皮膚の知覚にまつわる諸問題


 このようにして3胚葉生物は指令塔としての中枢神経系と,創傷治癒のシステムを手に入れたが,知覚と創傷治癒でそれぞれ,二重支配という問題を抱えてしまった。恐らくこれが,人間の皮膚に生じているいくつかのトラブルの原因だと私は考えている。


 まず,神経系について考えてみる。前述のように生物は外胚葉組織から神経系を作り上げ,それは中枢神経系と末梢神経に分かれることになった。末梢神経のうち知覚神経は全身のさまざまな組織に配置されて温覚や振動覚など,さまざまな情報をキャッチして中枢神経に伝える役目を担った。もちろん,皮膚から得られる情報を取得するために知覚神経は皮膚にも配置された。

 ここで一つ疑問が生じる。知覚神経の神経終末は真皮の最上層に存在するが,なぜこの位置なのか,という理由だ。より鋭敏に情報を得るなら,表皮の上層の方がもっと有利なはずだ。

 これは恐らく,皮膚のターンオーバーとの絡みではないだろうか。ご存じのように表皮は最下層(=真皮との境界)で作られては次第に表面方向に押し上げられて移動し,角化(=細胞核を失う現象)を起こして角質になり,やがて垢になって剥がれ落ちていく。これにより,皮膚は常に新しいものに入れ替わっているわけだ。

 もしも神経終末が表皮層に入り込んでいたらどうなるか。常に表皮の上層への移動に巻き込まれてしまい,四六時中,新しい神経終末に作り替える作業に追われることになりかねないはずだ。これを避けるために神経終末は,激しいターンオーバーが起きている表皮でなく,より安定した環境である真皮に落ち着いたのだろう。


 角化は恐らく,陸上の乾燥という水中にはなかった脅威に対抗するために生物が獲得した対抗策だろう(実際,水中でのみ生活するオタマジャクシの皮膚は角質を持たないが,蛙になって陸上生活するようになると皮膚は角質で覆われるようになるらしい)。そのため,角質という死んだ組織で全身を守り,さらに,次から次へと角質を入れ替えることでより乾燥から身を守ったのだろう。要するに,生物にとって「乾燥と紫外線」とはそれほど過酷な条件だったのだろう。

 ちなみに,この「乾燥と紫外線」がどれほど生命体に過酷かは細菌を見ても明らかだ。土壌を生育環境とする細菌だけが芽胞を作るからだ。破傷風菌や枯草菌は環境が悪化すると芽胞という極めて耐性の高い状態に変化して生き延びるが,この芽胞を作るのは土壌の細菌だけであり,水中で生息する細菌(=ほとんどがグラム陰性菌)は芽胞形成しないのである。つまり,水中で誕生した細菌が地表での「乾燥と紫外線」環境に適応するために芽胞という手段を進化させたのだろう。


 だがここで一つ問題が起きてしまう。表皮表面のさまざまな情報がダイレクトに神経終末に伝えられなくなってしまったのだ。
 おまけに,神経終末は真皮に高密度に分布しているわけでなく,皮膚の総面積から見るとパラパラと疎らにあるだけだ。なぜ,もっと高密度に神経末端を皮膚に配置しなかったのだろうか。

 その理由は定かではないが,神経末端を高密度に配置しそれを常時維持管理するランニングコストと,それから得られる情報量の重要度とのバランスの問題,つまりコストパフォーマンスの問題ではないだろうか。情報は常に入ってくるがその情報の大半がジャンク情報だったら,常時情報センサーを働かせておくのはエネルギーの浪費でしかないからだ。

 しかし,ジャンク情報は多いとしても,時々は重大な情報が入ってくるとしたら,情報センサーをすべて閉鎖するのも問題が起こる。全てを閉鎖したら,生存に必要な重大な情報もシャットアウトしてしまうからだ。

 この問題を解決したのは,表皮細胞が9億年の昔から備えていた「情報センサー」を利用することだったのではないだろうか。つまり,体表面の表皮細胞は常にさまざまな情報を外界から受けるが,中枢神経系に伝える必要がある情報は脳に伝え,そうでない軽微な情報は表皮でキャッチするのみという機能分担をしたとの仮説だ。もちろんこれは仮説であるが,机上の空論というわけではない。


 私がこの仮説を思いついたのは,熱傷の治療を通じてだった。熱傷は通常強い痛みを覚える。水で冷やしているうちは痛みは収まるが,水から患部を引き上げるとすぐに痛みはぶり返す。いくら熱湯をかけたといっても,もう5分近く冷やしているのだから熱湯は創面に残っていないのに,痛みはなかなか消えないのだ。しかし,そんな熱傷創面を白色ワセリンを塗布した食品包装用ラップで覆うと痛みは速やかに消退するのだ。

 当初,この鎮痛効果は腑に落ちないものだった。何しろ,表皮内水疱もできていないのだから,損傷は表皮中層にも及んでいないのだ。当然,神経終末には影響は及んでいるはずもないし,少なくとも神経終末が創面に露出するような熱傷ではない。それなのに,ラップで覆うだけで痛みがなくなるのである。もしもこれが,神経終末が露出し,それをラップが保護して痛みが治まる・・・というのであれば理解できるが,そうではないのである。

 この現象を合理的に説明するとしたら,表皮自体が痛みを感じているとするしかないはずだ。もしもそうであれば,ラップや被覆材で熱傷創面を覆うだけで痛みがなくなるのは当然のこととなる。角質表層が熱傷で損傷され,表皮表層が空気中に露出しているから痛いのであり,その表皮表層を空気から遮断したから痛みは消えたのだ。こう考えるのが最も合理的だ。

 同様に,痒みのある接触性皮膚炎や慢性湿疹をラップや被覆材,あるいはワセリンの塗布で痒みが収まる現象も説明が付く。そして同時に,従来の痒み止め軟膏がなぜ効いているのか(⇒基剤のワセリンが皮膚を覆っているから),なぜ抗ヒスタミン剤などの痒み止め内服薬がそれほど効かないのかも説明が付く(ような気がする)
 そして,なぜ熱傷の痛みに鎮痛剤がほとんど効かないかも明らかになる。要するに「熱傷の痛み」は,鎮痛剤がブロックする痛みを伝える経路と無関係に生じていた可能性があるのだ。


 そしてさらに,この「知覚の二重支配」問題は,「痒いところを掻き崩してしまい出血した」とか「つい掻いてしまって傷が治らない」という現象も説明できるのではないかと思っている。要するに,「痒み」という軽微な情報(=表皮細胞レベルで処理すべき情報)と,掻いて傷ができたことによる「痛み」という末梢神経系を通じて中枢神経に伝えられるべき情報が混乱してしまい,それが「痒いところを掻く快感」にすり替わってしまったのではないだろうか(このあたりについては,まだ十分な説明とはなっていないが・・・)


 また,「痒みが主症状の皮膚炎や湿疹をラップやデュオアクティブで覆うと速やかに痒みが消退する」という自分自身の経験から考えると,軽微な体表損傷は多細胞生物が最初に発生した状態(=水中)では「痛み・痒み」という症状を生じなかった可能性がある。すなわち,痒みとは生物が陸地に上がって乾燥した環境で暮らすようになってから生じた症状である可能性が高いのだ。だからこそ,人間はこの「痒み」という問題にいまだにうまく対処できないでいるのではないだろうか(・・・何しろ,哺乳類は地球上に誕生してからまだ6千万年くらいしかたっていない新参者である)

 さらにこれで,アトピーのような「痒み」を主症状とする様々なトラブルに従来の皮膚科の治療法がしばしば無力である原因もこれで理解できるし(⇒疾患の基本病態の解釈も間違っているし,治療法の組立も根本から間違っている),それらがしばしば難治性になる理由もここにあったのではないかと思われる。この問題については,後ほどさらに詳しく論じる。


 人間は直立姿勢をとるようになってから,腰痛や難産というトラブルに見舞われたといわれている。四足歩行用に設計された骨盤を転用して直立姿勢をとらざるを得なかったため,様々な問題が生じたのだ。同様に,本来は水中で生活することを前提に設計された体制を持つ3胚葉生物が,基本構造はそのままに陸地という乾燥状態に無理矢理(?)進出したため,水中生活では生じなかった様々な問題にぶつかってしまったのではないだろうか。

(2009/01/29)