まず,皮膚と皮膚常在菌の関係のおさらいだ。参考となるのはこの本,『人体常在菌 ―共生と病原菌排除能』である(⇒amazon.co.jp)。大雑把に,皮膚常在菌による非常在菌の排除機構をまとめると,次の図のようになる。
要するに,毛嚢から皮脂が分泌され,それをPropionibacterium属が栄養源として分解し,その分解産物としてオレイン酸などの有機酸が分泌される。これらの有機酸はpH 5.0〜5.5であり,P. acnes, S. epidermidis などの常在菌群の増殖は促進され,逆に,S. aureus やグラム陰性桿菌は増殖が抑制される。また,皮膚常在菌群は pH 5前後が生存の至適pHであり,S. aureus やグラム陰性桿菌は pH 7.0前後でないと増殖できない。
また,Propionibacterium属などの皮膚常在菌の多くは嫌気性菌,一方,S. aureus は好気性菌である。「皮膚表面は好気性条件じゃないの?」と思われるかもしれないが,恐らく,常在菌は周囲に皮脂に包まれることで「ミクロの嫌気性環境」で生きているのだろう。このような存在様式は,多くの細菌が認められているからだ。
実際,皮膚常在菌は好気性条件下では増殖は抑制されるらしい。逆に, S. aureus は好気性条件下で増殖が進むが,嫌気性の条件下でもある程度は増殖できる。
さて,カテーテル刺入部からの感染を防ぐために消毒が有効かどうかを思考実験してみよう。この場合,刺入部の皮膚に存在する細菌の種類を場合分けしてみるとわかりやすい。簡単にするために, Propionibacterium 属と S. aureus の二つで考えてみる。これらがカテーテル沿いに深部に侵入できるかどうかである。
さらに,皮膚より深部のカテーテル周囲の環境はどうなっているかといえば「嫌気性環境,pH 7.0」である。なぜ中性かといえば,カテーテル周囲には組織液しかなく,組織液は中性だからである。
【1. 刺入部に皮膚常在菌しかいない場合】
この場合,皮膚常在菌は深部に進めない。pH 7.0のため増殖が強く抑制されるためだ。皮膚常在菌はあくまでもpH 5.0世界の住人であって,中性環境では暮らせないのである。だから,皮膚常在菌しかいなければ,カテーテル感染は起こらない。
さらに,皮膚常在菌は S. aureus の増殖を抑制するためこの細菌による感染を抑制する。つまり,皮膚に皮膚常在菌しかいない状態にしておけばカテーテル沿いの感染は起こらないことになる。
【2.刺入部に非常在菌( S. aureus )がいる場合】
この場合, S. aureus はカテーテル沿いに深部に進める。そこはpH 7.0の世界だからだ。皮膚より深くなると嫌気性環境になるが,少なくとも入り口のあたりは好気性の環境であり,ここに進入することは可能だ。
問題は皮膚常在菌は S. aureus の増殖を抑制ことだけだ。だから,カテーテル刺入部付近の皮膚が常在菌が住めない状態になっていることが大前提になり,こういう状態であればカテーテル沿いの S. aureus 侵入が可能になる。
【カテーテル刺入部の消毒はどう作用するか】
これも条件分けして考えてみよう。刺入部に関して消毒薬の作用は次の3つしかない。
【1.皮膚に一切影響しない】
皮膚の角化層が健全であれば消毒が皮膚に悪影響することはほとんどないが,あくまでも皮膚が健常である場合だ。
この場合,消毒薬により皮膚常在菌も抑制されるが一時的なものであり,常在菌叢の乱れは一時的であろう。
【2.消毒薬による接触性皮膚炎】
接触性皮膚炎があると患部から滲出液が出るため,皮膚炎の部分は中性に近づく。つまり S. aureus の増殖環境となり,逆に Propionibacterium 属に棲みにくい(増殖できない)環境となる。このため,カテーテル刺入部感染発症のの条件となる。
【3.刺入部の傷の治癒を遅らせる】
刺入部の消毒で治癒(=カテーテル周囲の傷の上皮化)が遅れれば,その部分はミクロ的にであっても「中性,好気性」環境になる。傷があれば滲出液が創面から分泌され,それで皮膚の有機酸は希釈されるからだ。この場合も S. aureus に最適, Propionibacterium 属に最悪の条件になる。
以上から,カテーテル刺入部の消毒は,カテーテル沿いの S. aureus 感染を助長すると結論付けられる。消毒薬で接触性皮膚炎が起こればその部分は「中性・好気性」,つまり S. aureus しか生息できない状態になるし,接触性皮膚炎が起きていなくても,カテーテル刺入部分は消毒により, S. aureus の増殖に最適の状態となっている。
もちろん,「消毒して S. aureus を殺してしまえばいいではないか」と考える人もいるだろうが,この細菌は発汗が多くて湿っている皮膚(湿っていると皮膚は中性に近づき S. aureus が生存できる)には必ず定着しているのだから,この細菌の侵入は消毒しようとしまいと必ず起こる。
(2007/08/1)