骨董屋の修行と創傷治療


 以下の文章のネタは,鳥谷部先生オリジナルである。彼がなかなか文章にしないものだから,私が文章化して差し上げようと,余計なお節介をしているわけである。


 さて,あなたが骨董屋さんになろうと考えたとする。あなたは全くの素人だ。どうやって骨董品を見分ける目を養ったらいいのだろうか。美術品,工芸品の教科書や本を買って勉強したらいいのだろうか。近所の骨董品店を廻って話を聞いたらいいのだろうか。美術大学に入学して勉強したらいいのだろうか。

 全て「ブーッ」である。一つも正解なし。こういう事をしていては,いつまでたっても「プロの骨董屋さん」にはなれないのである。


 正解は,ひたすら本物を実物で見る事である。毎日毎日,来る日も来る日も美術館に通っては本物の絵画や彫刻を鑑賞し,博物館に行って本物の骨董品を眺め,陶器の博物館があればそこに行って本物の焼き物を見る・・・これしかない。
 これをしばらく続けていると,本物が持つオーラ,本物が放つオーラが見えてくるらしい。オーラが見えてきたら,もう修行は完了だ。オーラが見えるものは本物,オーラが感じられないものは偽物だ。要するに,骨董屋になるための修行とは,骨董についての知識を勉強する事でなく,本物だけが持つオーラを感じることにある。知識を身に付けるのはその後で十分に間に合う。

 この時,本物を見ないで本で勉強しても全く駄目。確かに本を読めば「有田焼の特徴」も「古伊万里の歴史」も「李朝白磁の美しさ」も知識としては得られるかもしれないが,それは所詮,文字で覚えた知識である。いくらフランス料理の本を読んでも料理の味は判らないし,ショパンの伝記や解説本をいくら読んでもショパンの響きはわからないのと同じだ。

 テレビの人気番組,『なんでも鑑定団』を見ていると,しょうもない偽物を掴まされて大枚をはたく人はどれも同じダイプであることがわかる。騙されるのは大体,「本で勉強したけれど本物を見たことがない」人と相場が決まっている。彼らは本物を知らないから,「これは本物ですよ」と言われると買い込んでしまうのだ。本物を知らないからニセモノにだまされてしまうのだ。


 さて,これがどこで「創傷治療」に絡んでくるかというと,多いに関連性があるのである。治療の良し悪しの判断をする時に,本物の治り方を知らないと,ニセモノの治療が良い治療に見えちゃうよ,ニセモノの治療に騙されちゃうよ,ということなのである。例えば,イソジンシュガーゲルでの褥瘡治療や,消毒してガーゼをあてる外傷の治療しか見た事がなければ,その治り方が正しい治り方に見えてしまう。これが「偽物を掴まされる」というやつである。

 褥瘡をラップだけで治療したり,熱傷をラップだけで治療したり,指尖部損傷や顔面挫創を被覆材で治療した経験があると,「偽物」に騙される事はないはずだ。何しろ,被覆材で覆っただけ,ラップで覆っただけなのに,驚くほどきれいに早く治るのだ。高価な薬も要らないし,手のかかる処置も不要。

 要するにこれが,人間が本来持っている創治癒能力であり,それが最大限に発揮された姿である。もしも,薬剤による治療効果を主張するのなら,この「人間本来の治癒能力」と比較してそれを凌駕するものでなければいけないはずだ。「人間本来の治癒能力」より劣るなら,それは無駄な治療にすぎないからだ。


 「骨董屋の修行」は医者にも看護師にも必要である。人間が本来持っている治癒能力で,どれほどきれいに治るのか,どれほど早く治るのかをまず見て覚えなければいけない。そして,そういう治り方を見てから,その他の方法による治療を見るべきである。
 最初に「本物の治り方」を見てしまえば,それと比較するだけで治療の優劣は一目瞭然でわかるようになる。

 重要なのは,このような「本物の治り方,本来の治り方」をじかに見て,それを覚える事だ。最初に「偽物の治り方」を見ちゃいけない。最初にそういう「偽物」を見てしまうと,目が濁ってしまう。目が濁って,偽物も本物も区別がつかなくなる。そして偽物の治療を本物と間違ってしまう。そうならないためには,まず一番最初に本物の治り方を見るしかない。


 世の中に氾濫する「褥瘡治療ガイドライン」「褥瘡治療マニュアル」の類を見て欲しい。どう見ても病的な肉芽にしか見えない写真を「健康肉芽」と説明していないだろうか。ラップを張っていれば治りそうな肉芽に,わざわざ余計な薬剤を投与したり,手術をしていないだろうか

 あるいは,シュガーゲルのような「治癒阻害薬剤」と比較して「治療効果あり」と判定している薬剤や治療法はないだろうか。「治癒阻害薬剤」や「ニセモノ治療」と比較すれば,どんな治療だって効果ありとなるが,そういう嘘に騙されていないだろうか。


 伊万里風の焼き物,ゴッホ風の絵画,ドビュッシー風のピアノ曲,漱石風の小説・・・をいくら学んでも駄目である。そういう「○○風」のものを基準にして,「これは本物でしょうか?」なんて議論するのは時間の無駄である。

 比較の基準は常に本物でなければいけない。それは骨董屋さんでも医者でも看護師でも同じである。

(2004/05/17)

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