ある考えが時代を支配するパラダイムとなるためには,その時代の多数の人間がその考えを自明の理として受けとめていることが絶対必要になる。つまり,多数の人間に,「この考え方が唯一正しいのだ」と繰り返し伝えるシステムが必要だ。それが教育システムである。
つまり,学校や家庭で繰り返し繰り返し,その考えが教えられるようになれば,あとは放っておいてもその考えがパラダイムになってしまう。要するに,パラダイムの成立と維持には教育システムが不可欠なのである。
さらに,学校で教えることは正しいことだ,という社会的共通認識(これだっていわばパラダイムであるが)は強固である。だから,学校で教えられることで「ある仮定に基づく考え方のパラダイム化」が完成する。
もちろん医学の場合には,大学における教育と同時に医療現場での教育というのも非常に大きい。とりわけ,外科のように「体育会系,上意下達」の傾向が強い診療科では現場での教育がパラダイム形成にいかに有効に作用するかは,言うまでもないだろう。
教育する側はそのパラダイムが変化しないことを望む。古いパラダイムと新しいパラダイムの間では必ず闘争が起こり,両者の信者には妥協点がなく,両者の論争は神学論争となるため,新しいパラダイムが勝利を収めたとき,古いパラダイムの擁護者は「時代の流れについていけない哀れな旧人類」と断罪されるからだ。
パラダイムとなる考えの権威者ほど,その傾向は強いだろう。自分の名声がパラダイムを唯一のよりどころにしているため,パラダイムが崩れたとき,「日本一の専門家」から「古い医療にしがみつく一人の老人」になるからだ。だから,従来のパラダイムを否定する考えは大学や学会からは生まれない。大学や学会が作れるのはパラダイムの範囲内での小変化のみであることが多いのはそのためだ。
さらに現代では,パラダイムは商売に直結する。パラダイムとなった診断法のための商品が開発され,パラダイムとなった治療法を根拠とする治療薬や治療器具が販売され,それらはパラダイムに基づくから,放っておいても売れる仕組みになっている。だから,メーカー側もそのパラダイムの教育を後押しする(学会でのランチョンセミナーとか,医師会勉強会の協賛などの形で)。当然,業界はそのパラダイムがずっと続くことを期待する。パラダイムが変わってしまうと商品が全く売れなくなってしまい,場合によっては業界そのものが崩壊してしまうからだ。
このように,ある考え(仮定)が提案されて次第に支持され,パラダイムとなったとき,パラダイム内部ではそれを守ろうとする力が生まれ,それはパラダイムを否定するような考え方を拒絶し葬り去ろうとする方向に作用する。
(2007/01/25)