私見:わかりやすいプレゼンテーション


 すっかり講演会慣れしてしまい,次にどういうところで受けを狙うか,それしか考えていない私ですが,そういう目で他人様の講演や発表を見ると,聞いていてつまらないというか印象の薄いものがとても多い事に気付く。実際,この発表を聞いて欲しい,この内容を理解して欲しい,という基本的な姿勢が感じられない発表(講演)が非常に多いように感じてしまう。

 なぜその発表の印象が薄いのか,理解しにくいのかについて系統だてて教えてくれる人はあまりいないだろうから,私のスライド作りと発表のノウハウを大公開してしまおう。
 もちろん,そんなの必要ない,お前に教えてもらうことなんてない,という方はどうぞ,読み飛ばしちゃって下さいね。


 まず,私が考える「人に聞いてもらうための学会発表」の条件を列記する。

  1. 1分間に最低でも2〜3枚のスライドを映す。同じスライドを長々を映さない。
  2. 1枚のスライドの行数は7行以内。
  3. スライドに書いてあることをそのまま読まない。
  4. 最初に,発表の結論を明らかにする。
  5. 発表のために勉強した事を全て発表しない。
とまぁ,こんなところかな?


 1)は現実的には難しいかもしれない。「講演5分,スライド10枚以内」なんて枚数制限が必ずある学会の方が多いからだ。恐らく,枚数制限をしないとスライドフォルダをどれだけ準備したら言いかわからない,という理由なのだろうが,いかにも貧乏臭い制限である。
 5分という制限時間さえ守ってくれたら,20枚使おうと30枚使おうといいではないか。それでわかりやすい発表になるのだったら目的達成である。なまじ10枚という制限があるがために発表がわかりにくいのだったら本末転倒というものである
 おまけに「スライド10枚」といっても,最初にタイトルが来て,最後にまとめが来るから,実質的に使えるのは8枚である。ううむ,やはり貧乏ったらしい枚数制限である。何度も書くが,わかりやすい発表が目的なのだから,スライドの枚数なんて瑣末なことで制限を付けるべきではないと思う。

 なぜ,「1分間に2,3枚のスライドを見せ」るかというと,人間が飽きずに同じ画面を見つめていられる限度なんて,せいぜい30秒程度だからである(少なくとも私はそうだ)。スライドに書かれた情報なんて10秒もあれば読めてしまう。それなのに,既に読み終わったスライドを何分間も見せられたら,眠気を催さない方が奇跡である。

「なら,1枚のスライドに3分で話す文の情報を詰め込めば,それでいいではないか」とお考えの人もいるだろうが,これはもっと駄目。10行以上の行数のスライドなんて読めますか? 文字が細かくなり,会場の後ろからはよほど視力がよくないと読めないのである。ましてや15行,20行なんてスライドは言語道断。
私は,スライドの理想はテレビのニュースの画面だと思っている。ニュースを見ているとわかるが,一画面の行数はせいぜい6行くらいが上限だろう。もちろん,テレビ画面の解像度からこの行数になったのだろうが,人間の注意をそらさないためには,1画面で報道する内容は6行くらいが精一杯だと思う。


 そしてこれは「勉強した事を全て発表しようと思わない」に通じる。医者にしろ看護師にしろ根が真面目な勉強家が多い。だから発表の場となると自分がここまで調べたよ,こんな論文も読みましたよ,と,どうしても話したくなる。その結果,知っている事を全て詰め込むもんだから,スライドは過密になり,話しは早口になり,話の焦点はどんどんぼやけてくるし,聞いている方にも何が中心なのか伝わらなくなる。結局,知っている事を全て話すから,何についての発表だったのかがわからなくなる。

 要するに,学会発表の場は,勉強した事を披露して誉めてもらう場ではないのである。新しい知見や実験データを発表し,皆の知的共有財産とするための場なのである。
 だから,学会発表では全てを話す必要はないし,むしろ話すべきではない。話すべきは中心テーマだけでいい。むしろ慣れてくると,質問して欲しい事をわざと話さずにおいて,そこに質問を誘導する,ということだって可能になる。


 これに関連するが,患者の検査データ(血液データとかね)を全て表示するのも論外。問題なのは異常値だけであり,正常データなんてスライドに書いたところで意味がない。かえって,何が何だかわからなくなるだけだ。
 同様に,何か珍しい疾患の症例報告で,「日本国内の報告例58例のデータをまとめました」と,エクセルで作った5列58行の表を出すのもやはり意味がない。マサイ族の皆様のように視力8.0でもない限り,そんなスライド,誰にも見えないって。


「スライドに書いてあることをそのまま読まない」というのも当然の事だろう。スライドに書いてある取りに読むのだったら,何も発表する必要はない。事前にスライドを印刷した紙を渡し,「これをお読み下さい」で十分である。スライドに書いてある通りに読むのだったら,テープを流すのと変わりない。スライドはあくまでも要点,要旨にとどめ(何しろ7行以下の行数だから),発表の場ではそれを補足する情報を加えて話すべきである。

そういえば,以前いた病院の会議では,病院の経営状況について事務の偉い人が発表するのが恒例となっていたが,これがまさに「配布資料の数字をそのまま読み上げる」だけだった。これが延々と続くのだ。これが始まってしまうと,参加者の半分は寝たフリをするか,本当に寝てしまうか,どちらかだった。だって聞いている意味がないんだもの。あれは本当に辛かった。ほんの3分程度のことなんだろうが,聞いているほうにとっては10分にも20分にも感じられる無為の時間だった。
配布した資料をそのまま読むのは,「こいつらは皆,時が読めないだろうから私が読み上げて聞かせてあげよう」といっているようなものである。書いたものをその通りに読むとは要するは,参加者を馬鹿にしている失礼な態度だと思うがいかがだろうか。


 そして「最初に結論を明らかにする」というのも,聴衆の注意を引きつけるためには重要だ。
 私の講演を聞いた事がある方はおわかりと思うが,私は講演開始1分後(スライドで言うと3枚目)で強烈な症例写真を提示する。顔面挫傷が4日できれいに治った,という証拠写真なのだが,ここで,「今日の講演を聞くと,なぜこのように治るのか,なぜこのように治せないのかがわかりますよ」と,「講演の結論(目標地点)」を明らかにするためだ。
 この症例写真を見せたとたん,会場には「ウッソー」「すげえ」「信じられな〜い」という声から聞こえてくる。こういう声が聞こえてきたら,もうその日の講演は成功したも同然である。
 もしもそういう声が上がらなかったら,上げさせるだけのこと。実際,私はこれをよくやる。

 目標のわからない話を聞くのは苦痛である。行き先のわからない車に乗せられたら,誰だって不安になるだろう。学会発表,講演会だってそれと同じだ。だから,一番最初に目標地点を明確にして,そこに至る道程を示すわけだ。そうすれば,今の話は全体のどのあたりに位置しているのか,メインストリートを走っているのか脇道に逸れているのかが聴衆にわかるだろうし,効いていて安心感があるはずだ。
 たかだか5分の発表とはいえ,最初に目標地点が示されるのと最後に示されるのでは大違いである。これは,聴衆の立場になってみるとよくわかるはずだ。


 というように,いろいろ書いたが,最も重要なのはやはり,「もしも自分がこの発表を聞かされるとしたらどうだろうか?」と,第三者の立場でその発表を見直す事だと思う。
 そして,自分がこれまで聞いてきた発表のうち「こういう発表には閉口した」「こういうスライドは内容が読み取れない」というものを思い出し,それを反面教師にして,それらの欠点を一つ一つ洗いだしていけばいいのである。そして,その欠点が自分のスライドに見つかったら,それを変えていけばいいのである。自分が聴衆だったら,こういう発表を聞かされるのは嫌だろうな,という個所が見つかったら,そうでなくすればいいのである。

 つまり,わかりやすい発表というのは,実は非常に簡単なのである。

(2003/06/09)

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