【生命体、岩に乗って宇宙空間を移動?】
パンスペルミア説はロマンに満ちた楽しい仮説です。宇宙に生命が満ち溢れているんだ,というのはどっかの新興宗教の教えにもありましたね。まさに,殺伐とした人間社会を癒してくれます。
でも,生物学サイドからすると,それは生物というものを全く知らない宇宙物理学者の机上の計算の話であって,生命というものをよく知らないからそんな夢みたいなお伽話を夢想できるんだろうなぁ,という感じがします。「宇宙には莫大な数の星があるんだから,そこに生命がいたって不思議ないよね」程度の大雑把な話をしてもらっては困るのです。
「地球は広いし,生物は数え切れないほどいるから」と確率論的に考えれば,ペガサス
(=足が4本で背中に羽が生えている)が地球のどこかに生きていてもおかしくありませんが,哺乳類の体の基本構造からは,ペガサスは絶対にありえない動物です。それと同じです。
地球最初の生命体がどのようにして誕生したのか,というのは生物学界最大の謎の一つですが,誕生した環境についてはかなり条件が絞られてきています。それは海底の熱水噴出孔近くの比較的温度の低い噴出口で,泡のような構造をしている岩石でしょう。そして,最初のエネルギー代謝は間違いなく
水素を利用したものです。ここまではかなりの確率で絞られています。
そして,最初に誕生した生命体がエネルギーを環境から取り出すためには,最低限,「特定の性質を備えた岩石と,水と,熱」が必要であった,というのもほぼ確実です。それができたから,彼らの末裔として私たちが生きています。
その後,原始生命体は水素を利用した呼吸
(=電位差によりATPを作ること)から,二酸化炭素や硫黄,メタンなどを利用した化学的呼吸を多様化させることで「岩石」から離れることができ,同時に触媒となる金属を取り込むことで,「高温」環境も必要ではなくなります。
しかし,最期まで手を切れなかったのは水です。地球は「水の惑星」だったからです。H
2O は常に豊富にあり,「水がない」という条件は設定しなかったのでしょう。その結果,細胞質内の媒質として水が使われ,細胞外の媒質としても水を想定しました。水が豊富にある環境だから,「常に得られるもの」として「水」を想定し,「常に水が得られる」ことを初期設定として組み込んだのです。そして,海底の熱水噴出孔で誕生した生物にとって,この初期設定が最も合理的だったのです。
もしも, H
2O に乏しい環境で発生した生命体なら, H
2O を使わない代謝系しか選択の余地がないし,そういう代謝系を初期設定にした生物が進化したはずです。
このように考えると,原初の生命体とそれから進化した生命体は,生まれた時点での惑星の物理的・化学的環境を初期設定にするしかなかったと考えることができます。つまり,火星に生命体が誕生していたら,それは火星の環境を初期設定にしていたし,アルファケンタウリの惑星で誕生した生命体は,その惑星の環境を初期設定にするしかありません。つまり宇宙には,誕生した惑星の物理的・化学的環境の数ほど,生まれた生命体の初期設定があるはずです。
逆に言えば,火星に生命体が誕生して隕石に乗って地球に到達したとしても,火星と地球では大前提となる環境が違いますから,恐らく火星生命は地球では生きていけないだろうと考えられます。これは,
エウロパの生命,エンケラドスの生命についても同じです。
そういうわけで,パンスペルミア説が成立するためには,「生命体はありとあらゆる環境で生きていける代謝系を予め備え,あらゆる環境でもエネルギーを取り出せる多種多様な代謝系を備えていた」と考えるしかなくなります。隕石などに付着した生命体は,自分の行き先を選べないから,ありとあらゆる状況に対処できるよう,膨大な数の代謝系とそれを記憶するゲノムを備えている必要があります。
しかし,そのような莫大な量のゲノムを備えた生命体は,分裂速度が極端に遅くなります。古細菌には
1000年に一度くらいのペースで2個に分裂すると考えられているものが見つかっていますが,それよりはるかに遅いはずです。
となると,そういう「ほとんど分裂できない」生命体は,それより速く分裂する生命体より不利になり,もともと生まれた環境では
すぐに淘汰されます。これでは,隕石に乗って宇宙に旅立つ可能性はゼロです。