最初の多細胞生物が直面した問題


 多細胞生物はおよそ10億年まえに誕生したと考えられているが,それらは〔1胚葉生物(外胚葉のみ)〔2胚葉生物(外胚葉+内胚葉)〔3胚葉生物(外胚葉+中胚葉+内胚葉)の順に登場したとされている。具体的な時間経過で言えば,約9億年前に海綿(外胚葉のみからなる),6億年前に刺胞動物(外胚葉と内胚葉を持つ),そしてエデュアカラ紀に3胚葉生物が誕生したという(しつこいようだが,このあたりの年代については諸説あり,まだ確定したものではない)。つまり,最も原初の多細胞生物は外胚葉のみで,それに内胚葉,中胚葉が付加された(分化した)ことがわかる。そして私は,この「多細胞生物は原始の海で外胚葉生物として誕生した」ことが,現在の皮膚に関するさまざまな問題の根源にあると考えている。これについては後述する。


 10億年前に誕生した最初の外胚葉生物はいろいろな問題にぶつかったと思うが,その一つは体の表面に付着する細菌だったのではないだろうか。なぜかというと,水中の細菌は物の表面に付着しようとする性質を持っているからだ。

 水中の細菌の生活様式は浮遊性か固着性かのいずれかであり,どちらを選ぶかは置かれた状況でどちらの方が効率的にエネルギー源にありつけるかで決まる。要するに,水中に豊富な栄養があれば浮遊して生活したほうが有利だし,何かに固着したほうがもっと多くの栄養を取れるのならそちらのほうを選ぶ。

 現実の海や湖の水中は栄養分に極めて乏しい環境といえる。有機物の分子はプラスかマイナスに帯電しているために,逆の電位が帯電している物体の表面に速やかに吸着されるからだ。実際,水中に個体を沈める実験をすると,非常に急速に有機物の分子が固体表面に吸着することが確認されていて,この現象は細菌の付着より前に生じることが知られている。この付着した分子はコンディショニング・フィルムと呼ばれているが,これは物体表面の物理的特性を変化させ,細菌の付着特性も変化させる(実際の細菌の固着には静電気的な引力と斥力,ファンデルワールス力などが複雑に関与しているらしいが・・・)


 このような理由から,通常,水中の細菌は何かの物の表面に固着する。そして,この「物の表面に吸着している栄養源となる物質」を効率的に利用するために,ムコ多糖からなる膜を作って栄養源が水中に拡散するのを防ぎ,他の細菌と共同生活を始めるのだ。これがバイオフィルムだ。実際,バイオフィルム内部ではコンディショニング・フィルムは濃縮されたエネルギー基質として利用され,細菌の成長,分裂(複製)を促進する。

 これは誕生したばかりの多細胞生物(外胚葉生物)に対しても,細菌は同様に行動したはずだ。細菌にとって無生物の表面と多細胞生物の表面は区別がつかず,とりあえず「吸着すべき何かの表面」でしかなかったはずだ。要するに,新たに誕生した多細胞生物の表面(・・・というより,この時期の多細胞生物は「表面(=外胚葉)」だけの生物なのだが)は細菌にとって,新たに出現した生活の場に他ならないのだ。


 一方,多細胞生物側からすると,この「物の表面に固着してバイオフィルムを作る」という細菌の性質は困りものだ。何しろ外胚葉(=表面)がバイオフィルムに覆われてしまっては栄養源を吸収するのを邪魔しかねないからだ。要するに,直接的に有害な細菌でなくても,細菌は多細胞生物にとっては招かざる客だったと思われる。

 つまり,物理的に細菌の付着が必発であってもバイオフィルムを作られるのは困るわけである。それに対する解決法が,「表面に特定の常在菌を定着させ,それ以外の細菌の固着を防ぐ」という「常在菌との共生戦略」だったのではないだろうか。つまり私は,体表常在菌は多細胞生物の発生とほぼ同時期に始まったのではないかと考えている。


 もちろん,全ての細菌を敵とみなして表面に固着しようとする細菌を殺す,という戦略もありうる。たとえば,真菌のように抗生物質を作って細菌を殺す,と言う戦略である。だが,この戦略は水中ではあまり得策ではない。水中の細菌は常に飢餓状態にあって「生きているが培養できない状態 Viable But Non Culturableにあり,付着する相手(=栄養源となる有機物などが付着している)を常に求めているからである。つまり水中では,表面に付着する細菌を殺しても殺してもきりがなかっただろうと思われる。このため,「細菌敵対路線」を選択すると,多細胞生物はそのためにエネルギーの多くを消費してしまうことになり,成長や増殖に振り分けるべきエネルギーが減少する。要するに,軍事費増強と国内産業育成のどちらに予算を振り分けるか,という問題と同じだ。

 一方,細菌(=常在菌)との共生路線はどうだろうか。このあたりについては全く証拠が残っていないため,推理するしかないのだが,現在の人間と皮膚常在菌の共生関係のような成立していたとすれば,宿主である多細胞生物は最小限のエネルギーしか使わず(細菌の住居と最低限の栄養源だけを提供するだけでいい)に、持続的に細菌感染を防げるし,常在菌側も常に安定した生存環境とエネルギー源を得られることになるのだ。

 つまり,「共存路線」を選んだ多細胞生物と「敵対路線」を選択した多細胞生物では,成長と繁殖のために振り分けられエネルギーに差が生じ,後者には強い淘汰圧が働き,生存に不利になる。要するに,既に細菌が生活の場として開拓した海水中に発生してしまった多細胞生物には,「細菌をもって細菌を制す」のが最善の戦略だったと思われる。


 実際,胚葉の分化がない1胚葉生物(=外胚葉のみの生物)である海綿は体内,表面に大量の共生細菌を持ち,種類によっては全体積の40%を共生細菌が占めているほどだ。この共生関係は昨日や今日できたものではなく、恐らく海綿動物が地球上に誕生したその時に始まったと考える方が自然な気がする。

(2009/01/21)