人間と細菌 −同じ生態系で生きているという発想−


 人間は生活環境から孤立して生きていけるわけではなく,生活環境から常に影響されて生きていくしかない。その生活環境の一つに細菌がありウィルスがある。

 人間が環境から影響を受けている例として食べるという行為を取り上げてみよう。人間が生きていくためには食物を食べなければ生きていけないが,その結果,食べた物に影響を受けることは避けられない。栄養になることもあれば,下痢を起こすこともある。場合によっては中毒を起こして死ぬことだってある。栄養になるものだけ食べて,害になるものは食べたくないと考えてもそうはいかない。その時の人間の体調も大きく絡んでくるからだ。もしも,絶対に害のない食物だけを取りたいと思ったら,食べる行為そのものを止めるしかない。

 「細菌のいない清潔な環境で暮らしたい」と考えるのは,「害のないものだけ食べることができないなら食べるのを止める」というのに等しいと思う。細菌も人間も地球環境の一部であり,細菌の存在と人間の存在は本質的に切り離せないものなのだ。


 人間が地球上に発生するはるか昔から,動物と細菌・ウィルスは互いに影響しあい,共存・共生する術を獲得して生き延びてきた。そしてこの共存関係が,互いにそれぞれの進化を進める原動力にもなってきたはずだ。これは他の生物種との関係にも言えるだろう。複数の生物種が同じ空間で生存している以上,相互に影響し合うことは必然なのである。

 つまり,人間は環境の中でいくしかないし,さまざまな外界生物(細菌,ウィルス,寄生虫など)と共存する方法を獲得したからこそ現在まで生き延びられてきたのだ。この共存方法は,それこそ数百万年レベルの時間をかけて獲得したもであろう。


 人類は自分のことを,他の動物と違ってはるかに進化した存在だと錯覚しているが,人体の構造や機能の基本は,実は人類発祥時からほとんど変わっていない。変わったのは生活様式だけで,人体そのものは変わっていないのだ。恐らく,細菌やウィルスとの「付き合い方」の基本も,その頃から変わっていないはずだ。なぜなら,人間の一世代は30年と長いため,人体の変化は極めてゆっくりとしか起こらないからである。

 であれば,たかだか数十年レベルの「文明の進歩」で,その共存関係を一方的に破ることは非常に危険ではないだろうか。共存関係,共生関係の破棄を人間が細菌側に一方的に通告したところで,肝心の人体が,「文明が作り出した人工的環境(例:細菌のいないきれいな環境とか,寄生虫がいない環境とか)」に適応できていないからである。人間が頭で「細菌がいない清潔な環境が最高」と思っても,肝心の体の方が「細菌のいない環境」に対応できないのだ。

 私が子供の頃に比べれば,生活環境ははるかに清潔になっているが,反面,アトピーの子供,喘息の子供,すぐに下痢をする子供ははるかに多くなっている。恐らく,文明が作り出した環境と,そこで暮らすしかない子供たちの体の間で齟齬を生じ,体が悲鳴を上げているのだろうと思う。数年前から,病原性大腸菌としてすっかり有名になったO-157だが,被害が出たのは抗生剤を日常的に使っている国だけだった,という指摘もあったと思う。


 細菌と人間という二つに限ってみても,生活環境の細菌を全て殺すことはできないし,細菌を善玉菌と悪玉菌(病原菌とも呼ばれる)に分けることもできないし(共生関係にある常在菌だって条件が変われば病原菌になるし,病原菌がいても害がない場合が多い),人間に無害な細菌だけ残して有害な菌だけ殺す手段もない。第一,悪玉菌,善玉菌の区分だってその時の条件で変わるのだ。

 細菌を善玉菌,悪玉菌と分けるのは,「農作物を荒らすネズミを食べるヘビは善玉ヘビで,人間に噛み付いたヘビは悪玉ヘビ」というのと何ら変わりはない。ヘビは人間のために生きているのではなく,ヘビはヘビの人生をまっとうしようと精一杯生きているだけだ。ただ目の前にいるのがたまたまネズミだったり人間だったりするわけで,それに応じて噛みつく相手が違っているだけのことであって,ヘビにとっては生き延びるために噛み付いている事に変わりはない。

 そしてそれは,細菌にとっても同じだろう。細菌は自分のために生きているのであって,人間の都合なんてお構いなしである。目の前にある環境で生き延びるために,必死に適応しているだけである。そういう細菌の活動について,「これは人間のためになっているから善玉菌,こっちの菌は害をなしているから悪玉菌」と考えるのは人間の勝手であって,細菌の知ったことではないのである。


 人間は細菌がいる環境で生きていかなければいけないし,人体は細菌がいる環境で生きていけるような能力を獲得している。そうでなければ,人類なんてとうの昔に絶滅していたはずだ。

 地球の歴史では細菌は大先輩である。細菌から見たら,人間なんて洟垂れ小僧の新参者にすぎない。だから人類がこの地球で生きていこうとするなら,洟垂れ小僧は大先輩に合わせて生きていくしかない。それが地球のルールであり生態系のルールである。


 このことから,院内感染の専門家の一部見られる,「病原菌許すまじ」,「MRSAを見つけたら根絶やしにせよ」,「いかにして手をきれいに洗って清潔にするか」,「院内感染のためにはとにかく手洗い!」というヒステリックな議論が根本から狂っていることがよくわかる。彼らは,細菌がいない状態を理想郷として考え,細菌のいないエデンの園を夢見ているからだ。夢に見るのはその人の勝手だが,夢と現実を混同するのは愚かである。細菌がいない環境はエデンの園ではなく,それは人間にとっても地獄か,せいぜいよくて煉獄でしかないのだ。


 人間を噛んだヘビだけ殺しても,人間を噛まないヘビだけ残るわけでもなければ,人間を噛まないヘビの新種が生まれるわけでもない。新参者の人間は,大先輩のヘビに噛まれたくなかったら,大先輩に出会わないように注意して歩くしかないし,大先輩に出会ってしまったら噛まれないように後ずさりをするのが一番安全である。それが生態系で暮らすルールだろうと思う。

 人間は地球という生態系の中で生きていること,人間の皮膚も一つの生態系であることをまず認識し,その中で感染症というものを捉えなおさない限り,根本的な解決にはならないと思う。人間と細菌は敵対するものではなく,共存してともに生き延びるしか選択肢がない関係だからだ。

(2005/06/17)

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