久しぶりにジャズ・ピアノネタです。Kenny Drew Jr.にです。
Kenny Drew(1928〜1993年)といえば軽やかなタッチとリリカルな歌心に満ちた演奏で知られたピアニストですが,今回紹介するKenny Drew Jr.はその息子さんです。息子といっても一緒に暮らしたことはなく,ピアノの手ほどきを受けたわけでもないようです。
そのKenny Drew Jr. の演奏ですが,クラシックピアノマニアが聞いてもうまいというか,テクニカルにしっかりしています。ジャズピアニストというと「右手は動くけど左手は和音を押さえているだけ」という人が大多数ですが,この人は違います。まず,次のYouTube動画を御覧ください。左手だけのジャズ演奏です。
ピアノファン以外の方にはどうでもいい話題ですみません。
ニコライ・ペトロフの伝説的名演がついにYouTubeに! 曲目はリストの「パガニーニ練習曲」の初版(1838)です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが,リストの「パガニーニ練習曲」初版はあまりに難しすぎ(特に第4番と第6番),その後,数回の改訂を経て現在の「誰でも弾ける易しいバージョン」に落ち着きました。これが現在の「パガニーニ練習曲(1853年版)」です。
聞きものはやはり第4番で,一度これを聞いてしまうと現在のバージョンがお子様向けに聞こえるほどです(ちなみに初版の第4番には2つの異版があり,ここで演奏されているのは「易しい方」だったと思います。もう一つのバージョンは更に凄いです)。そして第6番の第9変奏の右手の跳躍の連続。これも凄まじいです。これらは,できれば鍵盤の真上から弾いているところを見たかったです。
【Wibi Soerjadi plays his: 'American Fantasy'】
このSoerjadiの「アメリカ幻想曲」の演奏動画,どれほど夢見たことでしょうか。10年ほど前にこの演奏を初めて聴き,その編曲技法の見事さと演奏技巧の素晴らしさに酔いしれ,あまりの「ピアノ馬鹿」ぶりに呆然としました(この場合の「馬鹿」は最高の褒め言葉ですね)。
その後,YouTubeにSoerjadiの様々な演奏がアップされましたが,なぜか「アメリカ幻想曲」だけはなく半ば諦めていたのですが,ついに昨日,見つけました。長生きはしてみるものです。
この演奏を採譜して楽譜にしてくれる人,誰かいないでしょうか?
【The great master pianist Earl Wild has died.】
私が最も偏愛するピアニストの一人,アール・ワイルドが亡くなりました。享年94。
彼自身のアレンジによる切れ味鋭いピアノ曲の数々は,「聴衆に楽しく,演奏者にとっては難しいが演奏効果が高く弾き甲斐のある曲」でした。だからこそ,彼の編曲作品は多くのピアニストに愛され,演奏されてきました。
ガーシュウィンの「ポーギーとベス」による長大な幻想曲もいいし,ガーシュウィンの歌曲による「7つの練習曲」も高度な技巧を要求する素敵な曲集でした。ラフマニノフの歌曲のアレンジはまさに,ラフマニノフのピアノ語法を完璧になぞったラフマニノフのオリジナル曲と見紛うばかりの素晴らしいピアノ曲でした。ディズニーのヒットメドレー「白雪姫」,チャイコフスキーの「4羽の白鳥の踊り」,ショパンの「第2協奏曲の第2楽章」など,どれをとっても完璧なピアノ曲でした。
合掌。
海外のピアノ愛好家という方から,大量のバッハのピアノソロ用編曲,ベートーヴェンの曲のピアノソロ用編曲の楽譜をいただきました。その中にベートーヴェンの「交響曲第5番」によるカルクブレンナーやフンメルのソロ用編曲がありました。カルクブレンナー,フンメルといえばショパンが最も尊敬したピアニスト・作曲家ですから,彼らの編曲(楽譜はほとんど残っていないはずです)には興味を持ち,早速楽譜を見てみましたが,やはり凡百の「オケの譜面をピアノ楽譜に書き直してみました」程度のアレンジで,およそ演奏会で取り上げるようなピアノ曲のレベルではありませんでした。やっぱりね,という感じです。
ベートーヴェンの交響曲のソロ用アレンジといえばリストの編曲がいまだに最高峰です(リストを元に,さらに手を加えたカツァリスのアレンジもありますが)。2本の手,10本の指でオーケストラが出すあらゆる音をピアノ鍵盤で再現してやろうというリストの意気込みが楽譜全体から迫ってきますし,その楽譜から生み出される響きは圧倒的です。ベートーヴェンのオーケストラ楽譜の音符をピアノ楽譜に置き換えることが目的ではなく,オーケストラが生み出す音響をピアノで再現することに果敢に挑戦し,あらゆる秘術を繰り出してベートーヴェンと真正面から対峙しています。リストは数多くの編曲を残していますが,その最高傑作は交響曲のアレンジだと私は思っています。
リストの編曲がどれほど素晴らしいかは,ベートーヴェンの「第5交響曲」第4楽章のコーダに突入する直前の部分を見ただけで判ります。ピッコロとフルートの高音域のトリル,中音域の弦のトレモロ,それに乗って歌われるメロディーの重なりがほぼ完璧に再現されています。私は中学生の頃,この交響曲全曲のソロ用アレンジに挑戦したことがありましたが,この部分だけはついにピアノ曲にできず,断念した記憶がありますが,それだけにこの部分のリストの楽譜を見たとき,そのあまりの見事さに震え,圧倒されました。天才と凡人はこれほど違うのかと,凄さに声が出ませんでした。リストという世紀の天才はまさにあの4小節に凝縮されているのです。
フンメルもカルクブレンナーもピアノ音楽史・ピアノ演奏技術史の中では欠かすことのできない重要な存在ですが,彼らが残した作品のほとんどが歴史の中に忘れ去られて埋もれていき,一方,リストやショパンの作品が今なお主要演奏レパートリーとして残っている理由は,今回のフンメルらの楽譜を見るとよくわかります。
1枚のDVDをいただきました。ある中学生2年生のピアノ演奏を納めたDVDです。そしてこれが驚きの超絶的演奏だったのです。演奏曲目はLiszt/Horowitz「ハンガリー狂詩曲第2番」,Bizet/Horowitz「カルメン幻想曲(1968年バージョン)」,そしてMozart/Volodos「トルコ行進曲」というとんでもない難曲揃いです。それを中学2年生がショパンのワルツでも弾くように,猛烈なスピードで軽々と弾くのです。しかも,高水準の正確さで・・・。とにかく,ホロヴィッツ編曲の「ハンガリー狂詩曲第2番」のフリスカの困難なパッセージの連続を何事もないかのように演奏する様子には唖然としてしまいました。
ネットで彼について調べてみると,既に幾つかのコンクールで特別賞を受賞していて,やはりただ者ではないことがわかります(ちなみに「SuzukiChildren 12歳」と検索すると,彼が誰かすぐにわかります)。
数年前,「小学校6年生の母親」という方からメールをいただいたのが事の発端でした。なんと「小学校6年の息子がピアノを習っていて,ホロヴィッツの『ハンガリー狂詩曲第2番』を演奏したいと申しております。もしかして楽譜をお持ちではないでしょうか?」という内容でした。
「小学生がホロヴィッツ? おいおい,マジかよ」と半信半疑ながらも直ちにホロヴィッツの楽譜をすべて送ったことを覚えています。それが彼だったのです。
朝5時過ぎ,いつものように起きてテレビをつけたらとんでもないピアノ演奏が流れていた。なんでも,「多発先天異常があって指も欠損している12歳の少年がピアノの国際コンクールに挑戦」というニュースである。それがムチャクチャうまいのである。音の流れは自然でこよなく美しく,見事な音楽になっているのだ。「指に障害があるのにうまい」ではなく,他の誰よりもうまいのである。それも感動的にうまいのだ。
これまでとてつもない努力を重ねてきたと思うが(だって,指使いを全て自力で考え直すんだぜ),そういうものを全く考えさせない自在さで,軽々と鍵盤を操るのだ。「ピアノが弾きたい,音楽がやりたい」という夢を実現させようとするこの子供の前に立ちはだかったであろう現実の過酷さと,それをねじ伏せてきた努力と工夫を思ったら,もう,泣いちゃいました。
この小学生に比べたら,俺,全然努力してないよ。多少は頑張っているつもりだけど,この子に比べたら「何もしてない」のと同じだよ。
Cimirro / Wagner - The Valkyries - for the left hand alone!!!!!
なんと「左手だけでワルキューレ」です。左手だけとは思えない音の密度と迫力で「奇跡のワルキューレ」を聞かせます。
左手だけのピアノ曲は掃いて捨てるほどありますが,「左手だけのワルキューレ」は私は寡聞にして見たことも聞いたこともありません。もしかしたら,演奏家自身のアレンジなのでしょうか。楽譜,見たいです。
昨日,ヴァン・クライバーンについてちょっと書きましたが,ここで取り上げた「スクリアビン 練習曲嬰二短調 Op.8-12」について,「この曲について言わせてくれ!」というスクリアビン・ファンの方から熱いメールを幾つかいただきました。やはりこの曲は,ピアノ弾きの心を熱くさせる「何か」を持っている曲なのです。この曲を聞いたピアノ弾きは心穏やかでいられないのです。そういう魔力を持った曲です。
スクリアビンの魅力は何か。それは「魔性の旋律美,魔性の和声美」です。彼の作曲様式は,ショパンを思わせる最初期のものから45歳で悪性黒色腫で亡くなる晩年まで,さまざまに変化しましたが,その根底にあるのは「美」に対する強烈な意識だったと思います。そして,その「美」を実現するために要求される演奏技巧の困難さがあるからこそ,ピアノ弾きを魅了してやまないのです。
スクリアビンが14歳で作曲した「練習曲嬰ハ短調」,初期の傑作「ピアノソナタ第2番」,至難の演奏技巧を要求する「幻想曲ロ短調 Op.19」などの初期の作品からスクリアビン独特の「魔性の旋律美,魔性の和声美」は聞くもの,弾くものの心を捉えます。
「練習曲嬰二短調 Op.8-12」はこの時期の作品です。主部の左手の広い分散和音と,それを背景とした右手の悲壮でヒロイックなメロディーの魅力は,この曲を聞けば誰にでもわかりますが,中間部のエロティックなまでの和声の絶妙な変化は,恐らくこの曲を弾いた人にしかわからないはずです。至難の恐るべき左手の連続跳躍の中が初めて現実のものとなる「魔性の美」です。
そして,「至高のエチュード」ともいうべき「練習曲嬰ハ短調 Op.42-5」! 怒涛逆巻く嵐のような分散和音,そしてその混沌の中から浮かび上がる第2主題は悲壮で健気で伸びやかであり憧憬に満ちている。
そして,あの恐るべき「炎に向かって Op.72」。ピアノ曲史上に異形の光を放つ大傑作です。ここでピアノの鍵盤は持ちうる限りの能力を全て開放します。ピアノの全鍵盤は眩いばかりの光を放ち,ピアノの全音域を揺るがす重音トリルと痙攣するような高音域和音連打で前代未聞のクライマックスに到達し,紅蓮の炎に包まれるのです。これぞまさに,奇跡のピアノ曲です。
【辻井さん優勝】「心から楽しんで演奏できた」「本当に光栄」
辻井さんの優勝ですっかり有名になったヴァン・クライバーンコンクールだが,このコンクールの名前の由来であるピアニストのヴァン・クライバーン(Van Cliburn, 1934年〜)も数奇な運命をたどった人だった。
アメリカでもほとんど無名だった23歳のピアニストはある日突然,もっとも有名なアメリカ人になった。1958年に開催された第1回チャイコフスキーコンクールで優勝したからだ。当時は東西の冷戦真っ只中で,アメリカとソビエトはことあるごとに対立し,厳しい緊張状態にあった。その敵国ソビエトが国民的大作曲家チャイコフスキーの名前を冠したコンクールを開催したわけである。当然,東側陣営を率いるソビエト連邦の威信がかかっているのだ。おまけに,その前年の1957年,ソビエトは世界初の人工衛星「スプートニク1号」の発射に成功し,宇宙開発で大きくアメリカをリードしていたこともあり,アメリカは苦杯を舐め続けていた時代だ。
そういうソビエトで開催されたチャイコフスキー・コンクールはさながら米ソの代理戦争みたいなものだ。そこでアメリカの無名の若くてハンサムな青年が優勝したのである。これでソビエトに一矢を報いることができたと,アメリカ全土が若き英雄に熱狂したのは当たり前である。この彼の偉業をたたえて,1962年にヴァン・クライバーンコンクールが開催されたのだ。
祖国に凱旋帰国したクライバーンのリサイタルはどこも満員で,その年に録音した「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番」のLPはなんとビルボードで7週連続1位となった。クラシックのレコードがビルボードでトップになったのは後にも先にもこれのみである。
しかし,聴衆がクライバーンに求めるのは「チャイコフスキーの第1番」だけだった。アメリカ全土で演奏会を開くが演奏曲目はいつもチャイコフスキーだけだった(後に,同じロシアのラフマニノフの協奏曲も曲目に追加されたが)。要するに,クライバーンは常に「ソビエトのチャイコフスキー・コンクールで優勝したクライバーン」を演じ続けることを要求されたのだった。彼はアメリカン・ドリームの具現者でありアメリカの若き英雄となったが,英雄であることを求め続けられたため,彼はピアニストとして普通の活動ができなくなってしまったのだ。
そしてクライバーンはピアニストとして長い低迷期に入ってしまい,やがて忘れ去られていく。まさに,歴史に翻弄されたピアニストだった。
私がクライバーンの演奏を始めて聞いたのは中学生か高校生の頃で,"My Favorite" というようなタイトルのLPだった。このLPは小曲集だったが,その中に含まれるSchumann/Lisztの「献呈」,Szymanowskiの「練習曲変ロ短調 Op.4-3」,Rachmaninoffの「練習曲変ホ短調 Op.39-5」,そしてScriabinの「練習曲嬰二短調 Op.8-12」に私は夢中になった。なんて格好いい曲なんだろう,なんてすごい曲なんだろうと,毎日毎日LPが擦り切れるまで繰り返し聞いた。特にスクリアビンのエチュードの壮大な響きと悲壮なメロディーは当時の私にとって衝撃的だった。こういうピアノ曲が弾きたいと心底思ったものだった。
そしてその後,楽譜を入手でき,これらの曲は私にとっても "My Favorite" となり,主要な演奏レパートリーとなった(もちろん今ではラフマニノフもスクリアビンも弾けないが,「献呈」とシマノフスキの「エチュード」は今でも何とか弾ける)。シマノフスキのピアノ曲は現在でもあまり演奏されないことを考えると,このクライバーンのLPに出会わなかったらおそらく弾くことはなかっただろうと思う。曲との出会いというのも不思議なものである。
先日,『ショパンの第3ソナタのフィナーレと巨人の星のテーマの交響的融合』という曲を紹介しましたが,YouTubeに演奏動画があることを教えていただきました情報ありがとうございます。
またもしょうもないピアノネタ。YouTubeでちょっと面白いピアノデュオを見つけました。演奏もアレンジも素晴らしいです。
ZAKZAKにピアニストの松本あすかの記事があったのでちょっと面白そうだったので,動画検索。
またもピアノネタでごめん! 今回はJon BaylessのYouTube画像の紹介。
Jon Baylessといえば自作のアレンジしか演奏しない変な(?)ピアニストで,プッチーニのアリアを豪華絢爛に編曲したアルバムとか,バッハの曲とビートルズを見事に合体させた編曲のアルバムなどを発表している。私は大好きなピアニストなんだけど,何しろこの方面のピアニストに対する需要は少ないので,何となく「忘れられかけているピアニスト」みたいな感じになっている。
そういうピアニストを力強くサポートしてくれるのがYouTubeで,現時点で以下の演奏ビデオが視聴できるので,ちょっと紹介。
ピアノのネタを一つ。私のメル友であるイタリアのピアニストがMarco Falossiです。日本ではほとんど知られていませんが,以前から楽譜についての情報交換をしていて,新しいCDが出るたびに私に送ってくれる,という間柄です。マニアックな曲,技巧的に困難な曲を素晴らしいテクニックで演奏するタイプの演奏家で,自作の編曲も多いです。
そういう彼の演奏がつい最近,YouTubeにアップされていましたので,紹介しますね。よろしかったら聴いてみて下さい。
最近,クラシックのピアニストなんだけどジャズも巧みに弾く,という人が少しずつ増えていて,そういう一人がロシアのKonstantin Vilenskyです。彼の演奏を収録したYouTubeの画像がとても面白いです。
ありとあらゆるピアノソロのための編曲作品で最も好きな曲の一つ,それがTchaikovsky/Feinbergの「悲愴交響曲の第3楽章 スケルツォ」だ。大オーケストラの次々と押し寄せる波濤が巨大なクライマックスを作り上げ,音の大伽藍が聞く者を圧倒する名曲だが,そのフル・オーケストラの世界を,なんとそれをピアノソロで再現するという至難の業に挑戦し,見事なピアノ曲としたのがこのフェインベルグだ。
このアレンジの唯一の欠点は,半端でなく難しいことだ。複雑に交錯する複数の声部を響かせながら,なおかつ,高速重音パッセージが連続するのである。冒頭10小節をインテンポで弾くだけで至難の業です。そのためか,演奏される機会に恵まれない名曲となっている。
と思っていたら,YouTubeに演奏がアップされているじゃありませんか。
久しぶりのクラシック・ピアノネタ。
若き豪腕ピアノ馬鹿といえばAdam Golka。彼の演奏がYouTubeで聴けます。最後の曲はモーツァルトの「トルコ行進曲」とショパンエチュード最難曲の一つ「作品10の2」の合体です。
この1ヶ月ほど,かなり真面目にピアノの練習をしています。当初はショパンの小曲を中心に練習し,その後はこれまで真面目に弾いたことがなかったジャズを集中的に弾いていますが(結構ジャズっぽく弾けるようになりました),どうせ弾くなら・・・ということで,私にとっては究極のピアノ曲の一つ,ホロヴィッツ編曲『星条旗よ永遠なれ』(アルバム「Encores」に収録)に再挑戦しています。知る人ぞ知る難曲であり,轟く轟音が連続する低音,輝くばかりの高音域,そして三重,四重に重なるメロディーと伴奏が聴くものを魅了する恐るべき編曲です。
しかも,それだけ複雑な響きなのに,ピアノ書法は極めて合理的で無理がありません。常に両手が鍵盤の端から端まで跳躍しているのに,体の重心がぶれないように配慮されているため,両手のポジションさえ覚えてしまえば疲労感はそれほどありません(・・・とは言っても,快適な行進曲のテンポで演奏するのは至難の業ですが・・・)。その意味で,人間工学的に見事に作られているピアノ曲と言えます。この点が,「易しく聞こえるのにやけに弾きにくい」シューベルトの鱒五重奏曲のピアノパートと違います。
それに加え,誰でも知っているメロディーにのせて,ピアノを知らない素人にもうけまくるであろう恐るべき演奏効果を発揮するのですから,まさに理想的なアンコールピースです。
とは言っても,10年間のブランクのある50歳の素人ピアノ愛好家にとっては,荷が重すぎるのも事実です。現在,2回目のトリオを練習していますが,この部分は私にとって,まさに難攻不落,厳冬期のアイガー北壁で,練習はまさに,ナイアガラ瀑布の水を素手ですくっているような感じです。これからさらに,3度が連続する3回目のトリオが待ち受けているのですから,気が遠くなりそうです。
この難曲に挑戦している素人ピアノ愛好家はそこそこいると思いますが,もしかしたら私が最年長?
10月30日の更新履歴でデジタルピアノ「コルグSP250」を買った話を書きましたが,医局の空いたスペースに置かせてもらって,ほぼ毎日30分くらい弾いています。忘年会に向けて,ってことなんですが,こんなに毎日ピアノを練習するのは10〜15年ぶりですが,ショパンのワルツとかバラード,エチュードなどを中心に練習していて,ま,それなりに様になってきたような気がします(・・・こういうのを自画自賛という)。
それ以前の「たまにピアノを弾く」時との最大の違いは,たまに弾いていたときは単に弾き流すだけでしたが,集中して練習できるようになると弾けない箇所を何度も繰り返して弾けるようにするという点にあります。たまにしか弾けないときは「今回は(たまたま)うまく弾けた」という程度で満足していましたが,要するにこれは,偶然うまく弾けることを期待して弾いていただけでした。しかし今は違っていて,絶対に弾けるようになるまで何度も繰り返して一つのパッセージを練習し,指使いを徹底的に工夫しています。つまり,「偶然になんとなく弾けている」段階から「必然的に弾ける」段階への進化(?)です。
このため,指使いを納得いくまで工夫することから始めていて,楽譜は指使いの数字で埋め尽くされている感じになります。いくら毎日練習できるようになったとはいえ,何時間も練習できるわけでないため,指使いの数字を書き込んで「(自分にとっての)ベストの指使い」を記録しておくことが最も効率的だからです。「偶然ではなく必然としての演奏」にするためには,絶対に必要なことです。
以前,以前,名ピアニスト,マウリツィオ・ポリーニのお師匠さんとして高名なCarlo Vidussoが指使いを書き込んだ「ブラームス パガニーニ変奏曲」の楽譜を紹介しましたが,これは全ての音符に指使いの数字が書き込まれているという恐るべき楽譜でした。この偏執狂的とも言うべき指使いの書き込みを最初見たとき呆然としたものでしたが,これこそ,演奏を「偶然ではなく必然」に昇華させるために必要なものだったのです。だからこそVidussoは,あらゆる音符に指使いを書き込み,偶然性を排除したのだと思います。
これは医療にも共通しています。11月12日のこのコーナーで「結果オーライの発想の排除」について書きましたが,結果オーライの治療とは偶然性を期待する治療法です。たまたまうまく行った,この症例では奏功した,なぜかこの症例では効果があって治った,というのは全て「結果オーライ」の考え方ですが,共通しているのは,なぜうまくいったのかを深く追求せず,なぜ失敗したかを考えないという傾向です。確かに,結果よければすべて良し,というのは魅力的な考え方ですが,それは旧来の治療法を続けるのに都合のよい言い訳でしかありません。
「70%の患者に効果があったからいい」というのは医療では普通の考えかもしれませんが,私は「30%の患者には効果がなかった」ことを重要視すべきだと思います。それどころか,5%の患者に合併症があったらその治療はどこかがおかしいと思うし,5%の患者に効果がないのは,そもそもその治療法のどこかに欠陥があったからだと考えます。30%の失敗例,10%の治療無効例,5%の予測に反する反応をした症例こそが重要です。
「7割の患者で有効だからいい治療法だろう」という考えは,その治療を肯定することに繋がり,新しい治療法の可能性を殺します。だから,「結果オーライ」の考えは,治療を新しい段階に進めることはありません。医療を保守化させる最大の要因が「結果オーライ」です。だから私は,このような考えを徹底的に排除しようと奮闘しています。医学が科学になるためには「結果オーライ」の発想を許してはいけないからです。
ピアノ演奏の話に戻れば,素人なら10回演奏して7回うまく弾ければ御の字でしょう。多少音を弾きこぼしても許されるでしょうし,音の粒が揃っていなくてもそれを問題にする人はいないでしょう。
しかし,プロは10回演奏して10回とも同じ水準の完成度で演奏できなければ失格ですし,失敗は1回でも許されません。客の前で弾く以上,「今回は調子が悪くて・・・」という言い訳は許されません。ミスタッチがないというのはその意味で最低限の基準です。プロに求められているのは,それよりはるかに上です。だからこそ,名ピアニストでもあったVidussoは,楽譜を見なくても弾ける楽譜であっても,全ての音符に指使いの数字を書き込んだのでしょう。そう思うと,あの書き込まれた指使いの数字が神々しく見えてきます。
「人間は一人ひとり違っているから」,「そもそも万人に有効は治療法があるわけがない」という言い訳は,医療現場で働く医者にはとても魅惑的です。治療がうまく行かない言い訳をしなくて済むからです。
しかし,医療を科学に少しでも近づけるためには,100%の治療効果を持つ治療を追及すべきだし,100%でなければその治療に疑問を持つべきだし,100%の治療効果がない治療には疑問を持つべきだと思います。そうしない限り,新しい治療法は生まれてこないし,医学は科学にならないし,医療は更なる高みにステップアップできません。
私は今,これまで弾いたことがないピアノ曲に挑戦しています。決して易しい曲ではありません。だから,指使いを書き込んでは弾いてみて,それよりいい指使いが見つかればさらに空いたところに指使い数字を書き込んでいます。偶然性に期待しない,必然としての演奏を一度はしてみたいからです。
数日前,デンマークの音大の教授という方から「Walter Zoers編曲の『南国のバラ』の楽譜を持っていますか?」というメールをいただき,直ちに送ってあげましたが,なんとこの方,Zoersさんの弟子で,ずっとこの楽譜を探していらっしゃったそうです。ようやく師匠の楽譜にめぐり合えたと喜んでおられました。
医学と無関係なネタですみません。Carlo Vidussoが指使いを書き込んだブラームスの【パガニーニ変奏曲】の楽譜が,イタリアのピアニストから送られてきました。なんでもミラノの図書館の奥から見つけたとのことです。
この楽譜,私が持っていてもしょうがないので(ピアノを弾く時間もなければ,手元にピアノもないし,何より,この難曲を弾くだけの腕もない),興味をお持ちの人に配布しますのでご連絡ください。
そういえば,上記の【パガニーニ変奏曲】に関連してですが,全音の楽譜になぜ収録されていないんでしょうか。全音からは「ブラームスピアノ曲集」が上下巻で出版されていますが,上巻の最後が「ヘンデル変奏曲」で,下巻は「パガニーニ変奏曲」をすっ飛ばして「作品76」で始まります。しかも単独のピースとしても出版されていません。なぜ全音はブラームスのピアノ曲の中で「パガニーニ変奏曲」だけ出版しなかったんだろうか。春秋社の全集には含まれているわけだし,コンクールに挑戦する高校生や音大生なら必ず弾く曲なんだし・・・。
ピアノ仲間から教えてもらった爆笑画像。http://www.youtube.com/watch?v=ifKKlhYF53w&mode=related&search=
この画像のどこがおかしいかは,ラフマニノフの「前奏曲嬰ハ短調」を弾いた人しかわからないだろうなぁ。確かに,一番最初にあの楽譜を見たとき,どうやって弾いたらいいんだろう,ってしばらく悩んだもんなぁ。なるほど,それで「ラフマニノフは手がでかい」って訳ね。
リストの「パガニーニの鐘の主題による華麗なブラブーラ」という初期の超難曲にも何箇所か,絶対に弾けない部分があったと思うけど,リストもこうやって弾いていたんだな,きっと。
以前から親交がある(・・・といってもメールのやり取りだけど)イギリスのピアニスト,Eric Himyさんから彼の最新の2枚のアルバム,"Homage to Mozart" (CENTAUR, CRC 2849), "Homage to Schumann" (CENTAUR, CRC 2858)が送られてきました。使用しているピアノはSteingraeber & Soehneで,ワグナーやリストが所有していたことでも知られる老舗のピアノですが,今回彼が使用したのはドイツで1895年に作成されたもので,最新テクノロジーで蘇らせたもの(・・・とか言うことがメールに書いてあった),ということでしたが,非常に柔らかで温かみのある音で,しかも低音の響きが豊で,なかなか良かったです。
ちなみに収録曲は次の通りです。このうち,サリエリの曲をエリック自身が編曲したものですが,非常に美しいです。中音域の朗々としたメロディー,それを支えるバスと高音域のオブリガードが同時に響くところなんて最高でした。上記の彼のサイトを見ると,楽譜の1ページ目が閲覧でき,近く出版されるようです。これは楽譜を取り寄せねば!
アメリカ生まれの18歳のピアニスト,Adam Golkaがすごいです。彼の公式サイトから演奏がオンラインで聴けますが(Quick Timeが必要です),どれもこれもすごいですが,とりわけ,彼自身の編曲が超絶技巧をこれでもか,これでもかとぶち込み,ぶっ飛んでいます。一人で演奏しているということが信じられません。
例えば,Trad./Sousa/Weng/Golka: "Deep in the Heart of Texas" and "Stars and Stripes Forever"。後半の「星条旗」が凄絶です。あのホロヴィッツの名編曲,爆裂演奏をある意味,凌駕しています。
あるいは,Mozart/Chopin/Golka: Etude alla Turca。トルコ行進曲とショパンの「練習曲イ短調 Op.10-2」を合体させたものです。ショパンのエチュードで最も難しい曲の一つがこのイ短調練習曲ですが,右手であの高速半音階を弾きながら,左手でトルコ行進曲を弾いちゃうのです。あの驚愕のヴォロドス編曲の「トルコ行進曲」すら,この前ではかすんでしまいます。
「子犬のワルツ」の編曲もムチャクチャやっています。面白くて凄まじいことをやっています。
とにかく,アンコールを集めたCD,早くレコーディングして欲しいものです。
この演奏の楽譜,見てみたいなぁ。Jon Skinner さんとか Christian Jensen さん,採譜していないかなぁ。
私は以前,ピアノ楽譜の収集を趣味にしていた。特に,19世紀から20世紀初頭にかけての「失われた曲(=演奏されなくなった曲)」の楽譜収集を行っていた。そこでわかったのは,