「創傷治癒・創傷治療」とは全く関係ないが,以前から疑問に思ってきたことについて書く。消化管術後の絶飲・絶食に関することだ。
私が一般外科の研修医だった頃(もう15年以上昔だぜ),最も日常的な消化器の手術といえば胃癌の手術であり,胃の亜全摘術だったと記憶している。これは,胃袋の出口(幽門)に近い部位にできた胃癌に対する術式で,胃の 3/4 を切除し,残った胃と十二指腸を繋ぐ手術。
さて,この「胃亜全的術」をした後,食事はどうしているだろうか?
私が研修医だった頃(かなり昔だが),この手術をした後の丸4日間は絶飲食(つまり食事はおろか,一口の水も飲んじゃ駄目)を続けさせ,5日目にレントゲンで胃の透視を行い,吻合部から漏れがないことを確認してから水を飲ませ,それで異常がなければ流動食を食べさせ(・・・正確には「飲ませ」だな)るのが普通だった。
なぜ,4日間,飲まず食わず(もちろん,最低限の水分とカロリーは点滴で投与する)が必要なのか,先輩の研修医に尋ねたところ,「食べ物が刺激になって,胃と十二指腸を吻合した部位が開いたら大事だからね。4日たてば吻合部はくっつくはずだから,透視をして吻合部に漏れがなければ食べさせ始めるのだ」と教えてくれた。
当時の私は,なるほどもっともな説明だ,と感心したものだった。要するに,「食べさせないことで吻合部を安静にしないと,消化管吻合部はくっつかない」という説明だった。
しかし,この説明,なんだか信じられないのである。もっともらしい説明のように見えるが,現在の私には鵜呑みにできない論理なのである。
ちなみに,21世紀の消化器外科では,この「術後の絶飲食」の期間は変化しているのだろうか? もしも「術後1日目から水を飲ませるのが普通です」と言われたら,以下の論法は全く意味がないことになる(・・・オイオイ)。
しかし,私が勤務している病院の外科医,あるいは知り合いの外科医に確かめたところ,この「術後4日前後の絶飲食」は現在でも「外科の常識」として行われているようなので,構わず書いてしまうことにする。
胃の亜全的術後の絶飲食の根拠は,「食べ物や飲み物が吻合部を通ると,縫合している傷口を刺激したり,胃袋が動いてしまい,縫合部が開いてしまう」ということが根拠となっているはずだ。
前述のように,「手術した傷は安静にしなければくっつかない」という考えがその根底にあるように思う。
しかし,水を飲もうと飲むまいと,吻合部は液体が通り放題になっているのだ。
何が通っているかというと,唾液と胃液だ。
もちろん,経口摂取をしていないから唾液や胃液の分泌は正常時に比べると少なくなっているはずだが,これらがゼロということは絶対にない。少なくとも,術後2日目くらいになると,唾液の分泌はかなり多くなっているだろうし,患者はこれを絶えず飲み込み,胃袋に送っている。
一日あたり,最低1リットルの唾液が胃と十二指腸の吻合部を通っているというのに,「絶対に水は飲んじゃ駄目」という論理がどうしても腑に落ちない。唾液と一緒に50ml程度の微温湯を飲んで,トラブルが起きるものだろうか? 唾液や胃液は四六時中通っているのに,水は一滴たりとも通してはいけない,というのはすごく不合理ではないだろうか?
要するに,「患者は安静にしなければ治らない」→「吻合部を食物や水が通ると,吻合部の安静が保てない」→「術後は絶飲食にしてしまおう」という発想ではないだろうか?
唾液も胃液も絶えず吻合部を通っているというのに,水は一滴たりとも飲んじゃダメ,というのは机上の空論ではないだろうか?
果たしてこの「絶飲食という制限」に論理的根拠はあるのだろうか?
もしかしてこの絶飲食は,「安静」に対する過度の期待が根底にあってのものじゃないだろうか,と思う。「安静にすれば傷(病気)は治る」→「安静にしなければ傷(病気)は治らない」という考えがあるんじゃないだろうか。
「養生訓」という書物が昔あったが,「病気の治療は養生(=安静)」という考えは,医者にも患者さんにも根強いものがある。
私はこれを「安静の大獄」と呼んでいる。「風邪をひいたからお風呂には入らないように」なんて言っているのは,まさに「安静の大獄」だ。
この「安静の大獄」については,いずれ場を改めて追求していこうと思う。
(2001/11/24)