創傷治療の歴史的変遷


 怪我をすると痛いし,血も出る。放っておくと膿が出てきてズキズキと痛くなる。これじゃ困る,ってんで傷口を何かで覆うことを考える。この傷口を覆うものを総称して「ドレッシング」と呼ぶ(・・・もちろん,調味料とはちょっと違う・・・って,オヤジギャグをかましてどうする!)

 ちなみに,本邦におけるドレッシングの歴史は古く,因幡の白兎の皮膚欠損創をガマの穂で覆ったオオクニヌシノミコトが文献的に最も古い治療例とされる・・・らしい・・・多分


 これまで人類が「傷を覆う」ために使ってきた素材はそれこそ枚挙に暇がない。一番最初はおそらく木の葉・草の葉だったろう。
 紀元前25世紀頃のシュメール文字の陶板には蜂蜜と樹脂を混ぜたもので傷を覆ったと書かれているし,古代エジプトのパピルスには蛙の皮膚と獣脂を染み込ませた包帯についての記述があるらしい。

 医学の祖,ヒポクラテスは「感染していない傷は何かで覆わずに,乾燥させて痂皮を作ることで速く治癒する」と述べている。「傷は乾燥させる」という迷信の元はヒポクラテスだったんだな。

 ローマ時代のケルズス(Celsus,炎症の4徴候を記述した人)は,新鮮外傷はワインなどで洗った後に膏薬を用い,慢性潰瘍には蜂蜜と包帯の治療を提唱。ガレヌス(Galen)はワインを染み込ませた布で傷を覆うことを提唱するなど,今日の「湿潤環境による創傷治癒促進」を思わせる治療について説明しているが,,一方で,傷に塗るものとして豚のフン沸騰した油(!)などとんでもないことまで記述している。ちなみに以後1500年間にわたり,こういう治療法が無批判に信じられ,続けられることになる。まさに暗黒時代である。


 ルネッサンス期のパラケルズス(Paracelcus)は,それまで行われてきた「銃創には沸騰した油を」という「常識」に疑問を提唱。卵白とバラ油とテレピン油で処置することで痛みもなく化膿することもなく治癒することを示した。

 18世紀半ばのVillarsはワックス,テレピン油による軟膏と頻回のドレッシング交換で傷の化膿が防げることを示した。


 19世紀半ば,産婦人科医のゼンメルワイス(Simmelweiss)は,当時,高い死亡率で恐れられた「産褥熱(出産後に高熱がでる状態)」について考察し,医者の手に何かがくっついていて,それが患者に移り,高熱が出て膿が出るのだろうと考え,「赤ん坊を取り上げる前には必ず手を洗うこと」と提唱し,産褥熱の発生が劇的に下げられることを示した。

 しかし,当時の医学界はその成果を賞賛し・・・とはならず,「手を洗うなんて面倒。医者の手に何かがくっついているなんてナンセンス。あいつは馬鹿じゃないのか?」と冷笑され,無視され,挙句の果てに彼は病院を追われ,最後は発狂して悲惨な末路をたどる。

 もちろん,ゼンメルワイスの考えは全面的に正しく,今日でも「何かする前,何かした後には必ず手洗い」は感染予防の王道とされている。ゼンメルワイスの不幸は30年ほど早く生まれてしまったことだろう。彼は「医者の手にくっついている何か」の正体がわからず,それを論理的に説明できなかったのだ。
 彼の考えの正しさは,30年後,ロベルト・コッホとパスツールによって証明されることになる。


 科学的な創感染の予防策を提唱したのはリスター(Lister)で,医学雑誌Lancet(現在でも出版されている一流誌)「石炭酸に浸したリント布で傷を覆うと傷が化膿しない」と発表。時に1867年。
 同時代のパスツールによる「腐敗と細菌の関係」の発見,コッホによる「病原菌と病気の関係」の発見などが相次いだことから,次第にリスターの説は医学界全体に受け入れられるようになった。
 そしてこの頃から「消毒薬と何かの油類」による材料が次々開発されるようになり(ちなみに当時は「消毒」でなく,防腐法と呼ばれていた)「創傷被覆と乾燥状態の維持」が創傷管理の二大コンセプトとなった。これは20世紀後半まで唯一の方法として信じられることになる。

 それ以後,手術材料やドレッシング材は滅菌処理したものを使うことが普通になり,傷を覆うドレッシング材としてリント布,麻,脱脂綿が用いられるようになった。

 創傷治療という点で,最もエポックメイキングであったリスターの治療法(リスター主義と呼ばれた)を今日的な創傷治療の面から見直すと,その基本理念は「創傷管理=感染予防」だろうと思う。つまり,感染さえ抑えられたら傷は治癒するというものだ。
 当時,ちょっと深い傷は必ず感染していたわけで,そのための敗血症による死亡率も極めて高かったことを考えると,当然の発想だろう。従ってリスターは,「創面にいる細菌を除去し」「外から入り込む細菌を防ぎ」「創面にいる細菌が増えないように乾燥させる」ことを目的に,上記の治療法を考案した。彼の示した圧倒的な治療効果は彼の考えを批判する勢力を次第に駆逐し,リスター主義を厳密に行うことが一流の臨床医の証とされるようになった。

 このリスターの方法,すなわち「傷は消毒して乾かさないと治らない」という考えが19世紀後半から一般に普及し,それが21世紀の今日まで続いているわけである。


 なお上記を書くにあたり,『ドレッシング 新しい創傷管理』(穴澤貞夫監修,へるす出版),『外科の夜明け』(トールワルド,講談社)を参考にした。

(2001/10/17)

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