神経伝達物質は創傷治癒システムのシグナル物質だった・・・か?


 前述のように,この10年ほどで人間の表皮細胞(ケラチノサイト)に関する新しい知見が報告されている。ケラチノサイトから神経伝達物質が発見され,しかもそれが皮膚表層損傷の治癒をコントロールしているという事実である。繰り返しになるが,それらの知見をまとめると次のようになる。


 これは一体,何を意味しているのだろうか。これまで,外胚葉から中枢神経を作るしかなかった進化の必然性を説明したが,ケラチノサイト(=外胚葉)と中枢神経の出自が同じなら,同じ神経伝達物質を持っていることは説明が付けられる。だが,それらが皮膚損傷の修復作用(一部は阻害作用)を持っているとなると話は別である。

 また,皮膚の修復作用を持っているのはいいとしても,実験的に「損傷部位に神経伝達物質を塗布すると,塗布しない部位より治癒が早い」ということは何を意味しているのだろうか。外部からわざわざ投与しなければいけないということは,「皮膚損傷の修復を早める物質を持っている」のに「それが自前では全く作用していない」ということであり,考えてみたらかなり変な状況である。要するに,能力があり,能力を発揮する準備はできているのに,なぜかそれが実際に使われていないのだ。なぜその能力を持っているのかもわからないし,なぜその能力が封印されているのかもわからない。

 この状態を例えると,「自国に油田があって石油が出てガソリンを作ったのに,なぜかそのガソリンでは車が走らない。しかし,外国から輸入したガソリン(もちろん成分は自国油田のものと同じ)でなら車が走る」というようなものだ。

 もちろん,「神経伝達物質はたまたま偶然に皮膚表層損傷の修復に作用しているだけ」という可能性もあるが,その場合は,「すべての神経伝達物質が,そろって皮膚表層損傷に影響している」という現象が説明できない。1種類の神経伝達物質がバリア修復作用を持っているだけなら偶然で処理できるが,「中枢神経で見つかるほとんどの神経伝達物質が皮膚から見つかり,そのほとんどが皮膚バリア修復に影響をしていた」となると,偶然ということはありえないからだ。


 この問題を「セロトニンやドーパミンは神経伝達物質である」と考えるとわけがわからなくなるが,「これらの物質はそもそも,外胚葉の損傷治癒システムのための物質だった」と発想を逆転させると,一挙に問題は解決する。


 話を最初の多細胞生物である1胚葉生物が誕生した頃に戻す。この頃は補食者はまだ登場していなかったから基本的に平穏な環境だったと思われるが,水深が浅い海であれば紫外線の影響は避けられず(何しろそのころは酸素もオゾン層もなかったはずなので,紫外線はかなり強烈だった),一生を無傷で暮らせる海綿動物だけではなかったはずだ。当然,早い時期から「できた傷を修復する」という能力は持っていたと思われるし,修復能力のない1胚葉動物は最終的に子孫(=遺伝子)を残すことができなかっただろう。

 例えば,海綿(しつこいようだが,孔だらけの湯呑みのような構造をしている生物だ)のどこかに傷ができたとして,その欠損部を修復するためには,周りの細胞が分裂して増え,欠損部を埋めるのが一般的ではないだろうか(・・・と,ここまで考えて,現実の海綿動物にできた傷がどのように修復されるかを専門書で探したが,国内の専門書には言及しているものは見つけられなかった。海綿動物の創傷治癒に関してご存知の方がいらっしゃったら,是非,正しい知識をご教示していただきたい)
 問題は,周囲の細胞がどのようにして「隣に欠損ができた」ことを知るかだ。


 私の仮説はこうだ。

  1. 体表面(外胚葉)に傷ができる。
  2. 損傷細胞の細胞質に含まれる物質が外に放出される。
  3. 海水に拡散し,隣接する細胞に到達する。
  4. 隣接する細胞にシグナル物質の受容体があり,特定の物質が結合することで分裂を開始する。
  5. 損傷は修復されると,細胞損傷を知らせるシグナル物質の放出は止まり,細胞分裂はストップする。

 これなら,外胚葉の全ての細胞がシグナル物質を産生して細胞質内に蓄え,外胚葉の全ての細胞にそのシグナル物質の受容体が備わっているだけで,損傷に対応できるはずだ。

 では,このシグナル物質はどんなものであればいいか。もちろん,周囲の環境(=海水)に含まれていない特異な物質であることが必要だ。普通に海水に含まれている物質ではシグナルにならず,のべつ幕なしに無意味な増殖が起きてしまう。このように考えてみると,ドーパミンやセレトニンなどは,見事に条件に合致する(・・・合致するように仮説を立てたのだから当たり前だ,とツッコミを入れないように)


 また,「なぜセロトニンなどを外部から投与しないと損傷修復が進まないのか」という疑問も解決する。この修復システムは原初の海で誕生した1胚葉生物が作り上げたシステムであり,海の中にいることが前提になっているからだ。だから,空気中で暮らす人間の皮膚損傷では働きようがなかったのだ。空気中では,シグナル物質の伝達のための媒質となる「水」が存在しないからだ。

 さらに,「そもそも外胚葉損傷シグナル物質だったのに,なぜ現在は神経伝達物質として機能しているのか」という疑問にも答えることができる。「細胞自体が持っているシグナル物質を隣の細胞に受け渡すことで,自分自身の状態(情報)を隣の細胞に伝える」という外胚葉の能力をそのまま転用すれば,神経細胞同士が情報を伝達する方法になるからだ。
 要するに,

  1. 細胞質に存在して
  2. 細胞膜が破壊することで遊離し,
  3. 隣の細胞膜の受容体に結合して情報を伝える
というシステムを,
  1. 細胞質に存在して
  2. 細胞膜に放出するポンプがあってそれを通して細胞外に遊離し,
  3. 隣の細胞膜の受容体に結合して情報を伝える。
と,ちょっと手直しするだけで,創傷治癒のシグナル物質は,現在の神経伝達物質に変化するのだ。


 もちろん,この仮説でも説明できないことはある。

  1. 現在の神経伝達物質が「原初の損傷修復シグナル物質」だったとしても,なぜ複数種類の物質が必要なのか。シグナル物質なら1種類で十分ではないか。
  2. 神経伝達物質の種類によっては,皮膚表層損傷修復を阻害するのはなぜか。修復阻害物質は不要ではないか。

 これらの疑問に対しては次のような説明を考えているが,他の可能性もあるかもしれない。

(2009/01/27)

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