では,寝たきりの褥瘡患者にCVカテーテルを入れたり,PEGを造設して胃袋に栄養物を流し込むとどういう現象が起きるだろうか。恐らく,血糖が上がり,それを安定させるためにはインスリン投与が必要になることもある。
前述のように,死への過程に足を踏み入れてしまうと,まず切り離される(=切り捨てられる)のが消化管であり消化管付属器官だ。自力で食物を食べられなくなったからには,消化管そのものが不要となるからだ。何しろ消化管は常に新陳代謝が必要で維持するだけで莫大なエネルギーを消費する。まして消化器を働かせようとすれば,それ以上のエネルギーが必要だ。また,消化酵素を作るにもインスリンを作るにもやはりエネルギーが必要だし,それを消化管や血管内に分泌するのもエネルギーを消費する。
というか,そもそも,死に逝く過程にある生物で血糖が上がる,という状況そのものが生物本来のあり方の想定の範囲外,決して起こりえない異常な状況なのである。摂食も咀嚼もできない生物は経口的にエネルギー源(血糖源)を取ることは不可能だからだ。
だから,このようになった褥瘡患者に栄養を投与しても生命体としてはそれを利用できないし,無理矢理血糖源を投与したとしても,既に膵臓は活動を停止しかかっているから,それを処理できないのだ。だから血糖は上がるしかない。
繰り返すが,寝たきりになってから投与されるエネルギー源は,生命体としては想定の範囲外であり,そのエネルギー源に対応できないのだ。栄養を投与するのは医者にとって簡単だが,投与された側がそれをありがたく思っているわけではないのだ。
これと同じような現象は,高齢者医療の現場では他にもあると思う。寝たきりの肺炎患者に点滴を射れて抗生剤を投与すると,次第に肺が白くなってくる。いわゆる「水が溜まった」というやつだ。だから,利尿剤を投与する羽目になる。すると電解質のバランスが崩れてしまい,大抵,低ナトリウム血症になる。それを補正するために今度は・・・と,次々にいろいろな現象が起きているはずだ。つまり,治療が治療を呼ぶという現象だ。
この「治療が治療を呼ぶ,異常に対する対処が次の異常を呼ぶ」状態になると,治療している側には患者の全体像が見えなくなってくる。目の前のデータの異常を分析し,それに対処するだけで精一杯になるし,そもそもその異常事態の原因がどこにあるのかすら脳裏に浮かばなくなる。
医療をしている側は,投与した薬や栄養が全て患者に有効利用されていることを前提にしていないだろうか。だから,有効な(はずの)薬を投与しているから,それが現在問題となっている異常の原因だとは考えなくなってしまう。自分が正しいことをしていると考えると,異常なことが起きた原因は自分でなく患者に原因があると考えてしまう。
ここに「褥創治療には栄養管理が重要」という方針が生まれた下地があったと思う。自分が正しい褥創治療をしていると信じている人が,うまく治らない褥創患者に出会った時にどう考えるかだ。自分の治療が正しいのに治らないのだから,原因があるとすればそれは患者自身にあると考えるはずだ。
除圧マットレスも使っているし,きちんと局所の評価をして軟膏や被覆材もガイドラインどおりに使っている。それでも治らないとすれば,患者のどこが悪いだろうか。当然考え付くのは貧血だったり血漿タンパク量あたりだろう。血糖値あたりも槍玉に上がりそうだ。それでも治らなければ,次は微量元素の番だ。
かくして,「褥創治療には栄養管理」という都市伝説が誕生したのではないだろうか。
術後患者は健康人だから,栄養を投与すればそれはすぐに全身状態に反映する。しかし,高齢寝たきりの褥瘡患者ではまったく別なのである。このあたりを混同してはいけないのだ。
(2007/12/21)