「弁慶の泣き所」には泣かされるよ


 俗に「弁慶の泣き所」と呼ばれている部位がある。下腿前面の脛骨が皮下直下に触れる部位である。あの強い弁慶でもここを打撲すると痛みで泣いた,ということから命名されたようだ。アキレス腱と並んで,見事な名前の一つである。ここは骨に直接打撃が加わるために痛みが強いのだが,実はこの部位は外傷を扱う外科医や整形外科医にとっても悩みの多い部位なのである。創感染や治癒遅延などのさまざまなトラブルが多く発生するからだ。実際,筆者もこれまで何度も痛い目に遭ってきた。

 その理由は,皮膚の損傷より皮下組織の損傷がひどいことが多く,見た目と実際の重傷度が乖離していて,初診時には重傷度の判断が難しい点に問題の本質がある。このため,抜糸後に創離開が生じたり,受傷数日後に突然創感染を起こしたり,治療経過と共に皮膚壊死が進行するように見えるなど,さまざまな合併症が起きるのだ。また,日常生活のためには歩行せざるを得ず,患部の安静を保つのが難しく,さらに,重力により血液が鬱滞しやすいというのも合併症を多くしている理由ではないかと思われる。

 なぜ,高度の皮下組織の損傷が起こるかと言えば,皮下組織が薄いという解剖学的な弱点と,歩行中に転倒すると,皮下組織は骨と固いものの間に挟まれて挫滅され,これに「ずれ」の力が加わるため,広範な皮下組織の剥離を生じ,その結果として皮下組織の壊死と死腔ができてしまうのだろう。これが遅発性の感染源となり創感染を発症するものと思われる。


 以上の理由から,この部位の裂創は,鋭利な刃物による単純裂創以外は皮下組織の挫滅を伴っていると考えた方がよい。従って,単純裂創以外の裂創(=鈍的外力による裂創)では初期治療の段階から適切な処置を取るべきであろうが,実際にそれを行うのは困難な場合が多いし,適切な処置を行ったとしても壊死や感染を起こすことはあり,これらは不可抗力といっていいのではないだろうか。
 治療の注意点を説明するために,実際の症例を数例提示する。


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 症例1,40代女性。歩行中に側溝に転落して右下腿を打撲し,下腿前面中央に裂挫創を受傷。直ちに救急外来を受診した。救急室では創内を生理食塩水で洗浄し,創縫合を行い,抗生剤を処方した。5日後,突然創部の疼痛が発生したため当科を受診した(図1)。創部を中心に発赤と圧痛を認めた。直ちに縫合糸を抜糸し,脂肪組織や筋膜を縫合している縫合糸も抜糸したが,深部に大量の血腫が溜まり死腔となっていた(図2)。血腫を用手的に排除し,ナイロン糸10本をドレナージ用に留置し(図3),ポリウレタンフォームで表面を覆った。12日後には死腔は肉芽で埋まり(図4),33日後に完治した(図5)。


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 症例2,70代女性。認知症があり施設に入所していた。左下腿の表皮剥離と血腫が発見されたが,受傷原因は不明であった。しばらく様子を見ていたが,発赤と腫脹が著明のため,10日後に当科紹介となった。下腿前面中央に血疱形成を認め,中心部に黒色壊死があり,周辺に発赤を認めた(図6)。直ちに局所麻酔下に黒色壊死の切除を行ったが,大量の血腫が溜まり,大きな死腔となっていた。血腫を除去し,2本のドレーンを挿入して創閉鎖した(図7)。3日後にドレーンを抜去し,以後は施設の方で洗浄と「穴あきポリ袋+紙オムツ」の被覆を続け,30日後に創は閉鎖した。


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 症例3,80代女性。歩行中に転倒して右下腿を強打した。傷が小さかったため自宅で様子を見ていたが,痛みが出てきたために受傷から7日目に当科を受診した。右下腿中央やや外側に直径1センチの裂挫創を認めた(図8)。創は小さかったが,創口から探ると5センチほどの深さがあり(図9),血腫形成を認めたため,局所麻酔下に切開を追加し,血腫を除去してドレーンを挿入した(図10)。3日目にドレーンを抜去し,その後はナイロン糸でドレナージを続け,初診から7日目で死腔は肉芽で埋まった。初診から15日で創は完治した。


 この3例から,下腿の裂挫創では皮下組織(軟部組織)の挫滅などにより血腫形成がまず起こり,それが感染源となり蜂窩織炎が発症していることが判る。症例1の治療経過から,受傷直後の創洗浄も抗生剤投与も創感染の予防には効果がないようだ。つまり,死腔が残存してそこに血液やリンパ液などが貯留すれば,それらが感染源となるわけなので,受傷直後の抗生剤投与も洗浄も意味がないのである。

 このように考えると,下腿挫創での感染予防とは抗生剤投与ではなく,血腫ができそうな部分(損傷を受けた脂肪組織,筋膜上の剥離など)にドレーンを挿入して患部を圧迫し,血液やリンパ液の貯留を防ぐことしかないのである。このため筆者は,この部位の鈍的裂創に対しては,ほぼ全例でペンローズドレーンを留置して創縫合している。もしもドレーンを入れるかどうかを迷ったら,入れた方がいいだろう。入れずに感染が起こることはあるが,ドレーンを入れたことによって起こる合併症はほとんどないからである。


 だが現実には,ドレーンを入れても血腫形成が防げない症例があることも事実だ。創口に対して皮下剥離や組織の挫滅でできたポケットが遠位方向(下方)に拡がっている場合である。この場合はいくらドレーンを入れても重力に抗して溜まった全ての血液を毛細管現象で吸い上げることは不可能であり,血腫形成は防げないようだ。このような場合は理論的にはポケットの遠位端を切開してここにドレーンを入れれば血腫形成をかなり防げるが,実際に行うかどうかはかなり迷うところである。このような場合は,入院させて患肢を挙上し,さらに圧迫包帯を併用して効果的なドレナージを行うのが現実的な対処であろう。

 さらに,一旦,蜂窩織炎になってしまった場合の治療であるが,これも主眼は感染源の除去,すなわち血腫の除去とドレナージであり,抗生剤投与には二義的な意味しかない。これは下腿裂挫創に限ったことではなく,術後創感染全般に通じていることであり,まずすべきことは感染源の診断と除去であり,抗生剤投与はその上で行うべきであろう。

(2006/08/17)

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