約6億年前,刺胞動物(クラゲ,イソギンチャク,サンゴなど)が誕生した。初めての2胚葉生物であり,外胚葉と内胚葉の2層からなる体を持ち,分散神経系と呼ばれる神経系を持ち,感覚器や運動器のような独立した器官を持っていた。海綿動物を湯呑みだとすると,こちらの方は底の厚い湯呑みで,底の真ん中に穴が開いていてポケットになっているようなものだ(余談だが,この文章を書いていて,海綿動物と刺胞動物はトポロジカルに同一だということに気がついた。それに対し,節足動物や脊椎動物はトポロジカルにはドーナツと同じだ)。ちなみに,湯呑みをそのまま岩の上に置いたのがイソギンチャク,逆さにして海中に浮かべたのがクラゲである。
そして刺胞動物は海綿動物と違い肉食性,つまり捕食者だった(もちろん,最初から捕食者だったのか,捕食者としての能力を潜在的に持っていて二次的に捕食者となったのか,という問題は残るが)。
海綿動物と刺胞動物の大きな違いはもちろん内胚葉の分化があるかどうかだが,もう一つの大きな違いは神経系の有無である。海綿動物には神経系は存在しないが,刺胞動物には神経系が存在するのだ。恐らく,海綿動物の一部で外胚葉から神経系を作る変異が発生して(海綿動物にはホメオボックス遺伝子,TGB-β遺伝子など多細胞生物としての分化,発生に関わる遺伝子群が既に存在していることは確認されている),原始的神経組織が形成され,それが持つ潜在的能力をうまく使えるようになったものが分化し,後の刺胞動物になったのではないだろうか。
クラゲを眺めている,なんとなく波に浮かんでいるだけのように見えるが,肉食であるためにはかなり高度に統合された運動能力が必要だ。現在のクラゲは触手に付いたプランクトンや仔魚を捕食しているが,そのためには次のような能力が必要なはずだ。
これらのことを連続的に行う必要があり,情報の伝達とそれに応じた適切な動きをしなければ生きてはいけない。そのため,より高度の情報処理と運動の統合が必要になり,専門器官として神経系が必要になったのだろう。
実際のクラゲは,温度や塩分濃度などを体表面の全ての細胞で感知し,生存に有利な環境に移動していることは確認されている。
刺胞動物の神経系は散在神経系と呼ばれていて,3胚葉生物のように体の内部ではなく体表面に存在し,中枢神経系のようなピラミッド型でなく分散型のネットワークを形成している。このネットワークのおかげで,体表面の「外胚葉情報センサー」から得られるさまざまな情報を一元的に扱えるようになったのだろう。また,ある細胞の動きを神経を通じて隣の細胞に伝えて同じ運動をさせる「伝言ゲーム」をすることで,クラゲはかさを波打つように動かすことが可能になり,移動能力も獲得できた。これも神経系なしには不可能なことだと思われる。
では,刺胞動物は何から散在神経系を作ったのだろうか。使える組織は外胚葉か内胚葉の二つしかない。では,どちらを使って神経系を作ったらいいだろうか。
もちろん,外胚葉に決まっている。体表面(=外胚葉)の全てが知覚センサーであり情報センサーであり,それらから得られる情報を統合して利用するのが目的だから,外胚葉の一部(=知覚センサーの一部)を変化させて神経系にするのが最も確実で手っ取り早い。
このように,一旦,捕食者が出現してしまうと,捕食者と被捕食者の間は緊張関係となり,運動能力と相手を検知する能力は必須のものとなり,それは次第にエスカレートしていったはずだ。せいぜい温度やpHやイオン濃度のセンサーでよかったであろう海綿動物の外胚葉は,刺胞動物では神経系としてその能力を次第に高めていき,それは運動系と不可分のものとなった。
そして,いったん神経系として完成してしまえば,2胚葉生物から分化した3胚葉生物も引き継ぐことになる。完璧に動作している神経系を捨て,新たな神経系をゼロから作り上げるのは非効率だからだ。
(2009/01/23)