ひょんなことから世界の政治指導者の年齢を調べてみたがこれがなかなか面白いのだ。たとえば,OECD加盟国の現時点での首相(あるいは大統領)を年齢の高い順に並べると次のようになる(誕生日は計算に入れていないので,正確な年齢ではない人がいると思うが・・・)。
- 72歳
- 福田康夫 日本首相
- 68歳
- プローディ イタリア首相
- 61歳
- 盧武鉉 韓国大統領
- ブッシュ アメリカ大統領
- 57歳
- クラーク ニュージーランド首相(女性)
- 56歳
- ブラウン イギリス首相
- ホルデ アイスランド首相:56歳
- 54歳
- フェルホフスタット ベルギー首相
- ラスムセン デンマーク首相
- アハーン アイルサンド首相
- 53歳
- メルケル ドイツ首相(女性)
- エルドアン トルコ首相
- ユンケル ルクセンブルク首相
- 52歳
- サルコジ フランス大統領
- ヴァンハネン フィンランド首相
- 51歳
- カラマンリス ギリシャ首相
- 50歳
- ラッド オーストラリア首相
- ソクラテス ポルトガル首相
- トゥスク ポーランド首相
- 48歳
- ハーパー カナダ首相
- ストルテンベルク ノルウェー首相
- 47歳
- サパテロ スペイン首相
- グーゼンバウアー オーストリア首相
- 45歳
- カルデロン メキシコ首相
- 42歳
- ラインフェルト スウェーデン首相
50代前半の首相や大統領が多く,70代は福田さん一人だけで,60代の首相自体がとても少ない(ちなみに韓国の次期大統領は66歳とのこと)ことがわかる。福田さんから見たらスウェーデンやメキシコの首相は子供の世代である。これは多分,その国で首相(大統領)に求められる資質の違いによるもので,日本では調整力とか老獪さが政治家に求められ,そういう能力が評価されているからという見方もできるが,「政治家には老獪さと調整力」という論理で政治的リーダーを選ばない国が多いということかもしれない(もちろん,高齢の政治家たちが若年のリーダーを前面に出して,裏から好きなように操縦している,という可能性もあるだろうが・・・)。
さて,72歳と42歳では決定的に違っているものがある。「未来」という言葉の持つ切実さだ。72歳の福田さんが20年後に生きている確率はかなり低いが,42歳のラインフェルトさんは20年後はまだ62歳の現役で,恐らく40年後もかなりの確率で生きている。福田さんにとって20年後はどうなっていようと関係ない(知ったことではない?)世界かもしれないが,ラインフェルトさんにとって20年後はまだ現役で働いている世界である。これは大きな違いではないだろうか。
ラインフェルトさんに子供がいらっしゃるかどうかは不明だが,いるとしてもまだ10代だろうし,これから赤ちゃんができても不思議でない年齢だ。30年後のスウェーデンがどうなっているか,30年後の世界がどうなっているかは自分の子供たちがどう生きられるかに直接かかわってくる問題だ。同じ30年後でも福田さんとラインフェルトさんではかなり意味合いが違うだろうし,切実さの度合いが異なっていると思う。
福田さんに限らず,現在の日本の政治家の皆さんの議論を聞いていると,衆議院解散の時期はいつにするのが自分の政党に有利か,その際の議席数の読みはどうかが最大の問題のように見える。多数決で物事が決まるのだから多数の議席を取るのが政治の目的になるのは当たり前だが,多数派になること自体が政治の唯一の目的になっているような気がするし,日本の政治家から「30年後の社会はどうなっているのか,その時の世界はどうなっているのか,その時を見据えて政治家は何をすべきか」というような議論を聞くことはほとんどない。
竅った見方かもしれないが,70代の議員の皆さんにとっては次の選挙で当選することしか興味がないのではないだろうか。彼らにとって次の選挙は切実な問題(何しろ彼らにとって,国会議員は職業同然で,選挙で落ちるのは失業するのと同じ。失業するのを恐れるのは当たり前)だが,20年後の日本がどうなっているかはどうでもいい問題なんじゃないだろうか。
20年後にほぼ確実に死んでいる人たちに,20年後の社会や世界のことを考えてもらうことシステム自体が無理なのではないかと思う。
政治とは突き詰めれば,税金として集めた金をどう使うか,どう分配するかというシステムである。その金を1年後の自分の議席のために使う(ばら撒き予算,無駄な道路作りなどはその典型だろう)か,今は我慢してでも10年後,20年後のために使う(子供への教育や小児医療はこれに入る)かでは,大違いである。
(2008/01/07)