皮膚常在菌の世界をちょっぴり想像してみると


 これまで,地球上に最初の多細胞生物が誕生したときから,多細胞生物体表は細菌付着のターゲット,そして細菌の生活の場となったであろうことは説明した通りである。何しろ細菌のサイズと真核細胞のサイズはまるで違っていて,両者は直径で10倍から100倍,体積では10万倍くらい違っているのだ(あなたが直径2メートルの球だとして,目の前に直径200メートルの球があるようなものである)。ましてこれが多細胞生物(もちろん,個々の細胞は真核細胞である)となると,細菌にとっては広大無辺な大地みたいなものだろう。たとえば人間と人間の常在菌の大きさを比べると,細菌は平均1マイクロメートルなので,単純に計算すると人間のサイズの100万分の1である。人間の身長(2メートル弱)を100万倍すると2000km,つまり日本列島のサイズだ。要するに,人間の常在菌にとって人間とは,日本人にとっての日本列島のようなものだ。

 このように,人間の皮膚と常在菌について日常的なサイズに置き換えてみると面白いのだ。


 例えば,人間の皮膚,特に皮脂腺の多い部位で最も多い細菌は嫌気性菌のPropionibacterium属の菌P.acnes, P.granulosum, P.avidum などが含まれる)であり,この菌だけで1平方センチメートルあたり1万〜100万いるという。さらに,その1/10位の数の表皮ブドウ球菌(これは好気性菌)や酵母様真菌,さらには原生動物や同定されていない未知の細菌までが皮膚を「終の棲家」としている。これは具体的にどういう密度だろうか。

 Propionibacteriumの大きさは1μm,つまり1/10,000センチだ。人間の身長を1メートルとすると10kmに相当し,10km四方に1万〜100万人住んでいるようなものだ。10kmというと新宿駅から錦糸町駅までが大体この距離に当たり,この範囲に100万なら大した密度でないと思われるかもしれないが,人間の場合は20階建て,30階建ての高層建築で密度を稼いでいるが,細菌の場合には平屋かせいぜい2階建て住宅(何しろ,皮膚の上で嫌気性状態なのはミクロン単位の範囲でしかない)なのである(ちなみに,腸内常在菌が皮膚常在菌と比べ物にならないほど高密度で増殖できるのは,嫌気性状態が広い範囲で維持されていることと,栄養物が比較にならないほど豊富なためだろう)

 10km四方に1万〜100万人を換算すると,10メートル四方に0.1〜10人の人口密度だ。他の細菌のことも考えると,10メートル四方に1人から数十人が住んでいるようなもので,身動きが取れるか取れないかぎりぎりか,あるいは,動けてもすぐに他人にぶつかるくらいの密度に相当する。しかも,見渡す限りこの状態がずっと続いているのだ。


 これらの常在菌にとっての唯一の栄養源は人間の皮膚にある毛孔や汗管からにじみ出てくる皮脂などの分泌物しかない。つまり,地面に井戸があってそこから食料となる物が出てくるイメージだろう。ちなみにこの皮脂腺の数は部位によって異なるが,1平方センチあたり400〜900個であり,1平方センチあたり500個としても1つの皮脂腺で20〜2000個のPropionibacteriumを養っていることになる。つまり,他の常在菌も計算に入れると,一つの井戸を囲んで数十人から数千人がその井戸を頼りに暮らしている集落のようなものとたとえることができるのだ。そういう集落が日本列島の表面を隙間なく(=平地だけでなく富士山や北アルプスや立山連峰の山頂に至るまで)埋め尽くしているわけだ。

 しかもこの島(日本列島=体表面)は絶海の孤島であって外の社会との連絡は一切なく,外から栄養物が届くことはない(・・・というか,皮脂以外のものは栄養にできないため,皮脂以外のものはあっても困るの邪魔者だ)。だから住民たち(皮膚常在菌)は,島のあちこちにある井戸(皮脂腺)から出てくる栄養源(皮脂)を住民同士で大切に分けあい,皆少しずつ遠慮しあい,融通しあって生きていくしかないのである。そういう助け合いのルールを守れる者しかこの島の住民にはなれないのである。


 この島は外から物資は来ないが,なぜか,よそ者は流れ着くのだ。それが外来菌,通過菌だ。この連中はこの島のルールも知らなければ助け合いの精神も持っていない。だから,そんな連中に島をうろつかれたり住み着かれたりすると,先住民(常在菌)のコミュニティは崩壊してしまう。だから先住民たちは一致団結して,コミュニティを守るために様々な工夫をした。

 まず,井戸から出てくる栄養源を加工して,「自分たちには栄養だが,よそ者たちには毒物」になるよう工夫した。実際,皮脂をPropionibacterium属菌が分解してできるプロピオン酸やステアリン酸はその他の皮膚常在菌にとっては栄養源だが,黄色ブドウ球菌や緑膿菌にとっては増殖阻止物質となる。そして,島全体を「弱酸性」というシールドで囲った。流れ者たちは酸性になると増えられなくなるからだ。

 何しろ先住民たちは,この島(=人間の皮膚)でしか暮らせないのだ。この島に余りにも馴染みすぎ,慣れすぎてしまったため,地中や水中で暮らすなど生活を変えることができなくなっているのだ。というか,島(=人間の皮膚)とほとんど一体化しているようなものだ。だから,島(=人間)自体が弱ったり病気になると,共倒れになってしまう。だからこそ,よそ者を入れないように「よそ者排除システム」を作り上げたのだ。


 もちろんこの排除システムは,常在菌たちが自分たちの生活(?)を守るために作り上げたものだが,結果的に宿主である人間の利益にもなった。病原菌の進入を防いでくれる理想的なシステムを手に入れたからだ。

 この,常在菌による外来菌排除システムの人間側のメリットは,自前のエネルギーを使わずに済むという点にある。何しろ人間側は常在菌に皮膚を住処として提供し,老廃物を皮膚から排泄するだけでいいのだ。あとは常在菌が勝手に皮脂という老廃物を栄養にして増え,それを使って外来菌増殖を妨害する物質に変えてくれるのだ。これほど安上がりな防衛策はないはずだ。

 もしもこれが,常在菌なしの皮膚だったらどうなるか。皮膚表面に付着し,隙あらば増殖し,深部に入ろうとする細菌との戦いが四六時中続くだろうし,免疫細胞も常に戦闘状態だ。恐らく,体の成長や子孫を残すために必要なエネルギーまで「細菌との戦闘」に回さざるを得ないはずだ。しかもこの戦いは皮膚だけでなく,口腔でも腸管でも起こるのだ。要するに,自前で細菌すべてを防ごうとするのは,周辺の国すべてを敵国としてGDPの大半を軍事費にそそぎ込む軍事国家のようなものだ。


 想像してみるとわかるが,「常在菌のいる皮膚」を持っている生物と,「無菌の皮膚」を持っている生物が競合した場合,後者が生き残れる可能性はゼロなのである。皮膚常在菌あっての皮膚,常在菌あっての人間なのである。要するに,人間と常在菌はセットで生きているのであって,常在菌があって初めて人間は「生物」として完成するのだ(もちろん,常在菌も人間とセットで初めて生物として生きていけることは言うまでもないだろう)

(2009/02/02)

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