タバコ問題の本質


 タバコに関してさまざまな議論がある。その根源はどこにあるのか。私は,「肺生理,肺病理からタバコという商品が生まれた」のでなく,「タバコが普及してからタバコの肺(呼吸器)に対する作用が解明された」ことにあると思っている。
 だから,これは消毒の問題,化粧の問題,シャンプーの問題と根は同じだ。感染の研究から消毒薬が生まれたのでなく,皮膚の生理や皮膚常在菌の研究から化粧品が生まれたのでないのと同じ構図だ。


 『たばこ税:「増税議連」発足 自民・中川秀氏、民主・前原氏ら共同代表』なんてことがあったり,それに対して『たばこ1000円なら税収減? 京大教授が試算』なんて反論もあったりする。
 それとは別に,「取れるところから取る,という方針はおかしい」という考えもあれば,「喫煙者は勝手にタバコを吸って病気になるのだから,健康保険の対象にするのはおかしい」と考える医者もいる。「喫煙の健康被害の関係は明らか」という研究もあれば「関係は明らかではない」という研究もある。このサイトのタバコに関するアンケートでも,意見は百花撩乱,百家争鳴である。

 なぜこんなに論争になるのだろうか。それは,喫煙によってもたらされる問題が明らかになるはるか大昔から喫煙が広く習慣化してしまったことにある,と思っている。


 タバコの煙を楽しむ,つまり喫煙を最初に楽しんだのは紀元前のマヤ文明の人々だったといわれ,その習慣はアメリカの先住民族に広まっていた。それをヨーロッパに持ち帰ったのがコロンブスなどの大航海時代の船乗りだったらしい。そして喫煙はまたたく間にヨーロッパ全体に広まり,そして世界中に広がっていった。喫煙という習慣はそれほど心地よく,一度慣れてしまうとそれなしには暮らせなくなることがよくわかる。動物でもニコチン依存が作れるというから,どれほどタバコが脳味噌に直接染み渡ってくるのかがわかる。
 それほど習慣性が強いのなら,それを商売にすれば一儲けできることは誰でも気がつくし,国の専売にして税金をかければ簡単に税収が上がることに政治家が気がつくのも当たり前。そうなれば,喫煙する人間が多ければ多いほど税収は上がるから,国策として宣伝に力を入れるようになるし,その宣伝で儲ける人間も出てくる。

 つまりこの時点で,タバコを前提とした社会システムができたということだ。タバコに心身ともに依存している人がいて,タバコで生計を立てている人が莫大な数にのぼる社会になったのだ。


 500年もの長きに渡って人間はタバコの煙にまみれ,タバコのある生活を享受し,それは生活の一部になっていたし,人生の一部になっている人もいる。まさに生活の根幹に食い込んでいるようなものだ。
 そして20世紀になってようやく,タバコの薬理学的作用が明らかにされ,健康を害することが疫学的に明らかにされだが,時既に遅しで,害があろうとなんだろうとタバコを手放すのは難しい。頭でわかっていても体がタバコを求めるからだ。

 だからこそ,これまでタバコの煙でさんざん嫌な思いをしてきて,それなのに嫌だと言えずに我慢してきた非喫煙者たちは,タバコに害があるとわかるとこれまでの鬱憤を晴らすように,全面禁煙,タバコ販売中止を求めるようになるのは当然の動きだ。そして,全面禁煙を主張する人々に対して「魔女狩りだ,個人の自由の束縛だ」と反発が出るのも当たり前といえば当たり前。

 タバコをめぐる論争がなかなかかみ合わないのは,多分そういうところにあるような気がする。


 このあたりは,「江戸時代の人にチョンマゲを結うのはおかしいと説得できるか?」という命題と同じだろう。江戸時代の人たちはチョンマゲを結うのは習慣というより生活そのものだったろうし,チョンマゲを結うことから一日が始まったはずだ。だから,チョンマゲを結わなくても生活はできると説明しても理解してもらえないだろうし,かえって反発されるばかりだ。
 「チョンマゲを結ってこその男」と反論する人もいただろうし,「そもそも日本人はチョンマゲを結うものだ,それが日本人だ」という人もいただろうし,「チョンマゲを結うのは個人の自由だ」と言った人もいただろう。

 また,チョンマゲを結うことで生計を立てている人もいただろうし,チョンマゲを結うための道具を作って生活をする人もいただろう。チョンマゲの否定とは,こういう人たちの生活全てを否定することになる。

 この「チョンマゲ」を「タバコ」や「消毒」に置き換えると,タバコや消毒の問題が同じだということがわかってくると思う。消毒をしている医者は要するに「チョンマゲ医者」である。


 だがここで注目したいのは,「自分の子供は喫煙して欲しい」「自分の子供は喫煙して欲しくない」というアンケート項目で,前者を選ぶ人がほとんどいないという事実だ。改めて次のようなアンケートをとってもいいが,恐らく投票結果は同じだろう。

  1. 喫煙者だが,子供にも喫煙者になって欲しい。
  2. 喫煙者だが,子供には喫煙して欲しくない。
  3. 非喫煙者だが,子供には喫煙者になって欲しい。
  4. 非喫煙者だが,子供には喫煙して欲しくない。

 「自分の子供は喫煙者にしたくない」という一点で意見は一つになっている。喫煙者も非喫煙者もこの点では同意しているのだ。これが唯一の一致点であるのなら,それを根本に据えてタバコの問題を考え直すのが解決の鍵ではないかと思う。

(2008/06/27)

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