで皮膚の健康のバランスを保っていて,これは「傷口」でも同じことが言えます。傷口に常在菌がいるのは当たり前の現象で,病的ではありません。

 しかし,患者に抗生物質を投与していれば,いずれ,その「常在菌」のうち抗生物質に弱い菌は死滅し,抗生物質に強い菌,つまり「耐性菌」だけが残ります。何のことはない,抗生物質で「耐性菌」を選んで培養しているようなものです。
 つまり,抗生物質を投与している患者の傷口から「耐性菌」が検出されているのは,ごく当たり前,当然の現象です。


 つまり,この例で,傷から検出された「耐性ブドウ球菌」は外から持ち込まれたものでなく,患者さん自身の体(皮膚)にいるものなんですね。だから,患者さんを「隔離」するのはナンセンス(だって,外から持ち込まれた細菌じゃないからね)
 それなのに,治療行為と称して動けないようにしておいて,個室に閉じ込められりゃ,どんな人間だってうわ言の一つも言いたくなりますぜ。つまり,精神科の医者を呼ぶのでなく,なぜうわ言を言い始めたかを考えれば,対処法は考えなくてもわかりますよね。何のことはない,何日間もベッドに括り付けられ,患者の面会を制限されたら誰だって,おかしくなります。つまり,「ベッド上安静」を止めて,普通に歩かせ生活させれば,うわ言は言わなくなります(前述の例では,ベッド上安静は治療上も必要ありません)

 「肝機能が悪化し」のくだりも,抗生物質の過剰投与が原因。こういうのを「医源性肝障害」と呼びます。もちろん,抗生物質投与を中止したら,肝機能は正常に戻ったはず。

 要するにこの患者さんの場合,移植皮膚が壊死した時点で,壊死した皮膚を除去し,毎日シャワーで創部を洗っていればよかったの。恐らく私だったら,皮膚移植なしに直しちゃうだろうな,と思います(こういう分野にはね,私,絶対的な自信があるの)


 さて,ここで問題にしたのは,こういう馬鹿げた治療がなぜ,大学病院(普通は,最先端の治療を行っていると思われていますよね)で行われてしまうのか,ということです。実は,これは前述の「某大学病院」に限ったことではないのです。

 というか,こういう患者を前にして,「傷がグチャグチャになっていて,細菌が検出されているのは,細菌による感染が原因だ」と診断し,馬に食わせるほど抗生剤を投与し,どんどん患者さんの具合を悪くする医者の方が,日本ではまだまだ,圧倒的に多いはずです。
 そして一番困るのは,こういう治療をしている医者自身が,自分がもしかしたら間違ったことをしているのではないか,ということに全く考えが及んでいないことです。


 多くの大学病院では最先端の高度な治療が行われています。しかしそれはあくまで「最先端」,言い換えればその医局が研究テーマとしている分野に限られます。しかも,その研究テーマの多くは実際の治療に関するものというよりは,もっと基礎的・実験的なものがほとんどです。つまり,実際の治療は苦手だったりすることもありうるわけです。

 さらに問題となるのは,事実上,大学病院が「最終治療病院」,つまり「最後の砦」となっていることです。これには二つの意味があります。
 一つは,「最高の専門医がいる,あるいは,それ以上の治療は他の病院で出来ない」という意味(つまり本来の意味での「最後の砦」ですね)
 もう一つは,「大学病院なのだから,他の病院に患者を渡すのは恥,他の診療科のアドバイスを受けるのは恥」というもの。大学病院は最先端の治療を行っている,という建前上,それ以外の診療機関は能力が劣っている訳で,そういうところには紹介できない,という考えですね。

 もちろん,問題になるのは後者です。つまり「一つの診療科による患者の囲い込み」が起きがちなんですね(もちろん,そうでない,柔軟な考えの医局もたくさんあります。要するにその医局・教授の方針次第ですね)。要するに「その患者は,この科のもの」という考えになりがちだということです。


 医学の研究はどんどん細分化し,どんどん高度になっていきます。従って,例えば小児科の医者といっても,小児科の全ての分野はとても把握しきれるものではありません。これは私の形成外科でも同様です。つまり「知識の蛸壺化」はある意味,医学の高度化に伴い,避けられない問題なのです。

 蛸壺であるが故に,蛸壺の外にある知識はどうしても通り一遍の知識を身に付けるのが精一杯で,ましてや,遠くの蛸壺で何が行われているのかなんて,知りようがありません。
 最初に例に挙げた医者にしても,恐らく自分の実験テーマについては深い知識を持っていたと思いますが,実際の患者の治療には役立たない・・・というか,関係のない知識だったわけです。つまり,「研究者」としては有能だけれど(・・・多分)「臨床医」としては無能だった,ということです(研究に専念しているのであれば,それが当たり前でしょう)
 実はこういう医者,実は大学病院では珍しくなかったりします(・・・・特に○○科とか△△科とか・・・)


 こういう問題について考えてゆくと,大学病院は研究機関・教育機関・診療機関のどれがメインなのか,とか,実際の臨床の場に出る医者の教育はこのままでいいのか,とか,患者主体の診療を実現するのに邪魔しているのは何なのか,とか,とてつもなく広く深い問題にぶつかります。あるいは,大学の教授選出システムはこれでいいのか,とか,医局という存在とは何か,とか,そういう方面にも及ぶはずです(・・・すげえ大風呂敷!)

(2001/12/20)

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