最初に明記しておくが,以下に褥瘡治療についての考察を行うが,患者を「高齢者で寝たきりで意識のない」という状態に限定させていただき,それを前提に話を進めさせていただく。敢えて条件を設定することで,問題点が明らかになるからだ。これ以外の条件の褥瘡患者の治療については一切考察していない。
寝たきりで意識もほとんどない患者さんがいたとする。この人に白内障が見つかったとする。あなたはこの患者の主治医,あるいは受け持ち看護師だ。あなたはこの白内障をどうするだろうか。手術するだろうか。手術をするために患者の家族を説得するだろうか。手術について患者本人に説明するだろうか。
では,このような「寝たきりで意識のない」患者に腎不全が見つかったらどうするだろうか。高血圧だったらどうするだろうか。糖尿病が見つかったらどうするだろうか。骨粗鬆症が見つかったらどうするだろうか。胃癌があったらどうするだろうか。肺癌だったらどうするだろうか。
では,褥瘡が見つかったらどうするだろうか。
何も極端な事を言っているわけではない。寝たきりで意識のない患者に対しての医療はどうあるべきか,という視点を抜きにして,「疾患と治療」だけを考えてもしょうがないのではないか,と言う事を言いたいのである。高齢者医療という大きな範中の中で褥瘡治療を考えるなら話がわかるが,そういうことを全く考えずに「褥瘡治療」だけ切り離して論じるのはナンセンスではないのだろうか。
褥瘡治療や研究を専門になさっている先生方は多数いらっしゃるが,この方々は,寝たきりで意識のない患者でも「全ての病的状態は治療されるべきである」という医療哲学を持ち,その延長線上で褥瘡治療を考えているのだろうか。「寝たきり患者に褥瘡があるから治療する」というのと,「癌が見つかれば寝たきり患者でも必ず手術する」というのと,どこが違うのだろうか。
つまり,褥瘡だけを取り上げて治療を論じるのでなく,目の前にいる患者の全人的な状態を総合的に考え,その上で褥瘡治療の方法を論じるべきではないのだろうか。本来褥瘡治療は高齢者医療の一部であり,高齢者医療全体の中で取り上げるべき問題ではないのか。褥瘡治療だけ論じる事の異常さを,なぜ誰も問題にしないのだろうか。
褥瘡治療とは,一体誰のための何のための治療なのだろうか。
(2004/07/21)