日本では「創傷治癒」について無知な,あるいは興味のない医者が非常に多い。最近出版された教科書の類を見ても,堂々と「傷は必ず消毒」とイソジンで茶色に染まった創の写真が掲載されている。私の知る限り,医者向けの教科書などで「傷は乾かすと治らない」「傷は消毒してはいけない」と明記されたものは極めて少ない。看護婦向けの「褥瘡ケア」の教科書では「傷は湿潤環境でないと治らない」と明記されているのと大違いである。
一方最近,アメリカで出版された外科学の教科書の「外傷学」の項目を見ると,「創面は消毒してはいけない。どうしても創面を消毒するのであれば,目に入れても安全なものを使うべきである」と明記されている。
教科書で見る日本の医学常識とアメリカの医学常識の差,あるいは日本における医者と看護婦の意識の差には愕然とするばかりだ。
少なくとも傷の扱いについては,日本の医学は19世紀後半のまま,全く進歩していない。
なぜ,日本の外科の教科書がこれほど遅れているのだろうか? それは恐らく,これらの教科書を執筆する大学の教授・助教授たちが,最新の創傷治療の知見について全く知識がないからだ。
なぜ知識がないかというと,彼らには「創傷治癒」なんて全く関係のない分野だからだ。
彼らにとって興味があり外科学の話題の中心とは,肝臓移植であり,肺移植であり,膵臓移植だ。外科学の中心の話題に興味を持つのは,外科学の一線の研究者なら当然のことだろう。それが現代の外科学の王道なのだから当たり前である。
かたや,一般外科にとって「外傷学」なんてどうでもいい分野であり,この分野に新しい知見があるなんて想像したこともないのだ。
しかし,このような教授や助教授たちが教科書の「外傷学」の項目の執筆を依頼されたらどうするだろうか。頼まれた以上は何かを書かなければいけない。
そこで彼らはどうするか。自分が昔学んだ「外傷学」の項目をそのまま書き写すか焼きなおして適当に書いちゃうのではないだろうか(・・・間違っていたら謝るけど・・・)。そうでなければ,旧態依然とした「外傷の処置法」が堂々と書かれるはずがない。かくして,間違った「医学常識」が拡大再生産されることになる。
彼らには「最新の創傷治療」を学ぶ時間もなければ,学ぶ動機もない。自分が興味がない分野について勉強し,教科書に書くのは,専門分野について執筆する数倍のエネルギーを必要とするはずだ。
現在の医学教育では,この「創傷治療」に関する知識は全く教えられない分野である。医学生の時代も,医者になってからも,この分野を学ぶ機会はほとんどないといっていいだろう。本来なら,「傷はどのように治るか」は全ての医学の基礎になるべき知識であるはずなのに全く蔑ろにされている。
だから「傷なんて消毒しておけば治るんだろう?」という誤った知識しか医者が持っていなかったとしても,あながち「医者の不勉強」とばかり言っていられないのだ。
「傷の処置」という,一見地味でどうでもいいような分野に,実は大きな革命が起きつつあることに日本医学界が気付くのに,あとどれだけの時間がかかるのだろうか?
(2001/12/01)