アキレス腱の露出


 「腱が露出したら保存的治療の適応外。直ちに閉鎖を考えなければいけない」というのが形成外科の常識であるし,私はそう思っている。腱は非常に血流の乏しい組織であり,腱表面に肉芽が上がることは通常考えられないからだ。手背の伸筋腱のように腱周囲に血流のある結合組織が残っている場合は肉芽があがることはあるが,それを全例に求めるのはほぼ不可能である。


 だが,ある特殊な条件の症例ではあるが,大きなアキレス腱の完全露出症例で,腱表面が完全に肉芽で覆われた症例を経験したので,その経過(まだ途中経過であるが)を報告する。

 症例は78歳男性。糖尿病と糖尿病性腎症の既往症があり,糖尿病はインスリンで治療中。自宅では車椅子生活であり,自力で立つことはほぼ不可能である。
 2004年6月はじめ,左アキレス腱部をぶつけて挫創を受傷,近医で治療を受けていたが次第に創が深くなり,アキレス腱が露出したために当科紹介となった。

 もう一度書くが,糖尿病+腎症の78歳である。創傷治癒にとっては,最悪の条件といっていいだろう。


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  1. 7月16日の状態。直径2cmのほぼ円形の皮膚欠損があり,白い組織が顔を出している。

  2. 同日の患部の拡大写真。白く見えているのはアキレス腱そのもの。明らかに創縁より盛り上がっている。足関節を動かすたびに「白い組織(=腱)が動いていることを確認。
    本人および家族が筋皮弁,動脈皮弁などによる手術的閉鎖は希望しなかったため,駄目かもしれないよ,と説明した上で,保存的に経過観察することにした(この時点では私も,絶対に治らないし,場合によっては感染してアキレス腱を全切除することになるんじゃないかと,思っていた。何しろ,糖尿病+腎症である・・・)
    アキレス腱表面をおざなり程度に削り(だって,深く削るのが怖いんだもの),「創にくっつかず,乾燥させず,水分吸収力もある」という私が開発中の材料を使用。もちろん,患者と家族にはその旨を説明し,納得してもらって使用した。

  3. 創表面を被覆している様子。
    最初の1週間だけは1日おきに通院してもらったが,感染が起きそうにもなかったため,以後は1週間に1度の割合で通院してもらい,その間は家族に1日1回の交換をしていただき,入浴する際は創部も一緒に洗ってもらった。週1回の通院のたびに,おっかなびっくり,腱表面を削っていった。
    患者の妻(70代でしょう)には治療原理,治療方法を十分に説明し,「消毒しない,乾かさない」という原理を完全に理解してもらえた。「石」より理解力が格段に優れた70代の素人女性である

  4. 7月28日の状態。まだ白っぽい壊死した(?)腱組織が露出しているが,深部にわずかに血流のある組織が見えてきた。


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  1. 8月11日の状態。ちょっとでも深く削ると出血するようになった。このころから,もしかしたらいけるんじゃないかと,少しずつ自信が出てきた。

  2. 8月25日の状態。アキレス腱の組織はほとんど見えなくなり,肉芽が創面を覆ってきた。

  3. 9月8日。肉芽で完全に覆われていて,アキレス腱露出はなくなった。足関節を動かしても,肉芽が動くことはないようだ。
    ちなみに肉芽表面には「黄色のベロベロした組織(?)」が付着している。鑷子で摘むと容易に剥がれるが,気が向いたときに取ってみる程度にしたが,それで感染が起こるわけでもなかった。


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  1. 10月6日の状態。きれいな肉芽の状態が維持されている。このころ,創部の頭側を打撲してしまい,ここにも小さな挫創を作ってしまった。これも一緒に被覆した。

  2. 11月10日の状態。肉芽は明らかに収縮しているのがわかるし,肉芽表面に周囲から上皮が侵入しているのも明らかである。


 全ての症例がこの症例のように経過するとは思っていない。この症例の場合,車椅子生活で自力歩行することがなく,結果的に「創部の安静」が保たれたのもよかったかもしれない。普通に歩いている人でこのような大きさのアキレス腱露出があったら,安定した肉芽ができる事はさすがになかっただろう。

 この症例に教えてもらったのは,「創傷治癒阻害因子(=糖尿病,腎症)となる合併症があっても高齢者でも,創面の乾燥を防いでいれば組織の再生って起こるもんだな」ということだ。消毒を止め,乾燥を防ぐだけで,もしかしたら小さな範囲の腱露出は塞がるんじゃないだろうか(もちろん,創深部に腱縫合をした縫合糸などが残っていたらアウトだろうけど),という気がするが,どうだろうか。もしかしたら,直径5ミリ程度の腱露出なら,保存的治療で大丈夫じゃないだろうか。


 今後,この症例がどのような経過をたどるかはまったく予測できない。高齢である上に合併症が重篤すぎる。普通なら,この肉芽の上の植皮すれば簡単に上皮化が得られるだろうが,この症例の場合,腹臥位をとること自体が困難であり,手術はまず不可能だ。そうであれば,ひたすら保存的治療を続けるのが最善の選択ではないだろうか。

 さらに暴論覚悟で言えば,この症例では,創を閉鎖する(上皮化させる)ことは必要ないと思う。家族にとっても,1日1回,ドレッシングを交換するだけであって手間がかかるわけでもない。また本人にとっても,それが原因で感染するわけでもないし,全身状態悪化の要因になるわけでもない。患者の日常生活の制限にもならない。
 であれば,これは悪い選択ではないし,ベストではないだろうがベターの選択だと思う。

 傷は治すべき,傷は治されるべき,と狂信的に治療する必要はないと思う。治らない傷であっても患者に不都合がなければ,無理して治さなくてもいい。無理に治すことは必ずしも患者の幸福につながらない

(2004/11/11)